神様の逆鱗⑥
「認めましょう。わたくしはメルフレイヤを舐めていました」
部屋に戻ったところで、開口一番、フィリーアが自分の浅慮を認めた。
「メルフレイヤの説得は続けます。ですが彼女を止めるのは難しい。そう言わざるを得ない。無理だったときのことも考えておかなければなりません」
「二人の戦いが始まってしまった場合ですね」
人喰いが顎に手を当てて考え込む。
「あの二人の戦いに割って入れるのは、フィリーア様以外にはおられないでしょう。正直なところ、二人の戦いを力業で止める自信はお有りで?」
「……どちらか片方であれば、間違いなくわたくしの力で止められるでしょう。ですが二人共がわたくしに矛先を向けた場合、厳しいかも知れません」
「つまり戦いが始まってしまった場合は、どちらか片方をフィリーア様抜きで止めなければならないということですね」
「力量諸々を考えれば、わたくしが止めるべきはライ・オルガスでしょう。人喰い、メルフレイヤならば、わたくしがライ・オルガスを無力化するまで食い止めていられませんか?」
「お任せを。一分程度ならばなんとか」
「……あなた、それだけしか持たないのですか?」
「あちらの力量にもよりますがね。おっと、その使えない者を見る目はやめてください。フィリーア様もご存じでしょう? 全力を出せたとしても無理難題なのに、今の自分は力を封印されている身ですよ? 命のストックもゼロですし。ああ、封印を解除してもらえるのならば、その十倍はなんとかもたせてみせましょう」
「あなたを野放しになど出来るわけがありません。それにあなたと契約を交わして封じたのはシスティナです。わたくしだけでは封印をどうこうできません。それこそ、今の状態で解除するにはあなたが死なないかぎりは無理ですよ」
「なんと。そうなのですか。……そうか。まいったな」
「ええ、本当に。システィナさえいれば、良案が浮かんだかも知れないのに……」
「あの」
今まで黙っていた私が声をかけると、どこか弱った様子だったフィリーアはびくりと肩を震わせて私を見た。
「そ、そうでしたね。今はあなたもいたのでしたね。もしもなにか思いついたこと、気になったことがあれば、自由に発言してくださって構わないのですよ?」
「では遠慮なく。先程片側だけなら止められると言っていましたが、それは本当なのですか? 暴走しかけたライさんを止めたという話は聞いたことがありますが、メルフレイヤに関しても同じことが言える根拠はなんでしょう? さらに言うなら、あなたはメルフレイヤという人物についてどれだけのことを知っているのですか?」
「たしかに、そこは共有しておくべき情報ですね。いいでしょう。わたくしが知るかぎりの情報を話しておきます」
フィリーアは教会が握っているメルフレイヤの情報を開示してくれた。
多くは私も知っていることだった。彼女が火属性魔法を極めた超越者で、すべての火属性魔法を操ること。知力の能力値が高く、魔法の威力が桁外れであること。帝国建国以前から活躍し、帝国発足とほぼ同時期に超越者になったこと。その辺りは有名で、多くの人が知っている。
「彼女は帝国の前身である国の将として戦場を転々としていました。そこで多くの戦いを経験し、超越者に至ったのでしょう。火属性の魔法を使うことが有名なのも、この超越者になる前の時代での活躍によるところが大きいのです。反面、超越者となったあとの彼女の実力はほとんどわかっていません。理由は今更説明するまでもありませんね?」
「彼女が本気を見せるときは、愛した相手と殺し合いをするときだけだからですね? そして、その相手は必ず彼女に殺されている」
「唯一の例外として確認が取れているのは、『大剣聖』ヴァン・ヘルメスだけです。彼以外では本当の意味で超越者メルフレイヤの実力と在り方を知る者はいません」
「教会の力をもってしても、本当にそれだけしかわからないのですか?」
「多少なりとも察しがつくところはあります。恐らく、彼女は人の感情を操る。少なくとも熱意の度合い、方向性、そういったものを操作できるでしょう。カリスマ性だけでは説明できない彼女への狂信ぶりが、この帝国のいたるところで目に付きますからね」
それはつまり、ライさんのメルフレイヤへの『熱』も限りなく煽られている可能性が高いということだった。
精神操作。恐るべき力だが、それだけなのかと言うと違う気もする。
まだメルフレイヤという超越者には底がある。人喰いにとっての星を崇める食欲の怪物としての姿や、槍の超越者にとって無数の手と槍を持つ怪物としての姿と等しい、彼女の本質を具現化したモンスターとしての力が……。
そう、見極めるべきはメルフレイヤの本質だ。
「フィリーア。超越者ではなかった頃のメルフレイヤは、どういう人物だったのですか?」
まだ人だった頃の人物像から読み解けば、なにかヒントを得られるかも知れない。そう思っての質問だったのだが、フィリーアは首を横に振った。
「生憎とわたくしも存じ上げません。メルフレイヤのことを調べ始めたのは彼女が超越者だと発覚してからですし、その頃には彼女を詳しく知る者は戦争で没していましたから」
「教会では八歳で行われるステータスの情報をすべて記録していると聞きましたが、そちらになにか手がかりなどはなかったのですか?」
「ええ。そこも調べさせましたが、見つかりませんでした」
「Aランクの火属性魔法スキル持ちで調べれば見つかりそうなものですが……」
「ステータスの情報はあまりに膨大です。せめてある程度の条件が絞れれば探しようもありますが、火属性魔法スキル以外では、恐らくは魔導師スキルを持っているだろうということくらいしかわかっていませんし、メルフレイヤの実際の年齢もわかりませんので。ましてや一度結婚して姓も変わっていますから。どうやらこの地の生まれではなく、他国からの嫁入りだったようですし」
「生国すら不明なのですか……」
こうして考えてみると謎めいた人物であり、孤独な人物である。
帝国の重鎮として君臨していようとも、自分を深く知る人も、愛した人も、そのことごとくが死んでいる。いや、メルフレイヤの場合好きな相手は自分が殺しているのだが、どちらにせよ大切な人が出来た瞬間に別れる運命にあるのだ。
わたしたちは似ている――そう彼女が言ったことも少しだけ理解できた。
自分も相手もすべてを巻き込んで破滅へと転がり落ちていくしかないその有り様。咎持ちではないが、背負った業は同じかも知れない。
あれは私の行き着く先なのだと、そう思えば哀れむべきかも知れない。同情するべきかも知れない。
けれど……まったくそんな気持ちは沸いてこなかった。
むしろ、彼女のことを考えると苛々する。心に暗い感情が沸き上がってくる。心から嫌いだと、そう言い切れる。色々と自分の感情に惑いこそすれ、彼女が敵だという認識だけは最初から今の今まで変わっていなかった。
「メルフレイヤの力が未知数なのは改めて理解しました。その上で、あなたはメルフレイヤを押さえ込めるというのですね?」
話を最初に戻す。私が知りたかったのはそこだ。
「可能です。詳しくは言えませんが、ステータスを持つ人間はわたくしの力からは逃れられない。たとえ超越者であってもそれは例外ではありません」
「わかりました。なら私がライさんを説得できれば、戦いはおさめられますね」
「なにか策でもあるのですか?」
「私も詳しくは言えませんが、ライさんならきっと私の声に耳を傾けてくれるはずです」
「それは、なにかに犠牲を強いるものではありませんね?」
「大丈夫ですよ」
そう、大丈夫だ。ライさんは別に戦いが好きなわけではない。戦う理由がなくなれば、矛を収めてくれるはずだ。
私をさらわれたことに怒りを募らせているのなら、私が無事な姿を見せればいい。私の殺人鬼スキルの熟練度、それが一〇〇になったことがメルフレイヤの所為だと思っているのなら、その誤解を解けばいいのだ。
私が殺人鬼になると伝えることになるけど構わない。すべてを明かして、この戦いを止めよう。
「ライさんは必ず私が止めます。そうしたいのです」
「……わかりました。そのときが来れば、ライ・オルガスのことはあなたに任せます。メルフレイヤはわたくしに任せて下さい」
「お願いします」
決意し頷き合う私たちを見て、人喰いは一人、困ったように笑っていた。
◇◆◇
一応の対応策も決まったところで、夜も遅いということもあり、その場は解散となった。
翌日、宣言どおりフィリーアによるメルフレイヤの説得は続けられた。
けれどその苦労が報われることはなかった。
メルフレイヤは一切話を取り合わず、時間だけがただ過ぎていった。
教会の手を借りて、ライさんがいる場所に向けて私が無事だという伝令は出した。だがそれが届くかどうかは未知数だ。メルフレイヤの手の者が邪魔をするかも知れないし、純粋にすれ違ってしまうかも知れない。届いても信じてもらえないかも知れない。
様々な問題を解決するには、一日という猶予はあまりにも短すぎた。
そうしていつの間にか、私たちは戦いを食い止める方法ではなく、始まった戦いをどうすれば穏便に終わらせられるかを考え始めていた。戦いは止められないと、そう覚悟していたのだ。
けれど、いざ始まった戦いを止めることはできると信じた。
ライさんならば、きっと戦いが始まっても私たちの話を聞いてくれるものと、矛を治めてくれるものと、そう信じた。
さらに翌朝、メルフレイヤが予見した決戦の日の早朝のこと。
目を覚ますと部屋の中に一通の手紙が落ちていた。
入り口の扉のすぐ傍だったので、恐らくは扉の下のわずかな隙間から滑り込ませたのだろう。
拾い上げて読む。中にはメルフレイヤについての情報が、差出人が知るかぎり書き込まれていた。
未亡人であること。海外の出身であること。それ以外の身辺の情報も色々と書き込まれている。そして、ステータスとそのスキル構成も。
手紙の主によれば、メルフレイヤのレベルは七四。スキルは火属性魔法スキルS、魔導師スキルA、地属性魔法スキルD、そしてもうひとつ謎のスキルがあるとのことだった。
こういう書き方をするということは、実際に彼女のステータスを見たわけではないのだろう。一緒に過ごしてきた上での推測という形のようだ。差出人はメルフレイヤに近しい人物らしい。生憎と、差出人の名前は記されていないが。
それに私の味方をしてくれるこの誰かには悪いが、残念ながら有益になる新しい情報はなかった。身辺情報もすべてフィリーアから聞いた情報と同じだし、ステータスも謎のスキルがあること以外はフレミアから聞いたものと変わら……。
「あ、れ?」
そうだ。私はフレミアからメルフレイヤのステータスについて教えてもらっていた。フィリーアですら知らないメルフレイヤの情報をだ。
そしてなぜフレミアが知っていたかと言うと、彼女が亡くなった祖母から聞いたからだ。この情報を聞いたとき、本人はメルフレイヤに会ったことがないと言っていた。つまりフレミアの祖母が、教会の知らないメルフレイヤを知っていたということになる。
フレミアを後継者にしようとメルフレイヤが訪ねてきたときに会って、そのときにステータスのことを本人から聞いた、ということだろうか。
教会ですら知り得ない情報を話すとは考えにくいが、フレミアが後継者に最もふさわしいのだと確信して、どうしても欲しがっていたのならわからなくもない。
だがそれを言ったら、フレミアが最も後継者にふさわしいとメルフレイヤが考えた根拠はなんだろうか? 本人は悪運スキルの持つ生存性の高さゆえだと言っていたが、本当にそれだけなのだろうか? そもそもフレミアの祖母と戦って殺せなかったという経験だけで、そんな風に確信を持てるものなのだろうか?
と、そこまで考えて、ようやくその事実を思い出す。
「……『大剣聖』だけじゃない。もう一人、メルフレイヤと殺し合って生き延びた人がいる」
フレミアの祖母、Sクラス冒険者『悪運の魔法使い』レアフレア・マルドゥナ。彼女もまた、メルフレイヤが本気で殺そうとして生き延びている。
さらに言えば、その死因は病死だ。つまりメルフレイヤが愛した人の中で、唯一彼女の手にかかることなく亡くなっている。メルフレイヤの狂気の情動を思えば、それはあり得ないことのはずだった。
全盛期を過ぎて弱くなったから興味がなくなった? 考えられなくはないが、それならそもそも殺されたいと思わないだろう。
ならば、悪運ゆえに殺せなかったから途中で興味がなくなった? それこそあり得ない。あのメルフレイヤが諦めるわけがない。
ならばなぜ? 私はじっと考える。それさえわかれば、メルフレイヤにライさんを諦めさせることもできるかも知れない。
本人たちに聞けない以上、自分で答えを導き出すしかない。
考えて、考えて、それでひとつの疑念に辿り着く。
二人が殺し合ったというのが事実だとして、それは果たしていつのことなのか?
フレミアの祖母がいくらSクラス冒険者だったといっても、今のメルフレイヤを殺せるような強者とは思えない。なら、メルフレイヤが愛し、殺し合いをしたのはまだメルフレイヤが今ほど強くなかった頃だと考えられる。
即ち、超越者になる前だ。
フレミアの祖母は冒険者として各地を転々としていたと聞く。ならその中で、メルフレイヤと戦場で鉢合わせになった可能性はある。そこで惚れ込まれ、戦いを挑まれた。けれど超越者ではなかったメルフレイヤは、フレミアの祖母を取り逃がしてしまった。
その後、超越したメルフレイヤは、力の差が大きくなり、自分を殺せなくなったフレミアの祖母に興味を失った、と。
絶対にないとは言い切れない。だがこの仮説では、メルフレイヤがその後、『悪運』の持ち主こそが自分の後継者にふさわしいと考えるようになるとは考え辛い。少なくとも、自分のステータスを開示するほどの熱意をもって勧誘するとは思えなかった。
それにメルフレイヤの性格を考えれば、再会の際に孫の勧誘だけして終わりになるとも思えない。それこそ、その場でフレミアを強引にさらって、フレミアの祖母に発破をかけるくらいはしそうなものだ。
強くなれ、強くなれ、と。メルフレイヤの愛とはそういう一度点いたら、自分か相手が燃え尽きるまで消えない炎のようなもののはずだ。
だからこの仮説は間違いだ。
けれど、考え方のすべてが間違っているとも思えない。二人が殺し合ったのが、メルフレイヤが超越者になる前だというのは恐らく正解だ。
具体的にそれはいつなのか?
メルフレイヤが戦場を渡り歩いていたときか? 結婚して帝国にやってきたときか? あるいは、それよりも前――メルフレイヤが故郷の地にいたときとは考えられないだろうか?
そしてもし、メルフレイヤが幼い頃はまだ殺し合いが愛とは考えていなかったとしたら、二人の行った殺し合いというのは、多くの人がそうであるように、憎しみからの殺し合いだった可能性は考えられないだろうか?
それなら成長したメルフレイヤが、自分にとっての真実の愛に気付き、フレミアの祖母への興味を失ったことも理解できる。殺し合ったという定義が、フレミアの祖母と他の殺してきた者たちとでは違う可能性だ。
思い出すのは、フレミアのために彼女の祖母がメルフレイヤに放った言葉と、メルフレイヤがマルドゥナという一族に対して放った言葉。
『誰が貴様みたいな人格破綻者に可愛い孫娘を預けるか』
『マルドゥナは他者よりも自分の生存を優先する、そういう自分本位な一族ですから』
その言葉には、相手に対する敵意と憎悪が見え隠れしている。
つまりフレミアの祖母がメルフレイヤのステータスを知っていたのは、二人がお互いを幼い頃から知っていたからで。メルフレイヤが一度は殺そうとしたほど憎んだマルドゥナを、それでも自分の後継者にふさわしいと考えた理由が、本当の意味でマルドゥナという名前にあるのだとしたら?
もしかして、メルフレイヤの隠された最後のスキルの正体は……。
「……だとしても、それがどうだというのでしょう?」
もしもメルフレイヤの最後のスキルがアレだとしても、それはライさんを諦めさせる助けにはなってくれないだろう。戦いを止めるという点でも、あまり意味がない真実だ。
私はメルフレイヤのステータスに対する考察を止め、手紙の続きに目を通した。
といっても、メルフレイヤの情報以外については、二枚目の便せんに一文だけ書かれているだけだった。
差出人はその一文を捻り出すまでに何度も何度も書き直したらしい。インクによって強引に塗りつぶされた部分がたくさんあり、この手紙自体も一度は捨てようとして止めたのか、端の方が一度丸められたようにしわになっている。
窓から差し込む光にかざしてみると、塗りつぶされたインクの一部が読み取れた。謝罪の言葉が、様々な言い方で書かれては消されている。
最終的に、謝罪の言葉はふさわしくないと判断して、手紙の主は最後にこう記していた。
――幸せになってくれ。
祈るような言葉だった。
あまりにも身勝手で、けれど切実な思いが込められた一言だった。
だから私はこうつぶやいた。
「はい。私は幸せでした。だから、もう大丈夫です」
決意はすでに。色々と惑ったりしたけれど、結局、こんなどうしようもない私よりも、私はライさんに幸せになって欲しいのだ。
戦いを止めて、ライさんともお別れする――それがリカリアーナ・リスティマイヤの結論だ。
嫌だな、という思いには蓋をして。
零れそうになる愛には鍵をかけて。
私はいつの間にかあふれていた涙を拭い、自分の旅を終わらせるため、部屋を出て歩き出したのだった。




