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 巣造像の決勝を翌日に控え、キゴウの精神状態など諸々の確認をした。準決勝後のキゴウは状態が芳しくなかった。彼は全てに対して何も反応を示さなくなっていた。そして、じっと壁についている時計の方を見ていた。

 病院と監視室での作業を終え、早々に部署に戻った。

 監視室で覗いていた時点で、エリア2以下では騒動が拡大し半ば暴動になっていた。自然主義者達に逮捕者と、騒動に巻き込まれた人間の負傷者も出た。珍しくエリア1にも自然主義者達が入ってきていて、国会の周りに数百人集まっていた。彼らの心情を考慮して、ロボットは控えに回り警察が警備についていた。他、各所公共機関で同じことが起きている。エリア1では、珍しく外で人間がよく見られた。

 しかし、この部屋はいつも通り静かだった。16時になり、パーテーションを解いて帰る。明日は朝の7時には入って、情勢を監視することになる。相川と別れを告げて地下に降りた。

 地下駐車場に行くと、杉浦の車に寄りかかって突っ立っている老人がいた。

 執着の男があのまま終わるとは思っていなかったので、こうなることはどこかで予期していた。

「よう」

「今日は忙しくないのですか?木村さん」

「あぁ、大変だよ」

「私はもう帰りますよ」 

「ちょっと来いよ」木村は親指で彼の車に乗るように促した。

「行くと思いますか?」

「全員死んだんだろ。アイツと対戦した奴は、何故規制しない」

「する必要が無いからですよ」

 車に乗り込もうとする杉浦の腕を木村は強く掴んだ。

「最後の頼みだ。杉浦。もうこれ以上はない。来てくれ」

 正直な所はどちらでもよかった。どちらにしろリスクなどあるはずはなかった。瀬尾は全て把握していてそれで木村を泳がせているだろう。木村が何をしようが意味のないことだった。

「ではこれが最後です。その後は金輪際、俺に関わらないでください」

「あぁ、それでいい」

 杉浦は木村の車に乗った。

 地下洞を暫く進んだ後、光が差し込んだ。

「たまには上を走ろうぜ」と木村はアクセルを踏んで地上の道路に出た。

「どこに行くのですか?」

「まぁ付いてこい」

 しばらく進むとエリア2の境界に着いた。木村はそこに車を止めた。

「3に入る。ここからは少し歩こう」

 境界の警備員に敬礼し挨拶する。

「この辺りは変わりないか」と木村が聞いた。

「えぇ、何人か通りましたが。それくらいで静かですよ」

「通るよ」

「はい、気を付けて」

 境界をまたぎ進むと、すぐに街は荒廃してくる。

 コンクリート道路が雨も降っていないのに水浸しになっている。水道管でも破裂しているのだろうか。案の定、少し進むと水流が盛り上がっている所がある。その周りの家は1mくらい浸水していた。家の壁は窓から水が滴り落ちたような染みがあり、何に使っていたか分からない機械や、生活家具などが、泥水に浮かんでいる。

 その脇には、錆びたオートバイと自転車が山積みになっている。それ以外でも目に映るものは大体錆びている。

 強い風が吹きだして、隣の家屋の青いトタンの壁がカタカタと音を立てて震えていた。

 風量も気温も管理されていない。それはそうか、ここは何一つシステムの管理を受け入れないのだから。むき出しの土地。法は適用されるが執行するものが来ない。ほぼ無法の土地。

「こっちだ」とまた木村が促した。

 ぼんやり景色を眺めていた杉浦はその背に着いて行った。

 少し進むと、古い街頭と思われる傾いた鉄棒の下で男が眠っていた。男の手は白い粉末で汚れていて、右足が太ももまで水たまりに浸かっている。木村はそれを抱き起こすと、空き家の中に運んで置いてきた。

「こいつは最近いつもここで寝てるんだ」

 また道路を先へ進むと小さいトンネルがあった。浸水していたが「悪いな。今日は運がねぇや」と言いながら、木村は構わず進んだ。

 杉浦も踏み込んでいく。ひざ下に温く重い水の感覚。トンネルは薄暗くかび臭い。少し歩くと水は抜けたが濡れたズボンが足に張り付いて気持ちが悪い。着替えたいが、エリア3ではそれも容易じゃない。

 トンネルの脇に扉があり、木村はその中に入っていった。細長い廊下になっていて、そこを進む。ネズミの死骸が数匹転がっている。 

 そして廊下の先の扉を開けると、またトンネルになっていた。10分ほどそこをあるいた。

「大丈夫か」木村が振り返る。

 杉浦は膝に手をついて立ち止まっていた。頭が熱く、ぼんやりとしている。

「熱いですね」

「ほら、水を飲め」

 そう言って水筒を出されたが、杉浦は首を振ってそれを拒絶した。

「そんなに辛そうにしているのに汗一つかいていない。お前たちは体温調整が出来なくなってしまってるんだ」

「皮肉を言うために連れまわしてるんですか?」

「いや、違う。もう少しだ。がんばれ」

 やがてトンネルを抜けた。人よりも背が高く茫々と茂る草原。その中に獣道があった。朦朧とする意識の中それを進んだ。

 やがて草むらを抜けたところに洞窟がある。木村は躊躇せずそこに踏み込んでいく。杉浦はアホらしくて苦笑したが、もうどうでも良くなっていた。何も聞かず、木村の背についていく。

 洞窟の中は嘘のように涼しかった。青い岩肌から水は滴り落ちて、地下の方から水流の音がした。つるつると地面は輝き、踏み込む足が時折滑った。鍾乳洞だった。

 美しい静けさの中を歩んだ。空気の冷たさに張り詰めていた気分が沈殿していくように感じた。体の疲労を感じる分、その空間は安らかだった。

 やがて、湖に着いた。その湖の中央には、眠っているような女の石碑が浮いていた。

「こういう鍾乳洞はアーミールの洗礼の儀式に使うんだ。その中でも一番近くて小さいやつだよ」と木村が言った。

 杉浦は微笑んだまま何も答えず、やがてそこに座りこんだ。

「綺麗だろ」

 確かに美しかった。どこから光が漏れているのか分からないが、湖は透き通るような青を孕んでいた。空気は澄み冷たい静寂が空間を満たしている。湖に浮かぶ女神像は、美しく、それには永遠の生も死も、どちらも現れているように感じる。

 その風景はどこかリアリティがなく、シックなVRの中にでもいるようだ。

「まさかこれを見せたくて連れてきたなんて言わないですよね」

「あぁ、違うさ」

 杉浦は立ち上がり、木村の隣にある岩の出っ張りに寄りかかった。

「キゴウの試合の時、多くの人間がストレス障害になったらしいな」先ほどまで落ち着いていた木村の口調が鋭さを帯びる。

 杉浦は返事をしない。

「その瞬間、不調になったのは人間だけじゃない。分かるか?多くのコピーが一時的に不具合を起こしているんだ。そして、再起動している」

「何故、木村さんにそんなことが分かるのです」

「俺はその時、コピーとゲームを見ていた」

「木村さんが?」

「あぁ」

「何故?」

「たまたまな」この木村の言葉は歯切れが悪かった。

「何故、コピーが再起動を起こしたと思うのです。コピーは人間の振る舞いを真似しているだけです。気を失って動かなかったとしても、それは人の振る舞いの摸倣ですよ」

「確かに普通の人間から見ればショックで失神したくらいにしか思わないだろう。すぐに起き上がったしな。しかし、俺には分かる。杉浦、コピーと言うものは、ひどくお粗末なものだ。あれはコピーなんて名乗っていい代物じゃない。多くのアレは衝動や感情を歪に制限されている。そうしなければ、コピーもまたオリジナルと同じようにコピーになることを望むからだ。キリがない。アイツらは表面上ではオリジナルと変わらない行動をとる。しかし、内側は無茶苦茶だよ。倒錯している」木村は杉浦を覗き込みながら話したが、その目は杉浦というよりはいつか見た自身の記憶に向いているようだ。

「倒錯?内側はただの計算ですよ。木村さん」

「あぁそうだな、そうだ」木村は呆然とした顔で小さく首を振った。

「キゴウがコピーを刺した時、お前はテストでそれを再現しただろう」

 何故木村はそんなことまで知っているのか。誰かあの監視室に内通者がいる。相川か?杉浦は何も答えず表情も変えない。

「問題は2回目だ。抽象度を上げた時の」

「木村さん、それ以上無駄なことを話さないほうが良い」

「スクリーンを出してみろ、杉浦」

 杉浦は鼻で笑った「出ないですよ。知ってます」

「アーミールエリアはシステムの干渉を許さない。全ての電子機器は機能を停止する。ここではシステムの監視はない」

「えぇ、知ってますって」

「杉浦、お前、覚えているか、あの時のことを。抽象度を上げた時のことを。お前はすぐにログアウトしたが」木村はそこで一つ息を吸う。

「あの二回目こそが真実だ。俺には分かる。1回目は偽装だ。あれには何の意味もない。2回目こそが真実だ、分かるか杉浦。覚えているか、あの時の事」

 杉浦は全く覚えていなかった。それどころか、もうその事はほとんど考えなくなって半ば忘れていた。あのテストを木村は見たのか。どこで、どうやって。

「あれは俺達には理解不能だった。そもそも理解しようとすら思えない。皆、何も見なかったかのように流してしまった。さも、当たり前のものでも見たように、いや、何も見えなかったように。ただ、お前だけは強いストレスを負ってログアウトした。あの時のお前の顔が忘れられない。お前は何かを見ていた。お前は何を見た。あの時一体何を見たんだ?」

「何のことです」

「杉浦、キゴウはシステムを欺く力を持っている。それどころか、システムの障害を起こせるんだ。いや、もしかしたらあの子の力ではないのかもしれない。ただ間違いなくそういう力を持つ人間がこの件には関わっている」

「そうですか」杉浦は鼻で笑った。「それは良かったですね。自然主義者達の救世主じゃないですか。システムを破壊できるかも知れませんよ」

「俺は自然主義者じゃない」

「じゃあ、何です」

「俺は刑事だよ」

 そう言うと木村は杉浦の左肩を強く掴んだ。

「杉浦、力を貸してくれ。キゴウを決勝に出すな。そうしないと何かが起こる。これは世界の危機だ」

「愚かな妄想で騒がないでください。全てあなたの戯言です。何故コピーの失神がシステムの不具合だと言い切れるのです。人の振る舞いの摸倣ではないという根拠は?」

 木村に言葉はない。

「何故、2回目のテストが真実だと?全ての監視員達が2回目のテストは意味の無い挙動だと結論をだした。システムは何も言っていない。コピーの再起動も、テストの2回目も何の問題も指摘されていません」

「システムは信用できない」

「何を根拠にそんなことを言うのですか?」

「根拠は無い。俺はそう感じたんだ」

「笑わせないでください。システムは人間の技術の粋です。それよりあなたの勘を信じろと」

「そうだ」

 杉浦は鼻で笑ってさすがに苦笑する。

「あなたは病気ですよ。自分では気づいてないでしょうが」

「そうか、俺は病気か」木村が言う。「そうか、それならそれでも良い。杉浦、お前は?」

「さぁ、私も病気かもしれませんね」

「あぁ、そうかもしれない」木村は少し落ち着いた声になった。張り詰めていた緊張感が少し解けて急に滑稽に気分になってくるのを感じた。

「じゃあ、世界のことはいいさ。そんなことはいいのさ別に。よく分からん事だ。じゃあ、キゴウは?キゴウはどうなる?アイツをこのまま決勝に出して大丈夫なのか」

「分かりません」

「分からないのに、アイツを出すのか。どうなるか分からないのに放り出すのか?」

「彼の自由です」

「その結果、死んでもいいと」

「木村さんはそのほうが良いのでは。危険なんでしょう彼は」

「あぁ危険だよ。けど、危険なやつは死んだ方がいいのか。誰がそんなことを言った」

 木村はゆっくりと力を込めて言った。「お前はどうなんだ。そうなったらどう思う」

「私は関係ないでしょう」

「関係を聞いていない。どう思うんだ」

「何故?」

「理由なんてどうだっていい。本音を話してみろ。作り笑いでごまかすな。お前はどうなんだ。どう思っている。社会がどうとか、システムがどうとか、お前はそんなことばかりだ。そんなことの方が関係ない。お前はどうなんだ。話してみろ」

「俺がどう思っている」杉浦は笑った。「どうでもいいですよ、別に」

「嘘をつくな」

「嘘ではない。決めつけないでください」杉浦は吐き捨てた。

「じゃあ、お前は何のためにここにいるんだ。何のために刑事になったんだ」

「何かのためになったのではありません。ただ、行きついたのです」

「そんなわけはない。ここに来たのにも理由はあるだろう。お前はそれを選択してきたはずだ」

「選択?」杉浦はまた苦笑いを浮かべた。

「木村さん、そういえば最近私は夢を見ました。そこには、母親と曾祖母と、あと親友と呼んでいた男、それと、今まで私が検査をしてきた人間が出てきました。しかし、私はそれまでその人達のことをすっかり忘れていましたよ。完全に記憶の外にいた」

 木村は目を細め少し困惑した顔をする。「何が言いたい」

「それを機会に思い出して見たのです。昔の事を。物心ついた時、ほとんど最初の記憶で私は曾祖母のお守りをしています。今思えば彼女は中途半端な自然主義者だったのでしょう。140年以上生きていたが、内臓だけを入れ替えていて外見は醜い老婆でした。そして頭も完全にボケてました。話したことなど何一つ覚えていないですが、ただ私が彼女を軽蔑していたことだけは何となく思い出せます。

 彼女は、ある日、溺れて死にました。畳で昼寝している最中に自分が吐いたもので息が出来なくなって。私は彼女の世話役でしたが、その時ゲームをしてたんです。警告は多分出ていました。それに多分気づいてもいました。しかし無視した。確かどうでも良いパズルのゲーム、それに夢中になっていたのです。

 その後私は施設に入りました。それ以降母親とは会っていません。見放されたのか、役目を終えたと思われたのか、どちらでも良いのですが。もとより、母親はあまり家にいなかった気がします。彼女のことは殆ど記憶にありません。幼心にわずかにある家族の記憶は意味不明なことを口走る曾祖母と二人きりで部屋の中にいる。それくらいです。あぁ父親は私が生まれる前に死んでいます。祖父と曾祖母の介護疲れで死んだと聞いたことがある気がします。

 私が入った養護施設は、AIと人間と、自然主義と効率主義と、バランスよく取り入れられた教育機関でした。私には同じ日に入所した友人がいました。彼は、私と同じく特徴のない人間でした。ただ私にとって初めての実体化での友人でした。彼とは10年近く一緒にいました。何をするにも、どこへ行くのも大体一緒でした。よく似ていると周りからは言われていました。しかし、彼は16の時に死にました。

 彼はよく言っていました。結局全てをシステムに任せるのに、何のために学ぶのか。何故、わざわざ嘘ばかりついて、人の顔を伺って生活しなければならないのか。こちらにいると傷つけるつもりはなくても誰かを傷つけてしまう。VRなら人を殺しても問題にならない。何故、わざわざ心を偽り、抑制し実体化で生きなければならない。自分の思う通りに生きられる世界を何故制限する。どうして、心も体も不自由な世界に縛られなければならない。意味はあるのか?

 そういう時、私はいつもこう返しました。意味はない。それはただ、これまでの慣習でしょ。

 彼は倒錯境界症になりました。気づかれた時には、もう脳機能に障害をきたし統合失調を併発していました。彼は治療でVRを禁止されることになり、そして、実体化での命に意義が持てず自死しました。

 私達が学生の頃はVRの精神疾患に対して社会は厳しかった。治療は強制でした。

 極度の管理規制社会に生き、健康で平和な代わりに自由を奪われ窒息した。それが私達の世代でした。彼はその典型です。

 一方、私は施設で理想とされる教育を受けて、社会にとって理想とされる人間へと形成されていきました。意志とか希望とか、意識することなく、ただ流れるままに流されていきました。人材が不足していた精神医療と犯罪対策の分野を習熟し、同世代が嫌悪する人間を管理する立場になりました。

 VR課に入って、最初の仕事は倒錯境界症によって反社会思想の疑いを持たれた子供達の調査でした。カウンセリングの時よく聞かれました。実体化にいる意味はあるのかと。死んだ友人と同じように。

 彼らは、実体化に生きる意味が理解できない。しかし、親や社会にそうしないとならない言われるからそうしている。それだけです。本心では面倒なゲームをログアウトするのと同じように、現実を止めたがっている。

 彼らは往々にして、死ぬ前に電話をかけてきます。それで確認するのです。死んでもいいですかと。私は学んだいくらかの決まり文句を返します。ここはゲームではない。死んだらゲームも何もかも出来なくなるよ。人は生きて命を繋ぐ役割を持っている。それを果たさないとならない。約束しただろう。立派な大人になるって。

 彼等にも小さな倫理観がある。約束を守ろうとはするのです。でも、その小さな倫理観より面倒が勝ると彼らは約束を破ります。彼らは自由だからです。生まれた時から、不自由なく暮らせる世界を知っているからです」

 杉浦は何故、こんな長話をしているのか、話しながら不思議な気分になっていた。木村は睨むように杉浦を見て話しを聞いている。

「多くの子供の死を見てきました。いえ、子供だけではありませんが。

 監視対象の子供達はどういうわけか医者より私達に馴染むことが多く、その子達への対応は時や場所を選びません。しかし、24時間その対応は出来ない。何か仕事があれば同時に対処も出来ない。

 そこで私が入って一年ほど経った時、思考コピーが利用されはじめたのです。

 思考コピーはそれまでは四つの倫理的規制の対象でありましたが、他分野でも、特に自死対策に有効とされ、規制緩和の後導入が可能になりました。

 私は定時以降にくる対象達からの相談をコピーAIに任せました。時には、朝になって出勤するとコピーに相談していた対象が自死していることもありました。その時は、会話記録を追ってコピーの返答に問題がないか一応確認しましたが、おそらくコピーは私よりも、私らしく、かつ正確に問題のない返答をしていました。もちろん私自身が対応した対象も多くが死にました。時に私が対応したか、コピーが対応したか忘れてしまうこともありました。

 VR課の人間は長く持たないと言われていました。特に私より上の世代では仕事の精神負荷値は高いようでした。今では緩和されて来ましたが、少し前までは自死は悪という考え方が根強かった。特に私達より上の世代はそうです。社会から自死を止めるよう要求され、その責任感を強く背負いました。

 私には野田という上司がいました。その人は古く真面目な人でした。木村さんもおそらくご存知ですよね。

 彼は思考コピーの導入に反対していました。そんなものは見抜かれ、そして、最終的に逆効果になると。そして、導入がされた後も彼はそれを使わなかった。彼は子供達と直接やりとりし、そして、その結果、私より多くの子供を死なせ、自らも精神負荷を負って最後は自死しました。最後に会った時、彼は言いました。「君の友人を救えず、申し訳なかった」

 そこで私は思い出しました。あぁ、あの時の施設に来ていた人か。私が思ったのはそれだけです。

 すみません、意味の無いことを長く話してしまって。ただ夢を見たことを話したかったのです。あの夢を見た時、私はあまり物事を深く考えることはないのですが、ふと、考えてみたのです。自分の人生を振り返って、色々と。

 何故、私は曾祖母を見殺しにしたのか。

 何故、私と似ている友人は死を選び、私は選ばないのか。

 何故、私は友人を死なせた規制をかける側の人間になったのか。

 何故、私はその責任を感じて死んだ人間に対して何も感じないのか。

 何故、私は同世代と違い。家族を持ちそれを愛せるのか。

 何故、自分が幸福だと言えるのか。

 木村さん、何故だと思いますか?

 それは、どうでもいいからなんです。おそらく全てが私にとってはどうでもいいのです。私は何一つ選択などしていません。私に思想などありません。私は流されるままに流れているだけです。本音を言えというなら、これが本音です。どうでもよい。キゴウのことなんて、世界のことなんて、あなたのことなんて。全て等しく軽蔑しているだけです。そして、自分も」

 木村は少しの間、押し黙っていたがやがて呟くように言った。

「そうすることでお前は自分を守ってきたんだ。自分が無感情だと思うことで」

「木村さん、自分の解釈したいように人を決めつけないでください。あなたは利己的です。あなたは古い。あなたはもう時代について行けていない。それは境界倒錯症のようなものです。あなたは時代を倒錯している。あなたの価値観はもう今の時代に通用しない」

「いつの時代も大切なものは変わらないはずだ」

「その考え方が既に間違っているのです。価値観が環境を作るのではない。環境が価値観を作るのです。環境が変化すれば価値観は変わる。人間を管理しやすいように。社会は変わった。ぼけた自然主義思想の老人の介護はそれと気づかぬようコピーがしている。成人は14になり子供は無意味な束縛から早く解放され、反社会思想を伴わない境界倒錯症は強制治療しなくなった。

 あなた達の価値観が殺してきた人が今の時代では生きていける。システムは人の望みを出来得る限り叶えている。逆にシステム無しでどうしろと?もう人間はシステムに依存しているのです。それ無しに生きることは出来ない」

「いや、生きていけるさ。そんなもの無くても、俺達は生きてきた」

「では、システムを失くしましょう。その時に多くの命が死ぬでしょう。老人も若者も、いや、老若男女問わず、大多数の人間が死ぬでしょう。それでもいいですか。私はそれでも別にいいです。しかし、あなたはそれでいいのですか」

「そんなことは言ってない」

「同じことです。あなたは自分にとって都合の良い側面しか見ていない」

「それはお前も同じことだ」

 それを聞くと杉浦は苦笑して返事をしなかった。

 二人はそれから暫く黙っていた。

「杉浦、お前は家族を愛せるのも、どうでもいいからだと言ったね。それはどういう意味なんだ」

「意味なんて」

「愛しているのか」

「さぁ」

「家族を失うことになっても、どうでもいいと言えるのか」

「えぇ」

「それはないよ。あり得ない」木村は首を振った。「今どうでもよく感じるものでも、失った時に初めて、その一緒にいた時間が、その人が、何よりも、他のどんなことよりも守るべきものだったのだと気づく。杉浦、それに比べれば、他のどんなことも確かにどうでもいい。しかし、それだけはどうでも良くないんだ。どうしても守らなければならないんだ」

 あまりにも古臭い映画に出てきそうなセリフだった。この人はどこまで典型的なのだろう。笑いたかったが、表には出さなかった。また揉めるのも面倒だった。

「悪かったな。付き合わせて」木村は腰を上げた。「帰ろう」

 帰りはどういう訳か、行きほど長い道のりに感じなかった。疲れの果てに、少し頭も体も麻痺したのかも知れない、呆然と木村の後について歩いていると、気づいたらエリア2の境界まで来ていた。エリア2は人が増えて少し騒めいていた。

 木村の車に乗り込んで、そこからまたトンネルを走った。地下駐車場に車が着くまで、木村とは一言も話さなかった。

 車を降りる時「お疲れ様です」と声をかけた。

 木村は最後に「杉浦、家族を大事にしろよ」と言った。

「えぇ」

 そのまま自分の車に乗り込んで地下洞に降りた。見えなくなる最後まで木村の車は地下駐車場に残っていた、

 家に着くと、妻と娘はもう眠っていた。カプセルに入って、銀河鉄道の夜に入り、しかし、草原を歩かず、呆然と木々のざわめきを眺めていた。その後、薬を入れて眠りについた。


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