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自分の生活は何も変わりなかったが、学問の世界は短い夏休みの間に大分変ってしまった。
今まではただのゲームとして認識されていた別世界の中に、同列の多世界があると認識され、別世界との交流はより活発になった。自分達より優れた情報世界をシステムは認め そこから学ぶことにより技術は爆発的に進化を加速させた。これまでの常識がいくつも覆されて意味の無いガラクタになった。そして新しく学ぶべき事が膨大に増えた。それは、いくら時間を費やした所で到底追いつけるとも思えなかった。
多世界学と情報工学、創造学。以前は、心のどこかでシステムを超える何かを作れると幻想を抱いて学んでいたのかもしれない。しかし、その幻想すら抱けなくなった。それに、結局技術なんて、この世界のルールの作る上でのまやかしに過ぎない。
大教室で、新しい情報工学の講義を聞いている時に、ついに心は折れてもう煩わしいだけだなと眠ってしまった。それは自分にとって初めての悪行だった。
目を覚ますと、授業は終わっていた。そして、誰もいなくなっていた。先生も、授業を受けていた生徒達も、隣に座っていたケイも。
起こしてくれればよかったのに。先生に悪い事したな、嫌われないかな、と不安になりながら立ち上がり、明かりを消して帰った。
次の日、研究室には柳しかいなかった。ケイも、他の研究室のメンバーも、誰も来なかった。
「どうしたんだろうね」と彼女はスクリーンを見ながら何か変わったことがないか調べていた。
「皆でどっか行ったのかな」自分が言うと
「じゃあ、私達、はぶかれたね」と柳は笑った。
先生が入ってきたので事情を聞いた。先生も何も知らないようだった。
結局、ケイ達とはそれ以来会うこともなく、その日から、研究室では柳と二人きりの事が多くなった。
2年が過ぎ、自分たちは大学4年になった。
その頃には大学だけでなく、エリア2自体が少し静かになっていた。
研究室で情報工学の新情勢について先生が話した後、いつもの通り柳と無駄話をしながら言語の所以を探る作業をしていた。珍しく先生が残っていて、ふと口を開いた。
「どうやら不要なNPCは少しづつ整理されているらしい。今までは世界の統一認識を守るため露骨にそうすることもなかったが、今この世界にいる大体の人達はここが仮想現実だと認識しているからね。そういう物にあまり縛られることも無くなったのだろう」
「世界のルールが変わり始めるのですか?」と柳が聞いた。
「そうかもね」
「かっこいいですね」と柳は幼い娘のように言った。わざとそうしたのだろう。
「なるほどね。君達両親は?」と先生が唐突に聞いた。
自分は少し逡巡して「いません」と答えた。柳も同じだった。
「そうか。じゃあ君達は実体化の人間の子供だろうな。NPCではないのだろう」先生は言った。「だから、残っているんだね」
帰り道、柳と話した。
「夏休みが終わって学校が始まった時、私面倒だなって思ってたんだよね。小さい時からいつも。それで今年も」
「そうか、俺も」
「誰のために学校はあるんだろうね」
「さぁ、先生のためかもよ」
「なるほどね」柳は妙に納得したような顔をした。
卒業が近くなり、先生に進路について打ち明けた。学校を卒業した後は、結局何もしないことにしますと。
先生は自分が研究室に入るか、何かの創造職についてほしいと思っていたそうだ。
「良いクリエイターになれたのに」と惜しまれたが、元から何かを作るのは別に好きじゃなかった。嘘の中で嘘を作って何になるだろう。嘘と戯れていた方が楽しい。虫も喜ぶ。
先生は別れ際にこう言った。
「これで私も役目を終えた気がするよ」
それ以来、先生とは会わなかった。いなくなったのか。来なくなったのかは知らない。確かめることも無かった。研究室では、ずっと柳と二人きりだった。
そして卒業し、学校にも通わなくなった。自分は今まで以上にゲームにのめり込むようになり、母を心配させた。
巣造像の中で毎日、何かと戦った。
ゲームの中にいるNPCも自分たちと変わりはない。しかし、今までと扱いを変えるわけではない。彼らの世界のことは自分とは関係がない。潜る度に、新しい世界が創造され、そして破壊され消えていく。それは泡のようなものだ。泡を気にして何になる。
退屈な、変わり映えのない毎日を繰り返した。プレイヤーポイントは上がっていくが、ゴーストは一向に現れなかった。退屈は地獄で、平和は牢獄。いつかケイが言っていた言葉をよく思い出した。
卒業して2年が経った冬、柳と新宿に出た。すっかり人が減ったエリア2でも、クリスマスには人が集まり賑やかだった。
店の前を通るたびに変わるクリスマスソング。
システム反対。自由への賛美。愛への賛美。夢への賛美、希望の歌。
悪も正義も、皆作られた砂上で、作られた台本の下に踊っていた。これまで全て。
未来の導はないという嘘。建前だけのハリボテの街をイルミネーションが照らし、曖昧に揺らす。その中に浮かんだ。虚構の人生。同じモデル。泡。
窓のない閉ざされたホテルの一室。欠点の失い彼女の顔。でも、味気もない。
つまらない話のつまらない映画。とるに足りない安いSFが時代遅れのARで流れる。
彼女を抱き、そして終えて真っ暗に。彼女は眠る。寝息も立てず。
首筋に触れる。肌は冷たかった。
「いついなくなったの」
「18歳の夏休みが空けた日に」
「そうか。ありがとう。もういいよ」
「私、幸せだった」彼女の体は消えていった。役割という抜け殻もなくなった。
付き合い始めた時に彼女はもういなくなっていた。意味のない時間。結局はずっと一人だった。
まだ何も知らずに人の輪の中にいた頃は、虫が自分を食い続けると思っていた。
このままでいいのか、このままで本当にいいのか。頭の中の虫は問い続けた。何をするにも、これに何の意味がある。どこにいても、ここに何がある。虫は意味も無く意味があるのかと問い続けた。
立派な大人になるため、人の役に立つため、その裏で幼き日に生まれた虫はいつでも脳みその上をカサカサと這い回った。性行為の最中も、誰かとバカ騒ぎしている時も、争っている時も、頭を監視し続けていた。分かっているか、お前は偽物だよ。
虫を飼うものにとって、平和は牢獄で、秩序は暴力で、退屈は地獄だった。
何も考えず、ただ生きればいい。そんな無秩序な世界を生きたかった。善悪などない、価値観などない、無意味な世界を、無我夢中で。
でも、いつからか虫はおとなしくなった。頭の端でせせら笑うだけ、自分を責めることはなくなった。世界が本当に無意味だと知って、話すことが無くなってしまったのかもしれない




