第28章
藤代拓也はベッドの上で上体を起こし、老眼鏡を掛けながら小説を読んでいた。今日の体調は非常に良く、出された昼食も綺麗に食べ切ることが出来ていた。もう少しで小説を読み切ろうかという所で、ドアのノック音が鳴った。拓也が返事をすると、後藤が病室へ入って来た。
「後藤君。珍しいね、1人でお見舞いに来てくれるなんて。」
「突然すいません、お父さん。体調はどうですか?」
「今日は凄く良いよ。」
後藤は落ち着かない様子で、拓也の前に腰掛けた。いつもとは違う様子だと、拓也にはすぐ分かった。
「どうかしたの?」
「⋯お父さんにお話ししなければならない事があります。優実さんの事です。」
「優実?優実がどうかしたのかい?」
後藤は拓也から視線を逸らし、ためらいながらも言葉を捻り出した。
「今、優実はその⋯大変な事に巻き込まれていまして⋯。」
「どういう事?優実に何かあったの?」
「⋯会って頂きたい人達がいるんです。お呼びしてもいいですか?」
「後藤君、話しが全く見えないだが⋯。」
「そうですよね、すいません。自分でも何をどう話せばいいのか⋯ただ、僕より詳しく説明が出来る方達がいまして⋯。」
「⋯よく分からないけど、いいよ。」
「ありがとうございます。」
そう言うと後藤はイスから立ち上がり、ドアの方へ歩いた。
「えっ、もういらっしゃっているのかい?」
「⋯はい。」
後藤はドアを開け、外で待つ2人に声を掛けた。すぐに神谷と鈴村が病室へと入ってきた。
「こんにちは。急に押し掛けてしまい、大変申し訳ありません。」
神谷が謝罪すると、鈴村が頭を下げた。
「いえ、構いません。後藤君のお知り合いの方ですか?」
「まあ、そんな所です。私は神谷潤と申します。」
「鈴村明日香と申します。」
「⋯藤代拓也と申します。」
「藤代さん、今日はあなたにお伝えしたい事と、お聞きしたい事があって参りました。」
「なんでしょうか。」
「優実さんは今、得体の知れない何かに憑依されています。」
「は?」
拓也はぽかんと口を開けた。
「ひょ、憑依?何の話ですか?」
「文字通りの意味です。」
「⋯失礼ですが、神谷さんと鈴村さんは一体⋯。」
「私達は、祓禍衆東京支部から参りました。」
「祓禍衆?」
「ご存知ですか?」
「⋯名前は存じ上げております。」
「後藤さんからの依頼で、優実さんと接見致しました。残念ですが、優実さんは憑依されていて、その肉体は何者かにコントロールされている状態にあります。」
拓也は思わず後藤の顔を見た。後藤は深刻な表情を浮かべていた。
「後藤君⋯。」
「お父さん、本当なんです。優実は⋯優実さんは今、僕達の知っている彼女ではないんです。」
「しかし⋯憑依だなんてそんな⋯。」
「信じられませんか?」
「お話しやニュース等では聞いた事があります。しかし本当にそんな事が⋯しかも優実が?」
拓也はなんとか冷静を装い、呼吸を整えた。
「それで優実は⋯優実は今何処にいるんです?」
「お父様のご自宅にいらっしゃいます。優実さんの部屋が主な縄張りのようになっているような状態です。」
「縄張り⋯ですか。優実は大丈夫なんですか?」
「今のところは。我々が何としても優実さんを取り戻します。そのために、優実さんに憑依した者が一体何者なのかを探る必要があるのです。お父様ならご存知ではないかと思いまして。」
「私が?分かるわけないじゃないですか。」
神谷はじっと拓也の瞳を見つめた。
「櫻井千鶴、という名前に聞き覚えはありませんか?」
神谷の口から出たその名前を聞いて、拓也は硬直した。
「櫻井⋯千鶴⋯。」
「ご存知なんですね?」
「どうして⋯何処でその名前を。」
「優実さんに憑依している者が、自分の事をそう名乗ったのです。櫻井千鶴だと。」
「そんなまさか⋯優実の⋯優実のイタズラや演技じゃないんですか?」
「残念ですが、違います。」
「私はその櫻井千鶴に、壁に叩き付けられて、張り付けにされました。むちゃくちゃ痛かったです。」
鈴村が自分の肩をさすりながら拓也に答えた。
「⋯櫻井千鶴⋯彼女が優実に、その⋯憑依していると?そう言うんですか?」
「櫻井千鶴は優実さんの事を“ゆみちゃん”と呼んでいました。ですから、優実さんの知人ではないかと思いまして。」
「⋯いいえ、知人ではありません。」
「では何です?ご存知なら教えていただけますか?」
「⋯櫻井千鶴さんは、優実が高校生の頃、交際していた同級生の女の子です。」
「えっ。」
後藤はその言葉を聞き、思わず声が漏れた。鈴村も少しだけ頭を捻った。
「優実は同性愛者だったんです。今はどうか知りません。後藤君と交際しているから、変わったのか、もしくは⋯。」
「櫻井千鶴さんは、お亡くなりに?」
「はい。優実が高校生の時⋯今から12年程前に亡くなりました。」
「そうなんですね。」
「当時ニュースにもなりましたよ。もしかしたら、お聞きになった事があるんじゃないでしょうか。」
「ニュースに?」
「櫻井さんは自殺したんです。授業中、教室の窓から飛び降りて。優実の⋯優実の目の前で命を絶ったんです。」
「恋人が⋯自分の目の前で死んじゃったって事ですか?」
鈴村が尋ねた。
「そうです。優実が通っていた高校は『光星高校』といいます。恐らく、調べればネットでも出てくると思います。」
以下、鈴村がスマートフォンで検索し、ヒットしたネット記事である。
【〇〇市立光星高校で女子生徒が転落死。児童の母親も死亡。】
昨日午前9時半頃、〇〇市立光星高校に通う2年生の女子生徒が、校舎3階にある教室から転落した。生徒はすぐに教職員と救急隊によって搬送されたが、頭を強く打っており、その後病院で死亡が確認された。現場の状況から、自殺と見られている。
亡くなった女子児童は、転落直前に同じクラスの女子児童を包丁のような物で切りつけており、切り付けられた女子児童も、現在意識不明の重体となっている。警察は交友関係の縺れが原因と見て、調べを進めている。
また、亡くなった女子児童の自宅で、児童の母親が倒れているのが見つかり、病院に搬送されたが、その後死亡が確認された。母親は鈍器のような物で頭部を複数回殴られた形跡があり、こちらも警察が殺人事件の疑いで捜査を進めている。
学校関係者は亡くなった女子児童に対し「普段から真面目で成績も良い生徒だった。特に問題行動は見られなかった」と話している。一方で、複数の生徒が「他の児童から陰口を言われていた」「ここ最近学校を早退していた」と証言しており、警察は当時の状況や家庭環境なども考慮し、慎重に調べる方針を固めている。
学校は保護者向けの説明会を開き、全校生徒に対して臨時のカウンセリング体制を整えると発表した。
「ちょっとよく分かんないです、これ。」
鈴村がスマートフォンの画面をスワイプしながら頭を捻る。
「櫻井千鶴は他のクラスメイトを刃物で襲ったって事ですよね?しかも、自分の母親も誰かに殺害されている。色んな事が起きすぎてますよ、この事件。一体何があったんですかね。」
「詳しくは分かりません。ただ、櫻井千鶴さんの母親を殺害した犯人は、後日分かっています。」
「誰ですか?」
「櫻井千鶴さんです。」
「ええっ!マジですかそれ。自分の母親を殺害したって事ですよね!?」
「あの日、櫻井千鶴さんは母親を殺害した後に登校し、クラスメイトを刃物で襲った後、教室から飛び降りて命を絶ったんです。」
「⋯むちゃくちゃコワい話じゃないですか。とんでもない子ですね、櫻井千鶴って。」
「私達には分からない、何かがあったんでしょう。思春期の悩みというか⋯あれくらいの年頃の子供は繊細ですから。」
そう言うと、拓也は何回か咳込んだ。
「藤代さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫です。お気にならさず。」
「優実さんは櫻井千鶴と喧嘩でもしていたのでしょうか。当時、優実さんから何か聞いた事はありませんか?」
「とても何かを聞き出せるような状態ではありませんでした。櫻井千鶴さんが亡くなった時、優実はショックのあまり、重い鬱病を患いました。毎日のように泣きじゃくり、食べ物も喉を通らず、痩細ってしまって⋯今、普通に生活している事が奇跡のようです。」
「そうですか。」
「神谷さん、これって恋愛関係の縺れってやつですかね?」
「そう考えるのが自然だ。」
「どういう事ですか?」
後藤がしびれを切らし、神谷と鈴村に尋ねた。
「『私という存在がありながら、違う恋人とイチャイチャしやがって!しかも男性と!裏切り者!許さないわ!』」
鈴村がワザとらしく答えた。
「⋯って事ですよ。ですよね?神谷さん。」
「お前の芝居はウザいけど、まあそんなところだな。」
「⋯だから優実に憑依したって事ですか。」
「でも、引っ掛かるというか何というか。」
神谷が頭を掻きながら呟いた。
「何が引っ掛かるんですか?元カノの恨み説で筋が通ってるじゃないですか。」
「後藤さん、後藤さんは藤代優実さんをナンパしたんですよね?それが出会いだと。」
「⋯そ、そうです。」
「えっ、後藤君、優実をナンパしたのかい?」
拓也が驚いた表情で後藤を見た。後藤は恥ずかしそうに視線を逸らした。
「そ、それが何なんですか?」
「櫻井千鶴を失った後も、藤代優実さんは恋愛をしてきたと思うんです。もし恋愛をしてこなかったら、普通いきなりのナンパについて行ったりしないでしょう。しかも男性からのアプローチで。」
「⋯それは確かにそうかもしれませんね。」
「つまり藤代優実さんは、後藤さんと出会う前にも恋愛をしていて、元カレや元カノがいた。だとしたら櫻井千鶴は、何故今このタイミングで藤代優実さんに憑依したんでしょう。恋愛してきたのなら、彼女に嫉妬するタイミングは、これまでいくらでもあったはず。」
「うーん、婚約したからとか?」
「それもありえる。でもまだ結婚してない。婚約というのは、あくまで口約束でしかないからな。すみません、後藤さん。」
「いえ、いいんです。」
「それに、彼女は二重憑依されている。」
「二重憑依?何ですかそれは?」
拓也が思わす尋ねた。
「説明が遅れました。優実さんには櫻井千鶴だけではなく、もう一つ別の何かが憑依しているんです。」
「そ、そんな事があるんてすか?」
「滅多にないケースです。問題はその存在が何者なのか。そして、どうして櫻井千鶴と一緒に憑依しているのかという事です。」
病室にいる全員が黙り込み、少しの間静寂が流れた。神谷は空気を読んで、鈴村にアイコンタクトをした。
「長話をしてしまいました。それでは今日は、我々はこれで失礼致します。突然押し掛けてしまい、本当に申し訳ありませんでした。」
「いえいえ、とんでもありません。その⋯優実は⋯。」
「必ず助け出します。お父様には何かあれば我々か、もしくは後藤さんから報告してもらいます。」
「正直、私は入院しているので、どうも優実が大変な事になっているという実感がありません。」
「無理もありません。」
「どうか優実を⋯娘をよろしくお願い致します。」
藤代拓也の病室を後にした3人は、外に出ると入口近くのスペースで鈴村がアプリで呼んだタクシーを待っていた。落ち着きのない後藤の姿を見て、神谷は冷静になるよう声を掛けたが、とても無理な様子だった。
「その⋯私はどうしていればいいんでしょうか。」
「自宅待機という事になりますね。」
「そんな⋯。」
「後藤さんのお気持ちは分かりますが、どうする事も出来ません。彼女が今住み着いている家には入ってはいけませんし。」
「しかし⋯。」
「そうだ後藤さん。忘れない内に、家の鍵をお預かりしてもよろしいですか?」
神谷は病室を出る際、藤代拓也の了承を得て、家の鍵を預かる事になっていた。後藤は渋々といった様子で鞄から鍵を取り出し、それを神谷に渡した。
「確かにお預かりしました。ありがとうございます。」
「神谷さんは、これから優実に会うんですか?」
「正確には優実さんの中にいる者に会います。それで、鈴村。」
「はい。」
「お前は後藤さんとタクシーに乗ってご自宅に送迎した後、そのまま事務所に戻って黒岩さんに現状を報告しろ。」
「えっ、神谷さん1人で行くんですか?」
「うん。」
「なんで私は一緒じゃダメなんですか。壁に張り付けにされたからですか?カッコ悪く床に落下したからですか?」
鈴村は分かりやすく不機嫌になった。
「違う。お前は黒岩さんと櫻井千鶴について調べて欲しいんだよ。出来る限り詳しく。」
「むう。」
「むう、じゃないよ。立派な仕事です。」
「むむう。」
「むむう、じゃないのよ。返事せんかい。」
「⋯分かりました。今日のところは引き下がります。」
「あの⋯私も調べてみます。その、櫻井千鶴という女の子について。」
後藤が2人に提案してきた。
「後藤さん、これは我々の仕事ですので。」
「神谷さん、私はじっとなどしていられません。とても無理です。優実が大変な目に遭っているというのに⋯家で呑気に待つ事など出来ません。どうか私にも手伝わせて下さい。」
「そう言われましても⋯。」
「お役に立てると思います。私、弁護士なんです。」
「「弁護士。」」
神谷と鈴村が思わず声を合わせた。
「12年前の光星高校の事件、ですよね?恐らく少しは調べられると思います。」
「え、でもアンケート用紙に自営業って⋯。」
「自分の弁護士事務所を開いております。小さな事務所ですが。」
「すごっ、えっ、すごっ。藤代優実さんって、とんでもない上玉にナンパされたんですね。」
神谷が鈴村の頭にチョップを叩き込んだ。
「な、ナンパの話は止めて下さい⋯。」
「分かりました後藤さん。我々からは何も言いません。ですが、優実さんに接触しようとは絶対に思わないで下さい。いいですね?これは約束です。」
「分かりました。約束します。」
3人が話していると、呼んでいたタクシーがやって来た。
「それでは失礼します。神谷さん、どうぞよろしくお願い致します。」
「はい。現状報告は必ず後藤さんにお伝えしますので。」
「神谷さん。」
「ん?」
「神谷さんは、具体的に櫻井千鶴の何が知りたいんですか?普段は祓う時に、そんな前情報とかあんまり気にしたりしないじゃないですか。」
「今回は別だ。」
「強敵っぽいからですか?」
「それもある。」
「それも?」
「大丈夫。黒岩さんに言えば分かってくれる。頼んだぞ。あとで連絡するから。」
「⋯分かりました。」
鈴村と後藤が後部座席に乗り込み、タクシーが動き出すのを神谷は見送った。そして、ゆっくりとあの家に向かって歩き出した。
後部座席に並んで座る鈴村と後藤の間には会話は無かった。しかし、こういう時は自分から話し掛けるべきかと鈴村は考えた。後藤はやはりというべきか、相変わらずテンションが低いまま、俯いたままであった。
「あの⋯大丈夫ですか?」
「えっ、ああ⋯大丈夫です。」
「疲れ溜まりますよね。眠れてない感じですか。」
「⋯そうですね。」
「今日のところは、飯食って風呂入って爆睡した方がいいですよ。」
「ありがとうございます。そう出来るといいんですが。」
「チョコレート食べます?私今持ってますよ。なんならグミもあります。」
「いえいえ大丈夫です、車内ですし⋯ありがとうございます。」
後藤は優しく鈴村に微笑みかけた。
「後藤さん、藤代優実さんってどんな人なんですか?」
「どんな人⋯そうですね⋯優しくて、明るくて、面白くて、年上の私よりもよっぽど大人で出来た人です。」
「へえ。ラブラブキュンキュンってやつですね。」
「いやいやそんな⋯。」
「いいなあ⋯同棲かあ⋯。」
「あの、お聞きしてもいいですか?」
「はい。」
「神谷さんって、凄い方なんですか?」
「凄い方ですね。祓禍衆の中でもトップレベルの祓い師です。」
「そうなんですね。」
「その神谷さんが慎重になっているので、ここは大人しく神谷さんの指示に従った方がいいです。というか、従わないと私がボコボコにされます。」
「ボコボコに。」
「出会ってから長いですけど、あの人本気でキレるとむっちゃコワいですから。あとネチネチ嫌味とか言ってきます。」
「鈴村さんはまだお若いですよね。神谷さんとはもう組んで長いという事ですか?」
「初めて出会ったのは私が13歳の頃なんで、なんだかんだでもう10年はあの人の近くにいますね。」
「13歳?そんな子供の頃から。」
「13歳の時に、神谷さんに助けて貰ったんです。私、憑依された事がありまして。これ内緒ですからね。」




