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男は静かになった。木村は自分の隣に戻ってきた。
何も話さず、時間が過ぎた。そうすると思い出したように眠気が出て、自分は少し眠った。そして、また目覚めた。
子供達3人はもう起きていた。
「では、行こう。連れ合いが一人できたが気にするな」
マルセロは辛そうにしていた。膝を抑えてうずくまっている。まだ体が重いのだろう。
「もう少しだマルセロ。後に2、3時間歩けばつく」木村は背をさすって励ました。
ペトロは殆どヴィゴに負ぶわれていたのでマルセロほどは疲れてはいないようだったが、不安そうにしていた。「ペトロも頑張れるな」と木村はその頭を撫でた。ペトロは小さく頷いた。
ヴィゴは変わりが無かった。ずっと幼い子達を負ぶっていたのに彼は疲れを見せなかった。華奢な体のどこにそんな力があるのか。彼の鋭い目には得体のしれない力を感じた。
「杉浦、何かあった時は頼むぞ」と木村は自分の背もさすった。
木村が眠っている科学者にも声をかけ起こそうとした。しかし、木村は固まり、しばらくそこで立ち尽くしていた。
コピーの男は例の空を見る顔になって固まっていた。まただ。
彼は解放されたのだろうか、それとも、まだ苦しみのプログラムの中にいるのだろうか。それとも、初めからどちらでもないのだろうか。
子供たちが出発の準備をしている間に、木村はそれを廊下の奥まで運んで目に入らぬようにした。
建物を出た。日が大分高くまで上がっていた。嵐の後の空は雲一つなくなり、空気が熱気を帯びている。
木村が先頭を歩いた。ビルの影を縫うように歩いた。時折見える日差しは激しく、陰から見る日の中は道路も人も建物も白く反射して見えた。
見るからに危ない人間達の前をいくらか通り過ぎたが、もう何も感じなくなっていた。声をかけられても罵声を浴びせられても何も感じず、ただ黙々と歩いた。それは子供達も同じようだった。危機感は薄れていた。
やがて影から這い出た。高層ビルがついに途切れた。そこがスクラップ街の終わりと言ってもいいのかもしれない。
郊外の、似たような一軒家が連なる人気の無い住宅地を歩いた。影の無い所では日差しが皮膚を焼いた。セミの鳴き声がジリジリと響いていた。川に突き当たり、それに沿って歩いた。川の流れは速く、道に溢れ出してきそうなほど増水していた。
川縁には名の知らぬ草が茫々と生い茂る。数多の種が群生し、虫と鳥が喚き、ある所では背の高い黄色い花が集まり咲いていた。さらに進むと川は突然穴の中に落ちていき、滝の中ような物凄い音が響いていた。
植物も建物を失せ、、何もない開けた平地になる。それが地平線まで続いている。
前を行く人達の背中を眺めながら、しばらく閉ざされていた思考が自然とまた回り始めた。記憶を頭の中で再現し、理由をつけて整理しようする。しかし、理由を当てはめる度に、すぐ矛盾が壁となってその道を閉ざした。小さく首を振って思考を振り払おうとした。今は何も考えず歩け。しかし自然と頭は回転してしまい、それを何度も繰り返した。その中でふと、ある考えが突然壁を越えて道を繋いだ。
まさかそんなことがあり得ないと最初は思った。しかしその可能性はいくら掘り下げても否定する事が出来ない。そして、遠ざけようとしても思考なかに居座り続ける。
遠い先の地平線から境界のフェンスと思われる黒い影が次第にせり上がってきていた。来た道を振り返ると、市街地の影は地平線の下に潜ろうとしている。
木村が「もう少しだ」と振り返って声をかけた。その時ヴィゴが立ち止まって、ペトロを地面に下ろした。
「どうした」と木村がすぐに近寄っていった。自分も近づきペトロを覗き見た。
ペトロの身体は痙攣していた。呼吸も、腕も、眼球も、全てが細かく震えていた。その細い腕には湿疹が出ていた。
マルセロはひどく怯えた顔を浮かべた。
木村は「大丈夫か」と言いながらペトロの背中をさすって何度も声をかけた。ヴィゴもペトロの手を握って声をかけた。しかし、ペトロはそのまま返事をすることなくやがて固まった。焦点の合わない眼球を見開き反応を示さなくなった。
どうやらまた一つおかしくなった。
木村はそっと、それの瞼を閉じさせた。マルセロは涙を零した。子供らしくない泣き方だった。声を出さず、俯いて必死に押し殺すよう涙を落していた。
「悪魔だ」とヴィゴが言った。「皆と同じだ。悪魔に飲まれたんだ」
「違う」と木村がすぐに否定した。「病気かもしれない。早く病院に連れて行こう」
木村はペトロを抱き起しその背に負ぶった。「行こう。もう少しだ」
ヴィゴはうずくまっているマルセロの手を握ってまた歩き出した。
一行は進んだ。出来事から目を反らすように。足取りは重々しく、どの背中も痛々しかった。それを背後から眺めた。振り払おうとしていた予測は、確信に変わりつつあった。
そして数十メートル歩いた所で、ヴィゴが突然膝から崩れ落ち、そのまま前のめりに倒れた。地面に横たわる彼の目も、もう何も見ていなかった。マルセロは立ち尽くし泣くこともなく、その左手は開いたまま小さく震えた。マルセロは自らを引く手を失った。
木村が悲壮な顔をしてマルセロに伝えている。
「今は運べない。エリア2の中にお前を預けたら助けを呼んで連れてくる」
木村はヴィゴの瞳を閉じ、水筒の水でヴィゴの身体を濡らすと、日光を遮るように着ていた布をかけた。
ヴィゴは置いて行かれた。今の自分達では彼の体を運ぶのは無理だった。
境界が近付いてきた。あと200mほど。そこで自分の手から、マルセロの指の感触が消え、その子は唐突に倒れた。大きい目を見開き、目にずっと溜めていた涙が重力で流され頬を伝いすぐに枯れた。後は何も無かった。
自分は何も言わずその瞼を閉じ、それを背負い、木村と並んで歩いた。
境界が目前に迫った。やっと終わる。この下らない人形劇も。
木村は果たして何と言うだろうか。自分は木村と何と話すだろうか。この無意味な演劇を。少し苦笑い浮かべながら、木村の方を向いた。
木村はその時ふと視界から消えた。何かが崩れる音がして、見下ろすと木村が倒れていた。
転んだのだと最初に思った。しかし、声もなく倒れたので疲労で崩れたのだと考え直した。しかし、彼の顔は歴然と別の事実を示していた。
木村は痙攣していた。ペトロと同じように体中から湿疹が出ていた。そして焦点のあっていない目を見開いていた。
あるいはこれは本当に病なのだろうか。何かの。それともやはり。頭の中がまた複雑に絡まり始めた。
自分は緑色に発光するの銃口を彼の頭に向けた。「何故です」
「何故です。あなたは、この問いに答えなければならない」
木村の口元は静かに動いた。
「寂しかったんだ」
引き金を引いた。彼の頭は跳ねた。銃弾は単純に頭を通過した。
その後風の音がした。
負ぶっていたマルセロを木村とペトロに重ねるようにして置いた。
変化の無い景色の中に、風に、呼吸の音がしばしの間聞こえていた。
緑色光の銃をこめかみにあてた。そしてゆっくりと引き金を引いた。




