第29章
再び藤代優実が滞在する彼女の実家へと戻ってきた神谷は、門の取っ手に手を掛けようとした瞬間、凄まじい程の寒気と強い気配を感じ取った。視線を上げると、2階にある彼女がいるであろう部屋のカーテンが僅かに開いており、その隙間から大きな瞳で藤代が神谷の事を見下ろしていた。神谷は目を合わせたが、すぐに視線をずらし、玄関へと向かった。ドアを開け家に入ると、神谷は真っ直ぐに階段を駆け上がった。藤代のいる部屋と向かい、躊躇無く扉を開ける。藤代は窓際の壁にもたれ掛かるように、体育座りの形で座り込んでいた。
「失礼な人ですね。ノックもしないなんて。」
「他人の体に無断でお邪魔している君に言われたくないよ。どちらが失礼かな。」
藤代は神谷を睨み付けたが、神谷は全く動じなかった。
「まさかこんなに早くここへ戻って来るとは思いませんでした。」
「君とお話しがしたくて。」
「私と?」
「そうだよ。」
神谷は藤代と距離を開け、床に座った。
「君は、櫻井千鶴さんと言ったね?」
「そうです。」
「君に色々と聞きたい事があるんだ。」
「あのお方が⋯主が許してくれる範囲でならお答え出来ます。」
「主⋯君と一緒に藤代優実さんの中にいる者の事かな?」
「はい。」
「なるほど、分かったよ。それじゃ⋯先程も言ったけど、まず君が櫻井千鶴さんだという確証が欲しい。証明出来るかな?」
「証明⋯ですか。どうすればいいんでしょう。」
「彼女しか知らないであろう事を話してもらうしかないかな。」
「⋯私はお母さんを殺しました。」
「その事は藤代優実さんも知っているはずだ。証明にはならない。」
「お母さんをどうやって殺したのかもお話し出来ます。」
「ニュースになっていたよ。それも皆が知ってる。」
「⋯難しいですね。自分を証明するのって。」
「そうだね。」
「でも、私は櫻井千鶴です。ゆみちゃんは⋯私の⋯私の恋人です。」
「それは12年も前の話だろう?」
「違います⋯違う⋯。」
「君はとっくに死んだ人間だ。」
「止めて下さい⋯。」
「どうやって死んだのか、詳しく教えてくれないか。」
「⋯言いたくない。」
「教室から飛び降りたらしいじゃないか。」
「やめてっっっ!!」
彼女は立ち上がり、大声で叫び声を上げた。部屋の空気が震え、窓ガラスがガタガタと音を立てる。
「⋯お母様を殺し、クラスメイトを刃物で襲い、自分は窓から飛び降りた。何故そんな事をしたんだ。」
涙をボロボロと溢しながら彼女は震えていた。
「私を⋯否定した人達を⋯馬鹿にした人達を⋯見捨てた人達を許せなかった⋯。」
「藤代優実さんが君を見捨てた?」
「ゆみちゃんは⋯私の側にいたくないと言った。」
神谷は涙を流しながら体を震わせ、憤怒の表情を浮かべる彼女=櫻井千鶴を見つめ、その魂を感じた。
「でも今は一緒にいられる。たとえ、ゆみちゃんがどれだけ私の側いたくなくても。私達は一緒⋯ずっと一緒⋯側にいたくないなんて言わせないっ!だから主に感謝しないといけない。あのお方が私をゆみちゃんの中に案内してくれた!」
「藤代優実さんは、今を生きている。」
神谷のその言葉を聞いて、満面の笑顔だった櫻井の表情が消えた。
「君が彼女の事を想っているのなら、彼女に憑依し、人生を奪う事が彼女の幸せになると思うのかい?」
「男性とゆみちゃんが付き合うわけがない。きっとゆみちゃんはあの男に騙されている。」
「彼女にも色々あったんだろう。君という大切な恋人を失って、もしかしたら自分のセクシャリティに何かしらの変化があったのかもしれない。」
「違う。そんな訳ない。」
「聞いてみればいいじゃないか。」
「うるさい⋯。」
「優実さんの側にいるんだろう?なら聞けるはずだ。今すぐ聞いてくれないか。」
櫻井はまた体を震わせ、涙を溜め始めた。
「うるさいうるさいうるさいっ⋯!」
「聞かないのではなく、聞けないんじゃないのか。」
櫻井は神谷を睨み付けた。
「うぅぅっっ⋯。」
「図星だな。分かってきたよ。」
「何が分かったってぇぇぇぇぇ!?」
目を大きく見開き、口角を上げながら彼女は声を上げたが、その声色はこれまでとは異なっていた。
「今は櫻井千鶴さんと話している。邪魔しないでくれないか。」
「いやいやいやいや、そうはいかん。この小娘は俺が大切に預かっていてな。傷付けられては困るんだ。」
「預かっている?誰からだ。」
「ふふふふふふははははははは。さあ、誰からだろうなぁ。」
そう言うと何者かが操る藤代の体は軽快にジャンプし、ベッドの上に飛び乗るとあぐらをかいた。
「考えろ神谷。そのちっぽけな頭で考えろ考えろ。」
「ちっぽけな頭なんでな。ヒントをくれないか?」
「そんな物くれてやるものか。」
2人はしばらくそのまま見つめ合った。
「どうすれば藤代優実さんの体から出て行く?」
「この肉体に俺が完全に適合し、オンボロのゴミカスのような部様な肉体になったら出て行ってやる。」
「分からないのか?俺は今のうちに出て行ったらどうだと温情をかけてやっているんだぞ。」
「お前は、この俺を祓えると思っているのか?」
「愚問。」
「止めておけ止めておけ。死ぬだけだぞ?」
「お前のようなセリフを吐く奴を、これまでどれだけ祓ってきたと思っている。お前も所詮、ただの雑魚だろう?」
「俺をその辺の雑魚共と一緒にするな。不愉快だ不愉快だ不愉快だ。」
「なら、その辺の雑魚とお前は何が違うというんだ。」
「窓の外を見てみろ。」
「何?」
「いいから見ろ。」
神谷は立ち上がり、窓の方へと近付いた。窓からは、向かいに立ち並ぶ住宅街がハッキリと見えた。そして次の瞬間、神谷は思わず息を飲んだ。向かいの住宅から、神谷の事を見つめる者がいた。しかしそれは1人ではなかった。神谷の立ち位置から見える全ての住宅から、住人達が神谷の方を見つめている。皆揃って表情は無く、じっと窓越しから神谷の事を凝視したまま硬直している。
「⋯これは。」
「神谷、雑魚にこんな芸当が出来ると思うか?」
神谷は僅かな動揺を隠し、自分の事を見つめる住人達を観察した。すると数秒後、皆が一斉に何事もなかったかのように行動を始めた。自分が何をしていたのか、誰も気付いていないようだった。
「お前がやったのか?」
「そうだ。」
それは嬉しそうに口角を上げる。
「もう一度やってくれ。」
「また今度気が向いたらな。」
「いや、今すぐやってくれ。」
「今度、だ。」
神谷は再び部屋の角へと戻り、その場に立ち尽くした。嬉しそうな笑顔を浮かべるそれに、神谷も僅かに笑って見せた。
「ヒントをくれたんだな。」
「さあ、どうかな。」
「⋯認めるよ。お前は想像以上に厄介な存在みたいだ。」
「お前は厄介でも何でもない。ただの雑魚だ、神谷。」
「その通り。」
そう言うと神谷は部屋を出て、扉を閉めた。そして扉の前に立ち、右手で印を結ぶと、ぼそぼそと何かを呟いた。そして階段へ向かう途中にある他の部屋の扉にも同じ事を繰り返した。階段を降り、1階のリビングに入ると、また神谷は印を結んだ。部屋の隅に置かれた仏壇に目をやりながら、神谷は再び呟いた。
「何のマネだ?」
いつの間にか、それがリビングのダイニングテーブルの上に鎮座していた。
「お前をこの家から出られないようにしておいた。」
「今は出る気など無い。ここからで充分楽しめる。」
「そうか。なら引き続き、この家で大人しくしててくれ。また来る。」
「俺を祓うつもりならいつでも来い。返り討ちにして、ズタボロになった貴様の死体で人形遊びをしてやる。」
事務所に戻った鈴村は、黒岩に事の端末を説明した。黒岩は滅多に無い二重憑依に対して、厄介だなと言葉を漏らしていたが、櫻井千鶴の存在についても疑問が拭えない様子だった。
「で、鈴村はどうやって調べるつもりなんだ?」
鈴村は自分のデスクに座ると、パソコンの電源を付けた。
「インターネットです。」
鈴村はデスクトップから検索ページを開いた。
「インターネットでそんな簡単に何か分かるのか?」
「多分わかっちゃうからコワいですよね、今のネット社会ってやつは。」
鈴村は検索バーにカーソルを合わし、人差し指を使って文字を打ち込んだ。
【さくらいちづる 光星高校 自殺】
「光星高校か。聞いた事がある名前の学校だな。」
「これだけのワードが分かってれば⋯ほら、やっぱり。」
検索結果が表示された画面には、いくつもの文字列が並んでいた。そして、画面の1番上にある検索結果を鈴村と藤村は凝視した。
【光星高校 女子児童転落事件 死亡した女子児童の名前は櫻井千鶴で確定?】
鈴村がカーソルをクリックし、そのページを開いた。誰が制作したのか分からない、いわゆるまとめサイトと呼ばれる物だった。ページ内には事件当時に掲載されたネット記事や、匿名掲示板にあったと思われる書き込みを抜粋した物が掲載されていた。
『ニュースでやってる飛び降り事件あったのウチの高校!すごい数の救急車とパトカー来てたわ!』
『どこの高校だっけ?』
『光星高校。』
『学校で飛び降りとかやば。』
『2年生の女子らしい。』
『ニュース見たけど、他の子包丁で刺したんでしょ?ヤバすぎ。』
『物騒な世の中だ。』
『いじめとかかな。』
『これなに、包丁で刺してから飛び降りたって事?』
『捕まる隙を与えずに即自殺したのか。』
『ダイナミック自殺。』
『飛び降りた奴、知りたい?』
『知ってんの。』
『飛び降り自殺した奴→2年B組 櫻井千鶴』
『刺された奴→2年B組 中川瑞稀』
「うわっ、名前出してる。同級生か何かかな。いるんですよねーどうしようもない馬鹿って。メディアリテラシー皆無の迷惑ちゃんが。」
「確かに⋯これは迷惑ちゃんだな。被害に遭った人の名前まで。」
黒岩が腕を組みながら目を細めた。
「藤代優実さんのお父さんが言ってた通り、本当に自殺したんですね、櫻井千鶴。この子の霊が藤代優実さんに憑依したって事か。」
「藤代優実さんも彼女と同じクラスだったんだろう?」
「そう言ってました。」
「うーん⋯若者の考える事はよく分からんが、友達同士で喧嘩したのか⋯恋の縺れか⋯。」
「藤代優実さんと喧嘩したのかな。でも、それなら彼女を刺すか。いや、でも好きな人にそんな事する訳ないか。うん?何でこの中川って人を刺したんだ?ううん?もしかして浮気か!藤代優実さんが中川瑞稀と浮気してたのか!それで櫻井千鶴はブチギレたとか。」
「なるほど。筋は通るな。」
扉が開き、神谷が事務所に入って来た。
「あれ、神谷さんおかえりなさい。早いですね。」
「おかえり。」
「只今戻りました。」
神谷は真っ直ぐにコーヒーメーカーの元へ向かい、グラスに溜まっていたコーヒーをマグカップに注いだ。
「黒岩さん、厄介かもしれません。」
神谷がコーヒーを飲みながら、気怠そうに呟いた。
「珍しいな。何があったんだ?」
「降霊術の匂いがします。」
神谷のその言葉に、黒岩と鈴村はほんの少しだけ固まった。
「ええっ、マジですか?」
「マジ。」
「理由は?」
「藤代優実さんの中にいる何かは、周りの人を操る事が出来ます。ほんの僅かな時間ですが。」
「操るって⋯?」
「文字通りの意味。彼女が今いる家のご近所さん達が、一斉に俺の事を見た。心、ここにあらずの顔で。」
「そんな事出来るんですか!?やばっ!えっ、そんな奴に会った事ないんですけど。」
黒岩は自分のデスクに戻ると、深く溜め息をついた。
「それは厄介だ。確かに厄介だ。」
「心当たりがあります。」
「私もだ。」
「黒岩さんも神谷さんも正体を知ってるんですか?」
「夜哭深層獄冥縛。」
黒岩がその名を答えた。




