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 鍾乳洞の中で木村が頭を抱えて倒れた。

 過去に囲まれた空間で、圭司が頭を抱えて倒れた。

「ほら、同じでしょ」圭司を見下ろしながら、GCが言った。「300年前と同じことをしている」

 二つの時間で、二人の男が同じように苦しみ蠢く。圭司と、木村が歯を食いしばって顔を上げる。GCが言う。

「記憶を消して、あなたは忘れた。あなたがそれを望んだんだんだよ。だから、別の人間にしてあげた」

 過去の、コピー開発者が言う。「あなたは記憶から逃げて、罪悪感を感じないようにコピーになった」

「違う」木村が獣のように声を吐き出す。

「違くない。あなたの治療をしたのは私だ。精神治療ではない。コピーになる治療をしたのは」

「違う」

 コピー開発者が、また曖昧に歪んで変わっていく。次第に過去と未来で像が重なっていく。過去と未来も同じ人間が、木村と圭司を見下ろす。その白い顔は優しく微笑みかける。

「じゃあどうして、私の事が分からなかったの。覚えていたというのならどうして?あなたは消したのでしょう。私のことを見えないようにしたのでしょう」GCは言う。その姿は、その顔は、そう今になって見てみると、成長したソラの姿そのものだった。

「違う。忘れたことなんてない。無かったことなんかにしていない」嗚咽のように木村は吐いた。

「思い出したふりをしていただけ。本当に見えていたの?この姿が。本当に見えていた?いいえ、見えていなかったでしょう。見えているふりをしていただけでしょう」ソラは言う。

「違う」

「あなたは、私もお母さんも、自分の狭い箱の中で死なせた。二人ともあなたの価値観の下で死んだ。あなたはそれから逃げたでしょう。あなたは偽物になったのでしょう」

「嘘だ。俺はそんなことをしない」二人の男は、発狂するように叫んだ。

「したんだよ」未来と過去で、空が言った。

 混乱が、心痛が、苦しみが、恐怖が、全て複雑なパズルのように、迷路を作る様に形を変え、繋がっていた物が剥がれおち、混沌の中に渦を巻いて取り込んでいく。記憶が、イメージが、走馬灯が、意味を失って逆流する。

 男は声を上げた。何の声なのかは分からなかった。痛みによるものか、恐怖によるものか、唸り声のような悲鳴をあげ、体を震わせた。もはや自分が何者なのかもよく分からなくなっていた。男の足元がジリジリと歪んだ。空間のバグが、その足元に現れだした。

 未来の空は、記憶の空間の中でそれを見下ろした。いや、こうなっては未来も過去の無かった。結局それは同時に存在していた。

 そして、彼女の横には、いつの間にか青白い顔の少年が立っていた。

「やぁ、来たの」ソラがキゴウに言った。「もうすぐ終わるよ」

「違う」バグを背中に抱えながら、木村は這いつくばって唸った。肺の空気を吐き出すように苦しみ、痙攣している下半身を引きずって、鍾乳洞の岩を抱えながら何とか体を持ち上げる。そしてスーツの内側から、坂本の銃を取り出した。アーミールエリアに隠していたものを先ほど村に行く際に回収していたのだ。

銃口を、娘の顔をした、それに向けた。

「ほら、あなたは嘘ばかり」とそれは告げた。

「動くな」

「銃は持たないんじゃなかったの?」

 木村は、言葉に、声に、意識を持っていかれないようにした。油断すれば、今やっとの思いで立っている震えた足が、やはり崩れ落ちてしまうと思う。

「お前は一体何者だ」

「私は私だよ。忘れたの?」

「ソラは死んだ」

「死んだって生きている」

「違う。お前は偽物だ。お前は誰だ。誰なんだ。堺か、GCか、コピーの奴か、お前は一体誰だ。誰なんだ」木村は叫んでいた。

「私は私だよ。全部が私で、全部がそれぞれ私じゃないんだよ」

「お前は境界を失くしたんだ。命の境界も、人格の境界も。もう自分の存在が分からなくなっているんだ。お前はもうただの幻だ。幻なんだ」

 ソラは微笑みながらゆっくりと木村の方に歩いてくる。

「来るな」木村が叫ぶ。「来るな」

 ソラは優しく微笑む。

「幻になぜ怯えるの?」

 ソラが手を伸ばし、白い指先が銃を握る手に触れる。

「幻に何故触れるの?何故、悲しむの?」ソラは言う。「想像も現実なんだよ。人が思い描くことは全て現実なんだよ。実体と何も変わりがない。人が思い描くことは全て、実現しているんだよ」

「違う」木村は歯を食いしばり、口から血を流して、必死の形相で否定する。「思い通りになる事なんてない。出来ないことが形を作るんだ。出来ないことが、自分の形を保ってくれるんだ。境界を失くせば、お前のように幻想になってしまう。自分を失ってしまう」

 震える手をソラの手がやさしく包む。「では幻想を撃ってごらん」

 木村は震えるように首を振る。

 ソラが言う。「撃てないね。どうしてだろう。どうしてだろう。何故撃てないの?それは、あなたが偽物だから。あなたが嘘つきだから。だから撃てない」

「違う」

「では撃ってごらん」

「俺は撃たない」

「撃たないのではない。撃てない」

「違う」木村は叫んだ。そして、終に足の震えを支えきれなくなって、倒れこんだ。

 銃が地面を跳ねて湖に落ちていった。冷たく水の跳ねる音が鍾乳洞に響いた。

 また記憶の激流が木村の頭を駆け巡り始めた。意識が痛みと共に曖昧になるが、なんとか木村は最後を欠片を繋ぎとめようとした。もう体中が痙攣していた。もうほとんど自分のことも分からなくなってきていた。それでも必死の形相で這いずった。わずかに覚えている、あの少年のもとに。自分が最後にやり残したことをやり遂げるために。

 キゴウに這って近づいていく。人形のように動かなかったキゴウはいつの間にか立ち上がり、木村を見下ろしている。その元へ、醜い老人が這いつくばっていく。

「キゴウ」木村は必死に手を伸ばす。「キゴウ、お前は俺に聞いたね。どうやって、心を開くのかって?」

「キゴウ」木村は薄れゆく景色の中で、それでも手を伸ばす。「俺に触れてくれ」

「キゴウ」木村は必死に彼の名を呼んだ。キゴウはそれでも冷たく凍っていた。

「キゴウ、それは例えばこういうことだよ。これだけでもいいんだ。差し出された手に触れること。誰かに手を差し出すこと。それだけでもいいんだ。出来ているんだよ。それだけでも。だから、キゴウ、手をとってくれ」

 木村は最後の言葉を吐いた。力の続く限り手を伸ばし続けた。しかしやがて、その手は力なく落ちた。過去の木村は、そうして暗く閉じていく。

 未来の圭司の体も、もはやバグを纏っていた。気づくと木村の記憶と同じように、少年に手を伸ばしている。

 自分は一体何者なのだろう。何者だったのだろう。

 頭の中には、幾つもの人間の記憶と思考が渦巻いている。俺は一体何者なのだろう。人は一体何によって、自分と言う物を定めるのだろう。

 手が力を失い、落ちていこうとしていた。しかし、歯を食いしばり、血を流しながら、最後の力を振り絞った。頭の中にいる者達が、皆もう一度手を伸ばした。

 そして、その指に、未来の少年の手がそっと触れた。

 互いの記憶が、繋がり、交流する。キゴウの中に彼等の記憶が流れてくる。


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