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 激しい痛みと混乱の中で、悲鳴のような、うめき声が自分の口から洩れていることにようやく気付いた。何かが背中に触れている。

「混乱していますね、分かりますか」

 前にも似たようなことがあった気がする。その時も、自分の事が分からなくなってしまっていた。あれは何故だったか。

「圭司さん、分かりますか」

 圭司、それは誰の事か。この声は、この声は誰だったか。自分を助けようとしている。これは誰だったか。

 黒い水の中を意識は泳いでいるようだった。そして、時折唐突に言葉を思い出す。彼の名前を思い出した「相川」

「圭司さん、分かりますか」

「よく分からない」

「また薬を入れます。少し眠ってください」

 相川がそう言って背中に触れると、また意識が暗くなった。そしてまた目が覚めた。

「圭司さん、分かりますか」

「あぁ、相川」

「何が起こったか分かりますか」

「いや、あまり」

「突然倒れたのです。何もない所で」

「そうか」

 しばらく思考が上手く働かなかった。まず自分が何者なのか、それがひどく曖昧で定まらなかったが、手探りをするように自己の存在を思い出そうとした。

 相川と話して、これまでの経緯を聞いている内に、少しづつ絡まった糸が解きほぐされるように思い出されてきた。そして、ある程度経つと唐突に糸は繋がり、はっきりと記憶が戻った。

「そうだ。俺は手掛かりを掴もうとして、あの人間に触れたんだ」

「人間ですか」

「あぁ。お前の方は記憶がないか」

「えぇ」

「ロストしてしまったのか」

「おそらく。何があったんです」

「確かに触れたんだ。そして思い出した。というと違うか。しかし、そういう感覚だった。自分では無い人の記憶を思い出した。そう、その光っていた人間の過去を経験したんだ」

「人の記憶」

「そうだ。そう。山で彼に触れた時もそうだった。あの時も、入ってきたんだ。あの時はお前がすぐ治療してくれたおかげで、そこまで深く混乱しなかったが」

「今回は圭司さんがシステムからログアウトしてしまっているので、効果の高い治療は出来ませんでした」

「そうか。いや、それでいい。おそらくそうでないと、何か失われてしまっただろう」

 圭司は少し頭を押さえながら言う。「何かがまた、すぐそばにいた。山の人間がロストすした時もそうだった。そいつが触れると、バグが始まるようだ。今回も、ロストする直前の人間の傍にそいつがいた。相川、お前に感知されない人間の姿をした何かが。そいつがロストを引き起こしている。おそらく、そいつがゴーストだ」

「ゴースト」相川は呟くように繰り返した。「しかし何故、人の情報をロストさせているのか。ロストした人達に関連する情報がゴーストにとって何か意味があったのかも知れません」

「俺も、そう思うんだ」

「その人達の記憶に何か答えがあるかも」

 圭司は「あぁ」と呟き、目を瞑り記憶を探っていた。しかし、その風景は混沌とし過ぎている。青い光の中で経験した、二人の思考や記憶が入り組んで次第に錯乱してくる。どこか自己の存在も曖昧になっている気がする。少し夢の中にいる様だ。しかし、この記憶に何か答えがあるはずだ。それを思い出さなくては。

 圭司は顔を歪め、深い息を吐きながら必死に記憶に潜る。

「最初の男は神を信仰する村にいた。しかし、それから逃げた。娘がいた。不思議な子供だった。その子は、死なない?

 何かが起き、娘と逃げこんだ先で目指していた物を失った、ような気がする。それで村に戻った、のか。村は異常だった。そうだ。彼等死んだはずだ。死んだはずの人間達が蘇っていた。そして、私達を温かく迎えてくれた。しかし、その時、何と言ったいいのか分からないが、その時私が感じた事は」

 そこで圭司は目を見開いて黙り込んだ。

 彼はしばらくすると「それ以上は、分からない」と言って小さく首を振った。

「次の男は、次の男は」と圭司は頭を抱えながらもう一つの記憶へ潜る。「そう、研究をしていた。仲間達と。しかし仲間はいなくなり孤独になった。そして死ねなくなった。死を懇願して、ずっと彷徨っていた。しかし、いくら何かに殺されても目が覚めた。その度、絶望していた。そうだ。コピーだった。その男も、さっきの男も、いつの間にか自分をコピーにしている」

「コピーですか」

「そうだ。コピーになった者がロストしているのかもしれない」

「なるほど」

「それから」更に脳の暗闇の奥に戻る。よく分からない感情や景色が過り、混乱と強い圧迫感がする。見える気がする景色に、必死に意識を集めて小さくしていく。

 そうするほど迷路に迷い込んでいく。見えるものが誰の記憶であったか。研究者、信者、それとも自分か?経験が誰のものか区別がつかなくない。その時の感覚が、自分の物なのか、記憶の物なのか分からない。今この思考も誰のものなのか。今考えているのは誰だ。俺は誰だろう。

「圭司さん」相川の声が遠くで聞こえる。「圭司さん、大丈夫ですか」

 圭司の目の焦点がハッと戻ってきて「あぁ、大丈夫だ」と言う。

「苦しそうです」

「大丈夫だ。集中させてくれ」

「圭司さん、記憶を流し込まれたのだとしたら脳に相当な負担がかかっているはずです。無理はしないでください」

「あぁ、しかし、今無理をしないと」

 相川に返事をする間に集中が緩んだ。しかし、その余白でふと気づく事があった。

 異様な風体をした男がいた。一人は彼に親しい感情を持ち、一人は裏切られたと憎んでいた。二人の人間の記憶に、その男は存在している。

 特徴的な男だ。坊主頭の初老の男。何と呼ばれていたか、名前は確か。

「木村だ」圭司は閃きと共に呟いた。

「木村?」

 圭司の頭の中で途切れた紐と紐が繋がっていく。

「木村と言う男だ。エリア3で暮らしていた。あの集落から子供達と逃げ出そうとしていた。そうだ。確かマルセロ、ヴィゴ、ペドロ」話しながら記憶が次々と蘇っていくのに圭司自身が驚いた。

「そしてスクラップ街で研究者の男の前に立った。子供をエリア2に避難させると話している。木村は、俺が見た記憶のどちらにも出てきている」

 相川は少し考え込むような仕草をした。「確かに、それらしき人間の情報はありますね」 目じりの辺りを人差し指で触れながら彼は目を細める「その所在はあのバグの周辺で戦前一時ロストしています。。そしてまた唐突に現れる。確かにおかしい。こんな事を見逃すなんて。マルセロ、ヴィゴもいます。しかしペドロと言う子供はいません。代わりに杉浦と言う男がいます」

「杉浦?」

「えぇ。木村の職場の後輩にあたる人物です。彼ら二人は刑事でした。その日、杉浦はエリア3の木村を訪ね彼と共に一時ロストします。その後、そのロストから子供を連れて出てきました。そして、エリア2の境界付近で木村とマルセロ、ヴィゴは死亡しています」

「死んだ。彼らが」

「えぇ杉浦に殺されています。木村は拳銃で撃たれ子供達は木村と共に燃やされている。しかし、これは」相川はそこで不審な表情を浮かべた。「殺される前に、その三人ともデータがおかしくなっている。どうやら殺された三人にもバグが発生していた可能性がありますね」

「バグだって。バグはそんな前から起こっていたのか」

「えぇ。おかしいですね、こんな記録はこれまでなかった」

「書き換えられたのか」

「それか偽装が剥がれたか」

「どちらでも同じことだな。そして、そいつはどうなった。彼等を殺した杉浦は」

「眠っています」

「眠っている?」

「えぇシステムが地表を一度離れるその前に、カプセルに入りやがて臓器を全て再生臓器に切り替えています」

「ということはまさか、まだ生きているのか」

「えぇ、先ほど話した通り眠っています」

 圭司は呆然と口を開けた後、すぐに「そいつだ。そいつの所に行くぞ」声を上げた。

「分かりました。彼は地下都市にいます」杉浦がすぐに反応し、立方体が二人を囲んだ。

「圭司さん、あなたはもう地下で望み通りには動けない。ただ、死なないようにはしておきます」相川がそう言うと、木村の皮膚を青い布のようなものが包んですぐに透明になった。感触は無かった。


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