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第35章

 櫻井は五十嵐に言われるがまま2階へと案内され、ある部屋へと通された。広々としたスペース。そこには何十人もの従者達がいた。服装は揃っておらず、各々私服のまま、ここに来ているようだった。立ったままぶつぶつと何かを呟く者、座ったまま手を重ね拝み続ける者、個々に何かにすがるような挙動を繰り返す者達の姿を、櫻井は気味悪そうにじっと見つめた。何も知らない者がこの光景を見たら、きっと典型的な怪しい宗教団体だと思うだろう、櫻井はそう思った。




「美しいと思いませんか?」




五十嵐が櫻井に語り掛ける。




「美しい?」




「人間が、何かにすがる姿がですよ。」




櫻井から見れば、そこに美しさ等は無く、ただただ哀れで滑稽な姿にしか見えなかった。しかし、自分は今この場にいる。自分も彼らと違いない。櫻井は自らを軽蔑しながらも、仕方がないと冷静に受け止めた。




「彼らは何をしているんですか?部屋には何もありませんし⋯これが何かを呼んでいる⋯という事ですか?」




「いえ、これはそうですね⋯彼らなりの献身運動とでも言いましょうか。乞うているのですよ。」




「乞うている⋯。」




「正直言って、これを櫻井さんに見せてどうという事ではありません。ただ、知って欲しかったのです。なりふり構わず救いを求める者達がいる。そして、その姿は美しいのだと。」




「正直言って、美しさなんて微塵も感じません。」




「そうですか。」




「私は、妻と娘に会えるのか、それを知りたかっただけです。」




「自らの意思で、狙ったタイミングで、霊魂をこの世に降ろすのは、とても困難です。それが簡単に出来るのなら、ここは大人気施設になっているでしょう。」




やはり勧誘目当ての宗教団体。櫻井は急に我に返った。自分は何をしているんだと、己を責める。何故こんな薄気味悪い所に、わざわざ足を運んだ?櫻井は恥ずかしさまでをも感じ始め、こんな場所に出向いた自らに嫌悪感を向けた。




「だとしたら、俺がここに来た意味はありません。失礼しました。」




櫻井は軽く会釈すると、その場から去ろうと後ろを振り返った。




「どうして諦めるのですか?ここまで足を運んだというのに。」




五十嵐の釘を差す言葉に、櫻井の足が止まる。




「頭がおかしくなった虚しい人間達が、祈りを捧げている。俺にはそうとしか見えない。こんな事に何の意味があるんです?」




「ここだけ見れば、そう思われても仕方がないかもしれません。」




「⋯他に何が?」




「こちらへ。」




五十嵐はその言葉を待っていたと言わんばかりに、さらに足を進め始めた。仕方なく、櫻井は彼に付いていく事にした。祈りを続ける者達の後ろを通り、さらに奥へと続く扉を目指す。黒く、年季の入った木製の扉。五十嵐は鍵を取り出すと、直ぐ様解錠した。




「何ですか?ここは。」




「櫻井さん。あなたはきっと成せる。私はそう感じるんです。あなたが今日ここに来たのは、運命ですよ。」







どれくらいの時間が経ったのか、中川には分からなかった。ただ、車がガタゴトと大きく揺れる回数が増えたため、少なくとも車が走っている道は、舗装された道では無い事は明らかだった。微かに見えるフロントガラスからは、漆黒しか確認出来ず、所在地などまるで分からない。中川は、体の痛みを感じながら目を瞑った。




しばらくして、いきなり車が停まった。砂利が擦れるような音が響いた。櫻井はエンジンを切らずに席を降りて外に出ると、何処かへと行ってしまった。しかし、すぐに車へと戻って来て、後部ドアを開けた。




「着いたぞ。」




櫻井は何処からか、ガタが来ていそうな車椅子を持ってきた。彼は中川に近付き、彼女を引きずるように運ぶと、持ち上げるようにして、雑に彼女を車椅子に座らせた。中川は痛みに怯え、殴られぬように、無駄な抵抗はしなかった。




車のフロンライトが、目の前にある小さなプレハブ小屋を照らしている。とても古く、何かあれば、すぐにても崩れてしまいそうな見た目をしている。櫻井は車椅子を押して、そこに向かい始めた。引き戸になっているドアを開け、車椅子ごとその中に入って行く。小屋の中には何もなく、ただ床一面にブルーシートが引かれていた。櫻井はさらに車椅子を押し、ブルーシートの中央にそれを停めて、くるりと回転させ、中川が自分の方を向くように調整した。櫻井は大きく息を吐くと、小屋の隅に置いてあったランタン式ライトの電源を入れた。




「怖いか?」




ライトに照らされた櫻井の顔に、中川は狂気を見た。櫻井は、また彼女の口に貼られたガムテープを乱暴に剥がした。




「ここなら叫んだところで誰も来ない。だが、叫ぶなよ?うるさいのは御免だ。」




「⋯お願いします⋯解放して下さい。」




「何?」




「解放して下さい⋯助けて下さい⋯。」




「千鶴をいじめたんだろ?何かしたんだろ?俺は、その答えが聞きたい。」




「⋯いじめ⋯いじめなんかしてません⋯本当です。」




「千鶴が亡くなって、しばらくした後だ。遺品を整理していたら、ノートに挟まった、あの紙が出て来た。あれはなんだっ!あの書き殴ったような文字はなんだっ!?」




「知らないっ!」




「本当にとんでもない奴だ⋯なら、どうして千鶴はお前の背中を刺したんだ?理由があるはずだろ!」




「⋯知らない!⋯知らないんですっ⋯!本当なんですっ!信じて下さいっ!」




「娘はどうやら同性愛者だった。」




その言葉を聞いた瞬間、中川は黙り込み、顔色を変えた。




「色んな人間がいる。そんなの当たり前だ。女性が女性を好きになる事だって、何ら不思議な事じゃない。でも⋯でも高校生くらいの多感な時期だと、その事が理解出来ず、認めない子もいるだろう。酷い言葉を投げ掛ける子もいるだろう。理解出来ないんだろうなぁ⋯高校生くらいの年じゃ。」




「⋯違うっ⋯知らない知らないっ⋯!」




「“いじる”って言うのか、そういうの。」




「知らない知らない知らない知らないっ。」




中川は再び大粒の涙を流しながら、体を震わせた。




「そうか。もういい。よく分かった。」




櫻井は中川の目の前に立ち、怯える彼女を見下ろした。




「お前を使う。」




櫻井のその言葉を聞いて、中川は絶望した。やはりこの男は狂っている、と。櫻井は背負っていたリュックサックを床に置き、再びその中から白い骨壺を取り出した。そしてそれを、車椅子に座らされている中川の目の前に置いた。




「上手く見つけ出せるといいんだが。千鶴の喉仏を。」




櫻井が骨壺を見ながら、ぽつりと呟いた。






11年前に五十嵐英樹と出会い、あの部屋に案内された櫻井は、この世にそのような類が存在すると確信した。そして彼は影降衆に身を置き、妻と娘を降霊しようと決意した。再び会える可能性があるのなら、それに賭けたい。もはや何も失う物が無い櫻井は、家族との再会だけを夢見て生きていく事にした。




とはいえ降霊は簡単では無い。様々な儀式や方法が存在するらしく、さらにそれをしたからといって、必ずしも降霊が成功するとは限らなかった。




「影降衆の1番大切な掟が何だか分かりますか?櫻井さん。」




「何ですか。」




「人に物理的な危害を加えない、という掟です。」





しかしどんなに儀式を模索し、研究を重ねても、櫻井の願いが叶う事は無かった。まずそもそも、死者の魂を降霊する場合、霊魂をそのまま降ろすのか、物理的に誰かの肉体を媒介にして、霊魂を降ろすのかで方法が全く異なっていた。櫻井は会いたかった。“物理的”に家族と再会したかったのだ。




次に問題なのは、狙った霊魂を降霊する事は、極めて難しい事であるという点だった。数え切れない程の霊魂の中から、降霊したい霊魂を見付け出す事は、ほとんど不可能だと五十嵐は櫻井に答えていた。だからこそ、霊に会う事を望む人間は、目当ての霊魂と出会うために、何度も降霊に挑むのだと。しかし、その弊害として、時に良からぬ存在を間違えて降ろしてしまう事もあるという。




すなわち影降衆は、降霊が出来ても、狙った霊魂を降ろす事が出来ない。櫻井にとって、極めて利用価値が低い集団である事がすぐに分かった。




「五十嵐さん。」




ある日櫻井は、五十嵐に尋ねた。




「何です?」




「あなた方が降ろした、今までで1番大きな存在は何ですか?」




「その質問は難しいですね。何を“大きい”と取るかによります。」




「では、俺が望むような答えを。」




「⋯昔の話ですよ?もう何百年も昔の話です。人の魂を利用する事によって、この世に降ろす事が出来る強大な存在がいました。」




「魂を利用する?」




「その存在は、自力でこちらの世界に来る事が出来ない。だから、この世界に来る事が出来る霊魂にしがみつく事によって、こちら側に来れるという訳です。」




「つまり⋯どういう事ですか?」




「その存在は、霊魂を見つけ出せる。我々と違って。」




「霊魂を⋯見つけ出せる。」




「見つけて貰えるのですよ。あなたの会いたい人を、1人だけ。」




「⋯その強大な存在の名前は?」




「教えたら、あなたはきっとその存在を降ろそうとする。」




「駄目なんですか?」




「伝承されている降ろす方法は、法律上、人に危害を加える必要があるんですよ。今の影降衆では出来ません。」




「教えて下さい。教えてくれれば、俺は影降衆を辞めます。」




「私達は櫻井さんに、利用されるだけですか?」




「その強大な存在をこの世に降ろす事が出来る。しかも、自分達の手を汚さずに。いい話じゃないですか。」




「面白い。」






「何をするの⋯!?何をっ!」




中川が泣き叫ぶと、櫻井は容赦なく彼女の頬を殴った。




「喚くな。」




「ううっ⋯うぅぅぅうぅぅぅっっ!」




櫻井は骨壺の蓋を開け、敷かれたブルーシートの上に、その中身を出した。カラカラと乾いたような音が鳴り、白い骨片が散らばった。中川はその光景を見て、より恐怖を覚えた。




「見えるか?千鶴だ。」




そう言いながら、櫻井は指で骨片を触り始めた。




「よし、これだな。あった。」




櫻井は小ささ骨片を1つ摘むと、それを中川に見せた。




「千鶴の喉仏だ。良かったよ。綺麗に残っていた。人によっては、バラバラになってしまっている場合もあるからな。」




「お願いだからやめてっ⋯!お願いします⋯!」




中川は何をされるか分からないながらも、助けを懇願し続ける。




「千鶴を迎えるんだ。」




そう言うと櫻井は中川に近付き、顎を掴むと、喉仏の骨を無理矢理に中川の口の中に押し込んだ。そして、そのまま力付くで口を閉じさせた。




「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっっっっ!」




「飲め。飲むんだ。飲めっ!飲めっ!」




中川は涙をボロボロとこぼしながら抵抗するが、中川に口と鼻を押さえられ、どうする事を出来なかった。彼女はただ生きるために、小さな小さな骨片を飲み込んだ。中川の喉が動いたのを確認した櫻井は、ようやく彼女を解放した。中川ば大きく咳き込み、よだれを垂らした。




「うぁぁぅぁぅぅぅうぁぅぁぁあぅ。」




中川が衰弱仕切っている。




「よく飲み込めた。偉いぞ。今、お前の中に千鶴が入ったな。」




「何なのっ!何をっ!何をするのっ!」




「怨みを持つ者に、千鶴は降りる事が出来る。冥縛と共に。いや、冥縛が降ろすんだ。」




「何をっ!?何を言ってるの!?このイカれ野郎っ!」




中川はリュックから金槌を取り出し、それを握ると彼女に近付いた。




「何っ!?何なのっ!何するのっ!?」




「昔はこうしたらしい。」




櫻井は金槌を、中川の右手首に容赦なく振り下ろした。彼女の骨が砕ける音が響いた。




「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」




中川が絶叫する。




「痛みが呼ぶらしい。」




櫻井はすぐ横に移動して、今度は中川の左手首と金槌を振り下ろした。また骨が砕ける音と、彼女の絶叫がこだました。




「ぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」




「足もだ。」




櫻井は金槌で彼女の右脛すねを思い切り殴りつけた。何度も、何度も金槌を振るう度に、また中川の骨が砕ける散る。




「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぎゃぁぁつっつつつつっ!」




「千鶴の方が何倍も痛かったはずだ!あの子は死んでるんだぞっ!」




今度は中川の左脛すねに金槌が振り下ろされる。




「あぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁっっ!」




中川の四技を砕いた櫻井は、大きく呼吸をした。




「助けてっ⋯助けてっ助けてぇぇぇぇぇっっっ!」




中川は痛みで意識を失いそうになりながらも、懸命に助けを呼ぶ声を上げ続ける。そんな彼女を見ながら、中川は目の前で膝をついた。




「朋子すまない。俺は千鶴を⋯。」




「誰か助けてぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっ!」




「冥縛、冥縛、冥縛⋯。」




櫻井が両手を広げた。




「櫻井千鶴は汝の者。降りよ。千鶴が憎悪を抱く者に、彼女と共に降りたまえ。櫻井千鶴は汝の者。降りよ。千鶴が憎悪を抱く者に、彼女と共に降りたまえ。櫻井千鶴は汝の者。降りよ。千鶴が憎悪を抱く者に、彼女と共に降りたまえ。」




小屋の中の温度が下がり始め、2人の口から白い息が出始めた。




「何っ⋯何っ⋯こ⋯れっ⋯。」




「この女を好きにして良い。お前の血とし、骨とし、肉としろ。ただし千鶴も連れて来い。」




「あ⋯。」




中川がゆっくりと天井を見上げ始めた。




「冥縛、櫻井千鶴と、この地に来い。私が許す。」




「がっ。」




中川の体が震え始めた。




「私が許す。来い。この地を好きにしろ。だから娘を連れて来い。」




「あがっ。」




「おいで、千鶴。」




「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっっっっっ!」




中川が絶叫した瞬間、彼女の腹が内側から裂けた。激しい血液が飛び散り、服越しだというのに、櫻井の顔に血痕を散らした。中川は既に事切れていた。




「何だ。どういう事だ!?おいっ!」




櫻井が中川の肩を揺らす。彼女はすでに絶命していた。




「何でっ⋯何故だ⋯どういう事だっ!何故だ何故だ!」




中川は降霊の儀式が失敗したと悟った。






「ゆみちゃん。」




中川が絶命した瞬間。たまたま目を覚まし、リビングのソファに座っていた藤代は、声が聞こえた気がした。後ろから誰かに抱き着かれる。懐かしい匂いがして、涙が溢れそうになった。ただ、自分の体を優しく抱き締めるその手は、何故か赤黒い色をしていた。




それでも藤代は嬉しかった。彼女を感じた気がしたから。



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