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 傍聴室に入ると、二人の男が向き合い深刻な顔をしていた。初老の男は腕を組みしきりに首を傾げ、若い刑事は手元のスクリーンを眺めている。

「どうしたんですか?」と杉浦が訪ねた。

「AIだとよ」木村が、納得できないように言った。

「被害者がAIだったそうです」スクリーンから顔を上げて若林も答える。

 木村が「腐ってたんだぜ。人と同じ死臭がした。人の肉だよ。あれは」とその臭いをかいでいるかのような苦い顔をする。

「風俗店などで使われてるドールはかなり精巧らしいですけど。そういった類のものですかね」若林が質問すると「もう死んでたら区別がつかねぇよ」と木村は投げやりに返した。

「しかし、あの子が、それを使っていたのですか?」杉浦はマジックミラー越しにいる隣の部屋の少年を示した。若い人間が実体世界で性の道具を使うのは珍しい。その世代では性の実体離れが進んでいて、そもそも交際をしている人間は少ないし、仮にしていても婚前の性行為に及ばない。年齢が下がるほど体液が出るような行いは軽蔑される風潮がある。汗にしろ、唾液にしろ、精液にしろ、膣液にしろ。

 性欲はVR上で満たされるのが常だ。

 実体世界でそういったことをするとすれば、自然主義者か、肉体信仰のある老年世代か。かなりマニアックなフェティシズムを持っている人間か、いずれかだ。

「母親だって言ったんだよ。あいつは、それを」木村は吐き捨てるようにいった。

「保護AIですか」と杉浦。

「今の世の中は仕事だけじゃなく家族までAIに成り代わるのか」と木村。

「システムからは、告知事項の説明後、放免して後日危険思想の調査するように来ています。とにかく事情を説明してすぐ家に帰さないと」

「すぐに家に帰す?それは無理だろう」

「しかし、拘束はしておけませんよ。何の法にも触れていないんだから。早く出さないと問題になります」

「お前見ただろう。あれは、死体だよ。殺人だよ」

「人じゃありません。AIです」

「AI?知るかそんなこと、人の肉を切りさえいてる。あんな奴をすぐに外に出すわけにはいかないだろ。それにどこに返す。あの部屋に。一人でか」

「しかし、システムが」

「こっちは現場をみて判断してるんだ」若林の言葉を遮り、明らかに木村の語気が荒くなった。本人もまずいと思ったのか、すぐに口調を戻して「システムが間違っている可能性もあるだろう」と続けた。しかし、それが若者に付け入る隙を与えてしまった。

「少なくとも我々よりは間違えませんよ」

 この言葉が、一応冷静に振舞おうとしていた木村の逆鱗に触れた。

「お前が馬鹿みたいにそれを信じてるだけだろうが」

 怒鳴り声が響いた。場の空気は固まり、若林は眼を細めて、不快そうに押し黙った。

 木村はごまかすように「システムは利用するもので、利用されるものじゃない」と皮肉めいたが、苛立ちは隠しきれていなかった。結局、この方法ではうまくとり作れないと悟って「逮捕するだけが俺たちの仕事じゃない。現状で違法性は無いとしても、そのまま野放しには出来ないだろう」と真剣な表情で続けると、杉浦のほうにも顔を向けて同意を求めてきた。面倒なので杉浦は何となく合わせて頷いた。

 杉浦が「とりあえず、身元引受人が来るまではここで保護という形にして、その間に話を聞いておけばいいのではないでしょうか」と提案した。二人ともそれで納得した。

「悪いな、デカい声をだして」木村は若林の肩をポンと叩いた。若林は渋い表情をしながらも「ええ」と頷いた。

「そういえば告知事項を説明って、何だ?」

 木村に聞かれて、若林はスクリーンのそれを読み上げる。「彼の母親の代替物に関する契約についてですね。大まかな内容は、まぁ単純に彼の母親がAIであるという告知ですね」

「どういうことだろう。あいつは母親がAIだということを知らなかったのか」

「告知があるということはそうかもしれないですね。ちょっと分からないですが」

「そうか」木村の声が低くなる「それは酷だな」

「そんなに気にすることですかね?」と若林は不思議そうに尋ねた。

「そりゃそうだろ。気にならないのか」

「えぇ、そこまで」

 唖然とした顔で木村は杉浦を見た。若林がおかしいのか、自分が時代とズレているのか。杉浦に目で尋ねていた。

「今の子はあまり気にしないかもしれないですね」と杉浦は答えた。

「気にしない。俺には理解できないな」木村が呆然とした表情を浮かべる。

「気にしようがないですよ。親がAIですと言われても、はい、そうですか、としか言えないでしょう」と若林が言った。「それに、あまりそこに突っ込むと差別になりますからね」

 木村は渋い顔で何も言わない。おそらく、何か言いたいが言葉が出てこないのだろう。

 真四角の何もない灰色の部屋は一瞬静かになった。若林がスクリーンに目を落として続きを読んだ。

「告知の後は、彼にAIに対する行為は犯罪にはならなくとも、危険思想の監視対象になり得るという事と、検査義務について説明すればシステムからの要件は終わりですね」

「俺にはよく分からんから、お前がやってくれ」

「分かりました。我々の仕事は告知と簡単な調書を取るだけですね。取り調べではないので、気を付けてください」

「分かったよ」

「杉浦さん、立ち会います?」

「いや、俺はいい」

「分かりました」

 方針が確認できると二人は部屋から出ていった。杉浦は一人になって、ようやく隣の部屋を注意深く眺めた。

 何もない白均一の部屋に、置物のように呆然と座る少年。異様に白く、血の気がない。顔のパーツは特徴もない代わりに欠点もない。無表情で微動だにせず、視点もどこに向かっているのか、ただ同じ一点に固まっている。

 木村と若林が取調室に入ると、少年は口元に小さな笑みを浮かべた。それが、若干の生命を感じさせる。彼にとっての社会に触れる顔なのだろうか。

 若林は少年に声をかけて飲み物とお菓子を出したが、彼がそれに手を付ける様子はなかった。

「何故、あんなことをしたんだい」

唐突に木村が聞いた。少年は木村の質問が聞こえていないかのように、反応しなかった。

「何故、あんなことをしたんだ」

木村は同じ言葉だが少し口調を強めた。先ほどとは違い、少年は何か言おうとしている気配も見えた。しかし、言葉は出てこない。

「木村さん、まず説明させてください」と若林が割って入った。

「その前に聞いて置きたいんだ」

「木村さん、まず説明を」

 若林は木村を露骨に睨みつけた。木村はそれに臆したわけでもなさそうだが、「分かったよ」と身を引いた。

 若林は手元のスクリーンを広げて両面に映し、全員が見えるようにした。

「これは君が刺したものを鑑識に回した際に、システムから来た通知です。少し難しい文章で書いてあるから、簡単に説明すると、まず、君が刺したのは、人間ではありません」

 若林はあっさりと読み上げる。木村も杉浦も注意深く少年の様子を見ていたが、少年に反応はない。

「もちろん、あのAIは君の所有物として判断されるため、壊しても罪には問われません。今私たちは君を逮捕しようとしているわけではないのです。ただ、私達は通報を受け、君の家の様子を見に行った際に現場の状況から判断して君を一時保護しました。それと、君のお母さんのコピーデータは情報保護契約として申請されていて、本来システムから取得することとは出来ないものですが、新刑法204条の2項で、それを説明しないと関係人物の権利を保障できない可能性がある場合は特例として取得できるようになっています。今回はそれが適用されました。分かるかな?」

 若林が訪ねると、微笑を崩さず少年は頷いた。それを見て、若林は説明を続けようとしたが老刑事が突然、横やりを入れた。「君は、名前はキゴウだっけ?どんな漢字?ちょっと書いてみてくれ」

 刑事は自分のメモ帳を破いて、ポケットからペンを少年に渡した。

 少年は紙にそれをこすりつけ不思議そうな顔をする。「あぁ、悪い。ここ一回押し込むんだよ」と木村はペン先をだしてやった。若林は不安そうに様子を見ているが口は挟まない。

 少年は名前を書くと、木村に紙を渡した。紙を見る木村は一瞬眉をひそめた。

「キゴウってこの字か。珍しい名前だな」

 若林に見せながら、暗に確認をとる。若林はキゴウには見えない手前のスクリーンで彼のIDを表示して間違いないことを示す。

 記号、という名。どういう意図で、この子の親はつけたのか。

「俺と最初に話した時、君はあれをお母さんだと言ったね。刺したのは母親だと話した」

「はい」

「あの、AIとはいつから一緒にいたんだ」

「分かりません」

「小さい時からずっと一緒か」

「分かりません」

「分からない、どうして」

「知りません」

「知らないことはないだろう。一緒にいたか、いないか、それだけのことなんだから」

 少年は少し微笑みを深くしたが、この質問には答えなかった。

 沈黙が流れ、木村はその間少年をするどく観察しているが、彼はそれに物怖じすることもなく、ただ姿勢正しく微笑んでいる。

「どうして答えられない」

「分からないからです」

「何が分からない。質問の意味が分からなかったか」

「質問の答えが分かりませんでした」

「質問の答えは君が知っているはずだ。君が小さい時にAIといたか、いないか」

「分かりません」

「どうして。たかが、いたか、いないかだ」

「分かりません」

 若林は、場の雰囲気が少しずつ変わってきていることに危機感を持った。「木村さん、ちょっと」若林は木村を外に出して一度話をしようと思ったが、木村は無視した。

「本当のお母さんに会ったことはあるのか」

「分かりません」

「分からない。お父さんは」

「小さい時に居なくなりました」

「そうか、いくつくらいの時」

「覚えていません」

「その時、人間のお母さんもいなくなったのか」

「知りません」彼は表情を崩さず答える。

「あのAIは誰が置いてったのだろう」

「知りません」

「お母さんやお父さんが今どこにいるのか知っているか」

「知りません」

 若林は「二人の捜索願を出そうか」と切り出した。それは話の方向性を変えようとする意図もあった。しかし、キゴウは「結構です」とすぐに拒絶した。木村は少し身を乗り出して、少年を見ながら「すぐに答えなくていい。よく考えなさい。君は今、あの家に一人だろう。誰か親戚はいるのか」とまた質問に戻した。

「いません」

「おじいさん、おばあさんは」

「いません」

「亡くなったのか」

「知りません」

「従妹は」

「いません」

「そうか。やっぱり両親を探した方がいい」

「いえ、いいです」

「どうして?」

「いいです」

「お母さんに何かされたか。喧嘩したのか」

「いえ」

「じゃあどうして」

「分かりません」

「分かりませんって。君一人で暮らすわけにはいかないだろう」

 同じ笑みのまま少年は黙り込んだ。

 部屋に無音が流れると、若林が「木村さん、強制することでもないので」と少年の沈黙を助けた。「これからのことだけど、さっきも話した通りAIを壊したことは罪にはならないけど、君が少し、何と言うか社会的に良くないことをしてしまう傾向はあるかもしれないと判断されて調査の対象になる可能性はあるんだ。そのために、君にはこれから何回かカウンセリングや、ある程度の個人情報の開示をお願いすることもあるかも知れない。そのことは、専門の人が別でいるから、その人達とすることになると思うけど。今後の生活のこともその際に決めることになる。とりあえず今日は」

「君はあれをお母さんだと言ったな。刺したのは母親だと話した。あの現場で」木村がまた若林の話を遮り、同じ質問を繰り返す。若林は露骨に顔をしかめた。

 少年の態度は変わらずに、やはり微笑みながら頷いた。

「さっき君の母親はAIだと告知があったね。君はその前から自分が刺したものがAIだと知っていたのか」

 少年は頷く。

「いつ知ったんだ。最初から知っていたのか」

 少年は答ない。木村の鋭い眼差しも意に返さず、やはり俯きがちに微笑んでいる。

「あのAIは君の母親なんだよな」同じ内容の質問だが、少年は、この質問にも答えなくなった。

「君は、AIだと分かっていて、それを母親だと思っていたのか」

 若林はすぐに会話を止めに入った。この言葉を聞くと慌ててすぐに止めに入った。AIに育てられた子供にとってはこれは差別と捉えられかねないからだ。

「木村さん、キゴウさんも今は何も答えられないですよ。もう少し状況の整理がついてから」 

 しかし、木村は「どうなんだ」と横入りを無視して少年を見据えた。

 少年は、心なしか微笑を強くする。

「分かりません」

「分からない?どうして、単に君がどう思っていたかだ」

「木村さん、いい加減にしてください。これは取り調べじゃないですよ」

若林はついに痺れをきらして強く言った。

「取り調べをしてるつもりはない」木村は鋭い声を吐いた。部屋は雰囲気は一変し、凍りついた。「母親だと思うものに、どうしてあんなことをしたんだ?」

重たい空気の中、木村の声が響く。それでも少年は答えない。

「何故笑う?」静かだが、木村の声には明らかに凄みがこもる。

 一瞬、それまで虚空を見ていた少年の目が木村を見た気がした。しかし、すぐに視線を外してこれまで通りに焦点と感情の無い微笑に戻った。

「何を笑ってる」木村の声は静かだが、何か強い衝動を抑えつけたような、圧力があった。

 少年は、やはり、ただ微笑んだ。ついに身を乗り出した木村の腕を若林は咄嗟に掴んだ。

「やめてください、木村さん。関係ないのです。私たちには」若林は木村を引っ張って強引に座らせなおそうとした。木村はそれでもキゴウに向かって言葉を吐いた。

「俺には関係ないさ。俺にはね。ただ、それからお前は逃げられない。いくらゲームしようが、いくらほくそ笑もうが、いつまでもお前にまとわりつく。捕まらなくても、お前は捕らわれ続けるんだよ。分かるか、キゴウ」

「やめてください」と若林が止める。木村は押さえつけられ席に着いたものの、まだ少年を睨みつけた。

「親を殺したら、たまたまそれがAIだった。だから、問題ない。許される。もしそうだとしたら、そんなことがあってたまるか。お前が殺意を持って殺したなら、俺は、お前を」そこまで言った時、何故か急に木村が何も話さなくなった。いや、話しているが、声が消えてしまっていた。必死に何かを叫ぶジェスチャーをしているが、音が出てこない。木村は歯を食いしばりながらキゴウを睨んだ、が、やがて透明になりフェードアウトして消えた。

 若林は安心したように、一息ついて「ごめんね。あの人、古い人だから、ちょっとおかしいんだよ」とキゴウに語り掛けた。

 少年と若林が二人きりになってからは特に問題はなかった。システムの提示する流れにそって若林は手続きを進めた。

 やがて学校の担任が来て少年は引き取られていった。

 取り調べを終えた若林が傍聴室に戻ってきて、疲れた様子で杉浦に愚痴をこぼした。

「古い人って人間がシステムより偉いとでも思っているんですかね」

 そこで杉浦のところに通知がはいった。また課長からの呼び出しであった。


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