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第33章

「櫻井始さん、ですよね?」




神谷は落ち着いた声色で彼に尋ねた。その間に、鈴村はペロリとチョコレートケーキを食べ終えていた。




「⋯何ですか一体。」




「失礼しました。いきなり不気味ですね。私は神谷潤と申します。」




「⋯鈴村明日香です。」




「名前なんかどうでもいい。何なんですか、あなた達は。」




「我々は祓禍衆ふつかしゅう東京支部から来来た者です。」




「祓禍衆。」




櫻井はその名前を聞くと、カウンター内にあるイスに腰掛けた。




「あの⋯祓禍衆⋯ですか。」




「ご存知ですか?まあ、ご存知ですよね。」




「はい。」




「では、我々がここに来た理由も、察しがついてますね?」




「まさか。意味が分かりません。」




「そうですか。」




「あの⋯。」




鈴村は不愉快になるような汚らしい音を立ててコーヒーをぐひぐびと何口か飲むと、ギョロリと目を動かし、櫻井をじっと睨み付けた。




「私はですね、大変不愉快な目に遭ってるんです。しらばっくれるんってんなら、承知しませんよ、本当に。」




「はい?失礼な方ですね。」




「本当に失礼な奴です。申し訳ありません。」




神谷が鈴村の後頭部を叩いた。乾いた音がスパーンと鳴った。




「痛っ!だって!神谷さん!」




「推定無罪だ。わきまえろ。」




「⋯コーヒーを飲んだら、お帰り下さい。」




櫻井は分かりやすく軽蔑な視線を2人向けた。




「ここ最近、物騒な事件が多いですね。暴力事件やら強姦事件やら。」




櫻井は神谷の事を無視した。




「原因は何だと思いますか?櫻井さん。」




「⋯世の中昔からそんなもんでしょう。」




「我々が今関与している憑依案件が、その原因だと考えています。」




その言葉を聞いて、櫻井は神谷の方を振り返った。




「何の話か、まるで分かりません。あなた方は噂で聞くように、本当に不気味な方達なんですね。何ですか、“憑依”って。」




「千鶴さんが関係しているというのに。」




「娘の名前を出すなっッッッ!」




櫻井は突然、烈火のごとく血相を変え、大声を上げた。その声量に、鈴村は思わず体を飛び跳ねさせた。




「娘さんは今、この世界に降りてきている。」




「娘⋯娘⋯。」




櫻井は呼吸を整え、乱れた姿勢を正した。




「娘は誰に⋯。」




櫻井は冷静を装っているが、声が震えていた。




「誰に⋯降りた?」




「“誰に”、ですか。」




櫻井の目が輝いている。




「ここに辿り着くまでに数日使ってしまったんです。申し訳ありませんが、のらりくらりとしている時間はない。コーヒーは好きなんで、頂きますがね。」




「誰にッッッ、降りたかを、聞いているッッッ!」




櫻井が椅子から立ち上がった。拳をギリギリと強く握り締めている。荒く、肩で呼吸をする櫻井に対して、神谷はリアクションをせず、冷静に受け止めた。鈴村も平静を装ってはいたが、まるで変人を見るかのように、目の奥では嫌悪感を露わにしていた。




「誰に降ろしたか⋯あなたはよく理解しているのでは。」




櫻井は神谷からの質問を飲み込み、スタスタと歩いて入口へと向かった。そして、ドアに掛けられていた【OPEN】の飾りを反転させて、【CLOSE】の文字が外から見えるようにした。




「今日はもう閉店です。あなた方のせいで。」




「いや、あんたのせいだろ。」




鈴村が空気を読まず、ツッコミを入れた。櫻井は入口のすぐ側に置かれた客用のテーブルに腰掛け、神谷と鈴村と相対した。しばらく沈黙した後、櫻井は口を開いた。




「何故、ここに⋯俺の所に?いや、それよりもよくここが分かりましたね。」




「知り合いに弁護士の方がいましてね。公的照会をしてもらいました。今回は異常精神憑依事案に該当します。さらに実務補助として祓禍衆が関わっていますから、スムーズにやって貰えました。」




「そうですか。」




「櫻井千鶴さんのご家族の方は、父親であるあなたしかいない。他の方は⋯お亡くなりになられているようなので。」




「⋯。」




櫻井は身に付けていたエプロンを無造作に脱ぎ捨て、テーブルに置いた。




「千鶴さんが人為的に降霊されたとしたら⋯まあ普通なら身内の人間を疑います。初めは冥縛の方に注目し、影降衆を尋ねたんですが⋯影降衆は関与していないと言っていました。実際はどうなんですか?」




「影降衆⋯ですか。行きましたよ⋯ええ⋯行った事はあります。」




「では、あなたは影降衆の人間、という事ですか?」




「違う。それは違う。気持ち悪い⋯あんな連中と俺を一緒にしないで下さい。」




櫻井は呆れた表情で天井を見上げた。




「あなた個人の仕業ですか?」




「仕業?まるで悪い事をしたかのような言い草ですね。」




「何言ってんだ、しただろーが。」




鈴村が啖呵を切る。




「娘は⋯娘は元気ですか?会ったんですよね?」




「会いました。ですが千鶴さんは故人です。」




「でも、今この世界にいる。それを認めて下さい。認めないかッッッ!」




櫻井が拳でテーブルを激しく叩いた。




「あなたが降ろしたのは千鶴さんではなく、夜哭深層獄冥縛やこくしんそうごくめいばくという名の悪霊です。千鶴さんは、いわば冥縛の人質。冥縛の貢物。」




「冥縛⋯冥縛⋯冥縛⋯。」




「こわっ。」




悪霊の名を呟く櫻井に向かって、鈴村が露骨に気味悪がる。




「あなたがどんな方法で、冥縛を降霊したのかは分かりませんが⋯。」




神谷が櫻井を睨み付けた。




「今、中川瑞稀さんが行方不明になっています。」




そう言われた櫻井の目は、大きく見開き、体はフルフルと震えていた。






気のせいだと信じたい。中川瑞稀は会社からの帰路、違和感を感じていた。後ろから誰かに尾行されている気がする。1人で夜道を歩く自分の周りには誰もおらず、彼女はただ、背後に忍び寄る人間の気配に恐怖を感じていた。歩くスピードを上げると、履いているヒールのカツカツという音が、より大きく夜道に響き渡る。自分が住むアパートまでは、あと少しの距離だった。黒のバックを両手で握り締め、ほとんど小走りのような状態で中川が駆けて行く。




アパートが見えた。中川はほとんどダッシュに近い状態で、アパートに備え付けられた階段を登り切り、2階の角部屋にある自宅を目指す。間違いなく、背後の足音がすぐそこまで迫って来ていた。周り誰かいなくても、大声を上げれは良かった。自宅に戻らず、どこかに駆け込めば良かったと、中川は後悔する事になる。




自宅の鍵をバックから出し、中川は急いで解錠する。ドアを開け、自宅に流れ込んだ瞬間、背中を思い切り誰かに蹴られた。あまりにも強い力に、中川はヒールを履いたままフローリングに叩き付けられた。起き上がる間もなく、蹴りを放った人物は中川に馬乗りになり、彼女の後ろ髪を引っ張ると、そのまま床に彼女の顔面を叩き付けた。あまりの痛みに声が出ず、中川は意識を朦朧とさせながら、鼻血を垂らした。




「や⋯やめっ⋯。」




抵抗の言葉を上げる間もなく、再び顔面が床に叩きつけられる。中川はついに卒倒し、意識を混濁させた。






次に中川が目を覚ますと、彼女は自宅のリビングの壁に寄りかかりながら、座り込んでいた。口にはガムテープが貼られ、手足はロープのような物でがっちりと巻き付けられおり、両手は体の後ろに回されていた。




「起きたな。」




ダイニングテーブルのイスに、見知らぬ男性が座っている。黒のコートのような物を羽織っており、ご丁寧にフードまで深く被っている。中川はフーッフーッと荒く呼吸をして、目一杯に涙を浮かべた。何が何だか分からない。中川は恐怖心で体を震わせる事しか出来なかった。




男性がフードを取った。白髪混じりの50代くらいの男性。中川はより呼吸を乱れさせた。男性はじっと中川の事を見つめている。




「俺が誰か分かるか?」




中川は必死に顔を横に振った。




「本当に?」




中川はそう言われても、男性に見覚えが無かった。しかし、どこの誰であろうと、自分に暴力を振るい、拘束している犯罪者である事には違いない。中川は恐怖心を感じながらも、ほんの少しだけ目つきを強くして、男性を睨み付けた。すると男性は立ち上がり、中川の前まで来ると、彼女の頬を思い切りビンタした。中川は籠ったような泣き叫ぶ声を上げたが、誰にも届かない。男性は中川の顎を掴むと、自分の方に向けさせた。




「今、睨んだな?態度に気を付けた方がいい。」




中川は両目から大粒の涙を流していた。




「そうか⋯そうだよな⋯生きてれば⋯お前のように⋯。」




中川は男性が何を言っているのか、まるで意味が分からなかった。




「俺はお前に土下座をした事がある。」




その男性の言葉で、中川は何かに気が付いたようだった。そうだ⋯このオヤジ⋯知ってる⋯!昔、大怪我をして入院した時に⋯病室に来て土下座した人⋯。あの子の⋯あの子の父親⋯!櫻井⋯。




「思い出したか?」




男性はそう言うと中川から離れ、再びダイニングテーブルに座った。




「時間が掛かった。お前を見つけ出すのに。本当に骨が折れたよ。」




中川は櫻井を凝視する。




「聞きたい事がある。お前は、娘をイジメていたのか?」




中川は必死になって顔を左右に振った。




「そうか。」




櫻井は再び立ち上がると、もの凄いスピードで中川に迫り、彼女の腹部に蹴りを入れた。中川は嗚咽に近い声を上げたが、何とか倒れまいと、踏ん張って姿勢を維持した。




「嘘つきめ。俺には分かってる。分かってるんだ。」




櫻井は部屋の中をウロウロと歩き回ると、おもむろにテーブルに置いていた持参したリュックサックに手を伸ばした。すると、1枚の紙を取り出し、中川の顔の目の前に突き出した。そこには手書きで文章が並べられている。乱雑で、文字としてギリギリ判別出来るレベルだった。




『私は1人 味方はいない』




『ゆみちゃんごめんねゆみちゃんごめんねゆみちゃんごめんねゆみちゃんごめんねゆみちゃんごめんねゆみちゃんごめんねゆみちゃんごめんね』




『ゆみちゃんを傷付けたお母さんをゆるさない』




『私達をむちゃくちゃにした、嫌がらせをした、全てを壊した、中川瑞稀をゆるさない』




中川はその文章を書いた人物が、櫻井千鶴だと理解した。恐怖でおののき、彼女はまた顔を左右に振り始めた。




「ナイフを持ってる。叫んだ瞬間、刺し殺す。」




そう言うと櫻井は中川の口元に貼られたガムテープを雑に剥がした。中川は口元を震わせ、喋り始めた。




「⋯私は⋯何も⋯してない。」




「本当に刺されたいのか?」




櫻井が右手で握ったナイフを中川の顔に近付ける。




「本当っ⋯本当にっ⋯何もしてないっ⋯!イジメなんかしてないっ⋯!」




「なら、どうして娘はお前の背中を刺したんだ?」




「⋯知らない⋯知らないっ⋯!」




「娘はお前を殺そうとした。だから刺した。」




中川が、じりじりとナイフを中川の顔により近付ける。




「お前を刺し殺したい何かがあった。何があったのか、何をしたのか、お前の口から聞きたいんだ。」




「⋯ひぃっっ⋯!」




「娘に、何を、した?」




「べ⋯別にっ⋯何も⋯してないっ!」




櫻井は中川の右頬を、ナイフを握り締めた拳で思い切り殴った。




「⋯ほ、本当にっ⋯!」




そう言った中川の右頬を、また櫻井は殴った。ついに中川は床に倒れた。




「お前は嘘つきだ。悪人だ。」




「知らないっ⋯知らないっ⋯!」




「お前のせいで⋯お前のせいで⋯千鶴は⋯!」




櫻井は涙を流したが、すぐにそれを拭った。




「違うっ⋯私は関係ないっ⋯関係ないっ⋯。」




中川は体を揺らしながら、否定の言葉を放ち続ける。




「お前が千鶴をイジメなければ⋯あの子は朋子を殺さなかった⋯間違いない⋯そうなんだ⋯お前のせいで千鶴は変わったんだ⋯おかしくなったんだっ⋯!このクズがっ!クズがっ!クズがっ!」




櫻井も何度も何度も、中川の腹を蹴り上げた。中川は苦痛にもがきながら、口からよだれを垂らし、激しく咳込んだ。




「はぁ⋯許さないぞ⋯許さないからな。」




櫻井は呼吸を整え、再び席に着いた。




「な⋯なんなのっ⋯なんでっ⋯なんで今更っ⋯もう昔の事っ⋯何年前の事だと思ってるのっ⋯!?」




「お前は火に油をそそぐ女だな。性根が腐っているのがよく分かる。千鶴も、さぞ困っただろう。」




「私は被害者よっ⋯あの子に背中を刺されたのっ⋯!性根が腐ってたのはあっちでしょ⋯!私じゃないっ⋯!あなただって⋯あの時⋯私に悪いと思って⋯私の病室に来て⋯謝ったんじゃないっ⋯!」




「あの時は何も知らなかった。」




櫻井はそう言うと、またリュックサックの中に手を伸ばした。




「お願いだから解放してっ⋯誰にも⋯誰にも言わないからっ⋯。」




「言うだろ。お前はそういう人間だ。」




櫻井はビニール袋を取り出し、その中からさらに小さな白い瓶を取り出した。そしてその瓶を、中川の顔の前に置いた。




「挨拶しろ。千鶴だ。」




中川は目の前に置かれたそれが、骨壺だと分かった。さらに強く恐怖と狂気を感じた中川は、さらにガクガクと体を大きく震わせ、言葉にならない声を小さく漏らした。




「挨拶を、しろ。」




櫻井が大きく目を見開き、語彙を強める。




「⋯こんばんは⋯。」




中川は骨壺を見つめながら、元クラスメイトに挨拶を送った。






「中川瑞稀⋯彼女の事も知っているんですね。」




櫻井は驚いた様子もなく、ぼぞっと呟いた。




「12年前に光星高校で起こった事件は、残念と言うべきか、調べれば色々と出て来ます。世の中にはメディアリテラシーの無い人達もいますから。」




「その通り。娘の名前も、調べれば簡単に出て来ます。」




「中川瑞稀さんにも会おうとしたんです。ですが無理でした。彼女について、何かご存知ですか?」




「知りません。」




「櫻井さん。」




「知りません。」




「我々は⋯。」




「知りません。」




櫻井は食い気味で、神谷の言葉を遮る。




「知ってる人の反応じゃねー?」




鈴村が櫻井にガンを飛ばす。




「結局、あなた達は何を知りたいんですか?」




「降霊しましたか?」




「したら、何なんですか?」




「最悪だろ、犯罪者。」




「犯罪?俺は何の罪に問われるんですか?『霊をあの世から降ろしました』、一体、何の罪になるんです?」




「それが、今ある世の中の穴です。そのような類は信じられているのに、それらを悪用する者達を取り締まる法が存在しない。困ったものです。ただ⋯物理的に人に危害を加えたとしたら、話は別です。だからお聞きしているのです。中川瑞稀さんに会いましたか?彼女に何かしたのではありませんか?」




神谷の声が、少しだけ大きくなる。




「俺は家族を失った。妻も娘もいなくなった。実の娘が、妻を殺して、自殺する。とんでもない話だと思いませんか?」




櫻井が薄ら笑いを浮かべる。神谷も鈴村も彼の言葉に耳を傾ける他無かった。




「だからと言って、何をしても良いという訳ではない。」




神谷は立ち上がると、移動して櫻井の目の前に座った。




「あなたに目を付けた以上、我々はあなたに粘着し続けますよ。特にあの子は。」




鈴村が真顔のまま、一瞬だけ舌ぺろっと出した。




「中川瑞稀さんは何処にいるんですか?」




「彼女に執着する理由が分からない。」




「こちらにも色々あるんです。」




「お忙しいんですね、祓禍衆ふつかしゅうって。」 




「櫻井さんも、このカフェを立ち上げるのに、ご苦労があったんじゃないですか?」




「まあね。千鶴が好きだったんですよ、コーヒー。高校生のクセに、カッコつけてブラックなんか飲んで。あ、そうだ。」




「何です?」




「千鶴に会わせて下さい。」




「櫻井さん⋯。」




「俺には会う権利があるッッッ!」




櫻井はテーブルを下から膝で蹴り上げた。




「千鶴に⋯千鶴に会わせろ。」




「会ったところでどうするんです?」




「どうする?どうもしない。ただ、会いたいんだ。会わせろッッッ⋯会わせろッッッ⋯!」




「⋯会わせれば、質問に答えて頂けますが?」




「いいですよ。」




「神谷さん、いいんですか⋯?」




神谷は櫻井に哀れみの目を向け、溜め息をついた。




「後悔しますよ、きっと。」



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