神様の逆鱗⑧
死んでいたと思っていた幼なじみが生きて目の前にいる。その事実を前にしても、不思議と私の心は落ち着いていた。驚きよりも、やはりという気持ちの方が大きい。
「タトリン村が人喰いによって滅ぼされたとき、私はてっきりあなたも死んだとばかり思っていましたよ、ケイ」
「色々と事情があってな。こうしてオレはここにいるよ。まあ、真っ当に生きているとは言い難いんだが」
「それはどういう?」
反射的に聞き返そうとして、すぐに頭を振った。今はそんなことを話している場合ではない。
「ケイ。そこをどいてください。私たちはライさんとメルフレイヤの戦いを止めなければなりません」
「リカからのお願いでも、それはできない相談だ。オレにもメルフレイヤの命令に従わないといけない理由があるんでね」
こっそりと私を手助けするような真似をしておきながら、ケイは武器を下ろそうとはしなかった。詳しい事情はわからないが、彼にも譲れない理由があるのだろう。
「ならば、仕方ありませんね」
私は短剣を取り出して構えた。
相手が幼なじみだろうと、立ち塞がって邪魔をする以上は倒すべき敵だ。
「……まあ、そうなるよな」
自分に向けられた短剣の切っ先を見て、ケイは自嘲するように笑って弓を構え直す。
「どうやらお知り合いのようですが、このまま戦ってもよろしいのですか?」
ケイを警戒しながら、フィリーアが声をかけてくる。
「構いません。今は敵です。容赦するつもりはありませんし、あなたも容赦なくやってください」
「……わかりました。たしかに、これ以上時間はかけていられませんね。強力な一撃をたたき込みますので、少しの間足止めをお願いしても?」
「わかりました」
頷いて私は駆けだした。
動き出した私を見て、ケイは初めて矢の狙いを私につけた。流れるような動きで放たれた三本の矢が、まっすぐこちらへ向かってくる。
「ふッ!」
それを投げナイフで叩き落し、接近戦を試みる。
重装備ながら、ケイの戦いは弓での遠距離戦に終始していた。可能なかぎり近付いた方がこちらに有利のはずだ。
ケイも近付けさせまいと動きながら矢で牽制してくるが、私はそのすべてを叩き落とすことができた。前よりも身体が軽く、神経が研ぎ澄まされているのを感じる。
殺人鬼スキルの恩恵だろう。人間を相手にしたときに能力値にプラス補正がかかるようだ。しかもその恩恵は相当なものだ。ケイの弓の扱いも並ではないが、それでも今の私には軽々と捌けるものでしかなかった。
ケイの素早い動きに純粋な速さで追いすがり、彼の懐へと潜り込む。
間近で見上げたケイの巨体に短剣を突き刺そうとして、諦めて横から背後へと抜けた。
ケイの身体を覆う鎧に隙間が存在しなかったのだ。全身甲冑であろうと、肘や膝、首もとなど、可動域にはわずかなりとも隙間ができるはずなのに、ケイの鎧にはそれがなかった。背後からもう一度確認してみるが、背中側にも継ぎ目が存在しない。かなり特殊な作りだ。
無理矢理装甲を貫こうとしても、私の筋力値では突破は難しいだろう。ケイの鎧の厚みは尋常ではない。刃の切っ先が刺さるかも怪しかった。
これは殺せないな――私の殺人鬼としての直感がそう結論を出す。
「ならば」
背後を取ったところで、私はバックステップで距離を取るのと同時に、ワイヤーを取り出してケイの足下に絡みつかせた。
「ぐっ」
ケイはワイヤーから逃れようと足下に手を伸ばすが、その腕にも別のワイヤーを絡ませ、両腕に力をこめて動きを封じる。
「フィリーア! 今です!」
長い時間拘束できなくてもいい。フィリーアが魔法を放つ時間さえ稼げればいいのだ。
幸い、その巨体から想像できるよりもケイの力は弱かった。拘束をすぐに破られることはなく、フィリーアの魔法の方が先に完成する。
「ホーリーエンゲイジメント!」
祈るように手を組んだフィリーアが、これまでとは違って名を紡いで魔法を発動した。
瞬間、ケイの身体が巨大な光の柱に飲み込まれる。
「おわぁああああああ!!」
吹き抜ける衝撃破。ケイを頭上から強襲した聖なる光は、地面に衝突すると深い縦穴を穿った。
穴を覗き込んでみると、底で全身黒こげになったケイが倒れ伏しているのが見えた。魔法の衝撃で甲冑は歪んでおり、両腕が大きくへこみ、片足があらぬ方向へとねじ曲がっていた。
「手心は加えました。数日起きあがることはできないでしょうが、死んではいません」
フィリーアは私に向かって安心させるように言った。私の手前、気を遣ってくれたらしい。
「あとでわたくしが治癒魔法をかけてさしあげますので、今は先を急ぎましょう。かなり時間を取られました」
「はい」
ぴくりとも動かないケイから視線を外し、フィリーアと共にライさんたちのところへ急ごうとして、
ギシリ、と背後で鋼の音が鳴った。
「まさか」
フィリーアが再び驚きに目を見開いて後ろを振り返る。
驚いたのは私も同じだった。あの状態で、ケイがまだ立ち上がれるとは思っていなかった。しかし実際にケイは穴から這い出ようとしていた。ひしゃげた腕で地面をひっかき、捻れた足を蜘蛛のように穴の縁にかけて身体を穴の外に押しだしている。
私たちは追撃も忘れ、ケイが完全に穴の外に出てくるまで見つめることしかできなかった。
「不死身のケーニッヒ……」
彼の冒険者としての異名を思い出さずにはいられなかった。先程の一撃を受けてなお立ち上がるなんて、尋常ではない。
それでも今のケイが弓を撃てるとは思えなかった。腕がまともに機能していない以上、矢をつがえることすらできないだろう。そもそも、彼は愛用の弓を穴の底に置いてきている。
「ケイ。まだやるつもりですか? それ以上動けば死にますよ?」
「馬鹿言え。このオレがこの程度でくたばってたま――」
会話の途中で、フィリーアが無慈悲に魔法を放った。
正面からの一撃を受けたケイの巨体が吹っ飛び、城の壁に激突する。
それでもフィリーアは魔法を止めることなく、次々と光の矢を打ち込み、城の一区画を破壊するまで攻撃をし続けた。
「フィ、フィリーア。ケイを殺すつもりですか!?」
「あれで立ち上がるというなら、止めるにはこれくらいはする必要があるでしょう」
フィリーアは淡々とそう告げるが、顔には焦りの色が浮かんでいる。
「くそっ、容赦ないな」
なぜなら、再びケイが起きあがってみせたからだ。
糸に繋がれた操り人形のような歪な動きで立ち上がった彼の身体は、もはやまともな人の形を保っていなかった。度重なる攻撃によって腕も足も捻れ曲がり、頭を守るヘルメットも半分潰れている。誰がどう見ても、鎧の中にいる人間は死んでいると判断するだろう。
「けどこれならいくらでも耐えられるぜ、聖女様よ」
だが生きている。鎧の下から、からかうような言葉を投げかける余裕すらあった。
「……リカリアーナ。彼のスキル構成を知りませんか?」
当然の帰結として、フィリーアはケイの不死身の理由をスキルに求めた。あの不死身ぶりは耐久値ではなく、なにかしらのスキルの力が働いていないと説明できない。
「生憎と、私はケイのスキルを知りません。その前に村を追放されてしまったので。ただ、彼が自分のステータスを初めて見たとき、狩人スキルがあったと声に出して喜んでいたことは覚えています」
私が勇気を出せずに言えなかったので、村のみんなの前で発表するまでお互いのスキルは内緒という流れになったのだが、ケイは喜びのあまり狩人スキルがあることを暴露してしまっていた。だから、ケイに狩人のスキルがあることは間違いないが、それ以上はわからない。
「では鑑定をしてもらっていいですか?」
「今のままでは無理です。もう少し鎧をはぎ取ってもらわないと発動できません」
「わかりました。では」
フィリーアが壊れかけの鎧を引きはがすべく、光をいくつもケイめがけて放つ。
ケイもこちらの攻撃を黙って受けてはいない。なんとか避けようとするが、あの鎧ではもう素早くは動けないようだった。一発攻撃を受けたあとは、次々に魔法を浴びていく。鎧に罅が入り、装甲がボロボロと崩れ落ち、やがてその下の姿が露わになって……
「…………え?」
いくつもの驚きが同時に襲いかかってきて、私は自分がなにに驚いたのかわからなかった。
まずひとつ目の驚き。それは鎧の下から出てきたのが人間ではなかったこと。人の形をしているが肌が透けており、輪郭が炎のようにゆらゆらと揺らめいている。さながら怪談に出てくる伝説のゴーストのような風体だった。
「まさか。そんな」
フィリーアもまた、ケイの素顔に驚きを隠せないようだった。
「あなたは一体何者です? その身体、間違いなく生きてはいないでしょう?」
フィリーアの問いかけに対し、ケイは鎧を脱ぎ捨てるように素通りして、全身を私たちの前に晒す。
「ああ、そうだよ。見てのとおりオレはもう死んでいる。死んだまま動いているのさ」
これまでのように甲冑で遮られていない、鈴を転がすような高い声でケイは言った。
「どういう原理かは聞いてくれるなよ。なにせオレにもわかっていないんだ。人喰いの怪物に喰われて死んで、次に気が付いたときにはもうこうなってたんだからな」
「……なにかしらのレアスキルの力ということですか。だとしても、これはわたくしも初めて見ます」
フィリーアは驚きながらも一応は納得したようだった。
だが私はまだ混乱の中にいた。フィリーアにはわからないだろうが、ケイの幼なじみである私には彼の身体のもうひとつの異変がわかったのだ。
鎧を脱ぎ捨てたケイはその身体に服のひとつも纏っていなかった。生まれたままの一糸まとわぬ姿だ。そしてその身体は十代前半の華奢な少女のもの。胸はかすかに膨らんでおり、太股の間には男性にあるべきものはなく、なにより可憐な顔立ちは私の知っているもう一人の幼なじみの面影を色濃く残していた。
「嘘。あなたは、リルファ?」
私がケイに向かってそう呼びかけると、彼はぴくりと反応を示した。
「違うぞ、リカ。オレはリルファじゃない。ケイだ」
「ですがその顔は間違いなくリルファです。それに……」
ケイの全身を捉えた瞬間、鑑定スキルが発動していた。
そうして読み取れたステータスは以下のとおりだった。
リルファリム・ミルトゥーリヤ
レベル:53
経験値:2196052 次のレベルまで残り93989
【能力値】
体力:2810
魔力:0
筋力:298
耐久:254
敏捷:299
器用:380
知力:367
【スキル】
調合:D 熟練度12
複数の物を混ぜ合わせて新しい物を作る才能。
付与魔法:B 熟練度529
物に別の属性を与える才能。
「ステータスにも、リルファリム・ミルトゥーリヤとあるではないですか」
ステータスに刻まれた名前もまた、私のもう一人の幼なじみのものだった。ケーニッヒ・アルフェントリヤの文字はどこにもない。
確固たる証拠を突きつけられて、
「いいや。オレはケイだ」
しかし彼女は真剣な顔でそう言い切った。
「ケーニッヒ・アルフェントリヤなんだよ。リルファじゃない。ワタシはリルファじゃないんだ」
彼女は嘆くようにつぶやきながら、指揮者のように腕をあげる。
それに合わせ、背後から突然矢が飛んできた。フィリーアが咄嗟に背後に向かって魔法を放ったため、その矢が当たることはなかったが、完全な不意打ちであった。
ただ、伏兵が潜んでいて、リルファの合図で矢を射ったわけではなかった。後ろを振り返れば、彼女が使っていた弓と矢が空中に浮かび上がり、独りでに弦を引き絞って矢をつがえているところだった。
「矢の腕前から狩人スキル持ちだと思っていましたが、どうやら付与魔法スキルを応用して矢を射っていたようですね」
スキルに詳しいフィリーアが、次々と飛んでくる矢を撃ち落としながら、ステータスを見ることなく看破する。
付与魔法とは物質に新しい属性を与え、時に操ることさえ可能とする魔法だ。手で触れることなく物を動かせるのだとしたら、それは間違いなく付与魔法の効果だろう。この力で弓もあの継ぎ目のない鎧も彼女は操っていたのだ。
解せないのは、なぜリルファが嘘を吐いているのか。
「リルファ。どうしてケイの振りなんて」
「だから!」
リルファが叫んだ。空中の弓に新しい矢が番えられ、さらに脱ぎ捨てた鎧もまた中身が空のまま動き出し、城壁の瓦礫の破片もいくつも空中に浮かび上がった。
「オレはケイだって言ってるだろ!」
そしてさらなる叫び声と共に、操られた物がいっせいに襲いかかってくる。
雨あられと降り注ぐ瓦礫と、地面を駆けて突っ込んでくる鎧。そして隙を見逃さずに放たれる矢。私はなんとか回避し、フィリーアは魔法で迎撃する。
だが避けても避けても次から次へと追加の攻撃が降り注いでくる。リルファを止めないかぎり、彼女の攻撃は止められない。
だがあの身体、こちらの物理的な攻撃はすべて透過し、魔法さえも届かないと来たものだ。不死身という異名は、間違いなく今の彼女の二つ名としてふさわしい。上位のSクラス冒険者は超越者の領域に足を踏み入れかかっていると聞くが、人間離れしているという点では、リルファはその中でも最たるものだろう。
常識的な攻撃手段しか持っていない私では、どう足掻いても彼女を止められそうにない。
けれど私の隣にいるのは、人間からかけ離れた超越者の一人だった。
「……ああ、もう殺せばいいですか」
焦燥を募らせながらも攻撃を捌いていたフィリーアが唐突に、これまでとは根底から異なる冷たい声を零した。
淡々と紡がれる殺害宣言。彼女の操る温かな光が、そのとき決定的に変質した。
「仕方ありませんよね。だって、わたくしの邪魔をするのですから。わたくしは急いでいるのに、システィナを助けないといけないのに、わたくしの言葉を無視してみんな寄って集って邪魔をするのですから、もう殺すしかありませんよね?」
リルファに向かって突きつけられた右手に収斂する純白の輝き。リルファが危険を察して、フィリーア一人にすべての攻撃を向けるが、瓦礫も矢もすべてフィリーアに届く前に粉々になってしまった。
「それなら!」
リルファは空の鎧を差し向ける。分厚い金属板によって作られた鎧は、しかしフィリーアに手を届かせることができなかった。矢や瓦礫同様、彼女の手から発せられる光に触れた瞬間、砂のように粉々になって崩れ去る。
それを見たリルファが初めて頬に汗を伝わせた。
彼女も理解したのだろう。フィリーアのあの輝きは自分を殺しうるものだと。今の今まで、ずっと彼女に手加減されていたのだと。
「フィリーア。待ってください。なにもそこまで――」
「リカリアーナ」
フィリーアの金色の眼差しが私に向けられる。
彼女の瞳には温かみといったものがまったくなかった。どこまでも無機質で、私のことを道に転がる石ころかなのかのように見ている。
「あなたもわたくしの邪魔をするのですか?」
是と答えれば殺されると一瞬で悟った。本能が、スキルが、今すぐ逃げろと私の身体を突き動かしていた。気が付けば私はフィリーアから大きく距離を取っていて、リルファに向けられた破壊の輝きは完成していた。
「ラストテスタメント」
紡がれる終局。矢のように放たれる極大の光。
「くそっ!」
リルファがせめてもの抵抗として光に向かって無数の瓦礫をぶつけるが、光の勢いは衰えることはなく、むしろ触れたものを吸収するたびに巨大になっていく。さながら小さな太陽が迫ってくるかのような絶望に、逃げる時間も場所も彼女には与えられなかった。
「失礼しますよ」
彼が咄嗟に助けに入らなければ、間違いなくリルファは死んでいただろう。
突然現れた誰かが、半透明のリルファの身体を当たり前のように抱きかかえて光から回避して見せた。目標を失った光はリルファがいた場所を中心に、半径何十メートルかを無に帰して掻き消える。
まさに間一髪のところでリルファを救出してみせた彼が、腕の中の彼女に爽やかに微笑みかけた。
「危ないところでしたね。お嬢さん。命がないのは見て分かりますが、怪我はありませんか?」
「テメェは!?」
驚愕。それから憤怒。リルファは目の前にいる人喰いの顔を見て、その表情を激しく歪めた。
「ッ?! リルファに触わるんじゃねぇ!」
「おっと」
リルファは人喰いの顔を殴り飛ばして彼の腕から逃れてみせると、自分の身体を庇うように抱きしめながら人喰いをにらんだ。
「テメェは人喰い! なんでここにいやがる!?」
「やれやれ、助けてあげたというのに酷いな」
「いいから答えろ! なんでテメェがここにいやがるんだ!?」
「仕方がない。質問に答えてあげましょう。自分がここにいるのは、自分がフィリーア様の下僕だからですよ」
「な、っ、あのクソババァ……こんな大事なことオレに黙ってやがったのか!」
リルファは当然のこととして、家族友人を殺し、里を滅ぼした人喰いに対して強い憎悪を抱いているようだった。そして彼が帝城にいる事実を今の今まで知らなかったらしい。私がいたことをリルファは知っていたから、恐らくはメルフレイヤが人喰いの正体に気付いて、彼に関してだけ情報を封鎖していたのだろう。
「人喰い! 親父とお袋、里のみんなと、なによりリルファの仇! ここで討ってやる!」
怒り心頭の様子で、リルファが攻撃の矛先を人喰いに向ける。
……いや、彼女は本当にリルファなのだろうか? 先程から言い分は、まるでケイのようだった。
それよりも疑問なのは、なぜ人喰いがここで彼女の助けに入ったのかだろう。
「人喰い。あなた、なにをしているのですか?」
私の疑問を代弁するように、フィリーアから感情のない問いかけが人喰いに向けられる。
「あなたが今助けたのは、わたくしの邪魔をする障害物です。わたくしの下僕というのなら、助けに入るのはおかしな話ではありませんか? わたくし、なにか間違ったこと、言ってますか?」
「いえいえ、至極真っ当なご意見ですとも。我が主」
人喰いは大仰な手振り身振りで答えると、
「そう、あなた様はいつだって間違っていない。どこまでも正しく、どこまでも清らかだ」
「ではなぜ邪魔をするのですか? なぜ言うことを聞いてくれないのですか?」
ゆらりとフィリーアの髪が揺らめく。その瞳が煌々と、金色の光を発し始める。
「わかりません。わたくしは本当にわからないのです。わたくしは正しいことを言っているはずなのに、なぜ誰も言うことを聞いてくれないのですか? なぜ? なぜ? なぜ?」
「なに、簡単な話ですよ。誰も彼もが人間だから。ただそれだけのことです」
「……人間、だから?」
「そう。ただまあ、今のあなた様には人の心はわからないでしょう。だから自分にかぎって言わせてもらえれば」
人喰いは笑う。その口を狼のごとき牙だからの口に変えて、嗤う。
「空腹が我慢ができなくなってきたのですよ。だからそろそろ子守は辞めさせていただこうと、そう思った次第でございます」
「空腹? あなたの人喰いスキルは封印されているはずですが?」
「いえいえ、あなたはおっしゃられたではないですか。自分の封印を施したのはシスティナ様であって自分ではないと。つまりシスティナ様亡き今、自分の封印の弱まりつつある。最近、再び空腹が戻ってきたのですよ。ならば、ええ、仕方ないというものです。お腹が空いたら、食べ物を食べなければならない。そして自分がお腹を満たせるのは、人間だけなのですから」
「そう。つまり結局、人喰いは人喰いでしかなかったということですか」
フィリーアは破壊の光を容赦なく人喰いに向けて解き放った。
それを人喰いは超越者らしく、軽々と跳躍して避けてみせる。
その回避先へと無数の瓦礫を飛ばしたのはリルファだった。
「おい、聖女様! こいつはオレの獲物だ! 手を出すんじゃねぇ!」
さらに彼女は人喰いに攻撃したフィリーアに向かってそう吼えた。
「知りませんよ。人喰いも、あなたも、わたくしの言うことを聞かないのなら、さっさといなくなってください」
フィリーアはリルファにも破壊の光を向ける。それをリルファが避けてみせると、今度は彼女に攻撃した隙を見計らって、人喰いがフィリーアに攻撃を仕掛けた。拳の一振りで、フィリーアの華奢な身体が大きく吹っ飛んでいく。
「どうやらまだまだ本調子とはいかないようですね、フィリーア様。それに未だシスティナ様の影響下にある自分に対し、フィリーア様はその力をお使いになれないようだ。そこの少女もあなた様にとっては天敵の様子。これはもしや聖女様の、ひいては世界の危機なのではないでしょうか?」
「オレを無視して笑ってるんじゃねぇぞ! 人喰い!」
「おっと。怖い怖い」
渦を巻いて襲いかかってくる瓦礫の雪崩を人喰いが器用に避ければ、それをリルファが追いかけて、そこを二人まとめて葬り去ろうとフィリーアが魔法を放つ。
「なぜ当たらないの? 当たってくれないの? なぜ? なぜ? なぜ!?」
この場において最も強いフィリーアだったが、同じ超越者である人喰いが頭に血が上ったリルファの動きを本人に気付かせないよう操り、部分的に二対一にもっていって攻撃をかわし続けている。
かといって私がフィリーアの助力に向かうこともできなかった。私が三人の戦いに足を踏み入れようとすると、三人から同時にこちらへ来るなと視線で威圧されるのだ。下手に手を出すと、三人から攻撃を受けかねない。
逆を言えば、ここを私が離れても誰も追いかけては来ないだろう。
足止めに現れたリルファは人喰いに夢中で、フィリーアは邪魔をするリルファと裏切った人喰いに対し静かに怒り狂っている。
ただ一人、人喰いだけは現れた理由がわからないが……
「友よ。さっさと行きたまえ」
そのとき、他の二人と戦いながら人喰いが私に話しかけてきた。
「それに変に考え込むのはもうやめた方がいい。君は一番大事な人の前で、一番怖いと思うこと告白すればいい。自分のときにそうしたように、今回も。それだけが君にできることで、君はそうできる勇気をもうもらったのだろう?」
それはまるで助言をするかのような、信じられないくらい優しい声だった。
「……フィリーア。私は先にライさんのところへ行きます。あなたはあとから追ってきてください」
聞こえているかどうかわからないが、私はフィリーアにそう告げて走り出した。
「ライさん」
二人の居場所はすぐにわかった。激しい戦闘音を追いかけていけば、メルフレイヤの操る炎が目に付いた。空にいくつもの紅蓮の雲が浮かび、空を駆ける黒い影に向かって落雷のように炎の雨を降らせている。
すでに戦いは帝城を離れ、街の中に移行していた。城を後にし、高台の上まで駆け上がると、帝都の住人たちが悲鳴をあげて逃げまどっているのが見えた。
出動した帝国騎士たちが避難誘導を始めているが、メルフレイヤの炎によっていくつか火災が起こっており、その消火作業と並行してでは上手くいっていないようだった。本人の言葉どおり、彼女は住人のことなんてどうも思っていないだろう。
けれど、メルフレイヤの魔法による被害こそ街に出ているものの、ライさんの攻撃による被害はほとんど出ていなかった。
メルフレイヤへの攻撃の余波が家屋を破壊してこそいるものの、人の怪我に繋がるようなことは起きていないようだった。あの力で、破壊力で、未だ人身被害が出ていない理由はひとつしか考えられなかった。
「まだ、ライさんには人間の心が残っている」
ならば、私の言葉もまだ届くかも知れない。
フィリーアという協力者はいなくなってしまったが、それでもやるしかない。
一番大事な人の前で、一番怖いと思うことを――ああ、人喰いの言うとおりだ。あのときライさんに自分が咎持ちだと告白したように、今度もまた私は私の弱さで殺人鬼に堕ちたと告白するのだ。
それをもって戦いを止める。
幼なじみの存在も、聖女の不在も、私の行動を変えるまでには至らない。
「ライさん、今さよならを言いに行きますから」
私は変わらない覚悟をもって、戦う二人を追って走っていくのだった。
すみませぬ。書き直しまくってたら更新遅くなりました。
今回のエピソードの最後までは書いてあるので、今後更新速度はマシになると思います。
あと今更ですが、書籍版の2巻が発売しました。
WEB版とは少し違うリカさんのエピソードとなっております。よろしければどうぞ。




