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目が覚める。遠くにうつる影。影の近くに倒れるコピー達がまるで命を吹き込まれたように立ち上がっている。
何故そんなことをする。何故目を覚ました。怒りに近い感情が湧き上がる。
立ち上がり、その影の所に行こうとしたが、腕に重みがあることに気付く。
娘が目を開けていた。そして、こちらを覗いている。屈んでその顔を見た。
「どうした?」
目は何も答えない。
「帰りたいか?」
やはりマリア何も答えない。しかし何かが聞こえる気がする。
「帰ろう。じゃあ、帰ろうか。どうせここも何も無くなってしまった」
システムを呼び出したが反応がない。相変わらずエレベーターも起動しない。システムは機能を停止したのだろうか。
街の中を人間達が闊歩していた。混沌だった。意味不明な行動ばかりだった。その中で、他者を破壊をする物や自己を破壊するものもいた。互いに互いを分解しようとするものも。ただ逃げ惑う者も、うずくまって動かない物も。
コピーか人間か分からないが、多分どの道システムの鎖から解けたのだ。もう管理は無くなった。その上で大多数はバグったようだ。
何とかその場から逃げた。
スクラップ街に入った。錆びたビル群、死体の山。そこはあまり平時と変わっていなかった。
四肢を失って這いずり回っている人間がいた。殺してくれと叫んでいる。約束を守れと叫んでいる。それと目が合う。よく見ると男の四肢はジュクジュクと蠢いて少しづつまた生えだしている。娘の手を引いてすぐにその場から離れた。
山に入った時には自分の体に限界が来ていた。娘が自分に肩を貸し、支えるように身体を引いてくれる。この華奢な体のどこにそんな力があるのだろう。この子はやはり死なないように生成されただろうか。このまま時が流れ自分がいなくなった後、この子はどう生きていくのだろう。
何時の間にか集落に着いていた。
アンリが井戸汲みをしている。アルマが服を干している。パウロが農作業をしている。ヴィゴとマルセロが追いかけっこして遊んでいる。
やけに日差しが明るい。世界が白い。眩しくて、目を伏せる。
「戻ってきたのか」と懐かしい声がして目を開ける。父がそこに立っていた。
「お帰り」
父は、私と娘の頭に手を置いた。
父が離れると、アンリが私達を抱きしめた。
父は話した。「私達は解放されたよ、ヨハン。もう悪魔からも、苦しみからも解放された。私の最後の祈りは神に届いたよ」
光の閃光が戻っていく。圭司はハッとして手を引いた。
酷い頭痛がして頭を抱えた。走馬灯のように何かを見た。そして、その一瞬は一つの人生を追体験したかのように膨大な時にも感じた。
青い光が次第に薄くなっている。その下で初老の男が目を開いていた。
そうだ俺は。いや俺ではない。そうだ彼は。
一瞬、思い出せたような気がしたが、記憶は錯乱していて判然とはしない。ただ分かる。彼はヨハンだ。この記憶の主だ。
光が消えると彼の身体は乾いて、やがて煙になり風に消えた。
圭司はうずくまって頭を押さえた。
「どうしたんです」と相川が駆け寄ってきた。
圭司は暫く声も出せず苦しんでいた。
「凄いストレス値だ。危険です。治療しますよ」相川が背に触れると痛みはすぐに軽くなった。同時に頭の中にあった何かが抜け落ちるような気もした。
「一体、これは」圭司は手を地面につきながら、やっと声を出した。
「何があったのです?」と相川が聞く。
「青い光に触れた時に」
「青い光に触れた?」相川は言葉をそのまま不思議そうに返した。
圭司は彼の顔を見上げた。「俺があの青い光に触れた時だ」
相川は不思議な顔をしていた。
「青い光って何のことです?」
「見ていただろう。お前が触れるなって言ったものだよ」
「何ですかそれは」
「お前」圭司はそう言いながら顔を歪めた。動くとまたひと際鋭い頭痛がしてこめかみに手を添える。「俺は青い光に触れたろう。お前も見ただろう。その下にあった死体が今消えただろう」
「圭司さん何を言っているんです?」
圭司は驚いて相川の顔を見た。その様子は冗談を言っているように見えなかった。何かがおかしい。
その時、また遠くに人の姿を見つけた。その後ろ姿はどこかで見覚えがある。背中は木の陰に消えていく。
「ちょっと待って。相川、人だ」圭司は慌てて声を出し、そして歯を食いしばって痛みに耐え立ち上がり、その背中を追ってフラフラと駆け出した。
その人は老人の木の前に立っていた。遠くから圭司はその背を見つけた。声をかけようとすると、その人は老木に手を差し出して撫でるように触れた。
ザワザワと白い葉が揺れて、老木が青く光り始めた。また、あの青い灯だった。
気が軋む激しい大きい音がして、風もないのに木は震え葉を揺らした。光が強くなり青白く発光した。
やがて光は収まり、震えも止まり、木の肌は白く乾いていき葉は地面に落ちて、少しづつ煙になり形が崩れ行った。
白い毛が抜け落ちてあらわになった木の顔、それにはどこか見覚えがあった。そう、それはどこかで。
圭司はふと思い出した。それは、あの白昼夢の中で出てきた教主の顔だ。
老木は穏やかな顔のまま煙になって消えた。
「どうしたんですか、圭司さん」相川が来た。
気づくと木に触れた人間を見失っていた。
「木が無くなってしまった」
「木?」
「ここにいた老人だよ」
「老人、ですか?」
「おい相川、お前がそう教えてくれたんだろ」
相川は困ったような顔を浮かべ、その後目を細め何かを考える仕草をした。
「何か変ですね」
「お前が人間のいる所に行くと言って俺をここに連れてきた。それは覚えているか?」
「えぇ、人のいる所に案内する。しかし、ここに人がいるというデータはありません」
「じゃあさっきまでここにいたのは何だ。何で俺をここまで連れてきたんだ」
「何故でしょう」相川は本当に不思議そうな顔をした。「分かりません。おかしい」
「どうなっている」混乱と焦りが声に乗り、圭司の声は少しヒステリックになった。
「圭司さん」と相川が驚いたように言う。圭司はすぐに後悔して「いや悪かった。すまん」と謝った。
「いえ違うんです」
相川の視線は圭司を見ていなかった。その奥を見ている。圭司は振り返った。
また、異様なことが起こっていた。
空間がある部分だけ逆さまになっている。老木があった場所だ。そこだけ空と地面が逆さになっている。と思うと、それは一瞬元に戻り、そして今度はねじ曲がって歪みだした。ジリジリと音がなり、泡のようなものが内部から浮き出しモザイク模様のようになり、軋む音がしてその空間が膨らんだり縮んだりしている。
「何だこれは」
「離れてください」と相川が言った。
「俺の想像なのか?」
「違います。圭司さん、離れてください」相川が強く叫んだ、
圭司は後ずさりして、そのおかしくなった空間から距離を取った。
「何だこれは」圭司の相川に向かった声も叫ぶかのようになった。時間が経てば相川がまた全てなかったことのように忘れてしまうかもしれない、そんな焦りもあった。
「想像ではありません」
「じゃあ何だ」
「分かりません。バグです」と相川が静かに言った。
「バグ?」
「絶対に触れては行けません。圭司さん、ゆっくりもっと離れて」
二人は互いに後ずさりしながらバグを睨んだ。突然バグと言われても、啓二には何がなんだか分からなかった。
「とにかくここを離れましょう」相川が言った。
圭司はすぐに状況を理解しようとするのを諦めた。ただ、それよりも優先すべきことがあった。
「分かった。ただこの近くに人がいたんだ。その人も避難させないと」
「いえ、いません」相川がすぐに否定する。
「いたんだ」
「いません。データ上で感知できません」
その瞬間、バグが突然弾けた。空気を伝搬して、瞬く間に歪みが広がる。すぐ目前に歪な空間が迫る。しまった、と思った時に身体は弾け飛んだ。相川が右腕をひっぱって空に飛び出していた。
「言ったでしょう。離れましょうって」
しばらく声も出なかった。驚いた。一瞬の内に山がバグにすっかり飲まれてしまった。先ほどまで自分達がいた山が。バグは瞬く間にそこまで膨張したのだ。
「人がいたんだ」
「山の中にいる人は感知できませんでした」
バグはグラグラと揺れ居た。その中の歪みは形容しがたいもので、現実の風景とは思えなかった。
二人はそこから大分離れた所で地表に降りた。
「山が丸ごと無くなってしまうなんて」
「山。山ですか?」
相川がまた問い返してくる。
「相川、お前山があったのを覚えていないのか?」
「あそこに山があったのですか」
「そうだよ。お前少しおかしいよ。記憶が無いのか」
「ロスト」相川が呟いた。
「ロスト?」
「情報が消えています、完全に」
「じゃあ、あそこは何だったって言うんだ。バグになってしまったあそこは」
「何でもありませんでした。存在していませんでした」
「空き地だったと」
「空き地でもありません。存在していない場所です」
「そんなことあり得ない」
「えぇ不自然です。あり得ません。しかし、そうなっています」
「よく分からない。これはゲームじゃないんだろ。何故あんなバグが起こる?」
「原因は分かりません」
「システムにも分からないのか」
「えぇ」
「俺の記憶を見てみろ。それで何があったか分かるはずだ。俺の頭の情報は全てシステムに繋がっているんだろう」
「圭司さん、繋がっていません」
「何?」
「あなたの脳をロストしました。あなたはログアウトしています」
「ログアウト?システムから外れたのか、俺は」
「そのようです」
「何故だ。一体どうなっている」
「分かりません。再接続もできません」そう言った後、相川が珍しく独り言のように呟いた。「ロストした部分を周りの情報から埋めようとしても何故か埋まらない。おそらく辿るべき糸が別の所に複雑に絡められている。辿り着かないようにされている。存在してはならないはずの穴が平然と存在している」
二人はただ茫然と立ち尽くした。AIですら何をすればいいか分からないようだった。
しばらくして圭司が口を開いた。「ロストやバグと言うのは時折起こる物なのか?」
「いえ、起きてはならないことです。システムの危機管理が根底から揺らいでしまいますから」
「それが起こったと」
「ええ」相川は呟くように言った後、バグから視線を外して圭司のほうを見た。「しかし、これが初めてという訳ではありません」
「そうか」初めてではない。それを聞いて圭司は少しだけ安堵した。
「最初のバグはシュミレーションロストでした」
「シュミレーションロスト?」
「えぇ、その一つはあなたの存在です。圭司さん」相川は突然そう言った。
圭司はそれを聞いて「え」と口をポカンと開けた。相川の言っていることが飲み込めなかった。
「システムはあなたの可能性をロストしていたのです。あなたの存在が発見された時、システムがそれまで組んでいたシュミレートは使えなくなったのです。あなたの存在は感知も、予測もされていませんでした」
「ちょっと待ってくれ。よく分からないがそもそも、シュミレーションロストって何だ」
「少し長くなりますが説明します。そして、これは非常に重要な話です」相川は珍しく念入りに前置きをした。圭司の集中力もそれに伴い、彼の言葉へと研ぎ澄まされた。
「それはある実験の話から始めないとなりません。その実験の内容はこういったものでした。
まず、箱をいくつか作ります。その中身はまったく同情報の環境にします。かかる重力、気圧、湿度、壁の素材、時間など、とにかく箱の中の情報は全て同じにするのです。その箱の中は外界から全く影響を受けないようにします。そして、その中に情報上では同一とされる個体を入れます」
相川はそこで透けた箱のホログラムを五つ浮かべた。
「ここで作られる箱の基本形は5パターンです。一つは実体世界に作られ人間のオリジナルが入ります。もう一つも実体世界です。ただ中にいるのは同じ人間のコピーになります。もう一つはVRの世界。中に入れるのはオリジナルからコピーされたデータです。さらに、もう一つの世界もVRです。しかしデータを中に入れるのではなく、実体世界のクローンがログインの自覚なく箱の中にログインしている状況を作ります。
そして、最後は、これまでの箱から時間の概念だけ別にしたもの。VR上で時間の進み方を倍速にしたものです
これらの箱のパターン。その時代の計算上では中の個体は全く同じ行動をとるはずでした。そして行動にズレが生じるとすれば、それはまだ人間が観測できていない人間とデータとの差異、もしくは物理的障壁を超えた未知なる影響。例えば、箱を誰かが観測しているということは箱の中に何か物理力が加わるわけではありませんが、その観測をしているという行為が箱の中身に影響を与えるのではないか、霊魂と呼ばれる物や、潜在意識が物理世界に作用しているのではないかということです。そういった未知なる作用の存在の有無を観測すること。それが実験の一つの目的でした」
「それは人体実験のようだが、問題はなかったのか」
「ありました。当然違法とされるものだったのです。まぁその時代は法律があまり意味を成さない時代でした。この実験が最初に始まったのは戦時下です。この実験はゴーストテストと呼ばれています。
現在では、その実験の一部をAIが継いで行っています。実験の結果は常に集計され、今日に至るまで続いています。その間倫理上の問題は解決されています」
「解決するものなのか?」
「まず、実験をする側に人間が関わらないこと。さらに箱の中が世界と変わらない自由を侵害されない状況で、かつその大きさであれば問題ないと人が判断したのです。つまり、箱が、世界と同様であれば」
「どういうことだ?」
「全てが観測されているということです。世界の事象の全てが常にVR上にあるシュミレーションと行動の差を観測されています」
「そんな事まで」
「えぇ」相川が言う「圭司さん。この実験の観測結果。どういうものだと思いますか?」
圭司は小さく首を振った。答えを予測する以前に前提の話についていけなかった。そんな実験がそもそもあり得るのだろうか。相川は圭司その反応を見ると、答えを待たず自ら話を前進させた。
「4パターンとも全く同様の世界になります、寸分のずれもなく。1パターンのみが別となる」
「それが実体世界のオリジナルか」圭司の声に力がこもった。しかし、相川は首を振る。
「残念ながら違うのです。残りの1パターンは最後の例。コンピューターが倍速でシュミレートしたパターンです。こちらは他の箱よりも早く、他の箱が次に行う行動を示していきます。しかし、結果と経緯は他の箱と変わりません」
圭司は目を細めた。緊張感のある静かな間が過ぎた。しかし、その間も相川は圭司から視線を外さなかった。
「この実験は何を示すでしょうか」彼は圭司を試すように聞いた。
「つまり人間もデータも差はないということか?」
「その様に考えることが出来ます。この世界におきる事象の全てはその時点で観測されていた情報で行動を決定されている。そして全ては計算の連なりの中にある一つ情報だと言うことです」
「しかしオリジナル以外の物はそれをただコピーしているだけだろ」
「では例えば、オリジナルの箱のみを外的な要因で潰すとします」そう言って、相川は一つの箱を砕いてしまう。「しかし、その他のパターンではその個体の可能性を継続していきます」
「その個体の辿るはずだった未来をコピーしているに過ぎない」
「そうです。そして圭司さん、あなたはこう言いたいのでしょう?データであればその行動は単なる事実。計算結果にすぎない。芯のない空であると。実体世界であればそれは結果以上の価値を持ち計算されたものではない。芯から生まれたものであると」
「分からない。そうかもしれんが」
「しかし起きる結果は変わりません。芯の有無は結果の上では意味を持ちません。オリジナルとコピー、魂の有と無。こうは思いませんか、それはただ捉え方の差なのではと。そう思いたいだけなのだと」
「違う。人は計算結果とは違う。データとは違うはずだ」
「何故そう思われるのでしょう?自己がデータではありたくないと」
「なんでだろうな。それこそが内から出てくる感情というか、本能というか」
「なるほど。言い換えるなら、その感情こそが計算できない芯、魂から来るものだということでしょうか。しかし圭司さん、実は今の時代、実体世界では子供が生まれていません。人と人が行為を行うこと自体ないのです。人間同士の交配はあったとしてもVRの世界で行われることが基本となりました。そして、その行為の結果は個体同士が結ばれた際の正確なDNA情報のシュミレートよって生成されます。生成物が誕生するのはもちろんVR空間です。そこで生まれた子供は圭司さんから見ればただのデータでしょう。しかし、その親や、そこに生きている人達はそれを生命と考えます。
何が生命か、何がデータか。その境界をボーダーと言いますが、ボーダーはその人の解釈によって変わるのです。社会に定められたボーダーはその価値観を総合して最も全体に弊害の無い所で決まります。
そして現代はそれが人だろうが、データだろうが、その差が自己に意味をなさない、故にどうでもいいという人がほとんどです。ボーダーは限りなく無くなる方向に向かっています。先ほど圭司さんが話された内からでてくる感情という話。確かに戦後しばらくは圭司さんと同じ感情を持つ人がまだ多くいました。しかし、システムの管理とVR社会の中で、その感情を持つ人は次第にいなくなってしまいました。ということは、内から出てくる感情、その本能という物も時代や環境の影響を受けるということではないでしょうか。つまり、結局はそれも環境に、情報の蓄積によって決定された計算結果であると言えないでしょうか。同じ情報でも人によって捉え方は変わる、その環境によっても。しかし、同じ個体で同じ環境であれば捉え方は必ず等しくなる」
相川の話に圭司は困惑したような顔を浮かべ。その後静かに言った。「ただの計算結果なら、1+1が2になるように、生まれる前から人は方程式の中にいて、その運命が決まっていることになるよ」
「その通りなのです」
「そんなの事は信じられない。受け入れられない」
「それも人の価値観によります。VRの世界での交配で生成された子供。それがVRの世界でそのまま育ち、そうして、そのデータもまた別の生成物と結ばれシュミレーション上の新しい子を産む。それが世代をつないで歴史を作っています。
一方、実体世界で暮らす人間はいなくなった。AIは実体世界の管理をやめ、動物も息絶え、この地球から活動は消え、あるのは規定された役割を果たすAIと情報の入れ物だけになります。
VRの世界では生命活動が行われ子が生まれいく。データ同士の交配で新たなデータが生成され、それがまた別の個体と組み合わされ新しい子供を生成する。
生体活動の場所が移動しているのです。こちらには入れ物しかない。その入れ物の中でこそ可能性が展開されている。その中で生まれた者たちにはそこが現実で実体世界です。逆にこの箱が別の次元なのです。さて、そこで原点に返りましょう。そこにあるものはただのデータでしょうか、それとも生物でしょうか?
さて、圭司さん。まぁこういうのもおかしな話なのですが、こうも考えられませんか。この実体世界もその箱の一つであると。より高階層の世界から作られた箱の一つであると。そして、圭司さん、あなたはその世界に生まれた子供なのだと。そうであった時、あなたにとって実体とは何ですか。データと人のボーダーとは何でしょうか。そして、そもそも必要なのでしょうか、その区別は」
「よく分からないよ。お前が何を言いたいのか。ただ俺の思うことは、俺から生まれたものだよ。俺が立っている場所が俺の現実だよ。俺は、想像とか、可能性とか、そういうのは分からない。今ある物が俺の世界だよ。誰が何と言おうと」
「そうですか」相川は微笑み頷いた。「すみません、少し脱線してしまいました、話を戻しましょう。
先ほどの話で重要なのは5番目の箱についてなのです。5番目の箱は時間の進み方を変えた箱。その中身は現代の未来です。そして、そこに蓄積され集積されたデータ、それが過去です。言ってみれば第五の箱は未来も過去も覗くことができる時間のデータになります。システムは第五の箱を見ることで未来を予測してきました。そして世界の管理を効率化し、人の意思実現の最大化を行いました。
システムは未来を覗き、その未来がより良くなるよう現代を管理して、未来を書き換えてきました。
シュミレーションの内容に不足があると、改善するように管理方法を変更します。予測を見て管理を変更するわけですから、未来の予測も再度計算しなおすことになります。そして、また不足があれば直す。その繰り返しによってシュミレーションが確定されるのは、現状で変える余地がないほど最高の状態、もしくは、変えようのない詰みの状態となります。
メインシュミレートはその均衡状態で固定され、システムが成熟してからは歴史はそれをなぞる様に進行してきました。何かの外的要因、例えば宇宙の未知領域からの物質影響などで数億年後のシュミレートが変わることはあり得ますが、数時間先ををロストすることはあり得ません。それはシステムが持つ情報がほぼ完全情報状態に近かったからです。
完全情報とは世界にある、物質、思考、概念、時間、次元など、全ての情報を正確に網羅している状態です。現在の情報を完全に掴めば、理論的には未来も過去も、全てを予測し見ることができます。
現在のシステムが持つデータは限りなく完全情報に近づきました。宇宙の未知領域も無くなりました。しかし、まだ未知とされる情報が2種類あるとされています。
一つ目は所以、全ての発祥はどこにあるのか。
二つ目は果て、全ての終わりはどこにあるのか。
その二つとも無限の果てと言ってもいいでしょう。これを解き明かすことは未だ出来ていない。
しかし、それ以外の思わぬ情報のロストが発覚したのです。それがあなたと、あなたの眠っていたシェルターの存在です。今回のシェルターの発見。それは突然、無の中から浮かび上がったのです。おそらくそのシェルターに関する全ての情報がコーティングされていて、システムに発見されないようになっていたのでしょう。ということは、そのシェルターを生成した者は少なくともある分野において、今のシステムよりも高度な情報技術を持っていた可能性があります。
システムによるシェルターを探査は当然高いリスクを伴いましたが、しかし放置することはより危険だと判断しました。その探査であなたが見つかった。
その後、あなたの脳をシステムに接続することには成功しました。しかし記憶を探ろうとしましたが、それが出来ない。あなたの記憶は全てが複雑な暗号になっているのです」
圭司の中で驚きと、そしてどこかで、やはりな、という気持ちが同時にあった。そして疑念が浮かび上がる。
「何故今それを俺に伝えたんだ。何故今まで説明しなかった」
「すぐに話すべきではないとされていたからです、しかし今は話さざる得ない状況になりました。メインシュミレートがロストする事態が相次いでいます。そして、原因不明のバグまでもが発生した。正直に言って世界がどこへ向かうのか、もう私達には分からなくなっています。
圭司さん、あなたはこれまでに起こった全てのバグの近くいる。あなたがこれらの原因に深く関係している可能性は高く、もしかすると、あなた自身がこれを起こしている元凶なのかもしれません。あなたという存在は社会にとってとてつもないリスクです。
しかし、そのリスクは私も同じことです。情報が簡単にロストしているというのなら、システムも何かに操作されている可能性があります。システム自体が社会を崩壊に導くかもしれません。
私の感知できない作用が働いている。原因の特定できない何かが起こっている。おそらく今世界は薄氷の上にいます。いつ全て崩れ落ちてもおかしくありません。
そして、私には打てる手がほとんど無い。
圭司さん。あなたは私達に捉えられない事象を感知している。そしてロストした情報の記憶も持っているようです。或いは、それはあなたの芝居なのかも知れませんが、どの道私にその判断は出来ません。
私には辿れない可能性も、あなたなら掴めるかもしれない。あなたはリスクでもありますが、この状況を打開出来る可能性を持つ人でもあります」
相川は圭司の目をはっきりと見据えて言った。
「こうなった今、あなたにお願いがあります。ロストの原因を突き止めてください」
圭司と相川は暫く互いの目を内を睨みあった。
「急に、とんでもない仕事を押し付けられたな」とため息を吐き出すように圭司は言った。
相川は鼻で笑った。「刑事の仕事をしたいと言ったのは、あなたですよ」
圭司は頭を掻いた。「新人に任せるには少し、重すぎないか」




