第3章
「神谷さん。」
和室の扉前で腕を組んで待っていた神谷は、鈴村の声に反応し、直ぐ様和室の扉を開けた。部屋の真ん中には祓禍衆専用の黒と白で縫われた法衣を着た鈴村が立っていた。
「相変わらず似合ってます?」
「うんうん。」
「怪しいですね。」
「うんうん。」
「ちょっと。」
「次は俺が着替える。」
「はいはい。」
居間で待つ佐々木夫妻の前に、法衣を着た神谷と鈴村が現れた。2人を見て思わず夫妻はその場で立ち上がった。
「これより呪祓いを行います。お2人は我々が良いと言うまで、決して祐貴さんの部屋の扉を開けないで下さい。」
神谷が説明を始めた。
「私達は、ここで待っていればいいんでしょうか?」
「その通りです、お父様。気が休まらないでしょうが1階で奥様とお待ち下さい。何が聞こえても、決して部屋の扉を開けてはいけません。」
「⋯分かりました。」
階段の前で立ち止まった神谷と鈴村は、合わせて呼吸を整えた。そしてしばらくその場で静止した。
「いけるか?」
「いけます。」
「俺がいる。」
「はい。」
「迷うな。」
「はい。」
確認し合うと、2人はゆっくりと階段を登り始めた。鈴村が前を歩き、神谷がその後を追う。佐々木祐貴の部屋に一歩ずつ近付く度に、圧のような物が2人の体に伸し掛かるようだった。部屋の扉を目の前にして、鈴村は扉に向かって、右手の人差し指と中指で印を結び、それで円を描いた。そして扉を開けた。
佐々木祐貴の姿をした“何か”は、先程と同じ様にベッドの上であぐらをかいた姿勢でいた。鈴村は彼の前に立ち、見下ろす様に強く睨み付けた。神谷は部屋の扉を閉め、鈴村と同じ様に右手で印を結び、扉に向かって円を描いた。
「また来たのか。殺されに戻ってきたのか?」
「滅せよ、呪よ。」
鈴村がそう3回呟くと、扉前に立つ神谷が持参した鈴を3回鳴らした。鈴村は手に持つ小瓶の蓋を取り、それを“何か”に向かって何度も振りかけた。“何か”は嫌そうに獣のようなうめき声を上げた。
「何だ、塩が効くのか、雑魚じゃねーか。」
鈴村が鼻で笑うと、“何か”は怒りを剥き出しにした。鈴村は両手を合わせて素早く印を結ぶと、その両手を胸元に近付けた。
「清めの光よ、我が手に集え。禍を縛り、この業を鎮めよ。」
「何だそれは?何だそれは?何だそれは?」
“何か”は体を左右に大きく揺すり始めた。
「退け。退け。退け。」
神谷はそう唱えながら、時折鐘を鳴らした。
「名も無き業よ、闇に囚われし者よ。人の世に仇なす事、ここまでだ。退くのだ。退け。退かぬか!」
鈴村が声を張り上げる。佐々木祐貴の血管が皮膚に浮かび上がり、目が黄色く光る。床に散乱している様々な物が、壁や天井に衝突する。神谷や鈴村にも飛んできたが、2人はタイミングよくそれらをはたき落とした。
「祓え砕け。業よ、今こそ帰る時だ。砕け、砕け。」
鈴村は両手を大きく左右に開いた。
「堕ちろ。去れ。堕ちろ。去れ。」
次の瞬間、“何か”は鈴村に向かって飛び掛かろうとした。しかし壁に阻まれるように、“何か”は顔を強く打った。すぐにまた動き回るが、“何か”は目に見えない壁に囲まれていた。すでにベッドは、見えない檻へと変貌していた。
ベッドの上で動き回る“何か”に向かって、鈴村は祓いの言葉を休める事なく唱え続ける。“何か”は見えない壁に張り付き、まるで蜘蛛のように縦横無尽に上下左右にカサカサと這いずり回り、その様は宙に浮いているようだった。鈴村は少しずつ体を揺らし、両手を靭やかに“何か”に向かって伸ばし、演舞の舞を始めた。
「去らぬか!お前はここに居てはならぬ!去らぬか!去らぬか!」
“何か”の動き回るスピードが、異様な程速くなった。苦悶の表情を浮かべながら、時折鈴村の事を威嚇するように睨み付ける。神谷は1歩前に動き、鐘を鳴らすと、念仏のように経を唱え始めた。部屋が大きく揺れたかと思うと、窓ガラスにヒビが入った。鈴村は“何か”がベッドに戻った瞬間、両手で頭を掴んだ。指先から煙が立ち昇り、“何か”は苦悶の声を上げた。
「苦しいか?苦しいだろう?ならば去れ。堕ちろ。失せろ。」
両手を後ろにピンと伸ばし、“何か”は涎を垂らしながら激しく痙攣し始めた。
「このアバズレが。メス豚が。誰にでも股を開く淫乱女が。」
「ああそうだ。そんなどうしようもない女にボコボコにされる気分はどうだ?あん!?」
そう言うと鈴村は両手で“何か”の頭を押さえたまま、額を額に強く押し付けた。肉が焼けるような音が響き、2人の額の間から激しく煙が立ち昇る。“何か”はこれまで以上に大きく叫び声を上げた。
「苦しいか?あ?苦しいかコラ。」
鈴村は歯を覗かせ、ニヤリと微笑んだ。
「幽冥斬絶!」
「幽冥斬絶。」
「幽冥斬絶!」
「幽冥斬絶。」
鈴村の後に神谷が復唱する。気が付けば“何か”は白目を剥いて口を開け、放心状態のようになっていた。
「はっはっはっはっはっ!終わりだなあ!」
鈴村はそう高笑いすると、両手と額を素早く離し、右手だけで“何か”の頭部をがっしりと掴んだ。
「永劫沈滅!永劫沈滅!永劫沈滅!永劫沈滅!去れ去れ去れ去れ去れ去れ去れ去れ!」
神谷が鐘を左右に振り、音を鳴らし出した。
「神谷さん!窓を!」
鈴村が叫ぶと神谷は機敏に反応し、ベッドの方へ回り込むと、ヒビが入った窓の鍵を開け、横に大きくスライドさせた。外気が一気に部屋の中に流れ込んで来た。鈴村は右手を頭部から下げ、“何か”の胸元に置いた。そして、
「でろっ!」
と大きく喝を入れた。佐々木祐貴の中に潜んでいた“何か”は大きく吹き飛ばされ、間違いなく窓の外へと放たれた。佐々木祐貴はそのままベッドに倒れ込み、静寂が訪れた。鈴村が呼吸を整える。神谷もその様をじっと見つめた。
「佐々木祐貴さん、聞こえますか?」
鈴村は倒れ込む彼に近付き、優しく声を掛けた。すると彼はゆっくりと目を開け、辺りを見渡した。
「お、俺は⋯。」
「おかえりなさい、祐貴さん。」
鈴村は笑みを浮かべ、彼の肩に触れた。神谷は部屋の扉を開け、下の階へと降りて行った。
解放された佐々木祐貴は、衰弱していたものの命に別状は無く、まるで昼過ぎまで寝ていたかのような雰囲気で、2階から1階の居間へと降りた。両親は大喜びで、桜子は号泣し始めた。
「良かったですね。これで完了です。」
鈴村が声を掛けた。
「息子は⋯祐貴はもう大丈夫なんでしょうか?」
佐々木健太が声を震わせる。
「大丈夫ですよ。ご安心下さい。」
そう言うと鈴村は再びテーブル上に出された饅頭を1つ取り、個包装を剥がし始めた。
「ありがとうございます⋯!何と⋯何とお礼を申せばいいか⋯!」
「いえいえそんな。仕事ですから。後で振込み用紙の方をお渡しさせて頂きますので。」
「あの⋯。」
佐々木祐貴が神谷と鈴村を見た。
「俺は⋯。」
「気にする必要はありません。祐貴さんは何も悪くありませんので。」
「⋯ありがとうございます。」
彼は深々と頭を下げた。
「それでは着替えますので。また和室の方をお借りします。」
「ええ、どうぞとうぞ!」
「いやあ、汗でビシャビシャです。今すぐ全裸になってシャワー浴びたいです、私。」
「お疲れ様。よくやった。」
「フォローありがとうございました。」
「相変わらず口悪いな、お前は。」
「そうですか?自覚は無いんですけど。最高にハイってやつですかね。」
「まあいいよ。鈴村のやり方を極めていけばいい。口は悪いけど、ほんとに、うん。」
「あの、神谷さん。」
「ん?」
「私、着替えるんで。」
「先輩から着替えさせなさいよ。」
「汗ヤバいんですって。早く脱ぎたいんです。」
「はいはい。」
居間の方に神谷が戻ると、佐々木家はテーブルを囲って座り込んでいた。祐貴は温かい茶を飲み、安堵した表情を浮かべている。
「神谷さん。本当に⋯本当にありがとうございました。」
佐々木健太が立ち上がろうとしたのを神谷が手で止めた。
「主導で儀式を進めたのは鈴村ですから。彼女のおかげです。」
「息子はその⋯一体何に憑かれていたんですか?」
健太がそう尋ねると、桜子も祐貴も神谷を見た。
「悪霊とか悪魔とか、まあそんな存在です。」
「本当にそんな存在が⋯。」
「深く考えなくて結構です。もう終わった事ですから。忘れてもいいと思いますよ。」
「多分、忘れられません。」
佐々木祐貴は俯きながら答えた。
「祐貴さんは、何か覚えていますか?」
「暗闇の中をずっと泳いでいた様な⋯そんな感じです。よく覚えていません。ただ⋯何かをしてしまった事は分かっています。」
そう言うと佐々木夫妻は、気まずそうな表情を浮かべた。
「先程鈴村が申しましたが、祐貴さんは何も悪くありません。私が言えるのはこれだけです。」
話していると、鈴村が居間の方にやって来た。
「あのお、すいません。汗拭きシート的なのってあったりします?ベタベタのベッタんで⋯。」
佐々木健太が軽自動車を運転し、その車内の後部座席に神谷と鈴村は座っていた。時間は午後の5時過ぎ。新青森駅まで車で送ってもらえるという事で、2人は健太の好意に甘える事にした。
「夕飯、本当に良かったんですか?こちらでご用意しましたのに。」
「ありがとうございます。申し訳ないんですが、本日中に東京へ帰らなければいけないんです。送迎して頂き助かります。」
「晩御飯⋯何だったんでしょうか⋯?」
神谷が鈴村の頭を叩いた。
「お忙しいんですね、お2人とも。毎日その⋯お祓いのような事をなさるんですか?」
「そんな事ありませんよ。企業秘密なので詳しい事はお話出来ませんが、お祓いはそうですね⋯1週間に1回もあるかどうかです。」
「そうなんですね。いやあ、本当に驚きました。正直信じていなかったので。その⋯悪霊的な存在について。あんな状態の息子を見ても信じられませでしたから。」
「そうですよね。無理もないです。」
「鈴村さんも、まだお若いのに凄いですね。」
「私ですか?私は全然ですよ。すいません、沢山お饅頭を頂いてしまって。」
「ははは。全然全然。気にしないで下さい。」
「本当に申し訳ありません。こいつ、ほとんど食べましたよね?後で厳しく言っておきますので。」
「大丈夫ですよ、神谷さん。そんな饅頭くらい。息子を救って頂いたんです。饅頭なんて何個でもどうぞですよ。」
「ありがとうございます。すいません、本当に。」
神谷が横目で鈴村を睨む。
「明日にでもすぐにお振込みさせて頂きます。私の名義で振込みますので、よろしくお願いします。」
「ありがとうございます。1週間以内でしたらいつでも大丈夫ですので。何か分からない事があれば、遠慮なくお電話下さい。」
新青森駅のロータリーに車が到着した。辺りはすっかり夜になっており、駅周りには人々が行き交っている。3人はシートベルトを外し、車内へと出た。佐々木健太はすぐに後部のトランクを開け、2人のスーツケースを降ろし始めた。
「ありがとうございます。すいません。」
「いえいえ、なんのなんの。スーツケース重いですね、鈴村さん。」
「そうなんですよお。何か色々持っていかないといけないので、いつもパンパンで。お菓子入れるスペースとか無いんですよねえ。」
「佐々木さん、ありがとうございました。わざわざ駅まで送って頂いて、本当に助かりました。」
「いえいえ、こちらこそ本当にありがとうごさいました。お2人は息子の命の恩人です。このご恩は一生忘れません。」
健太は深々とお辞儀をした。
「祐貴さんはもう大丈夫です。くれぐれもよろしくお伝え下さい。」
「はい、よければ是非また遊びに来て下さい。いつでも大歓迎です。佐々木家特製の、のっけ丼をご馳走しますよ。」
「その話、詳しくお聞きしてもいいですか?のっけ丼ってあれですよね、海鮮の⋯。」
「それでは我々はこれで失礼致します。ありがとうございました。」
「ありがとうございました。くれぐれもお気をつけて。」
そう言うと佐々木健太は再び車内へと戻り、ハザードランプを何回か点滅させて、帰路へと着いた。
「さ、帰るぞ。」
「⋯せっかくの青森なのに。青森の美味しいもの、何も食べてない⋯。」
「新幹線無くなるから。文句言うんじゃないの。」
「駅に何かありませんかね、食べれるとこ。」
「お前ずっと食い物の話してるな。」
「お腹空きますよ、そりゃ!こちとら祓ってんですよ!?」
「新幹線のチケット買って、時間があったら、まあ何か食べてもいいよ。」
「やった!さ、早くみどりの窓口行きましょ!」
結局、時間の関係で食事処に入れなかった2人は、駅弁と飲み物を買って、新幹線で東京に戻る事になった。鈴村は文句をひたすら垂れながら、駅弁を2つ平らげた。




