校正推敲のやり方(2/2)
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校正推敲のやり方 2/2
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『頭でっけーーーー単語、主語』
これは個人的な見解です。
頭でっけーのが好きな人もいるので、にゃんともかんともなのですが……。
私は頭でっけーのはいかんと思うので解説します。
例
「その黄金宮の綺羅びやかで冷たく美しい装飾は人の心を尊大に変えて、何かとてつもなく無慈悲な決断をそそのかす」
この……
「その黄金宮の綺羅びやかで冷たく美しい装飾」が、すんげー頭でっかくなった主語になります。
朗読してみるとわかりますが、とてもとても長い主語です。
何かしつこいです。
なんでそんなに具体的に必死に語りたがるんだろう、という違和感があります。
直すとこうなります。
修正
「その黄金宮の綺羅びやかで冷たく美しい装飾。それは人の心を尊大に変えて、何かとてつもなく無慈悲な決断をそそのかす」
「冷たく」が過剰なので、さらに修正すると……
再修正
「その黄金宮の綺羅びやかで荘厳な装飾。それは人の心を尊大に変えて、何かとてつもなく無慈悲な決断をそそのかす」
こんな感じで。
「冷たく美しい」 → 「荘厳な」に置き換えました
多少意味が変わりますが、装飾語二つが一つに減ったことで読みやすくなります。
主語単語がでかくなっても、それが日本語として致命的というわけではありません。
ただ引っ掛かりのない読みやすさを重視すると、頭でっけーのはカッコ悪さがありますし、直せそうなら手を入れるのが良いと思います。
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『末尾の変更』
文の末尾を変更して単調化を防ぎます。
「~だ。」「~だった。」「~する。」「~した。」などの現在形、過去形の他に、
「~だろう。」「~なのだ。」「~ようだ。」「~だったり。」
あるいは「体言止め」を使います。
基本的には現在形と過去形を入れ替えるくらいで問題ありません。
必ずしも『現在形→過去形→現在形→過去形』と連鎖させる必要もありません。
ただ同じ末尾が続くと単調な印象を与えてしまうこともあるので、意図して連続使用するとき以外は多少注意が必要です。
現在形と過去形の変換だけでは流れの調整が立ち行かない時は、末尾の文体を別の形式に変えます。
「なのだ」「ようだ」「だろう」がこの時使いやすいです。
あるいは体言止めを使って一度流れを止めてしまうのも手です。
例・体言止め
「そろそろ麦茶が美味しい季節になってきた。ドス黒くなるまで抽出したソレをストレートで飲むのが好きだ。」
「そろそろ麦茶が美味しい季節。ドス黒くなるまで抽出したソレをストレートで飲むのが好きだ。」
繰り返しますが体言止めは流れを止めるものです。
使い過ぎると逆に読みにくくなったり、しつこくなるのであまりの多用は避けて下さい。
強調したい部分に使うのがオススメです。
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それはそうとして、ふと思いました。
じゃあなぜ、わざわざ末尾に気を使わなければならないのでしょう。
小説というのは執筆者や主人公による独り語りです。
誰かとの会話ではなく、観測者が体験した出来事を、文章という形で後から記述したものになります。
なので全ては本質的に過去形であり、現在形とは過去の出来事を、現在の出来事として強調したものになります。
全て過去形で語ればこれほど味気ないものはありません。
臨場感が発生しません。
さらに独り語りは、語り部一人に最後まで語らせ続けられるほどに、巧みでなければなりません。
そんな状況下で、単調な末尾と、さらには引き込みのない文頭を繰り返せばどうなるでしょうか。
聴き手は口をはさみたくもなりますし、盛り上がらなければ退屈です。
末尾、さらには文頭の調整というのは、一つの強調表現。
『話術』だと解釈して手を入れてゆくのが良いのかもしれません。
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『文章の追加』
後から思い付いて、単語や一文を追加したいのに入れる余地がない。
そういったケースもわりとあります。
形容詞の場合は装飾過剰になったり、一文の場合は前後のリズムを崩したりします。
どうしても入れたい場合は、状況によりけりですが短文を挿入したり、または入れるために一つの文章を二分割します。
体言止め、倒置法に組み替えるのも手です。
特に倒置法は詰め込みやすかったりします。
例
「俺は猫耳を愛している。そのもふもふも、敏感さも、美しきその猫々しいラインも。この通り詰め込み放題なのだ!!」
もちろんその結果、前後の文体を調整しなければならなくなります。
入りきらないのにどうしても入れたい、そんな時は苦労を覚悟して下さい。
自分はめんどくさいので、簡単にやれそうな時以外はあんまりやりません。
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『に、へ、へと』
この三つの接続詞、どれを使うべきか迷う時があります。
ですが使い分けを知っておけば、格段に直し作業が効率化します。
例
「月に行く」
「月へ行く」
「月へと行く」
ただの名詞に対して使う場合、どの表現も違和感ないものになります。
月という場所「に」行く
月の方向「へ」行く
月の方向「へと」行く
みたいなニュアンスになります。
要するに
「に」は「場所」や「対象」で
「へ」は「方角」なのです。
これだけでもわかっていれば、使い分けが一気に楽になります。
例
「学校に行く」
「学校へ行く」
「学校へと行く」
一方、指向性の強い名詞であった場合状況が変わってきます。
学校へ行く。なんだか妙な響きです。
学校へ向かう。ならわかる気がします。
特別意味がないのなら、学校に行くで十分でしょう。
例
「医者に行く」
「医者へ行く」
「医者へと行く」
この場合、明らかに妙なのが「医者へ行く」です。
「へ」は方向なので、医者に体当たりでもするんでもない限り、それでもまあ妙な用法になります。
素直に医者に体当りすると書きましょう。
例
「修行に行った」
「修行へ行った」
「修行へと行った」
過去形にするともっとわかりやすいです。
「に」の場合到着しています。
「へ」の場合出発しました。
「へと」の場合もほぼ同様です。
まあそういうわけで。
「へ」「へと」は方向・出発、「に」は場所・到着の性質があると覚えてみて下さい。
『表現はわかりやすく簡潔に』
最後に、平坦な文章を書く上で最も大切な部分を解説します。
文芸カテゴリーやら、古典文学好きやら、マニュアなそちらの層をターゲットにするなら余計なお世話な話です。
ですが一般層をターゲットにするのならば、文章は徹底してわかりやすく想像しやすい表現を目指すべきです。
やたら気合入れて書く時ってありますよね。
具体的に描写しようとして、後から見るとなんか訳わからん表現になっていたりします。
たとえば……
「脂っこいはずがサッパリとしていて、それでいてマッタリとしてしつこくなく、あっさりとした味わい」
何て書かれても読者は困ります。
想像できません。
あるいは……
「朝顔のような笑顔」
みたいに詩的表現をされても困ります。
ひまわりならわかるのですが、こちらも一体どういった笑顔なのかイメージ出来ません。
そんな文章書くはずがないじゃないかとお思いですが、実際本人は気づかないだけで書いちゃっていたりするものなのです。
以上は極端な例です。
でもつまりはそういうことなのです。
意味わからん文章を書かないようにつとめて、想像しやすく読みやすい文章を追求することが何よりも大事です。
大事なのは百もわかっているけれど、これが実践するのはクソ難しかったりするのです。
本人だけ意味がわかっているが、第三者は意味わからない文章というのは確実に発生するもなので注意して下さい。
文学性をかなぐり捨てるようでアレですが、
「わかりやすく平淡に、簡潔に」書くことを頭の片隅に置いておいて下さい。
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【以上!!!】
好き勝手書き殴りましたが、これらの方法が正解最適というわけでもないので、自分なりのスタイルを獲得すること目指してみて下さい。
多分極端なことを言っている部分もあると思うので、ここまできてアレですが惑わされないで下さい。
創作なんてものは変態の所業です。
その変態的執着とリビドーを余すことなく文章に叩き付けましょう。
男の娘が好きなら、主人公を誘惑するショタビッチ王子様をねちっこく10万文字にわたって書いたっていいし、うんこが好きなら主人公やヒロインに食わざるを得ないシチュエーションに追い込むなり、諸兄らの好きなもの、好きな展開、好きな部分を恥ずかしがらずドカーンと叩き込んで下さい。
とはいえ人気への迎合と擬態は大切です。
実は男の娘であるヒロインに、結婚初夜まで女の子と偽らせましょう。
女の子としてたまらねぇかわいいシーンを演出しまくって、結婚初夜という一大舞台にて「僕、本当は男の子なの……」などと語らせて、プレイヤーを地獄の底に叩き落とすような気概と漢気を望みます。
実は魔女の幻術で、魔女よりのもてなしと自分たちが食べていたものは、ヒロインと主人公お互いのうんこだったとか、そういった悪意あふれる諸兄らのリビドーが、シーン一つ一つを生き生きと輝かせるものなのです!
つまり!
迎合しつつ己のリビドーを!
変態性を!
心の中のパッションを忍ばせつつ叩き付けて!
読者に男の娘フェチやら、食糞癖という許されざる諸兄らの浪漫を!
脳髄の奥底まで焼き付けてやる覚悟で書き記すがよろしかろうっっ!!!!
俺は全力で赦す!!!!
あ、赦すけど責任は取れません。
ごくごく当たり前のことを記しただけのものではありますが、お力になれたのならば嬉しいです。
諸兄らの変態的作品を俺は待ち望んでいるっっっ!!!!