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エリア3に踏み入れた途端、時折強く吹きすさぶ風とセミの音がジリジリと聞こえた。
また夏だった。しかし、その日は曇り雲が空を覆う白く薄暗い景色で、風は雨の冷たさをどこかで帯びていた。以前のように熱くは無かった。
大分風景は変わっていた。より植物が葉を高く広げ、サビて崩れた建物を飲みこんでいた。上層エリアにいると気づかないが、ここでは時の流れというものを強く感じる。
木村がどこにいるか分からなかった。まして生きているのかも。ただ彼はアーミールの近くにいる。それだけは推測としてあった。
記憶を追うと共に、以前木村と歩いた道筋を辿った。
しかし、しばらく進んだ頃それは難しくなった。以前あった道路はもう完全に浸水して、泥の湖のようになっていた。瓦礫を上がって赤い瓦屋根の上を伝い、湖の奥のほうを探ってみたが水位は建物の窓まで上がってきている。前に来た時よりも1m近く高い。これでは、あのトンネルの中も沈んでいるだろう。道を変えるしかなかった。
屋根を伝い湖の手前まで戻った。すると、錆びた電柱の足元に、さっきはいなかった初老の男が座っていた。自分が屋根から飛び降りると、その男はこちらに気付いて鋭い目で見た。「何だアンタ」
「人を探しています」そう言ってスクリーンを開き木村のホログラムを見せた。「木村という人です」
「俺はそんなこと聞いてない。アンタは何だと聞いたんだ」
「警察です」
「何でこんな所に来ている」
「先ほど言った通り、人を探しています」
「そういうことじゃない。何で警察がこんな所に入ってきてるんだ」
「私の話している意味が分かりますか。この人の居場所を知っていますか?」
「俺がお前らに話すと思うか」
「話さないなら、あなたをエリア1まで連れていきます」
「何の罪で」
「さぁ、ただ調べればすぐ何か出るでしょう」
「お前はルールを破っている」
「私はルールの担い手です」
男は苦い顔をした。話しても無駄だと思われたなら調度よかった。
「そいつのことは知ってるよ。そりゃ当然だ。ここでは随分恨まれている。ただ今どこにいるかは知らない。知ってたら殺しにいくさ」
「この人があなたに何をしました?」
「お前と同じだよ。傲慢な振る舞いさ。まぁまだアイツの方が敬意があった」
「そうですか」少し考えた。「アーミールにはどう行けばいいですか?」
「アーミールに行くなら入り口を間違えたな。こっちからだと遠いぜ。この泥水を越えないといかん」
「そうですか」
話しながら、途端に馬鹿らしい気分になった。何かの衝動に駆られこんな所まで来てしまったが、木村にあって何になる。そもそも見つけられると思うのか?
ため息をついて泥の湖を眺めた。
「なぁ、俺はボートを持ってる」と男が突然切り出した。
「ボート?」
「あぁ、貸してやるよ。そしたらこんな所すぐ越えられる、その代わり何かくれ」
「何です?」
「薬は持っていないか?」
「持っています」と言ってポケットから虚無症の薬を出した。中毒者には錠剤であれば何でもいいだろう。
「くれ」
「ボートはどこですか」
男はいそいそと歩き出した。ついていくと湖の隣にある柵の内側にボートが置いてあった。
「ちゃんとオールも付いている。これで向こう岸まで渡ればいい。アーミールの詳しい場所は俺も知らないがとにかく山だ。山の中だよ」
「そうですか」
「早く薬をくれ」
「出すのを手伝ってください」とボートに手をかけた。
「おい」
「これ、いらないですか?」
舌打ちして、男はボートに手をかけた。二人で引きずり湖に浮かべた。自分はすぐそれに乗り込んで男に錠剤を投げた。男は取りこぼした後、泥水の中からそれを拾い上げて嬌声を上げた。あんなもの境界までもらいにいけばいくらでも手に入るのに。
水の中に半分沈んだ、崩れた古い町。泥水をかき分けてボートは進んだ。
網戸、自転車、自動車、新聞、雑誌、ベルト、電柱、トタン、何かの骨、子供の上着、タイヤ、銀色の大きい缶のようなもの、他、名前の知らぬものが多く浮かんでいる。昔は必要とされていたものなのだろう。
突出した高層マンションが3件ほど並んでいた。錆が水面から苔のように触手を伸ばしていたが、頂上のほうまではまだ届かず白い外壁が露出していた。いくつかの部屋にはまだ洗濯物が干されていた。カーテンが空いていて中が見える部屋がいくつかあった。綺麗に片付いている部屋もあれば、子供のおもちゃが散乱しているところもある。何も置かれていない所もあった。人が住んでいる気配はどこも無かった。随分前に人は去ったのだろう。
泥水の水面に小さな波紋がいくつか立った。その後、頬と瞼に冷たい感触があった。静かに雨が降り始めた。オールをこぐ手を少し早めた。
やがて、オールを深く差すと地面に当たるようになり、もう少し進むとボートが地に着いた。水に降り、ボートを引きずり上げて、調度泥水に浮かんでいた紐でボートの舳先と電柱を括り付けた。
「そんなんじゃ、外れるぞ」とその時、背後から声がした。
驚いて振り返るとスキンヘッドの老人が立っていた。
「木村さん」
「もう少し、こっちに移動しろ」
「分かりました」
木村に促されて、ボートを移動した。そして、木村と共に水から完全に引きずり上げて、柵の中に入れた。
薄暗い柵の中で、老人は振り返った。
「お前の方から約束を破るとはな」




