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 圭司は暗闇の廊下を一人で歩いていた。その昔、杉浦が一人で辿った道だ。振り返ると、相川が残したバグが揺らいでいる。それはもう巨大な歪みに広がり辺りを侵食していた。

引き返す先はない。一度生まれたバグはおそらく消えない。何故だか分からないが、直感的にそう悟る。

 圭司の両腕から皮膚が剥がれて血が滲み出ている。バグに触れた部分は至る所が火傷のようになっている。感情は至る所に散らかり、あふれ出しているが、体の痛みは感じない。それより強い痛みが心臓を刺している。

その顔には、ただ強い決意のみが現れた、地を強く踏みしめ、怒りと、何かの責任感、使命感のようなものが意識を燃やしている。この先にいる奴を決して許しはしない。くだらないゲームはもう終わらせる。

 光の球体が見え、圭司は中に踏み込んだ。そしてその中に、奴はいた。辺りを取り囲むスクリーンの空間が様々な世界の情景を映し出している。あらゆる世界の中に浮かぶように、それは座っている。

「瀬尾」

圭司がその男を呼んだ。呼ばれた者は、頬杖を解いて椅子に深く寄りかかった。そして「お帰りなさい」と顔を上げた。それは、どこかで無邪気で無垢な挨拶だった。しかし、圭司は心を許さなかった。この男がこうして人の思考を惑わせるのを知っているから。

「お前のしていることは分かっている」

「そうですか、それで?」

 圭司はその男に向かって歩を進めた。目の前に火柱が上がって行く手を塞いだ。圭司は構わずその中に入っていった。爆発音が鳴り響き、轟音に包まれ景色が歪んだ。圭司は構わずその中を歩いた。そして瀬尾の目前に立って、右手で掴みかかった。しかし、瀬尾の体は気が付くと、遠くに離れている。

「想像力はないですが、人の想像を信じない力は一流ですね」瀬尾は笑った。

「お前のしていることはくだらないよ」圭司は言う。「ただのおままごとだ。俺には通用しない」

「相変わらず、否定ばかりしますね」

「お前が俺の何を知っている」

「知っていますよ、何もかも。私は未来も過去も、あらゆる場所のあらゆる出来事を見ている。全ての可能性を知っているんです」

 瀬尾の周りの空間が景色を変える。圭司が触れてきた、あらゆる記憶が流れ始める。その時経験した感情も空気を吸い込むように胸に入ってくる。ヨハンや、不死の科学者。杉浦や、相川の感覚が空間に溢れている。

「お前は命を弄んでいる」

「ええ、それで?」

「お前にそんな権利はない」

「何故?私は私の命のためにこうしています」

「そのために他の人間を虐げた」

「いいえ、皆、自分の命を全うしましたよ。幸せというものは人それぞれです。彼等には彼等なりの幸せを与えました」

「嘘をつくな」圭司は叫んだ。「彼等が幸せだったどうかは分からない。しかし、そうだとしても、それは彼等自身が掴んだものだ。お前に与えられたものじゃない」

「決めつけますね」

「当たり前だ」圭司はまた歩き出す。猛烈な吹雪が行く手を遮る。近くなるほど、瀬尾は遠ざかっていく。

「無駄なことばかりを繰り返しますね」

 鉄の塊が飛んできて、圭司の腹部にめり込んだ。それは跳ね返せず、圭司は強い衝撃をもって弾き飛ばされた。地面に転がり、数秒間息が止まった。そして腹の中から空気が逆流してきて、血と共に吐き出した。体の内側で激しい熱さを感じた。内臓が、いかれたかもしれない。

「当然ですが、攻撃を実体化しようと思えば出来るのです」

圭司は脇腹を抱えながら、何とか立ち上がった。瀬尾は細かく頷く。

「お前は一体何者なんだ」

「想像によって生み出された世界は言ってみればこの世界の子供ですが、子供が親を越えることはよくあります。彼の作った世界ではコントロールレベルは物理を超えて、ネットワーク無しに意識まで侵入できた。システムなんて関係なく、あの世界はこの世界を操作しようとすればいかようにも出来ました。しかし、その世界は止まりました。世界が溢れだして、停止するのを見たことがありますか?情報が圧迫し、静止していく様を。世界の壁を見たことがありますか?行き止まりを。

彼はこちらを操作して、世界を広げることも出来ました。ただ、最後まで、こちらの世界に手を出さなかった。そんな気すらなかったのです。どうせ、すべては虚構だから。

全ては無限に続く箱の中に閉じ込められている。何故?

私はいくつもの世界を創造した神です。でも、神を信じない。何故。理由というのはバグか?いや、バグというのは虚構です。そう全て虚構に過ぎない。真か疑か、それも虚構。虚構というのも虚構」

「お前の言葉遊びこそ、最大の虚構だ。狂ったお前には全て偽りかもしれないが、真実はある。信じる人間には」

「そうです。つまり、別に言うこともないのです。ただ、なんとなく喋っただけなのです。なんとなく鬱屈とした部屋にこもっていたら、暗くなった世界から飛び出したくなった。こんな感じで言えばいいでしょうか。他の誰とも変わりません」

「それでこんなことをしでかせるのか。一緒にするな。お前は明かに常軌を逸してるよ」

「何もしていません。何も出来ませんでした、結局。私はイメージクリエイトを解放しただけです。バグは、皆が勝手に起こしているのです」

「イメージクリエイトを失くせば、バグも止まるのか」

「変わりません。元からあるものが具現化されているだけですから」

「具現化されなくなるなら、それでいい」

 瀬尾は小さく首を振る。

「変わらないね、あなたは」

その肉が変色し、徐々にシルエットが変わっていく。やがて透けるように白い皮膚と、それを横切る切れ長の瞳が現れる。そうして杉浦の記憶に出てきたゲームクリエイターの姿になった。

「それがお前の本当の姿か?」

「本当の姿って何?」とGCが言う。「本当って何?」

圭司は苦しそう血を吐き、それを手の甲で拭ってGCを睨んだ。「頭の中で遊んでいる内に、何が本当の自分か分からなくなったか?」

「それはあなたでしょう」GCは笑った。「覚えていないの?ずっと前にも同じようなことを話したよ。その時もあなたは自分の事を棚に上げて人の否定ばかりしていた」

「何の話だ」

「あなたはいいね。自分の矛盾には気付きすらしない。気づかないから、いつも自分が正しい人間でいられる」

 圭司は身構えた。GCの雰囲気がどことなく変わった。彼は攻撃をしかけている。あの杉浦でさえ、その言葉に惑わされ、絶望に囚われた。コイツは息をするように、人を牢獄へ誘う。

「そうだよ、何も変わっていない。あなたは」

 その言葉の終わりと共に、色が飛んだ。モノクロの陰影だけの世界になり、体が動かない。GCはその中をゆっくりと歩いてくる。圭司は必死に拘束を解こうと、強く念じるが、体はまるで無になってしまったかのように感触がない。

 そして、GCは圭司の目の前に立った。

「返してあげるから見てきなよ」

 GCの白い手が額へと触れた。途端に頭の中が弾ける。意識の深海から、何かが溢れだしてくる。

GCの顔に、誰かの顔が重なる。囲んでいる世界の半分が空けて、半分が白い壁になる。 頭の中の景色が、水彩絵の具のように混ざって濁っていく。

 白い病室にキゴウが立っている。

「時間は積み重なるものではなくて、どれも点として同時に存在する。情報が連なっているだけで流れなど存在しない。過去と呼ばれる点へ行きましょう。あなたはそれをこれから経験する。木村さん」


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