第38章
正門は僅かに開いていた。神谷と鈴村はそこを通ると、目の前に見える下駄箱へと向かった。下駄箱も特に施錠はされておらず、全開となっていた。漆黒の学校に、2人は足を踏み入れた。
「開いてますね。」
「うん。」
「夜の学校、怖いんですけど。」
「祓禍衆が何言ってんだ。」
「だって!怖いもんは怖いんですよ!」
2人はそのまま校舎の中に入ると、廊下を進み、階段を登り始めた。
「場所が変わってなければ、3階にある2年B組です。」
「分かってる。いるよ。感じる。」
目的の教室に近付く度に、足が重くなるような、そんな気配が漂っていた。次の瞬間、巨大な唸り声が聞こえてきた。2人は思わずその場で立ち止まった。
「手筈通りに。」
「⋯はい。」
3階に辿り着き、『2年B組』の札を目印にゆっくりと進んで行く。そして教室の中に、2人はついに足を踏み入れた。
「やっと来たなご両人。遅かったじゃないか。」
教室内にある机や椅子は、ぐちゃぐちゃに重なり合い、教室の周りを囲むように積み上げられていた。冥縛は窓の近くにある机に腰掛け、足を前後に振っていた。目は完全に充血しており、血管も濃く浮き出ている。
「ここは思い出の場所⋯らしいぞ?だから来てやったんだ。あっはっはっはっ!」
神谷と鈴村が鞄を降ろすと、鈴村はすぐに鞄を触り始めた。開いていた教室の扉がピシャッといきなり閉じた。
「決着を付けに来たのか神谷。それに小娘も。この哀れな祓い師共め!」
神谷は、冥縛の目の前に移動した。
「櫻井千鶴さん、聞こえているはずだ。そこにいてはいけない。」
「俺は冥縛だっ!」
「それは、人間が勝手に付けた名前なんだろう?」
「はっはっはっはっ!今は気に入ってるよ!」
ケタケタと笑いながら、冥爆はより手足をばたつかせた。鈴村は鞄から白い紙がついた祓串を取り出した。そして神谷に近付き、彼には小さな鈴を手渡した。神谷はその鈴を右拳で握り締め、左手で右拳を優しく包み込んだ。
「2人並んでどうするつもりだ!?ああ!?」
教室の窓ガラスがギシギシと揺れる。辺りに冷気が溢れてきた。
「祓え、魂。」
「祓え、魂。」
「祓え、邪よ。」
「祓え、邪よ。」
神谷の後に、鈴村がすぐに復唱する。その度神谷の拳が揺れ、鈴が鳴り、鈴村が祓串を力強く振る。
「退け、この邪物。」
「退け、この邪物。」
「下がれ、この邪物。」
「下がれ、この邪物。」
「あっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」
冥縛が眼力を入れると、神谷と鈴村は圧を受け、後ろに引きずられた。鈴村は2メートル程、神谷はほとんど下がらなかった。
「滅せよ、邪物。お前は、ここにいてはならん。」
「滅せよ、邪物!お前は、ここにいてはならん!」
「俺がここにいるのは、お前達人間のおかげだぞ!?」
冥縛が教室をゆっくりと歩き回り始めた。神谷と鈴村は冥縛から目を離さず、ただ無心に唱え続ける。
「去れ、愚物。お前は、ここにいてはならん。」
「去れ、愚物!お前は、ここにいてはならん!」
冥縛は頭を前に突き出し、神谷を威嚇する。まるで獰猛な獣のように。その瞬間、神谷が左手で冥縛の顔面を掴んだ。冥縛の叫び声と共に、白い湯気が立ち昇る。
「朽ち果てろ。お前は朽ち果てねばならぬ。」
「朽ち果てろ!お前は朽ち果てねばならぬ!」
鈴村が、袖に忍ばせた清め塩を冥縛に振り掛けた。
「小娘がっ!」
冥縛が叫ぶと、鈴村はまた後ろに数メートル押し戻された。
「ぐぐぐぐっ⋯この野郎がっ⋯!」
「この手を離せっ!離さぬかっ!」
冥縛が体をねじりながら、神谷に喰らいつく。神谷は、自身の左手を冥縛の顔面から離さない。鈴村は走って冥縛の後ろに回り込むと、右手の掌を、冥縛の背中に押し当てた。肉が焼けるような音と煙が、鈴村の手からも上がる。鈴村は苦しそうな表情を浮かべた。
「逝ね。」
「逝ねっ!」
「逝ね。」
「逝ねっ!」
冥縛は絶叫すると、さらに一段と大きな唸り声を上げた。すると神谷と鈴村は、激しく吹き飛ばされた。神谷は黒板に、鈴村は積み上げられたテーブルに叩きつけられた。神谷は即座に立ち上がり、右手で印を結び、その印を冥縛に向けた。
「呪・解・滅・心。呪・解・滅・心。」
「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!」
冥縛が神谷に飛び掛かった。しかし、神谷の前には見えない壁が存在した。冥縛はその壁にぶつかり、態勢を崩したが、その壁を引っ掻くように、両手を大きくバタバタと動かし始めた。
鈴村は痛みを堪え、何とか立ち上がった。
「痛えよ、このクソ野郎が。」
そう言うと鈴村は、自分の右足と左足に印を唱え、冥縛に向かって走りだした。そして右足で、思い切り冥縛の右脇腹に蹴りを入れた。冥縛は横に転がったが、すぐ態勢を保ち直した。
「小娘が!貴様のような分際で⋯。」
そう言いかけて、冥縛はまた鈴村の蹴りを喰らった。今度は彼女の左足が、右側頭部に命中し、冥縛は完全に地面に伏した。神谷は、すかさず冥縛に馬乗りになった。両手で冥縛の両側頭部を抑えつける。
「鈴村!」
「はいっ!」
鈴村は冥縛の額に、札を貼った。そして人差し指と中指で、そのまま額に強く押し付けた。
「ぐかぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁああっ!」
冥縛が叫び、体をバタつかれる。神谷と鈴村は必死に冥縛を抑え、再び唱え始めた。
「呪・解・滅・心!」
「呪・解・滅・心っ!」
「滅・心・崩・砕!」
「滅・心・崩・砕っ!」
神谷が冥縛の顔に、ぐっと近付いた。
「去れ!去るのだ冥縛!お前は世祓いされた、過去の存在だ!去れ!逝ね!」
「去れ!逝ね!堕ちし存在よ、再び還れっ!」
鈴村も絶叫する。しかし、冥縛が全身に力を入れたかと思うと、またしても神谷と鈴村は吹き飛ばされてしまった。倒れ込む2人を見て、冥縛は横になったまま笑い声を上げた。まるで校内中に響き渡るような、そんな笑い声だった。
「ひゃっはっはっはっはっはっはっはっ!」
冥縛は笑い声を上げたまま、ゆっくりと起き上がった。額に貼られた札を乱雑に剥がすと、それが一瞬にして燃え尽きた。
「所詮、お前達などこの程度。どうする事も出来んのだ。」
神谷は立ち上がると、両手で印を結んだ。
「鎮魂断魔封絶影帰滅⋯。」
経を唱え始めた神谷に、冥縛は近付いた。楽しそうな表情を浮かべながら、神谷の事を至近距離で見つめる。
「べらべらべらべら⋯何を喋っても無駄だぞ?」
鈴村が後ろから冥縛に抱き着いた。
「鎮魂断魔封絶影帰滅っ⋯!」
鈴村も神谷と同じ様に唱え始めたが、冥縛はすぐに鈴村を振り祓い、また彼女を教室の端のほうへと吹き飛ばした。机と椅子にぶつかり、鈍い音を立てながら、鈴村は床に落ちた。
「ぐあっ。」
「小娘が。そう言えば前に言ったな?お前の秘密を知っていると。」
冥縛は、床に肘を付く鈴村の頭を掴むと、ぐいっとそのまま持ち上げた。鈴村が苦悶の表情で、冥縛をの事を睨む。
「お前には双子の姉がいた。だが、産まれる時に死んだ。何故か分かるか?お前のせいだ。お前のせいで死んだんだ。両親は既に名前も決めていたな⋯確か⋯そうだ、明日菜だったか?」
「⋯黙れゴミがっ⋯!」
「お前は人殺しだ鈴村。姉殺し。家族を殺した、ろくでなしだ。」
「確かに⋯私が産まれてこれたのは⋯亡くなったお姉ちゃんのおかげかもなっ⋯。」
鈴村は笑みを浮かべた。
「そのおかげで⋯お前みたいなカスをブチ殺せる。」
経を唱え終わった神谷が、大きく手を叩いた。冥縛の体が突如宙に浮き、苦しそうに手足を伸ばした。宙に拘束された冥縛の瞳が、徐々に白くなっていく。鈴村は立ち上がり、ヨロヨロと歩くと、神谷とは反対側に位置した。神谷はいつの間にか、鞄から長くて大きな数珠を取り出して、首に掛けていた。鈴村も、床に落ちていた祓串を再び手に持った。
「祓え、呪者よ。」
「祓え、呪者よ!」
冥縛の体が、徐々により上へと昇っていく。
「汝、藤代優実から脱せよ。汝、藤代優実から脱せよ!」
「藤代優実から脱せよ!藤代優実から脱せよ!」
教室全体が振動し始め、机や椅子が転がり落ちる。
「冥縛!この者から去れ!」
「冥縛!この地から去れ!」
「冥縛!この世から去れ!」
「冥縛!堕ちよ、己の故郷に!」
神谷と鈴村が交互に唱えていく。冥縛の体から、白い湯気が立ち始め、大きく開いた口からは、黒い瘴気が立ち昇ってきた。しかし。
「ゆみちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁんんんっっっっ!」
冥縛否、櫻井千鶴がそう叫ぶと、教室内の窓ガラスが粉々に砕け散り、神谷と鈴村はまたしても吹き飛ばされた。藤代の体は床に落ち、その場で苦しみながら、涙を流し始めた。神谷は這いつくばりながら、彼女に近付き、手を握り締めた。冷たい雨風が、教室の中に容赦なく入ってきた。
「櫻井千鶴さん、あなたはここにいてはいけない。藤代優実さんから離れなさい。」
「ゆみちゃんゆみちゃんゆみちゃんゆみちゃん。」
「冥縛は今、弱っている。今なら離れられる。君なら出来るはずだ。」
「ゆみちゃんゆみちゃんゆみちゃんゆみちゃん。」
「冥縛と共に、藤代優実さんから出て行きなさい。君が連れて行くんだ。」
「ゆみちゃん⋯ゆみちゃん⋯ゆみちゃん⋯。」
「君が大切な人の事を想うなら、こんな事をしてはいけない。」
「うるさいっ⋯!」
櫻井が大きく手を払うと、神谷は宙で1回転し、地面に叩きつけられた。
「うぐっ⋯。」
「ゆみちゃんは⋯私と⋯一緒なの。」
櫻井はフラフラとその場に立ち上がった。
「何で⋯一緒にいちゃいけないのっ!?」
櫻井は足下を見た。額から血を流した鈴村が、櫻井の両足首をガッチリと掴んでいた。
「そりゃあ、あんたが死んでるからだよ。」
櫻井が鈴村に気を取られた瞬間、神谷が目を見開いた。櫻井が神谷と目を合わせた瞬間、彼女は神谷の“術”に落ちた。
「ぶっちゃけ⋯同時祓いでも、冥縛はキツい。」
「ええっ。」
数時間前、神谷がボソッと鈴村に伝えた。鈴村が絶望する。
「じゃあ、どうすんですか!?」
「櫻井千鶴に協力してもらう。」
「さ、櫻井千鶴に?」
「俺と鈴村と櫻井千鶴、3人で冥縛を祓う。それしかない。」
「どうするんですか?」
「櫻井千鶴の母校にいるかもしれないが、主導で肉体を支配しているのは冥縛だ。間違いなく奴が出てくる。」
「はい。そうでしょうね。」
「だから俺と鈴村で、何とか冥縛を弱らせる。そうしたらきっと櫻井千鶴が出てくる⋯と思う。」
「思うって。」
「冥縛と繋がってるから、冥縛が藤代優実から離れようもんなら、自分もどうなるか分からない。きっと、櫻井千鶴はそう思ってるはずだ。だがら冥縛が弱ったら彼女が表に出てくる。そこを叩く。叩くというか⋯」
「叩くというか?」
「話す。」
夕暮れの教室。制服姿の櫻井は、自分の座席で目が覚めた。辺りを見渡すが、そこには自分しかいない。思わず席から立ち上がった彼女は、声を上げた。
「ゆみちゃん!」
「ここにはいない。」
気が付くと、神谷が藤代の座席に座っていた。
「⋯これは何?」
「君の世界だよ。」
櫻井は、じっと神谷の事を見つめた。
「本当の始めましてだね。神谷潤です。やっと会えましたね、櫻井千鶴さん。」
「勝手に入って来たんですね。」
「申し訳ない。こうするしかなかったんだ。」




