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 8


 夜から朝の訪れを眺めていた、布の中で固まって。いつの間にか暗闇は避け赤い線が部屋を照らしている。布から這い出て外を眺める。野が赤く染まる。雲は薄く果てまで伸びている。

 机にたたまれた麻布を被り、冷たく固まった手を揉み、息を吹きかける。白い靄が手の中で消えていく。そして部屋を後にした。

 コツリコツリと石畳の廊下を歩き畑へ向かった。意識はあるが思考はほとんどなく、眠気と腰の重さを何となく感じている。

 ここに入って、もうおそらく10年近く経つが未だに夜は眠れぬことが多い。作業中に倒れることもある。廊下の扉を開け外に出る。頬が痺れる冷たさだ。土に霜が降りていて朝焼けはもう過ぎ去り、空気は青白い。薄い霧が立ち込め風景は彩度を落とし、地面と空の境界はぼんやりしている。

 少し凍った土を歩く。シャリシャリと氷の砕ける音が混じる。野花の花びらは水滴を浮かべている。

 不眠もまた悪魔との戦いの一つだと主は言う。それは、解けるかもしれないし、いつまでも付きまとい続ける罰であるかもしれないと。

 私が倒れた時はいつも彼女が看病してくれた。代わりに、彼女に何かあった時は私が世話をしたが、それは本当にごく稀だった。

 いつの間にか決まっていた約束のようだった。流れるままに流れた先で私たちは結ばれ、周りからか、自分達からか分からないが、いつしか当たり前のようにそういう役割を担っていた。

 主は私達を祝福した。それは現実世界では稀にみる感情表現だった。

「恋をしたのは魂が戻ってきた証拠だ」と主は私達を同時に抱き込んだ。

「私の両親も恋をして我々を生んだはずです。では何故、今多くの人がそれを持ちえないのでしょう」こういうことを聞くと主が喜ぶのは分かっていた。何時からか、主が喜ぶ役割を演じていた。それが私が解釈したこのゲームのルールだった。彼女もそうなのかは分からないが。

「悪魔は良き人のように虚無に導き魂を迷わせる。しかし、真実を見ることをやめなければ、必ずまた光を見出せる、お前達のように。きっとそういう時代は戻ってくるよ」

 主の前で誓い、私達は婚姻した。私の部屋は彼女の隣に引っ越した。少し広くなり風通しもよく前より居心地が良かった。

 退屈な閉鎖空間の中で繰り返される生活。いつまでも続いていく希望も絶望もない暮らし。

 ある時、夜の祈りの後、私は教主の部屋に呼び出された。教主はベッドに腰かけ、こう聞いた。

「お前、子供の作り方は分かるのか」

 私は頷いた。そこで部屋の陰に妻がいることに気が付いた。

「本当に分かるのか」

 私は頷いた。

「やって見せなさい」

 教主は私に命令した。


 村に夫婦は自分達のほかに三組あったが、いずれも子供がいなかった。

 何故かとパウロに聞くと、単純にその夫婦たちに子供が出来なかったという。村で最後に子を産んだのは教主の妻のアルマで、それはもう30年以上も前のことだ。

 私たちはそれから何かと教主に構われた。信者たちは感情の読めないの目で私と妻を眺めた。しかし、それを瞳以外に宿すことは無かった。

 教主は新たな芽を期待していた。少しづつ朽ち果てていくだけの淀みの中で、変化が望まれていた。

 金曜日の夜になると、私は彼女の部屋に出向いた。そして私達は生殖行為を行った。

 行為を終えて、そのまま眠りにつける時は幸運だった。そうでない時は私はいそいそと自分の部屋に戻ってまた眠れぬ時を過ごした。

 実体下での性行為は辛かった。辛いとしか表現しようがない。

 その翌日は、夏場だと大抵体がもたなかった。畑仕事の最中よく倒れ、妻に看病された。儀式のようにそれが続いた。私はおそらく村の重荷だった。子を期待されるからこそ、許されている部分もあった。

 しかし、子供は出来なかった。我々の生殖能力に原因があるのか。女にも、私にもさして焦りや悲しみの感情はなかったが、主は我々の子を諦めきれぬようだった。

 数年が過ぎても主は私達を慰めた。

「何かを得ようとしてはいけない。求めてはいけない。自然に全てを任せれば、持つべきものは与えられるから」

 そういう言葉を何度も話した。それはむしろ主の焦りを表しているようだった。主は衰えていた。明らかに最初に見た時よりも。瞼が垂れ、目が小さくなり頬が落ちた。足取りはおぼつかなくなり、全ての動作が鈍かった。淀みなく流れていた言葉も詰まるようになり、意味の辻褄が合わないことも増えていった。彼を際立させていた威厳ようなものは少しづつ失われていた。

 村人はその間何人か減った。病気や老いで。逃げ出す者もいた。私と同じ日に入った二人の男もいつの間にか消えてしまっていた。

 入ってくる者はおらず、村人は少しづつ減り、いつの間にか食事に並ぶ人間は机一列に収まるようになった。そして、そこに座る人間もいつの間にか髪が薄くなり、頬が垂れ、腰が曲がり、衰えていた。アルマの子二人と、その子供の妻、そしてパウロと、私と妻以外は、もうほとんど仕事の出来ぬ老人といっても良かった。村にはそれしかいなかった。そして、集落の管理は行き届かなくなってきていた。

 一つの世界が終わる時の感覚、今まで何度かそれを味わったが、それに近いものを感じる。

 教主の不安と、怯えが伝わってくる。彼の神への祈りが切になっている。何も変わらぬ日常の内、少しづつ腐敗し気づいたときに失う物。空白に転がり落ちていくようなこの何か大きな力を止められるとすれば、まだ流れに飲まれていない、新しい命なのだろうか。

 子供ができるかどうかは悪魔に尋ねれば分かることだ。何故出来ないのかも。答えは尋ねればすぐに分かる。しかし、私は尋ねなかった。あれ以来システムと一度も繋がってはいなかった。


 生殖行為の日は増えた。毎回、同じくらいの時間に、同じ体位で、義務的に。それでも一向に子が出来る気配はなかった。コピーは子供が出来ないのだろう。何時しかそう確信するようになった。

 ただの義務として行い、意味を忘れかけていた時に、嘘のようにふと子が出来た。

 ある日、妻は朝食の席で吐き気を催した。特に誰も気に留めないが、教主ばかりはどこかせわしなくなる。信者たちはそれを惨めな目で見る。私は妻の看病をする。彼女は微熱があり気だるそうにしていた。数日たっても彼女は中々回復しない。少し経つと様子がおかしいとなりだした。

 教主は興奮していた。それを表にも出さないようにしていたが、彼は注意深く付き添って妻を観察していた。

「身ごもっているかもしれない」教主はついにそう言って妻の肩に手を置いた。

 私達は教主とパウロと人里の病院へ降りた。機会を使わない医者がふもとに住んでおり、その人から懐妊を告げられた。教主は手を合わせた。万感の思いがその瞳に宿っていた。私はそれをぼんやりと眺めた。そして最後に教主は泣き崩れた。私には、その姿がどこか異様に見えた。どこか不気味で気持ちが悪かった。

 およそ10か月後、女の子が生まれた。主が子供を抱きあげた。その瞳からこぼれる涙。

 子供の顔は、マスクの下の自分によく似ていた。 

 これは一体何だろう。これは一体何なのだろうか?


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