第3話
「お、お嬢様……! 素晴らしいです、まるで雪の精霊のよう……!」
フロストブルク城の客室。
クラウス様から贈られた氷青色のドレスに身を包んだ私を見て、お世話をしてくれているメイドたちが感極まってハンカチを噛み締めていた。
これまでアリシアに強要されていた、くすんだ茶色や深緑のドレスとは全く違う。
私の白い肌を透き通るように見せ、少し青みがかった銀糸の髪を美しく引き立てる、完璧な仕立てのドレスだった。
分厚い眼鏡を外し、重たかった前髪をサイドに流して編み込んでもらうと、鏡の中には、王都にいた頃の「地味で陰気な公爵令嬢」とは別人のような、華やかな令嬢が立っていた。
「……これが、本来の私」
今まで「目立たないように、息を潜めて」生きてきた呪縛が、パラパラと解けていくのを感じる。
胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、私はクラウス様が待つという大広間へと向かった。
重厚な扉が開く。
窓から差し込む雪明かりの中、銀髪の貴公子――クラウス様が振り返った。
そして、私の姿を見た瞬間。
彼は「ヒュッ」と肺の空気をすべて吐き出したような音を立てて、彫像のように完全にフリーズした。
目を見開き、口をわずかに開けたまま、ピクリとも動かない。
「クラウス様? あの、似合っておりますでしょうか……」
私が少し不安になって裾をつまむと、クラウス様はハッと我に返り、懐からスケッチブックを光の速さで取り出した。
そして、ペンから火花が出るのではないかという凄まじい速度で文字を書き殴り、バンッ! と見せてきた。
『(美しすぎて目が潰れるかと思いました! いえ、潰れても構いません、この美しいお姿を最期に見られたのなら本望です! あなたは女神ですか? それとも俺をからかうために天から降りてきた幻ですか!? 似合うなんて言葉では足りません、この世のすべての賛辞を集めてもあなたの美しさには敵わない!!)』
スケッチブックの1ページに、余白が真っ黒になるほどの凄まじい文字数で、限界突破したオタクのような長文がびっしりと書き込まれていた。
「ふ、ふふっ! クラウス様、文字が多すぎて読むのが大変ですわ」
私が耐えきれずに笑い出すと、彼は耳はおろか首の根元まで真っ赤に染め、スケッチブックで顔の下半分を隠しながら、もう一枚ページをめくった。
そこには、震える大きな文字で一言。
『……俺の妻になってくれるのが、本当に貴女でよかった』
ドキン、と。
私の心臓が、今まで経験したことのないほど大きく跳ねた。
顔だけではない。私がいかに書類仕事ができようと、彼にとって私は「王太子から捨てられた厄介者」のはずだ。それなのに、この人はこんなにも真っ直ぐに、不器用なほどの誠意で私を肯定してくれる。
「……ええ。私も、あなたのもとへ来られて本当に良かったです、旦那様」
私が微笑んで一歩近づくと、クラウス様はスケッチブックをパタッと落とし、震える大きな手で、私の頬にそっと触れた。
氷の貴公子と呼ばれているのに、その手はとても熱かった。
「……き、きれい、だ」
「え?」
「ずっと、その……すがたで、いて、ほしい。だれにも、かくさないで……俺の、そばで」
ひどく掠れた、けれど耳の奥が痺れるほど低くて心地よい声。
彼が初めて、スケッチブック越しではなく、自らの声で言葉を紡いでくれたのだ。極度の人見知りである彼が、必死に勇気を振り絞ってくれたことが伝わってきて、私の胸はキュンキュンと限界まで締め付けられた。
(なんだこの可愛い生き物!? 推せる!! ギャップ萌えが凄すぎて私の方が限界化しそう!!)
私とクラウス様が、お互いに顔を真っ赤にして見つめ合っていると、廊下の陰から見ていた老執事とメイドたちが「「「おおおおお……っ!!」」」と拝むように咽び泣く声が聞こえてきた。
辺境の城は今、かつてないほどの温かな春の空気に包まれていた。
――一方その頃。
祖国である王都の空には、文字通りの『暗雲』が立ち込めていた。
「どういうことだ!! なぜ隣国からの関税が今月から十倍に跳ね上がっている!!」
王太子の執務室。
もはや書類の塔は崩壊し、床一面に紙屑が散乱するゴミ屋敷と化していた。
その中心で、王太子は頭を抱えて絶叫していた。
「殿下……それは先月末、隣国との条約更新の書類を提出しなかったペナルティでございます」
宰相が、氷のように冷たい声で事実を突きつける。
「な、なぜ誰も私に教えなかった!!」
「セレナ様が作成されていた『重要度別タスク管理表』を、殿下が『地味な女の小言など見たくない』と暖炉に放り投げたからでございますが」
「ぐっ……!!」
そこへ、バンッ!と勢いよく扉が開かれ、アリシアが泣きながら飛び込んできた。
「殿下ぁっ! ひどいんです! 今日の私のランチ、ただの白身魚のソテーだったんです! いつもみたいな最高級の牛肉のステーキじゃないなんて!! それにデザートだってーーー」
「うるさいっ!!」
王太子は、思わず机をバンッと叩いて遮り怒鳴りつけた。
「ひぃっ!?」とアリシアが肩をすくめる。
「ステーキだと!? 今、この国の国庫は空っぽなんだぞ!! お前が毎日毎日、ドレスだ宝石だと無駄遣いばかりするからだ!! その上、関税のペナルティで我が国は破産寸前だというのに、肉が食えないくらいでガタガタ騒ぐな!!」
「な、なによ……っ。殿下が『君には一番いいものを与える』って言ったんじゃないですか! 私は悪くありません!!」
かつては「真実の愛」とやらで結ばれていたはずの二人は、もはや互いを罵倒し合うだけの醜い関係に成り果てていた。
「ええい、お前など少しは役に立て! そこにある予算の計算書をまとめろ! 私は隣国への謝罪文を書かねばならん!」
怒鳴りつけられたアリシアは、泣きベソをかきながら書類の束に向かった。
(なによなによ、セレナみたいな地味な女がやってたことくらい、私にだってできるわよ!)
彼女はペンを握り、帳簿の数字を計算し始めた。
しかし、「可愛く見られること」と「人から奪うこと」しかしてこなかった彼女の頭脳は、絶望的なまでにスッカスカだった。
支出と収入の項目を逆に書き込み、さらには桁数を間違えてゼロを三つほど多く書き足すという、致命的な計算ミスを連発。
結果として、彼女が提出した予算書は「国家予算の百倍の赤字」というとんでもない数字を叩き出していた。
数日後。
そのデタラメな予算書と、王太子が書いた言い訳だらけの無礼な謝罪文が、王国の命運を決定づけた。
「……貴様ら、一体何事だ!!!」
地方視察から急遽戻ってきた国王が、執務室のドアを蹴り破って現れた。
その顔は怒りで真っ赤に染まり、剣の柄に手が掛かっている。
「ち、父上! これは誤解で……っ」
「黙れこの暗愚が!! お前が提出したデタラメな書類のせいで、隣国から『我が国を愚弄しているのか』と最後通牒が届いたわ!! さらに国庫の金は空っぽだと!? お前たちはこの数週間で、国を一つ滅ぼしたのだぞ!!」
「そ、そんな……っ。私は悪くありません、全部このアリシアが計算を間違えたせいで……!」
「嘘です! 殿下が私に無理やりやらせたんですぅ! 私、セレナみたいな地味な仕事は得意じゃないのにぃ!!」
責任を擦り付け合い、見苦しくわめき散らす二人を、国王は虫ケラでも見るような目で見下ろした。
「……セレナ嬢だと。あの優秀で、奥ゆかしく、この国の実務をすべて担っていたローゼン公爵家の令嬢を、貴様らは『地味だから』という理由で追放したそうだな」
「っ……」
「その結果がこれだ。貴様らは、真の宝石を自らドブに捨て、その辺のメッキのガラクタを拾い上げて喜んでいたのだ」
国王の言葉に、王太子とアリシアの顔面から一気に血の気が引いた。
「王太子は廃嫡。そしてアリシア……貴様の家である伯爵家は取り潰し、連座として両名とも地下牢へ投獄する。死ぬまでそこで、自らの愚かさを悔いるがいい」
「い、嫌ぁぁぁぁっ!! 私は王妃になるはずだったのに!! なんでこんな……なんでセレナばっかり!!」
「待ってくれ父上!! 今からでもセレナを連れ戻せば……っ!!」
「遅いわ!! 彼女は今、北の軍事大国ガレリア帝国の『クラウス辺境伯』の正妻として丁重に迎えられ、その比類なき手腕で辺境を大いに潤していると報告が入っている! あの冷酷無比な氷の貴公子が、彼女に完全に惚れ込み、溺愛しているそうだ! 今さら我々が手を出せば、国ごと氷漬けにされるわ!!」
その言葉を聞いた瞬間、二人の目に映ったのは、完全なる絶望だった。
自分がどれほど有能で美しいものを手放したのか。
自分がどれほど無価値で愚かな存在だったのか。
暗く冷たい地下牢に引きずられていく中で、王太子とアリシアは、自分たちが永遠に手が届かなくなった『セレナ』という存在の大きさに打ちひしがれ、一生終わらない後悔の涙を流し続けるのだった。
――そんな祖国の地獄絵図など、遠く離れた北の辺境にいる私には、全く関係のないこと。
「セレナ。……あーん」
「まぁ! クラウス様、私が自分で食べられますわ。それに、いくら人見知りが治ってきたからといって、使用人たちの前でこんな……っ」
『(いいえ! 妻に美味しいものを食べさせるのは夫の特権です! どうか俺にあなたを甘やかさせてください!)』※ここだけスケッチブック
「もうっ、旦那様ったら」
ポカポカに暖められた執務室で、最強の文官令嬢と、限界突破した大型犬貴公子は、今日も呆れるほど平和で甘い時間を過ごしていたのだった。




