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第3話 それでも、選ぶ

「ブラックですね」

自分で言っておいて、少し言い過ぎたかと思った。

けれど女神は、怒るでもなく、ただ小さく息を吐いた。

「……否定は、いたしません」

その声には、妙な軽さがあった。

最初に会ったときの、あの“完璧に整えられた音”とは違う。

少しだけ、疲れている声だった。

白い空間に、また沈黙が落ちる。

けれど今度の沈黙は、さっきまでとは少し違った。

気まずさよりも、考えるための間に近い。

「……辞めればいいじゃないですか」

ぽつりと、言った。

女神の肩が、わずかに揺れる。

「仕事」

続ける。

「そんなにしんどいなら」

簡単なことみたいに聞こえるのは、自分でもわかっている。

でも、それでも言った。

女神は、すぐには答えなかった。

少しだけ俯いて、それからゆっくりと顔を上げる。

「……それは、できません」

「なんでですか」

「規定があります」

「規定って」

「職務放棄は重大な違反行為です」

「罰則は?」

「……存在の剥奪、あるいはそれに準ずる処理」

さらっと言う。

内容は全然さらっとしていない。

「怖いですね」

「はい」

即答だった。

少しだけ、間が空く。

「……ですが、それだけではありません」

女神は続ける。

「私は、この役割を与えられて存在しています」

「役割」

「転生を導く。それが私の“意味”です」

淡々とした説明。

でもその奥に、微かな迷いがある。

「それを放棄するということは」

女神はほんの一瞬だけ、言葉を選んだ。

「……自分の存在理由を、捨てることになります」

静かに言った。

白い空間が、また少しだけ静かになる。

なるほど。

そういう話か。

「……それでもいいんじゃないですか」

俺は言った。

女神の目が、わずかに動く。

「意味とか、理由とか」

肩をすくめる。

「なくても、生きてるやついくらでもいますよ」

「……人間の話でしょうか」

「俺の話です」

即答した。

女神が、少しだけ黙る。

その沈黙の中で、俺は続けた。

「別に、大したもんじゃないですよ」

頭の中に、いくつかの光景が浮かぶ。

暗いオフィス。光りっぱなしのモニター。終わらないタスク。意味のわからない指示。

「仕事して、怒られて、また仕事して」

笑う。

乾いた音だった。

「何のためにやってんのか、わかんなくなる時もある」

女神は何も言わない。

ただ、聞いている。

「それでも、まあ」

少しだけ言葉を探す。

「やめてもいいし、続けてもいい」

ぽつりと落とす。

「でも、それは自分で決めたいんですよ」

顔を上げる。

女神と目が合う。

「誰かに決められるのは、なんか違うんで」

静かに言った。

女神は、しばらく何も言わなかった。

その表情は、読めない。

ただ、最初に見たときよりも、ずっと“人間に近い”顔をしていた。

「……では、貴方は」

やがて、ゆっくりと口を開く。

「元の世界に戻り、再びその生活を送ることを望むのですか」

「望んでるかって言われると、微妙ですね」

正直に答える。

「できれば楽したいですし」

「……ではなぜ」

「でも」

遮るように言う。

「それでも、そっちを選びます」

女神の目が、わずかに見開かれる。

「楽じゃなくても」

続ける。

「ちゃんと自分で選んだほうが、マシなんで」

言い切る。

白い空間に、その言葉だけが残る。

長い沈黙。

女神は、何かを考えているようだった。

その思考の流れが、少しだけ見える気がした。

「……非効率です」

やがて、そう言った。

「そうですね」

「成功率も低い」

「でしょうね」

「苦痛も多い」

「知ってます」

全部、肯定する。

それでも。

「……それでも、ですか」

「それでもです」

間を置かずに答える。

女神は、黙った。

そして、ほんの少しだけ——

笑った、ように見えた。

本当にわずかで、すぐに消えたけれど。

「……理解は、できません」

そう言う。

「でも」

続ける。

「完全に否定も、できません」

その言葉は、最初に会ったときには絶対に出てこなかったものだった。

俺は少しだけ肩をすくめる。

「別に、理解しなくていいですよ」

「……そういうものですか」

「そういうもんです」

軽く返す。

また少し、沈黙。

けれど今度の沈黙は、悪くなかった。

対立しているはずなのに、どこかで噛み合い始めている。

そんな感覚。

「……あの」

女神が、少しだけためらうように口を開く。

「はい」

「もし」

言葉を選びながら、続ける。

「もし仮に、貴方が元の世界に戻ったとして」

「はい」

「その結果、さらに状況が悪化した場合でも」

視線が、わずかに揺れる。

「……後悔は、なさいませんか」

静かな問いだった。

責めるでもなく、試すでもなく。

ただ、純粋な確認。

俺は少しだけ考える。

そして、答えた。

「すると思いますよ」

あっさりと。

女神が、一瞬固まる。

「きっと」

続ける。

「“あっち行っとけばよかったな”とか、思うかもしれない」

笑う。

「人間なんで」

女神は、言葉を失ったように黙り込んだ。

たぶん、その答えは予想していなかったんだろう。

「でも」

最後に付け加える。

「それも含めて、自分で選んだ結果なんで」

視線をまっすぐ向ける。

「それなら、まあ、いいかなって」

静かに言った。

長い、長い沈黙。

白い空間に、何も音がない。

女神は、しばらく動かなかった。

まるで、何かを測り直しているみたいに。

そして——

「……難しいですね」

ぽつりと、そう言った。

その声は、どこか少しだけ——


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