第2話 女神、焦る
沈黙が、やけに長かった。
白い空間の中で、俺と女神は向かい合ったまま動かない。
さっきまで流れていた“説明のテンプレ”が、どこかで止まってしまったみたいだった。
「……少々、お待ちください」
女神はそう言って、視線を少しだけ横にずらした。
何もない空間のはずなのに、まるで“見えない画面”でもあるみたいに。
数秒。
さらに数秒。
そして——
「…………はぁ」
ため息。
はっきりと聞こえた。
俺は思わず眉を上げる。
「今、ため息つきました?」
「ついておりません」
「いや、つきましたよね」
「ついておりませんが」
即答だった。
さっきまでの丁寧さはそのままに、ほんの少しだけ“雑”が混ざっている。
なるほど。
これは、そういうやつか。
「……あの」
女神は軽く咳払いをした。
「貴方の件につきまして、上層部への確認を試みましたが——」
「はい」
「現在、非常に混み合っておりまして」
「コールセンターか何かですか?」
「そのような理解で概ね問題ございません」
あるんだ。
神界にもピークタイム。
「ですので、個別案件としての対応が求められます」
「つまり?」
「私の裁量で、貴方を転生させる必要があります」
「断ります」
「即答を控えていただけますか」
わずかに語尾が強くなった。
女神は一度目を閉じて、呼吸を整える。
整えているのがわかる時点で、もうだいぶ人間くさい。
「……では、改めてご提案いたします」
再起動、という感じだった。
「貴方専用にカスタマイズされた異世界を用意可能です」
「いらないです」
「魔法、科学、いずれの体系も選択可能です」
「いらないです」
「文明レベルも調整可能です。原始的な世界から高度文明まで——」
「いらないです」
「……なぜそこまで頑ななのですか」
ついに聞いてきた。
さっきも似たようなことを聞かれた気がするが、今度は少し温度が違う。
「さっき言ったじゃないですか」
「“自分の人生だから”という点については理解しております」
「じゃあ終わりで……」
「終わらせないでください」
食い気味だった。
一瞬、間が空く。
女神は、自分で自分の言葉に驚いたように目を瞬かせた。
……ああ、これ。
だいぶ追い込まれてるな。
「……失礼いたしました」
取り繕うように言う。
けれど、さっきまでの完璧さには戻らない。
「では、別の観点からご説明いたします」
「どうぞ」
「転生は、個人のためだけに行われるものではありません」
少しだけ、声が低くなる。
「世界の均衡、魂の循環、複数の要因が関与しております」
「はい」
「貴方一人の拒否が、全体に影響を及ぼす可能性もございます」
「なるほど」
俺は頷いた。
「じゃあ尚更ダメですね」
「なぜですか」
「そんな重要なシステムに、俺みたいなの組み込んでいいんですか?」
女神が、止まる。
「不良品ですよ、俺」
「……そのようなことは——」
「仕事もロクにできないし、要領も悪いし、別に優秀でもない」
淡々と並べる。
「そんなの送り込んで、世界壊れたらどうするんです?」
沈黙。
女神の目が、わずかに揺れる。
図星、ではない。
たぶん、“想定外”だ。
「……適性に関しては、調整可能です」
少しだけ遅れて、言葉が返ってくる。
「能力付与により、あらゆる問題は解決可能です」
「だから、それが嫌なんですよ」
即答する。
「調整されるのが」
言った瞬間、空気が少し変わった。
女神の表情が、ほんのわずかに歪む。
「……調整とは、より良い結果を得るための最適化です」
「つまり、“俺じゃなくなる”ってことですよね」
女神の口が、閉じる。
「性格も、能力も、環境も、全部いじって」
「それは——」
「それでうまくいったとして、それ誰の人生ですか?」
問いかける。
答えは来ない。
女神は、しばらく黙ったままだった。
やがて、ぽつりと。
「……効率的では、あります」
小さく言った。
その声は、さっきまでよりもずっと小さかった。
「でしょうね」
「失敗のリスクを最小限に抑えられます」
「でしょうね」
「……評価も、安定します」
そこで、はっとしたように口を閉じた。
俺は少しだけ首を傾げる。
「評価?」
「……いえ」
「今、評価って言いましたよね」
「申し上げておりません」
「言いましたよね」
「言っておりませんが」
さっきと同じやり取り。
でも今度は、誤魔化しきれていない。
沈黙。
女神は、少しだけ視線を逸らした。
その仕草が、やけに人間くさい。
「……あの」
「はい」
「この件が長引くと、その……」
言い淀む。
言うべきかどうか、迷っているのがわかる。
数秒。
そして、諦めたように息を吐いた。
「……私の評価が下がります」
言った。
はっきりと。
白い空間に、その言葉だけがやけに重く落ちる。
「へえ」
俺は素直に相槌を打つ。
「やっぱりそういうのあるんですね」
「……ございます」
「ノルマとか?」
「……ございます」
「未達だと?」
「降格、あるいは——」
そこで、言葉が止まる。
言いたくないのが、はっきりとわかった。
「あるいは?」
少しだけ促す。
女神は、ゆっくりとこちらを見た。
その目には、さっきまでなかった色が浮かんでいる。
「……資格を失います」
静かに言った。
白い空間が、ほんの少しだけ冷えた気がした。
「神、やめることになるんですか」
「正確には、“神でなくなります”」
言い方が、妙に事務的だった。
でも、その奥にあるものは事務的じゃない。
「へえ……」
少しだけ考える。
なるほど。
これは。
「……大変ですね」
そう言うと、女神は一瞬だけ目を見開いた。
たぶん、その反応は想定してなかったんだろう。
「……同情、でしょうか」
「いや、事実として」
肩をすくめる。
「ブラックですね」
女神の表情が、完全に止まった。
数秒。
数秒。
そして——
「……否定は、いたしません」
ぽつりと、そう言った。
その声は、最初に聞いたときよりもずっと“軽かった”。
軽くて、少しだけ、疲れていた。




