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神様の逆鱗⑦



「本当に、本当に止めるつもりはないのですか?」


「はい。ございません」


 城の最上階の廊下で行われたフィリーアの最後の説得にも、メルフレイヤは耳を貸さなかった。


 いつも以上にフィリーアの言葉はメルフレイヤに届いていないようだった。返される言葉もどこか虚ろで、彼女の意識がこちらを向いていないことは明らかだった。


 メルフレイヤの心はすでにこの先の戦いに向いているのだ。頬は上気し、口元にはとろけるような笑みを浮かべている。私も感じている決戦の気配を、彼女はより鋭敏に感じ取っているのだろう。


 ライさんはすでに目を覚ましている。そして、こちらへと向かってきている。


 同じくそれを理解しているフィリーアは通常の説得を諦めた。


「メルフレイヤ。あなたは此度の戦い、愛故に戦うと申しましたね?」


 この聞き方に、ようやくメルフレイヤの熱に浮かされた顔がフィリーアに向けられる。


「ええ。愛です。愛故に、わたしは戦うのです」


「いいえ。それは愛などではありません」


 フィリーアはきっぱりと否定した。


「殺し殺されることが愛だなんてわたくしは思えません。あなたはきっと、なにか勘違いをしているのです。自分の中に膨らんだ大きな感情を愛だと錯覚しているだけで、あなたにとって正しく真実の愛と呼べたものは、亡き夫に捧げたものだけなのです」


 それがフィリーアなりに考えた結論のようだった。


 メルフレイヤも真っ向から自分を否定されることは初めてだったのか、少しだけ驚いたように目を見開いて、


「であれば、わたしの胸を焦がすこの熱はなんなのでしょう? 愛ではないというのなら、これは一体なんという名の感情なのでしょうか?」


「それは……わかりませんが……」


「なんだ。わからないのではありませんか。いえ、そもそも聖女様、あなたこそ愛という感情が理解できているのですか?」


「愛は、愛を誓い合った男女は、ステータスの名前が変わって」


「それだけです。名前が変わるだけ。そこになんの意味がありましょう? 能力値が上がるわけでも新しくスキルが追加されるわけでもない。ただ、変わるだけなのです」


「…………」


「愛はステータスに載っていない。ならばきっと、一体なにが本当の愛かなんて、あなたには理解できていないはずです」


 ステータスがすべてという教義を嗤うかのような口ぶりに、しかしフィリーアも言い返す言葉を持っていなかった。先の否定はあくまでも感情によるもの。メルフレイヤのいう愛が愛だと信じたくない、フィリーアの願いのようなものなのだ。


 そのことに気付いたメルフレイヤは、慈愛の笑みを浮かべ、幼子を諭すようにフィリーアに言った。


「聖女様。ステータスに愛が数値化されていないのは当然というもの。我らが始祖は、愛を知らぬ怪物であるが故に」


「……そのドラゴンと、それでもあなたは愛し合うというのですね?」


「ドラゴンが愛を知らずとも、ドラゴンを愛することはできましょう。いえ、むしろわたしはそれこそがステータスを与えられた者の定めだと思うのです」


「定め?」


「そう。ステータスは時間と共に成長し、努力することで進化して、そして愛によって姿を変えるもの」


 どこかで聞いたことのある言葉を口にしたあと、そのあとメルフレイヤは空へと視線を向けて続けた。


「そうして完成した自分のステータスをもって、我らはドラゴンに愛を教えに行くのです」


 ――刹那、なにか途轍もないものが彼方の空より飛来した。


 それは漆黒のヒトガタだった。鮮血の朱に輝く双眸以外、全身を黒で塗りつぶされた人の姿をしたなにか。


 ただし、人ではない。背からは翼が生え、尻尾がある。片方の腕は、まるで腕と剣とが融合したような、禍々しい刃が生えていた。


 空を仰いだときには小さな黒点にしか見えなかったそれは、瞬きの間に目の前まで迫ってきていた。飛行速度を緩めることなく、私たちのいる廊下へと突っ込んでくる。


 新種のモンスターにしか見えないそれが誰なのか、私はすぐに理解した。メルフレイヤもフィリーアもそうだろう。特に、声もなく驚くことしかできなかった私やフィリーアと違い、メルフレイヤは向かってくる敵を受け入れるように両手を大きく広げた。


 そして――






「さあ、ライ様。存分にあいし合いましょう」






 漆黒の獣と化したライさんを出迎え、艶やかに微笑んだ。


 その笑みが轟音と共に掻き消える。砲弾のように城へと突っ込んだライさんに、周囲の廊下ごと吹き飛ばされたのだ。


 それは私たちも例外ではなかった。一瞬で壁や天井、足下の床が粉々になり、衝撃に吹き飛ばされる。


 それでもそれだけだった。私たちが巻き込まれたのはあくまでも余波であり、その破壊力は微々たるもの。研ぎ澄まされた破壊力は一点に集中され、まっすぐメルフレイヤだけを飲み込んだ。


「ライさん!」


 瓦礫と共に落下しながら、私はメルフレイヤと一緒に地面に落ちていったライさんを力一杯呼んだ。


 けれど、ライさんは私の方を振り向かなかった。声は届いていなかった。

 殺意の眼差しはメルフレイヤにだけ向けられていて、それ以外のものは目に入っていない。


 完全に怒りで我を忘れている――そしてその怒りの度合いは、私の予想を遥かに超えていた。


 まさか人の姿を忘れるほどに怒りに取り付かれるだなんて、想像もしていなかった。いつものライさんとあの黒い影がイコールで結びつかない。


 それでも、あれは間違いなくライさんだ。私にはわかる。


「リカリアーナ!」


 落下していくところを、フィリーアによって助け出される。


 いかなる魔法か、彼女は空中に浮いていた。


「大丈夫ですか?」


「私は問題ありません。ですがライさんが!」


「ええ、完全に暴走しているようですね」


 フィリーアは落下の衝撃で濛々と立ちこめている土煙の向こうを、厳しい目で見た。


「完全に不意打ちでした。メルフレイヤは直前に気が付いたようですが、あの様子ではもしかしたら――」


 死んだかも知れない――そう続けようとしたフィリーアの口を塞ぐように、紅蓮の炎が土煙を吹き飛ばした。


 周囲一帯を赤々と染め上げた炎の中心に、メルフレイヤは立っていた。その身体に傷ひとつない。あれほどの速度で突っ込まれたというのに、服の裾に汚れひとつ見あたらなかった。


 地面に立った彼女は、喜悦の笑みを上へと向けていた。


 彼女のすぐ先の空中にライさんの姿はある。


 メルフレイヤ同様、その身体に傷は見あたらない。いや、そもそもあの漆黒の身体に傷なんてつくのだろうか? 以前のディザスター同様、まるで影がそのまま形になったかのような風体だった。


 相手の能力を確かめるべく、メルフレイヤが動く。周囲へと向けていた紅蓮の炎を、ライさんを中心にして収束させる。全方位から一斉に襲いかかってきた炎になすすべなく、ライさんは紅蓮の柱の中に消えてしまった。


「ライさん!」


「――あはっ」


 私は悲鳴をあげた。メルフレイヤは楽しそうに笑った。


 炎はライさんになんのダメージも与えていなかった。その異形と化した腕を一振りするだけで、炎はすべて掻き消える。


「今のライ・オルガスの肉体は、半ばドラゴンのそれです。あのように生半可な炎では火傷ひとつ負わせられません」


 フィリーアはそう言うが、今の炎に込められた熱量はすさまじいものだった。他の魔法使いでは一生かけても届かない火力だろう。


 ただ、現象で言うのなら、あれは火属性魔法・第五の魔法であるインフェルノでしかない。周囲を炎で覆って逃げ場をなくし、そのあと収束させて敵を葬り去る中級魔法だ。


 さらに続けてメルフレイヤは魔法を行使した。その手のひらから放たれた炎がライさんを素通りして天に向かい、そこで拡散して無数の炎の雨を化す。第六の魔法、レッドミーティアだ。広範囲を一気に薙ぎ払う中級魔法。


 けれどそれもライさんには通じていない。ライさんは降り注ぐ火の雨を避けようとすらしていない。異形の腕を構えてメルフレイヤへと突っ込んでいき、鎌を振るうようにその手を振るった。


 メルフレイヤは攻撃が命中する瞬間、ふわりと不自然に浮いて攻撃を避けた。代わりに抉りとられた大地に亀裂が走り、そこから扇状に破壊が広がる。近くにあった城の壁は崩壊し、さらにライさんへ放たれたレッドミーティアの余波がいくつも城に降り注ぎ、瞬く間に城内に悲鳴が木霊するようになった。


 ライさんも、メルフレイヤも、そんな悲鳴など聞こえていないかのように戦いを続ける。刃と炎が二人の間で行き交い、そのたびに余波が城をえぐり取っていく。


「いけません。あのまま続けさせては!」


 フィリーアが周囲を見回し、それから胸元に抱えた私に視線を向けた。


「当初の予定どおり、わたくしがメルフレイヤを抑えます。あなたはライ・オルガスを。出来ますね?」


「…………」


 頷くことができなかった。今のライさんに、私の声が届くとは思えなかった。


 ああ、どうしよう。焦燥感に胸が焦がされる。


「リカリアーナ? あなた、なにをこの状況で笑っているのですか!?」


「え?」


 自分の口元に手を触れる。フィリーアの言うとおり、私の頬は緩んでいた。


 理由は明白だ。あのライさんがあんなになるほど怒っている。私のために、あそこまで怒ってくれているのだ。これが嬉しくないはずがない。つくづく私という女の人間性は醜悪だった。


「ああもう、しっかりなさい! ライ・オルガスを止めるのでしょう!?」


「はい、わかっています」


 緩んだ頬を叩き、自分で自分を戒める。


「下ろしてください。ライさんは私が止めます」


「ではわたくしが二人の戦いに割って入り、メルフレイヤの方を遠ざけますので――」


 フィリーアは私を地面に下ろしたあと、すぐさま再び飛び立って戦いに割って入ろうとするが、それを制するように彼女の鼻先を一本の矢が掠めていった。


 続けて、幾本もの矢がフィリーアの頭上に降り注ぐ。狙いは的確で、フィリーアは飛び立てず、その手に光を収束させて矢を迎撃した。 


「何者ですか!?」


 フィリーアが刃が飛んできた方に誰何を投げかける。


 下手人は逃げも隠れもせずに姿を晒した。


 それは全身を分厚すぎる鋼で覆い隠した戦士だった。初めて目にする相手だが、私には彼が誰であるかすぐにわかった。


「Sクラス冒険者、不死身のケーニッヒ」


「ああ、そうだ。悪いがあの毒婦から、聖女様が逢瀬の邪魔をするようなら足止めしろって命令されててな」


 そう言って、ケーニッヒは持っていた巨大な弓に矢をつがえ、フィリーアに狙いをつけた。


「だからよ、聖女様。大人しくしていてくれないか? なんならお茶の一杯くらい奢るぜ?」


「馬鹿なことを。あなたの方こそ大人しくしていなさい。この状況で邪魔をするというのなら、容赦はできませんよ」


「まあ、そうだよな。そうなっちまうよな」


 ケーニッヒは溜息を吐いて――それから、矢を立て続けに連射する。


「愚かな」


 フィリーアは光を収束させた右手ですべての矢を防ぎ、左手をケーニッヒに向けた。


 その横顔にはなんの焦燥もない。たとえSクラス冒険者だとしても、これで終わりだと言わんばかりの余裕だ。


 身の程を弁えろと告げる超越者は、

 

「なっ!?」


 しかし次の瞬間、驚愕に目を見開いた。


 その動揺たるや、一本の矢を見過ごし、その肩に傷をつけてしまうほどだった。


「馬鹿な!」


 フィリーアは右手で傷口を覆いながら、左手をなおもケーニッヒにかざし続ける。だがその手に光の収束はなく、ケーニッヒの身にもなんの変化も起きていない。


 それがどうやら、フィリーアには信じがたいことらしい。


「あり得ません! このわたくしがステータスに干渉できないなんて!」


「……なにかワタシのステータスに仕掛けようとしていたみたいだな。どうやらあいつの予想は正解だったらしい」


 攻撃の手を休めていたケーニッヒは、興味深そうにフィリーアを見つめる。


「あの色ボケが言ってたよ。聖女様の力は恐らく、目の前にいる相手のステータスに干渉して作用する力だと。ステータスを持つ存在であれば、たとえ超越者であっても敵わないとね」


「それはあなたも例外ではないはずです。人間であるのなら、ステータスを持っていないはずがない。だというのに、あなたのステータスに干渉できない……まさか洗礼を受けていないのですか?」


「洗礼? よくわからんが、ステータスならワタシももちろん持ってるよ」


 ケーニッヒは矢を再びつがえながら言った。


「ただまあ、今あんたの目の前にはないがな!」


 放たれる無数の矢。最上級冒険者の名は伊達ではない無謬の技をもって、ケーニッヒはフィリーアを攻め立てる。


「だとしても!」


 対して、フィリーアは収束させた光をもって応戦する。


 先程から使っているのは神聖魔法スキルだろう。詠唱の代わりに信仰をもって放たれる魔法だ。ケーニッヒの矢を超える威力と精度を誇っている。すべての矢を叩き伏せ、さらに直接ケーニッヒを叩きのめさんと殺到する。


「おっと」


 だがケーニッヒはその巨体からは想像もできない素早い身のこなしで魔法を避ける。さらに走りながら、変わらない威力と速度の矢を放つ。


「くっ!」


 いやらしい角度から迫ってくる矢に対し、フィリーアも足を使って避けることを強いられた。しばしの間、二人は動きながらお互いを捉えようと矢と光とを撃ち放ち続ける。


 これまでの攻防を見たかぎり、強いのはフィリーアの方だろう。どうやら切り札らしき力がケーニッヒ相手には通じないようだが、それでも単純な戦闘能力だけでフィリーアに軍配が上がっている。


 ただし、その差はSクラス冒険者を圧倒できるほどのものではない。それはつまり、ケーニッヒによってまんまと足止めされているということだった。


 まさか帝国側に聖女を足止めできる人材がいようとは。だがこの場には私もいる。フィリーア一人では倒すのに時間がかかるのだとしても、私も協力すれば。


 一歩、私が動き出そうとすると、これまでフィリーアだけに向けられていたケーニッヒの眼差しが私を捉えた。


「……ワタシが足止めを頼まれているのは聖女様だけだ。けどお前も戦うっていうなら、こっちとしても応戦せざるを得なくなる」


 それはまるで、私とは戦いたくないと言わんばかりの言葉だった。


「あなたは――」


 その名前。雰囲気。そしてこの城で私が受けた、誰かからの数々の手助け。それが意味する目の前にいる冒険者の正体に、私も当然行き着いていた。


 フィリーアの攻撃を避けつつ、中庭に植えられていた大きな木の枝へと飛び乗った彼に、私は確信をもって問いかけた。


「あなたは私の知っている、あのケイなのですか?」


「ああ、少なくともオレはそう思っているよ。リカ」


 私の愛称を、親しみと懐かしさと、それ以上に申し訳なさそうな声音で呼ぶ。

 間違いない。目の前にいるのは、私がタトリン村で一緒に遊んでいた幼なじみのケイだ。


 人喰いによって殺されたはずのケーニッヒ・アルフェントリヤが、そこにいた。





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