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 6


 また一行は歩き出した。しばらく山のふもとを歩くとコンクリートの道路に出て、さらに1時間ほど歩くと、次第に廃墟が多くなっていき、そして、スクラップ街に入った。今は退廃を望む者しか集まらないが、立ち並ぶ高層ビルは、かつてここが都市だったのを示していた。広告や、時折まだ店に残っている展示物は旧世代の暮らしぶりを想像させた。

「ここが新しい街?」とマルセロが聞いた。

「いや、違う。ここのことではないよ」と木村が答えた。

 未だ人は見えぬが、そこには濃厚な人の生活の気配があった。何か焦げたような臭い、腐った肉のすっぱい臭い。ゴミ山がそこいらに積まれていた。機械のスクラップがそこいらに積まれていた。しばらくすると、ゴミ山の上や、建物の脇、路上などで倒れている人間が出てきた。起きている人間もいれば、死んだように動かないのもいた。おそらく実際に死体も何体かあったのだろう。それを鉄の棒でつついている女がいた。呻るように、いびきをかく老人もいた。こちらに気付き、ジッと様子を伺うものもいれば、気づかぬふりをする人間もいた。建物の内に隠れる人間もいた。

 道の中央を歩いた。「ビルには寄るな」と木村は皆に言った。先頭を木村が歩き、自分が一番後ろを歩いた。銃はわざと見えるように腰に出していた。

 次第に日が昇ってきて、遠くは朱に染まり、近くの入道雲の影は紫色と紺色が陰影を描いた。そして、雲の切れ端の天頂部分からは金色の陽ざしが漏れていた。しかし、その美しい朝焼けもすぐに潰えた。

 朱は薄くなり、穏やかな空色になった。青色のしずかな風に色を失った雲が漂っていく。

 人の声が聞こえるようになった。いくらか起きている人間が通り過ぎた。薄ら笑いを浮かべて接近してくる人間が何人かいた。木村が「売り物じゃない」というと、彼らは笑みを浮かべたまま通り過ぎた。自分の持っている銃に触れようとした者もいた。すぐに銃口を向けると、そいつは少し声を出して笑った。髪が長かったので女かと思ったが、声を聞くと男だった。そいつはその後も10mほど距離を開けて背後にずっとついてきた。自分は注意を払いながらも無視し続けた。

 どこかで怒鳴り声と悲鳴がした。一人ではなく複数の人間が叫んでいるようだった。木村は立ち止まった。そして、逡巡した後道を折れて小道に入り、叫び声の所以を避けるように歩いた。

 高い建物の間に入ると途端に辺りは暗くなった。そして、空気は冷たく湿っぽくなる。壁に寄りかかり、よだれを垂らして座っている人間。そのすぐ近くを通り過ぎる。

 鉄の棒を持ち、見るからに怒り狂った顔をした老婆。自分は銃を持ち、その鋭い眼光の脇を通る。通り過ぎた後に「ちょっと待ちな」「待ちな馬鹿者」と金切声が聞こえるが、無視して足早に進む。

「いくらだ」と浮浪者が建物の影から急にヴィゴに詰め寄る。ヴィゴは素早く、ペドロを背に隠した。

「寄るな」と自分はそれにも銃を向ける。そいつは怯えるようにして再び建物の影に隠れていった。

「気を付けろ」と木村から声がかかる。自分はもう銃を構えたまま歩いた。

 少し歩くと、マルセロが座り込んで動かなくなった。

「どうした」木村が辺りに気を使って、注意深くマルセロに尋ねたが、マルセロは何も答えなかった。

「限界か?」

 マルセロは膝を抱えて、その中に顔をうずめた。

「分かった。どこか休めるところを見つけて休もう。正直、俺ももう限界だ」

 木村はマルセロを抱き起こし負ぶろうとした。しかし、持ち上げられず、結局マルセロは自力で立って、また歩き出した。

 そして、少し進んだ先に合った人気のない小さい廃ビルの中に入った。うちっぱなしのコンクリートでそこは地面も空気も埃っぽく息をしづらかった。しかし、それは人の出入りがない証拠でもあった。木村は注意深く中を確認しながら奥に進んだ。そして、扉の無い部屋の中に入った。そこは、光の中にチラチラと浮かぶ埃と、元が何かは分からない細かい繊維のゴミ意外は何もない所だった。窓もついていなかった。

「よし、奥で休め」と木村はマルセロを部屋の奥に引っ張った。ヴィゴとペドロも、そこに座り込んだ。

「3時間くらい寝れば、歩けるようになるだろう」

 自分は入り口の角に座り込んだ。木村は入り口を挟むように、その向かいの角に座った。

「変わりで見張りをしよう。お前も少し、休め」

「えぇ」

 動きを失った体は重みに抗えなくなり地面にのしかかった。重力と地面に挟まれるようで接地面の筋肉が鈍く傷んだ。それでも、先ほど休んだ時のように眠気は来てくれなかった。

 部屋の奥の3人は眠りについたようだった。3人で重なるように横になって、すんとも動かなくなった。

「杉浦、分かっていると思うが俺はエリア2には入れない。境界まで着いたら、それ以降はお前に任せる」

「えぇ」

「エリア2の暮らしを手配してやってくれ。アーミールの施設があるだろう。それと、ずっと面倒を見ろとは言わないが、こいつらがそれなりに暮らせるようになるまで色々と教えてやってほしい。後はこいつ等自身が生き方を決めるだろう」

「分かりました」

「約束してくれるか」

「えぇ」

「じゃあ、俺も約束を果たそう」そういうと木村は靴の裏で、意味もなく地面を2度こすった。

「お前が抽象度を上げて、再度テストをした時。始まりだけは1回目と何も変わりが無かった。暗闇に、お前とキゴウがいて、お前はキゴウにその時の記憶を再現するように暗示をかけた。

 しかし、記憶が明確に再現されることは無かった。走馬灯というのか、あれを何と言えばいいのか。音も形も蠢いていて、何かの形にも見える時もあれば、何も分からない瞬間もあった。人の頭の中は実際ああいうものなのかもしれないと、その時は思った。それを抱いている人間にしか、それは意味を解せないものなのかもしれない。時折、記憶のようなものが混じった。部屋の風景や、学校での話声、何かが破裂するような音、女と思われるもの、笑い声のようなもの。人の顔に見えるような何かが浮かんでは、歪んで消え、浮かんでは歪んで消えた。それはしいて言うなら、泡みたいなものだった。笑っている顔もあった。怒っているような顔もあった。それぞれ、とりとめのない言葉が付いていた。だが、今となって、俺はそんなことをほとんど忘れていたが、今となって一番思い出せるのは、そうだ。あの表情の無い顔だ。そう、アーミールで見た、彼女のような。何も見ていない顔だ。それが、ほんのわずか浮かんで、そして、それは何かを呟いていた。その後、赤く染まったんだ。空間が」

 その話を聞いている途中から背筋が冷たくなっていた。「愛している」、気づくと自分はそう呟いていた。

 木村が驚いたように自分を見た。自分はまた意識するでもなく言葉が漏れ出た「愛している」

「愛している?」木村が繰り返した。自分は頭の前方がひどく痛みだして、思わず爪を立てて両手で抱えた。別の痛みで頭の内部の痛みをごまかそうとした。

「どうした」と木村が慌てて、自分の肩を揺らした。

「愛していると言っていたんです。その時、その顔は」声を振り絞って木村に伝えた。

 その顔が頭の中に鮮明に浮かんだ。目を見開いていても、それは視覚を侵食していた。視界よりもイメージが意識の目を支配した。

 女の顔はすぐ近くにある。息がかかるほどに、そして、その瞳も目前にある。正面にあり、黒目は中央にある。すぐ目の前にある。しかし、その目は何も見ていない。正面いる、すぐそばにいる自分すら見ていない。

 自分も恐ろしいが目を背けることができない。その目に、意識が吸い込まれる。

「愛している」とささやき声がする。その女は、一定のリズムで「愛している、愛している」と呟く。延々と、まるで調子を変えず、一定のリズムで。その声を聴くたびに悪寒が走る、胃が潰れるように痛み。言いようのしれない激しい感情が湧き上がってくる。それは、自分の知らない感覚だ。それは自分の感覚ではなかった。

 木村に頬を打たれ、ハッと我に返った。ジリジリとする真実の痛みが記憶の痛みを遠ざけたようだ。深い息が自然と、長い時間をかけて漏れた。

「思い出しました。あの時、見たものを」そう告げた。

「女は、キゴウの母親は、愛していると呟き続けていました。あの感情の無い顔で。それが永遠と、あの部屋の中で木霊していたのです。何時までも、何十時間も。キゴウはそれをずっと眺めていました。そして、それは何でしょう。憎しみか、怒りか、悲しみか、あるいは虚しさか、私が味わったこともないものです。名前の付けられない何かの感情が次第に、抑えきれぬほど膨らんでいきました。そして、包丁を取り彼女の背中を刺したのです。2度刺して、母親が地面に倒れこんだ時、真っ赤な景色が広がりました。全てが赤に染まりました。その時、感情は爆発しました。私は彼と同調していたのかも知れません。私は、それに耐えきれず、おそらく、気絶したのです」

 木村は息を飲んで、そのまま黙っていた。自分は話し終えると、気は少し落ち着いたような気がするが、まだ肩が震えていることに気付いた。木村はしばらくしてから、やっと言葉を思い出したように「多分、それが、真実だ」と言った。そして「それが、真実だったんだよ」と口調を強めて繰り返した。

「キゴウの母親はバグっていたんだ。それに気づかれぬようアイツはVRシュミレートを欺いた。コピーに残されていた記憶ともそれは違っている。つまりアイツはコピーを通してシステムをも欺ける」木村は興奮しながら早口でまくし立てた。「あるいは」そして、そこで一つ大きく息を吸った。「システムが俺達を欺いているか、だ」

 それは早計のように思えた。自分には、あの母親の姿が真実だとは思えなかった。むしろキゴウの強迫観念が膨れ上がって異常になった末の幻想のように思えた。しかし、わざわざそう反論する余裕が自分の心に無かった。

 それに、木村に共感している部分もあった。キゴウはシステムを欺ける。キゴウはわざと、自分を同調させた。根拠は無いが何故かそう思えてならなかった。

「やはりシステムは危険だ。危険な状態にある。杉浦、俺はアーミールではない。信仰や心情の問題でこれを言っているわけではないんだ。お前も今なら、俺の言うことが分かるだろう」

 自分は答えなかった。ただ、うなだれるように頭を下げた。


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