第三章 パズルの先
第三章 パズルの先
カプセルの中で眠る子は、結局最後までこちらの世界を現実だと思うことはなく、目覚めぬままVRの中で息を引き取った。
病院で確認作業を終えて署に帰った。地下洞で久しぶりにあの子を思い出した。あれから、もう10年以上が過ぎた。
廊下で平松と鉢合わせた。平松は昇進して、ここには新しい刑事部長が来た。それでも彼はいつも話し相手がほしそうに現場をふらついている。今日は目を付けられてしまい結局、食堂へ共にした。
「物を良く忘れるし、体は若いはずなのに重いんだよ。もう脳の信号が弱くなってるのかなぁ。もうハウスに入ろうか迷ってるんだ」平松はコーヒーをすすりながら心配そうに言った。
「そうですか。入ればいいじゃないですか」
「でも入ったら、お前らともこうして会えなくなるだろう。寂しくってな」
「会えますよ」
「ホログラムで会っても何だかな」と平松はぼやいた。
自分の氷が少し解けてカラカラとなった。平松は思い出したように言う。
「あぁ、こういうの何て言うか知ってるか。セカンドリアルアレルギーって言うんだってよ。つい前まではさ、AI依存症とかVR依存症とか言われてたのが、いつの間にかひっくり返っちまったな。今では、依存出来ない奴が病気さ」
「そうですね」
「そうだよ」
どうもいつもの彼と違って話が調子つかなかった。少し沈黙が流れた後「こっちの世界も寂しくなったなぁ」とため息を吐き出すように言った。「馬鹿がいなくなって、楽になった分寂しくなったよ」
「そうですか」
「お前が死ぬまでには脳の再生もOKになるかもな。俺はギリギリ間に合わなそうだ。人類最後の死者になるかもしれんな」
「いくら生きられるようになったって、死ぬ人は死にますよ」
「そうだな。なぁもし俺が死んだら多肉の面倒見てくれるか?」
「AIに任せてくださいよ」
「そんな冷たい事言わないでくれよ」と平松に右肩を叩かれ、杉浦は苦笑した。
帰宅すると、妻も娘もカプセルに入っていた。
娘は成長するに従って、次第に一緒に食事をすることも、同じVRに入ることもなくなった。非コミュニケーション状態で今日もどこかに出かけている。
妻に声をかけて食事をとろうかと思ったが、妻のステータスは睡眠状態になっていた。
いつもこの時間は待っていてくれるので、それは珍しかった。
調度、シリアルを食べ終えた時に彼女は起きてきた。眠そうに目を細めて「ごめん、寝ちゃってた」と突っ立った。
「いや、別にいいよ。珍しいね」
「最近、急に眠気が来て眠っちゃうことがあるの」
「そうなんだ」食器をトラッシュホールに落としながら言った。妻はまだ呆然とそのまま立っていた
「何か食べれば?食べてないでしょ」
うん、と頷き彼女はフラフラと歩いて、円卓の自分の隣に座りシリアルを出した。
杉浦は何となく、そのシリアルが浸かるミルクの水面をぼんやり眺めていた。
銀のスプーンがゆっくりとミルクに侵入し、接触地点のカプセルが水面にわずかに浮かんだ。しかし、そこで動作が止まってしまい。いつまでたっても持ち上げられない。
視線を上げて、妻の顔を見た。
目が空を見ていた。そして、そのまま動かない。
「どうした?」と聞いた。彼女は全く反応しなかった。
「どうした、サキ、大丈夫か」肩を握って少し揺らした。体は軟らかく、彼女の目玉は揺れに合わせて震えた。何かを見ている目では無かった。
脳障害だと瞬時によぎって医者を呼ぼうとした。すると、そこで妻の目がふっと色を取り戻して「あぁごめんごめん」と口を開いた。
「どうした?」とまだ体に触れたまま聞いた。彼女の顔はまだどこか呆然としていたが、少し微笑むと首を振った。
「なんでもないよ、少し混乱しただけ」
「混乱?」
「うん、混乱というか、まぁそんな感じ」そうして、微笑みながらまた小さく首を振った。次はちゃんとカプセルをすくって小さい口に運んだ。
自分の視線を感じてか、妻はチラリとこちらを見ると、先ほどの説明では足りないと思ったのか付け足した。
「寝起きって記憶が曖昧になることがあるじゃない。さっきまで変な夢見てたの。もう、全然内容は覚えていないけど、とにかく変な夢だったのね。それとは関係ないかも知れないけど、さっき何だか急に分からなくなっちゃって。あれ何をしているんだろう。あれ何だったっけ、これってなんだっけって。多分、まだ頭が起ききってなかったんだね」
「それ、大丈夫か?」
「大丈夫。あなたもこないだ合ったじゃない似たような事。私の場合子供の時から、変な眠り方しちゃうとこうなるの」
「そうか」
「全然話変わるけど、麻未とね、動物の世界を作ったの。リスちゃんの。後で一緒に入る?」自分が全くそういうのが好きではないと分かりつつ、わざとサキは聞いてくる。
「いや、いいよ」
「どうして?」
「どうしてもないけど」
「可愛いわよ」
「いや、いいよ」
「入ったら楽しいよ」
「いや、俺は別に楽しくないと思う」
「どうして?」とこの系統の話になるといつもこの問答が続く。
「どうしてもないって」と、席を立ちながら面倒くさそうに返す。いつもそこからサキが「どうしてあんなに可愛いのに」とさらに面倒な絡みをしてくる。しかし、今日は黙っていた。
振り返ると、またサキは空を見て固まっていた。そして唇が小さく何度か震えた。それは「どうして、どうして」と繰り返しているように見えた。しばらくその異様な表情を眺めた。やがて唇の震えも止まり表情が完全に固まった。「おい、サキ」と肩を掴んみ名前を呼びながら何度か揺らしたが、サキは動かなくなっていた。
スクリーンを開いて指示を出した。椅子はベッドに変形してスライドし、彼女をカプセルまで運んだ。
サキの固まった視線の先で「大丈夫だよ」とほほ笑んだ。そして青い殻を閉じた。
カプセルはそのまま、部屋を出てエレベーターに乗った。自分もそれに乗り込み病院へと向かった。
数分でエレベーターは付いた。移動するカプセルの後ろについていく。白い部屋に入って扉は閉じた。
下からソファーが上がってきて自分はそれに腰かけた。足元を眺めながら数分待った。
やがて、医者が入ってきた。
「どうされました?」と彼は尋ねた。
「妻の様子がおかしいのです」と伝えた。
「分かりました。診察前にこちらを確認してください」と言って医者はスクリーンを広げた。
「緊急時の診察許容範囲について奥様の方は未回答のようなので、配偶者の貴方に指定してもらいます」
病歴の参照、記憶治療の履歴の確認、脳の完全スキャン等、スクリーンには多数の項目が箇条書きされていた。
あまり確認せず全てを許可した。医者はそれを確認すると「では、検査に入ります。終了しましたら通知でお知らせしますので、それまでどこにいらしても結構です」と言った。
医者は部屋の奥の壁を開いて去って行った。その後、妻のカプセルも別の扉に収容された。
しばらくの間、その空間に一人で待った。特に何もすることもなく、それは家に帰った所で変わらないので、そのまま呆然と膝頭を眺めて待った。
10分ほどだったろうか。医者が戻ってきた。椅子が浮き上がってきて彼は自分の正面に腰かけた。「お待たせしました」と告げると彼はスクリーンを展開して説明を始めた。
「検査をしましたが、どうも脳に異常は認められませんでした。しかし、あなたがおっしゃられた奥様の様子は変わっておりません。今も問いかけに反応もされないです。体に異常が無い以上これは精神性のものと考えられます。こちらも検査しますか」
医者はこちらには視線を向けず、少しずらして自分の腹を辺りをぼんやり見ているようだった。
「そうですね」と自分が曖昧に言うと医者は視線をこちらに向けて、その先の答えを促した。
「お願いします」と伝えた。
既定路線をなぞる様に医者はまたすらすらと説明する。
「精神検査に関しましては、もう少し時間を要します。とりあえず許可を頂ければ、3日間ほどVRシュミレート検査を行いまして、そこで、明瞭な結果が得られなければ、さらに三日間の検査。その繰り返しとなります。こちらに回答してください」
スクリーンには、またVRシュミレート等の検査について、許可を訪ねる項目が箇条書きにされていた。
面倒で読む気にもならないが、仕事で似たようなものを扱うため内容は大体把握していた。同じように全てチェックした。
「お勧めはしませんが治療はご自宅でも出来ます。その場合、精神波形を常時チェックする必要があるので、なるべくカプセルから出さないようにしていただき、検査時間には確実にカプセル内に入っているようにしてください」
「入院にさせてください」
「分かりました。では、本日はこれで」
「ありがとうございます」
医者はまた奥に消えていった。
家に戻り暗いリビングで隣のビルに閉ざされた窓外の風景をしばし眺めた。
薬を飲んで、娘に「母さんが体調を崩して、入院することになりました。詳しいことは直接話すから、時間ある時に連絡ください」と通知を残して置いた。
湯舟には浸からずシャワーで済ませて、カプセルに潜った。久しぶりに銀河鉄道の夜を起動して、あの道を歩いた。
朝起きて会社に向かう時、娘はまだカプセルで眠っていた。ステータスは非表示になっているので、眠っているのかVRの中にいるのかは分からない。
仕事に出て、平常通りに業務をこなす。相川はあれ以降、ここに居ついて自分の補佐をしている。最近は巣造像のワールドクリエイトで作られた世界の監視というのが主の仕事になっていた。と言っても、ほとんど眺めているだけで何か手を下すことも無い。
日々、それの繰り返しだった。面倒な案件というのは今はほとんど無かった。
その日、娘から返信は来なかった。
妻が入院して三日たった夜、病院から通知が来ていたので向かった。同じ部屋で同じ医者と話をした。
「検査をした所、奥様の挙動は思考結果によるものでした」
医者のトーンは一定だったが思考結果という単語が妙に浮ついて聞こえた。
「ご存知かとは思いますが、それを疾患ととるか自然な挙動と取るかは難しい問題です。近年は当事者の方々の判断で進めさせてもらっています。人それぞれ考え方がありますからね。奥様は反応を示さず治療の許容範囲に関しても無回答で登録されているので、その判断は貴方のほうでしていただくことになります。もし、精神治療や記憶治療を望まれるようでしたらこちらを読んで頂いて、ご回答ください」
また文字の羅列が長々と敷き詰められたスクリーンを目前に広げられた。
読むでもなく何となく文字の羅列をしばらく眺めた。自分はどちらでも良かったが娘の事が頭をよぎった。それと彼女と二人だけでの生活ということを考えた。
治療に関する全ての項目にチェックを付けて提出した。
「それでは、明日から治療を開始いたします。治療は一週間を目安に状態を見ながら行っていきます」
「分かりました」
「毎日経過の報告は行いますし、奥様の状態に関してはいつでも確認できます。ただ治療内容に関しましては個人情報保護の観点から非公開になりますのでご了承ください」
「分かりました」
「それでは、本日は」
「ありがとうございました」
家に戻ると、めずらしく娘が起きていた。
「やあ」と声をかけると「やあ」と彼女も返した。彼女は眠そうにシリアルを食べていた。その姿は、やはりどことなく母親に似ている。
机に水を出して一口飲んで返した。
「お母さん、もう一週間入院することになった」
「そう」と特に興味が無さそうに彼女は呟いた。
「そんなに悪くは無いんだけど、前に俺が入院した時みたいに少し休憩が必要なんだ」
「そっか」
「あぁ」
「何に疲れたんだろうね」と彼女は質問とも呟きともとれるトーンで言った。
自分は特に答えられず何となく口元を緩めて何かを聞き取ったふりをした。娘はシリアルを残して机の穴に落とし、立ち上がると「じゃあ、寝るね」と言って自室へ帰った。
チラチラと机に影が揺れている。何の影かと思ったが、それは自分の目にある影らしかった。昔からあったが普段はほとんど気にならないので忘れていた。
妻はコピーなのではないかと、あの姿を見てからその疑念がずっと残っている。
そうだとすれば彼女はいつコピーになったのだろうか。何故なったのだろうか。
考えても仕方のないことを考え始める。薬を飲みカプセルに入る。VRにはまだログインしない。
出会った時からか、妊娠する前からか、麻未が生まれた後か、仮に麻未が出来た時にコピーだったとすれば、麻未はどういう扱いになるのだろう。
調べてみると片親が人間であれば、その子供も人間と変わりないらしい。体外受精と同じような扱いになる。何か生体機能に異常をきたす可能性もないそうだ。
ふと何故そんな無意味なことを調べたのかと思った。気にすることでもなかった。医者はあの動作について思考経路の問題だと言った。それはどういう意味なのか。次に思考はそちらに傾いた。
精神的な問題を抱えているにしても、それだけで人間がああなるとは思えなかった。これまで仕事をしてきて、ああいう姿は脳に重度な障害をきたした人間にしか見たことがない。
ふと思いつくのは、コピーの思考経路が歪に抑制された結果があの挙動であったのではないかということだ。
コピーが取れない行動、例えば人間に対して強く害のある行動、若しくはコピーを作成する際にオリジナルが禁止した行動、それをシステムがその人間がし得る最も自然な振る舞いとして計算したが、実行には移せないので動作を停止した。
妻のあの固まった表情がイメージとして瞼の裏に浮かんでいた。
それもあり得ないか。コピーは露見しないことを前提に作られている。露見すれば代替物としての役割を果たしきれなかったということだ。仮にそのような現象を示すとすれば、それはAIの不具合と言っても良かった。考え難い、あのように露骨に振る舞いが狂う事なんて。では、結局あれは何なのだろうか。
そこまで考えた時に、ふとこのような話を以前誰かとしたような気がしてきた。何時、誰とだったかは思い出せないが、何となくもう随分昔だったと思う。
コピーに関連する出来事を遡って考えた。しかし上手く思い出せなかった。いくつかの結論の出ない思考が飛び散って絡まり、やがて混乱をきたしてきた。それは、よくない傾向だ。
薬を入れて眠ることにした。今考えても無駄だ。もう少し情報を仕入れないことには大して何も変わりはしない。




