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小さく震える背、定期的に大きい揺れが混じって太ももから腰に伝わる。一定のリズムで繋がる車輪の音と、心地よい震え。閉まっていた視界を明かすと、古めかしく美しい列車の座席。窓の外には銀河が広がっている。
銀河鉄道をプレイ中に眠ってしまったのか。VRの中で意味も無く目をこすって、深い息をはいた。立ち上がり、トボトボと列車を歩く。
少年、少女、老人、青年、老若男女が座席にひしめき互いに話すこともなく外を眺めていたり、俯いていたりしている。皆どこかで見たことのある顔だ。
座席に戻ると、正面の席に男が座っている。その男も俯いている。何故か、どこか懐かしい顔だ。誰かに似ているのだろうか。誰だったか、考えても思い出せない。
列車が駅に着くたびに、一人一人と乗客が増え、座席に座れず立つ人達もいて車内は込み合ってきた。やはり新しく入ってくる人間もどこかで見た顔だ。しかし思い出せない。
老婆がいたので席を譲った。老婆は例も言わずに座り、杉浦の顔を見上げた。杉浦は目を逸らした。
車窓から見える星々の流れを追いながらぼんやり考える。しばらくすると、何となく肌寒くなってきて肩をさする。これだけ人が密集しているのにに不思議だ。おかしいと感じる。正面をみる。窓に反射する人の顔が皆、杉浦を見ている。誰もが杉浦のことを覗いている。
大人の腰の影に醜悪な少年の顔が見えた。振り返り実体を見下ろした。少年もこちらをジッと見上げた。あぁこの子は覚えている。印象的だった。両親が醜い顔のまま修正しなかった。そして、この子はそれが自分の本当の顔だと信じていなかった。頭がよく、そして、幼かった。ゲームアバターこそ自分の真実の顔だと思っていた。
この乗客達の顔をどこで見たのか思い出した。ゲームに囚われて、境界倒錯症やストレス障害で死んでいった人間達。自身が精神検査を担当した人間達だった。
いつの間にか自分はこんなにも死を見てきたのか。少し驚いた。
杉浦の正面に座っていた男が言った。
「大丈夫。何も気にしてないだろう」
彼は他の人間達とは違う。思い出せないがもっと近しい何かだった。杉浦は懐かしいその声が聞こえぬふりをして窓の外を見た。その反射する暗い部分には、苦笑いする自分の顔があった。
青い殻がはがれていく。カプセルから背を上げて、ぼんやりと夢の内容を思い出す。
眠る前に銀河鉄道をプレイしたので、その流れでまた変な夢を見てしまった。
正面に女の顔がある。妻の顔だ。その後ろに青白い天井がある。
「大丈夫?」
カプセルの中にいた。眠っていたのだろうか。
「あぁ」
「どうしたの?」
「うん」一応返事はするが、どうしたのか、まだ寝ぼけているせいか、自分でもよく分からない。目が覚めた時に、夢と実体の中間に思考がある時に、一時的に起こる記憶の倒錯。その状態だろうか。
「何か変な夢を見て混乱したみたいだ」
「そう」
妻の脇から娘の顔が出てきた。
杉浦は腰まで起き上がった。
「やぁ麻未」
娘は機嫌の悪そうな顔をしている。妻に抱き着いていて離れない。
「何かお父さんに怒っているのか?」
娘は首を振る。
「じゃあ、どうしてそんな顔でお父さんを見るんだ?」
娘は答えない。
「な、教えておくれ」
「お父さんがいると黒いのが近付いてくる」
「黒いの?」
娘はゆっくりと腕を上げる。それに合わせて、肺の辺りが締め付けられるように苦しくなってくる。娘はその小さな指先で杉浦の顔を刺した。
「黒いの」
悲鳴が聞こえた。それは、自分の声だ。それで目が覚めた。
また、殻の剥がれたカプセルの中。自分の膝が見える。拳を握りつぶしている。それに気づいたが、その指の力は中々解けない。
「大丈夫か」と声が聞こえた。見ると、木村が驚いたように部屋の入り口からカプセルに近寄って来るところだった。
「すみません。大丈夫です」
「無理するな、寝とけ」
「いえ、すみません」杉浦は前のめりにうずくまりながら言った。
「ここは?」
「病院だよ」
「私は?」
「お前はキゴウのテストの時に体調を崩したらしい」
「テスト?そうか」
テストか。そのことを思い出した。少しづつ頭の整理がつき始める。
「まぁ眠れ、杉浦」杉浦の肩を持って寝かせようとする木村に、杉浦は苦笑しながら
「夢から覚める夢を何回も見ました。何回も繰り返し。一体いつになったら目が覚めるか、不安になりましたよ」
「あぁ、それも治療の一環だろう」
「そうですか」何か木村らしくない言葉だと思いながら杉浦は横になった。そこでふと気づいた。
「木村さん、何故、あなたがテストのことを?」
その時、木村は薄く微笑んだ。焦点の合わない目の下で。
また、肺の辺りに言いようのしれない悪寒が募ってくるのを感じる。杉浦は頭を抱えた。「もう嫌だ」
覚めろ覚めろ覚めろ。頭の中で何度も繰り返した。金縛りのように固まる体に力を込めて、なんとか解こうとする。しかし、腹の底は冷え切って力は抜けていく。どこかに連れていかれるような気がする。得体のしれない感覚がすり寄ってくる。
覚めろ覚めろ覚めろ次第にその言葉は、自分の頭に流れる思考ではなく、すぐそばに立っている木村の口から聞こえてくる。
「覚めろ、覚めろ、覚めろ、覚めろ、覚めろ、覚めろ、覚めろ、覚めろ、覚めろ」
声が木霊して、気持ちの悪い響きになり、頭が割れそうになる。また、夢の中で、新たな夢が迫ってくるのを感じる。
「大丈夫です。杉浦さん、良好ですよ。何も問題はありません」
白い部屋の中で相川が話していた。
これも夢だろう。分からない。しかし、胸を圧迫してた何かは消え去り、気が少し楽になっていた。
「これも夢かな」
「中間に近いですね。杉浦さんは今治療中です」
「そうか。俺に何があった?」
「テストの際に、キゴウさんの強迫観念とシンクロしてしまったようです。強いストレス障害を負ったので今治療中です。でも、もう大分良くなっているので、治療ももうすぐ終わるそうですよ」
「そうか」
杉浦は記憶を探る。
「確か、抽象度を上げて、テストを再開して、その後、その後が思い出せない。俺は何を見たんだろう」
「杉浦さん、監視側からすると大したことは何もなかったです。あまり意味を成さない挙動をしているだけでした。抽象度が高いと、記憶の再現は上手くいかないようですね。杉浦さんが思い出せないならそれはいい事です。精神耐性が正常に働いているということですから。あまりそのことに関して深く考えないほうが良いですよ」
「そうか。そうだね」
「それじゃあ、また横になってください」
相川はゆっくりと杉浦の体を倒す。自分の体が無意識に抵抗して少し強張っているのを感じた。
「大丈夫です。この後はもう悪い夢は見ませんよ。そして、これまでのことも悪い夢だったに過ぎません。意識がはっきりした時には忘れているでしょう」
「そうか」その言葉を聞くと、杉浦は心に纏わりついていた鉛がはがれていくように感じた。体が軽くなり、本当の眠りの中にやっと入って行けるような。そんな気がした。
カプセルが開いた。白い天井。ぼんやりとそれを見る。目が覚めたという実感がある。その感覚を思い出す。この感覚は絶対的なものだ。目が覚めているというのは、疑うまでもなく、不安に思うこともなく、確かめることもなく実感として明らかなものだ。しかし、夢の中に入るとそれを忘れてしまう。そして、眠っているのに起きていると錯覚してしまう。
目が覚めているという感覚、倒錯境界症の人間はこれを失って過ごしているのだろうか。実体にいながら、実感を失って過ごしているのだろうか。それは辛いだろうな。何となくそんなことを考えた。
立ち上がり、白い正方形の部屋の中を窓に向かって歩いた。おそらく偽である太陽光と外界の川辺の景色を眺めた。
しばらくすると、誰か扉を叩くものがあり、「どうぞ」と言うと、瀬尾と相川と、精神科医の堺が入ってきた。
三人は挨拶を交わした。
「完全に安定しましたね」医者が微笑みながら言う。「何があったか、分かりますか?」
「えぇ」と杉浦は頷く。「抽象度を上げてテストを再開した際に、強い精神負荷を受けたようです」
「えぇ、その通りです。それから、何日経ったか分かりますか」
杉浦は少し考える。病院での治療の記憶が少しよみがえってくる。
「二日でしょうか」
「そうです。やはり問題ないですね」医者は微笑んで瀬尾のほうに顔を受けた。
「テストは巣造像の物も含めて、あの後、問題なく終了しました。既に監視者とシステムの判断は出ています」瀬尾が話す。「杉浦さんも、落ち着いた所で報告書を出してください。緊急性はもう無いので、慌てなくても大丈夫ですよ」
「分かりました。では、大会は」
「えぇ、やはりゲームの問題は認められないので、巣造像の大会は予定通り開かれます。少年の件に関しては、杉浦さんの報告書が出たところでお話しましょう。判断に影響が出てはいけないですかね」
「分かりました。申し訳ありません。ご迷惑おかけしまして」
「いえ、こちらこそ申し訳ありません。杉浦さんの精神状況が安定していないのは分かっていたのですが、リスクを冒してしまいました。この件が動いてからというもの杉浦さんは日常的に高負荷にあったようです。これを機会に一度リセットしてください。そうすればあくまで一時的なストレス障害なので問題ないそうですよ」
「分かりました」
「あと、2日完全休養すれば、完治しますよ」と医者は言う。
「そうですか」
「えぇ、それでは私たちは」
瀬尾と精神科医は帰って行き、相川が残った。
相川から仕事の報告を受け、何も気にせず休んでいて問題がないことを伝えられ、少し他愛のない世間話をした。
家族が見舞いに来たので入れ替わり相川は帰った。
「大丈夫?」と妻が娘の手を引いてカプセルの脇に腰かける。娘は妻の膝の上から父を覗き込む。
「あぁ、もう大丈夫だよ」
「最近忙しかったから疲れてたのかね」詳しいことは聞けないと分かりつつ、妻は心配そうに言った。
「そうだな」
「お父さん大丈夫」と麻未がカプセルに手をかける。
「あぁ、大丈夫だよ」
「大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「大丈夫?」
「大丈夫だって」
そういいながら娘の頬っぺたを触る。
「どれ」と娘の肩を引っ張ると妻が身体を持ち上げ、杉浦に抱きかかえさせた。
「パパ、やさしくなった」
「え?」
「最近、パパが恐かったんだって」と妻が言う。
「そうか」
「やっぱり何かあったんじゃない」
「そうだね」
「子供は感性がするどいから」
「そうだな」
杉浦の腹の上で跳ねる子供。その度におうおうと言って笑う。
「重たくなったな」
退院した後、丸一日は自宅で休んだ。妻が気を使ってVRではなく、久しぶりに実体で水族館に出かけた。娘はすぐに足が疲れてしまったのと、水槽の中には入れなかったので不満そうだった。昼ご飯を食べると、不貞腐れてしまって動かなくなったので帰った。家で深海を旅するゲームを3人でやった。麻未の機嫌はそれで直った。
珍しく3人とも同じ食事をとろうということで、麻未が食べたいハンバーグとケーキを食べた。夜は青い水晶の洞窟で鉱石を集めるゲームをやった。集めた宝石でアクセサリーを作って交換した。そして、早く眠った。
6日ぶりに出勤し、細かい仕事は相川に任せて、テストの報告書をまとめた。
キゴウは反社会性パーソナリティ障害。他者への関心が無く、自己の好奇心のみで法律の範疇を越え他者を攻撃できてしまう。そのような趣旨のことを書いていて、ふと思う。GCとキゴウと何が違うのだろう。それは法を守るという意識、というよりは、法から自分を守るという意識。キゴウは自己に対しても関心がないのかもしれない。
コピーという特殊性はこの事件の原因にはなっているものの、キゴウがコピーの存在を認識したのは当日であって、精神面に対してそこまで影響をもたらしたものでは無い、と記す。コピーがキゴウの人格形成の過程においてどのような影響があったのかは、今後検証をしていく必要がある。
巣造像時のテストに関しては参加していないので、VRシュミレート検査との絡みで、やはり高抽象度でのイメージクリエイトのリスクは記した。自分が被害者になると、リスクというのは書きづらいものだと改めて感じた。前回システムはリスクは認定した上でPG効果を取る判断をしている。効果検証の結果を見ればそれも当然だった。おそらく今回も同じ判断になるだろう。
報告書を提出した。
定時に黒のパーテーションが一斉に剥がれた頃、その中に紛れて帰ろうかと思っていたが部屋の入口に木村の姿を見つけて諦めた。そして、パーテーションに籠る作戦に転じた。
トントンとパーテーションが外からノックされて波紋が広がった。杉浦は内心ため息をつきながらパーテーションを解いた。
「よう」
「お疲れ様です」
「大丈夫か?しばらく見なかったな」
「えぇ、少し体調を崩していて」
「もういいのか」
「えぇ、大丈夫です」
「何かあったのか?」
「いえ、ただの体調不良です」
「入院してたんだろ」
この男は、どこからその情報しいれたのか。
「えぇ」
「何の病気だ?」
「過労ですよ」
「そうなのか」
「えぇ」
「ちゃんと飯食ってんのか?」
「えぇ、食べてます」
「杉浦、キゴウはまだ入院している。今は倒錯境界症の治療を受けているらしい」
杉浦は返事をしない。木村は凝りもせずまだキゴウについて洗っているらしい。
「6日前から、キゴウは面会が出来なかった。今日からまた面会可能になった」
「木村さん、その話を私にするのはやめてください。あなたはこの件に関わってはいけないし、私はあなたを関わらせてはいけないのです」
「見舞いに行っているだけだぞ」
「関係ないですよ。一切関わってはいけないのです」
「お前が入院した日から一切キゴウと面会が取れなくなり、お前が復帰した日にキゴウも復帰した。アイツはあの大会以降、大分様子が変わったが、今日あった時には、もっと、何と言ったらいいか、アイツは益々おかしくなっている。何と言うか人格が無いんだ。アイツと話していても、アイツと話している気がしない。そもそも何かと話しているような感じじゃない。今までとは別の人間か、それとも何もないAIみたいだよ。今のあいつは」
木村は杉浦の目を覗き込む。「何かあったのか?」
杉浦は首を振る。
「何もないです。あったとしても話せません。木村さん、私の立場も考えてください。あなただけで収まる話ではない」
「杉浦、俺やお前だけで収めていい話なのか、これは」
「木村さん、キゴウさんの検査は委員会が動いているではないですか。専門外の木村さんがすることはその邪魔にしかなりません」
「あいつらはシステムに動かされているだけだよ。誰一人まともに動く気がある奴なんていない。杉浦、本当にこのままでいいのか。考えて見ろ」
口論する二人に関心を示さず、いつの間にか周りの人間は去って行き、相川のパーテーションだけが残っていた。
「木村さん、それは危険な考えです。あなただけが正しいとも限らないのだから。システムは人間の判断材料に過ぎません。これまでの判断も人間がしてきたものです」
「じゃあ、上の方でよ、システムが出した判断を人間が覆したことが今まであるか?」
「さぁ、知りません」
「ねぇだろ」
「だから何です?そうだとしても、単にその点で人よりシステムが優れているだけでしょう。移動するのに車が人より優れているのと変わりません。人は自分より優れた道具を使うのです。それだけのことです。そして、目的地に着けばよい」
「今はその目的地までシステムが決めようとしている」
「いえ、違いますよ。目的地は定められています。システムが起動したときから変わっていません。誰でも知っていることです。最大多数の最大幸福、システムはそれを最高効率で目指す車です」
「何をもって幸福ととる。それをシステムが決めるのか?人が決めなければ意味が無いだろう」
「えぇ、人が決めていますよ」
「俺はそうは思わない」
「それは単に木村さんの価値観が社会とずれているからです」
「じゃあ、俺は除け者か」
「えぇ」
「杉浦、お前は幸福か?」
「えぇ」
杉浦は面倒になって立ち上がりスーツを羽織った。もう何も話す気はないという意思表示のつもりだった。
「この間、平松と一緒にいた奴は何者だ」と唐突に木村が聞いた。
杉浦は鼻で笑って「あの人はただの公安委員ですよ。そう言っていたじゃないですか」
「何故、あそこに来ていた」
「知りません。伝達の監視じゃないですか。木村さん、俺から何かしらの情報を引き出そうとしても無駄ですよ」
「話せないのか」
「話さないのです。もう無意味です。木村さん、私は何も話しません。これ以上何か聞いてくるなら報告します」
「お前が報告せずとも、とっくに情報は流れているさ」木村は相川のパーテーションのほうをチラリとみる。
「あなたがこんなことで警察を去るのはもったいないですよ。私にも罪悪感がわく」杉浦は木村を通り越して、入り口に向かった。




