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第4話 規定と感情

白い空間に、音が走った。

それは声ではなかった。

けれど、言葉として理解できる何かだった。


——報告。


唐突に、空間の奥から“それ”が流れ込んでくる。

女神の表情が、一瞬で変わった。

「……っ」

初めて見る顔だった。

驚きでも、困惑でもない。

緊張だ。

それも、かなり強い。

俺には聞こえないはずの何かを、彼女は聞いている。

いや、受け取っている、というほうが近いのかもしれない。


——対象個体、未処理。

——遅延、許容範囲を超過。

——速やかな対応を要求する。


女神の指先が、わずかに震えた。

ほんの一瞬だけ。

だが、それは見逃せるほど小さくはなかった。

「……上からですか」

なんとなく察して、声をかける。

女神は、すぐには答えなかった。

数秒の間。

何かを必死に整理しているような沈黙。

そして、ゆっくりと息を吐いた。

「……はい」

短い返事。

その声は、もう隠しきれていなかった。

「急かされてる感じですか」

「……はい」

また即答。

取り繕う余裕がない。

「どれくらいまずいんですか」

少しだけ踏み込む。

女神は一瞬だけ迷って、それから口を開いた。

「……本案件は、既に通常処理時間を大幅に超過しています」

事務的な言い方。

でもその奥に、焦りがある。

「このまま進展が見られない場合」

言葉が、一瞬だけ詰まる。

「評価の大幅減点、及び——」

視線が揺れる。

「……降格処分の対象となる可能性が高いです」

やっぱりか。

まあ、そうなるだろうなとは思っていた。

「結構ギリギリですね」

「……はい」

間髪入れずに肯定。

もう隠す気もないらしい。

白い空間が、少しだけ重くなる。

さっきまでの“どこか余裕のあるやり取り”は、完全に消えていた。

あるのは、切迫感だけだ。

「……では」

女神が、静かに言った。

声のトーンが変わっている。

少しだけ、硬い。

「最終確認をさせていただきます」

「はい」

「貴方は、いかなる条件を提示されても」

一語一語、確かめるように。

「転生を拒否される、という認識でよろしいでしょうか」

俺は、少しだけ考えた。

考える必要は、ほとんどなかったけれど。

「はい」

短く答える。

「変わりません」

女神は、目を閉じた。

ほんの数秒。

何かを決める時間。

そして、ゆっくりと目を開く。

その目には、さっきまでとは違う光があった。

冷たく、機械的な光。

「……了解しました」

その声音は、最初に会ったときよりも、さらに整っていた。

感情が、削ぎ落とされている。

「規定に基づき、強制処理へ移行します」

「強制処理?」

聞き返した瞬間。

空間が、歪んだ。

白かったはずの世界に、ノイズのようなものが走る。

光が、ざらつく。

「——おい」

思わず声が出た。

女神は、動かない。

いや、動いているのかもしれないが、さっきまでとは違う“操作”のような気配がある。

「対象個体の意思抵抗を確認」

女神の口が動く。

だが、その声は、さっきまでのものとは違った。

平坦で、温度がない。

「制限レベルを段階的に解除」

空間の奥に、何かが開く。

黒い穴のようなもの。

そこから、圧力のようなものが流れ出してくる。

「おい、ちょっと待て」

足元が、不安定になる。

引っ張られる感覚。

「おい!」

女神に向かって叫ぶ。

だが、反応はない。

「意思干渉開始」

頭の奥に、何かが入り込んでくる。

嫌な感覚だ。

無理やり思考をこじ開けられるような。

「——っ、やめろ」

言葉が、少しだけ歪む。

視界が揺れる。

白い空間が、遠ざかる。

代わりに、見たことのない風景が、断片的に流れ込んでくる。

森。空。見知らぬ街。

異世界のイメージ。

「適応処理、開始」

女神の声が響く。

無機質なまま。

だが——

「……っ」

一瞬だけ。

ほんの一瞬だけ、その声が揺れた。

俺は、それを見逃さなかった。

「……やめろって言ってるだろ」

踏みとどまる。

足場なんてないのに、無理やり立つ。

「これは、俺の人生だ」

歪む視界の中で、言葉を押し出す。

「勝手にいじるな」

圧力が、強まる。

意識が引き剥がされそうになる。

それでも——

「……っ、やめてください」

その声は、小さかった。

けれど、確かに聞こえた。

女神の声だった。

今度は、無機質じゃない。

「やめて、ください」

もう一度。

はっきりと。

空間の歪みが、止まる。

黒い穴が、揺らぐ。

「……強制処理を、中断します」

女神が言った。

今度は、完全に“いつもの声”で。

白い空間が、ゆっくりと元に戻っていく。

ざらついていた光が、静まる。

圧力が消える。

俺はその場に立ったまま、荒く息を吐いた。

「……はぁ……っ」

心臓が、やけにうるさい。

痛みはないのに、妙に疲れる。

顔を上げる。

女神は、その場に立っていた。

少しだけ俯いて。

肩が、わずかに震えている。

「……すみません」

小さな声。

それは、最初に聞いた“業務的な謝罪”とは全然違っていた。

「……今のは」

言葉が続かない。

言い訳も、説明も、出てこない。

ただ、沈黙が落ちる。

俺はしばらく何も言わなかった。

言えることが、うまく見つからなかった。

やがて、ぽつりと。

「……やるじゃないですか」

そう言った。

女神が、わずかに顔を上げる。

「上層部に抗ったんでしょ」

視線が合う。

その目は、さっきよりもずっと不安定だった。

「……規定違反です」

かすれた声。

「減点どころでは、済まないかもしれません」

「でしょうね」

あっさり返す。

数秒の沈黙。

それから。

「……でも」

女神が、小さく言った。

「やめろ、と言われて」

言葉が詰まる。

少しだけ、呼吸を整えて。

「……やめられるのなら、やめるべきだと」

ゆっくりと、続ける。

その言葉は、誰かに教えられたものじゃない。

今、この瞬間に、自分で選んだ言葉だった。

白い空間に、静けさが戻る。

けれどその静けさは、もう最初のものとは違っていた。

何かが、確実に変わっていた。

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