6-4
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夜、夢に逃げることも出来ず、狭い箱の中で暗闇を見続けていた。雨の滴る音が聞こえた。やがて日差しが迫って来る、結局眠ることは出来なかった。
呆然とベットから這い出る。ほとんど意識なく食事を食べ、スーツを着て職場に向かい、そして、いつも通り車に乗って3に向かう。
どんな日でも3の見回りは欠かさなかった。疲れている時も、何もしたくない時も、無意識に体が向かった。それは自分に定めた義務であり、いつしか呼吸のように、自動になった。
中の連中に襲われ死にかけた事もあった。囚われ数日間拷問を受けたこともあった。捨てられた子供達を保護した事もあった。しかし、ほとんどの事には何も出来ず無力だった。それでも3に潜り続けた。次第にここの人間も諦めて自分を相手にしないようになった。次第に髪は白くなり、薄くなり、体は重たくなり、無力はさらに強くなる。しかし、いつの間にか、心の何処かで折り合いはついていた。
中にも、外にも、どこにいる人間からも嫌煙され居場所などなかった。それでも俺は、誰もいない自分の部屋にいるよりは、軽蔑されても人の中にいた方が、仕事のある社会にいた方が居心地が良かった。それがあるからこそ、あの狭い箱の外へ出ていけた。それがあるからこそ、未だに足は地を這っていた。
思えば、この町が自分の生活を支えている。この町の犯罪が自分の精神を支えているのだ。自分は犯罪に救われている。
役割が存在を肯定させる。しかし、コピーになる人間はそれを捨てる。では、ふと虚しさを感じた時、何が自分を止めるのだろう。その穴から、どうやって這い出る?
まだ半分眠っていた。頭を振って無駄な思考を振り払った。車から降りて、3の郊外を歩き出す。
最近は若いのも連れて行けず一人で来ている。本来好ましくないが、皆目を瞑っている。俺を憐れんでいるのか、若しくは面倒で何も言いたくないのか、分からないが。
そして、ここの人間達も、手を出せば出すほど俺を憎んでいく。それも仕方ない事だ。そいつ等は管理を拒絶するためにここへ来たのだから。
確かに、俺の行いは自分を満たすためのエゴでしかないのかもしれない。
倒れた電柱の脇に、男が二人転がっていた。
「どうした」
男達の顔には青黒い痣があり、服はもうボロボロだった。
「大丈夫か」
「触るな」手を伸ばした先で男が怒鳴った。
「何があった?」
「俺に話しかけるな」
「病院まで連れていってやる」
「触れるな」
「分かった勝手にしろ」そう言って、隣の男を見た。「お前は?」
そいつは苦しそうな荒い息を吐いていた。表情を見ると隣の男より重症そうだ。
「どうした。何があった」
男は返事をしないが、よく見ると腕がはれ上がって少し捻じれている。
「骨折してるな。病院へ行かないと」
「中へは行かない。悪魔がいる」男はすがるように言った。
「お前ここ生まれか?悪魔なんていない。だが、この程度のケガならこっちの医者でも見れるだろう。そこへ行こう」
男は拒否もしないので、脇を抱え、抱き上げて肩を貸した。
「こいつは医者の所に連れてくぞ。お前はどうする?」
もう一人の男に尋ねたが、俯き返事をしなかった。スーツを脱いでそいつに渡した。
「雨が降って寒くなるぞ。眠るなら、どっか建物の中へ行け」
※
男を医者の所へ連れていった。といっても、その古い木造の家には変わり者の老人が一人で住んでいるだけだ。彼は医療に精通しているが、仕事としているわけではない。医療器具もほとんどない。時代外れの原始的な方法で治療していた。
「また、変なのを連れてきたか、お前は」と医者はぼやいて、奥の部屋に男を連れて行った。
広いリビングには知っている顔があった。質素な木綿の服を着た老人が座っている。
「ヨセフ」と声をかけた。
「木村か」と老人は怪訝な顔を浮かべた。老人の目元には、泣いていたのか赤い跡がある。
「しばらくだな。元気か」と隣に座った。
「あぁ」
「どこか悪いのか?」
「いや、私は付き添いだよ」ヨセフは厳めしい顔のまま、その視線の先にある部屋を示した。扉が少し開いていて、中のベッドの前に男性の後ろ姿が見えた。
「村の人間に子供が生まれたんだ」
「本当か。そうか。それは凄いな。よかったじゃないか」
「あぁ」
「今時珍しいな。何年ぶりだ?」
「もう、忘れたよ。随分と前だ」
「そうだよな」
「木村」老人は苦い顔をしていた。「お前はいつまで悪魔の世話をし続けるんだ。本当に人を救いたいのだったら、そんなところにいるのはやめろ」
「俺には俺の仕事がある。それに俺は無神論者だよ。そっちへは行けない」
「お前もそろそろ気づいていい頃だ。人間は人間を導けない。余計な知恵をつけすぎてしまった。それは複雑に絡まって決して人間にはもう解けない。人が善き所に向かうには、神の力が必要なんだよ」
「そうかもな。だが信じろと言われたって信じられないのだから仕様がない。嘘をついて生きてはいけんよ。かと言って知恵を捨ててサルにも戻れん。だから、こうして自分なりにやってる」
「サルか」ヨセフは言った。「久しぶりに聞いたな」
「そうだな。まだ、村に馬はいるかい?」
「まだいるが、しかし、もうすぐいなくなるだろう」
「そうか」
立ち上がった。「子供を見てもいいか」
「彼等に余計なことを吹き込むなよ」
「分かっている」
部屋の中を息を潜めながらゆっくりと覗いた。ベッドに女が眠っていて、その脇に男が立っている。二人とも見知らぬ顔だった。
ヨセフの方へ戻った。「初めて見る顔だ」
「あぁそうだろうな。それでも、もう10年くらいは村に住んでいる。ヨハンとアンリだ。ヨハンは多分、そちらから来た」
「そうか。10年もいれば大丈夫そうだな」
「あぁ、だから神も子を授けてくれたんだ」
「パウロやアンナは元気か?」
「あぁ」
「そうだ。あなたに聞きたいことがある」そう言ってスーツのポケットから写真を出して見せた「この女を知らないか。年齢は30後半くらいなんだが」
老人は少し眺めると、首を振った。「知らないな、何故だ」
「訳があってずっと探している」
「どんな訳だ」
「この人の子供が今、心の病に侵されている。出来れば会わせてやりたい。そうすれば何か変わるかも知れない」
「木村、仮にここに来ていたとしてもそれでどうする。ここに来た人間は悪魔の支配を必死に断ち切ろうとしている。誰が探していたとしても、もう関わせるべきではないよ。こことあの中では生き方が違いすぎる。関わらせるなら悪魔との関係を切ってからにすることだ。それに私はお前の仕事には関わらない」
「そうか。分かった、すまんな」
老人に礼を言い、再び赤子のいる部屋に入った。
「やぁ、おめでとう。祝福させてくれ。俺はヨセフの古い友人なんだ」
ベッドで眠り、子を抱いている女がこちらを見た。美しいが警戒心のつよい顔だった。
その後、振り返る父親の表情をみた。それは、確かにこちら側の顔だった。均整がとれ欠点が無い。しかし何かが胸に引っかかる。
子供の顔を見た。どこか似ていた。その両親にではなく、どこかあの子に。
「可愛い子だな」と言って、両親の顔ともう一度見比べた。子供はやはりどちらとも似ていない。しかし雰囲気はどことなく父親と同じものを持っている。
「どちからと言うと、あなた似かな」と言って父親の肩に触れた。
父親は薄く笑った。その仕草がまたあの子を思い出させた。
※
エリア2のショッピングモール前は騒然としていた。
人間の声が渦を巻いているようだった。或いは海のように、絶え間なく音の粒が騒めいている。人が溢れ声を上げている。どうも懐かしい光景だ。
人の波を押し分けてレストランに入った。外の声は少し遮られ、安堵のため息が漏れた。
「やっと来たか」と店の奥に座る坂本が言った。周りを護衛達が固めていた。
「外の騒ぎを何とかしろ」と額の汗を拭いながら言った。
「皆怒っているのさ。あのゲームに」
「お前は楽しそうだな」
「あぁそうだよ。俺は昔から騒がしいのが好きでね。分かりやすい事があると嬉しいよ。これまでは牙を抜かれ続けてきたからな」
坂本は窓から外の人の群れを見て嬉しそうに言った。「こういう所にいるとさ。どうも懐かしい気分になるな。戦前にいるようだ。2も悪くはないな。たまに来るには。まぁ、木村席に着けよ。何か食うか?」
「コーヒーを」
女の店員がコーヒーを席に置く。確かに、何もかもが懐かしい。昔は当たり前だったものが、今は消え失せている事、それをどうしようもなく実感する。
坂本はステーキの肉を小分けにし、その一つを石に乗せて焼いた。そして「面白いものを見つけたぞ、木村」とナイフの切っ先を隣に座っていた男に向けた。
男は伏し目がちに頭を下げる。
「お前が探していた男の方だが、こいつが会っている。驚くことにアーミールの集落に入っているらしい。洗礼の儀式の時に語ったそいつの本名を珍しい名前だから憶えていたようだ。10年程まえらしいが、こいつが出てくる時にはまだ集落に残っていた。こいつは耐えかねて、こっちに戻ってきたようだけどな」
「アーミール」心のどこかで予感がして、その言葉繰り返した。
男は気まずそうに俯いている。すぐに尋ねた。「その男の洗礼名は?」
男はわずかに聞き取れる声で答える。そして、自分は意味も無くその名を数度繰り返した。運命のいたずらに、呆然とするしかなかった。




