第25章
藤代は白いワンピースに身を包んでいた。部屋の中は綺麗に整頓されており、彼女自身も清潔感に溢れていた。
「ゆみちゃんは私の物?あなたは藤代優実さんでしょう?」
「違います。私はゆみちゃんではありません。」
そう言うと彼女はニッコリと微笑んだ。
「そうですか。座ってお話をしませんか?」
「いいですよ。」
藤代はベッドの端に腰掛けた。神谷も床にあぐらをかいて座り込んだが、鈴村は立ったままだった。神谷は鈴村の異変に気が付いた。珍しく彼女の額に汗が伝っていた。
「座れ、鈴村。」
「⋯はい。」
鈴村はゆっくりと神谷の横に座った。
「初めまして、神谷潤と申します。」
「⋯鈴村明日香です。」
「お2人は祓禍衆、でしたっけ。」
「よくご存知で。」
「要件は何ですか?」
「後藤悟さんに依頼されて来たんです。彼女の中に何かいる、憑依されていると。」
「そうですね。私はゆみちゃんに憑依しています。」
「なるほど。では、今お話しさせて頂いているのは、藤代優実さんではないのですか?」
「違います。」
彼女は澄んだ瞳で神谷を見つめた。
「では、あなたは誰ですか?」
「櫻井千鶴と言います。」
「あなたが櫻井千鶴さんだと、どうやって証明出来ますか?」
「「私は櫻井千鶴だっ!あっはっはっはっ!」」
彼女の声とは異なる低い声が重なる。カーテンが大きく揺れ、ベッド横に置かれたサイドテーブルが、がたがたと音を立てた。
「おっとまずいまずい、せっかくお前達が来るから部屋を綺麗にしたのに。また散らかしてしまうところだった。」
「櫻井千鶴さんじゃないな。」
「俺は違う。」
「俺?」
「どうだ神谷?この女はいいぞ。いい体をしてる。抱いてみるか?お前が望むなら、股を開いてもいいぞ。」
藤代はベッドの上で体育座りをした。
「結構。」
「隣の貧相な体付きの小娘で満足してるのか?」
鈴村は舌打ちを鳴らした。
「なんでこう⋯下品なクソ野郎が多いのかね。」
鈴村は緊張しながらも、ベッド上から挑発してくる藤代に向かって悪態をついた。
「で、お前は何者だ。藤代優実でも櫻井千鶴でも無いなら、一体どこの誰なんだ。」
「さあ、誰だと思う?そのちんけな頭を使って考えるんだな。」
「考えるのが面倒だから聞いてんだよ、このクズが。」
鈴村が目を見開いて、圧をかける。
「ほぉ⋯生意気な小娘だ。神谷よりも頭が足りないときてる。どうせお前は神谷の金魚の糞だろう?よしよししてもらいながら、時々神谷に股を開いておけばいい。」
鈴村は緊張を忘れ、沸点に達しようとしていた。
「誰でもいい。藤代優実の体から離れてくれ。」
「離れると思うか?」
「離れないのなら、無理やりにでも離れてもらう事になる。」
「ほう、面白い。お前ら祓禍衆ごとぎが何とか出来ると思っているのか。」
「⋯目的は何だ?」
「この女を思う存分に楽しむ事だ。それ以外にあると思うか?」
藤代は舌を出して、自分の口周りを舐め回した。
「藤代優実さんは何処にいる。」
「ここにいて、俺のモノを咥えているよ。あっはっはっはっはっ!」
両手を叩きながら、邪悪な何かが笑い声を上げる。そして次の瞬間は真顔に戻り、足を崩した。神谷と鈴村はすぐに異変に気が付いた。
「すみません、大丈夫でしたか?」
彼女は落ち着いた声色に戻り、まるで別人のようになっていた。
「あなたは櫻井千鶴さんですか?」
「そうです。あのお方と話したんですね。」
「あのお方とは、誰ですか?」
「それは言えません。怒られてしまうので。」
「藤代優実さんを、返してはくれないのですか?」
「ゆみちゃんは私と一緒です。ずっと一緒なんです。だから邪魔しないで下さい。」
「邪魔したらどーなるの?」
鈴村が不機嫌そうに尋ねた。
「あのお方から聞いた、あなたの秘密をバラしますよ。鈴村さん。」
「は?秘密なんて無いから。」
鈴村の反応に、藤代は小さく笑い声を上げ、手で口元を隠した。
「櫻井さんは、後藤さんの前に姿を現していませんね?」
「その通りです。私はあの男性が嫌いなので。基本的には、あのお方が相手をしています。」
「後藤さんから聞いています。色々と暴れてるみたいですね。是非、止めて頂きたい。櫻井さんからお願いしてくれませんか。」
「無理です。私にはそんな事出来ません。」
「なら、せめてあなただけでも藤代さんから離れてくれませんか。」
藤代の口から白い息が出て来た。一瞬で部屋全体が凍えるような寒さになった。神谷と鈴村も、白い息を吐いた。
「嫌という事ですね。」
「分かって下さい。ゆみちゃんは私と一緒なんです。邪魔しないで下さい。」
「邪魔してんのはそっちだろーが!」
鈴村が語気を強めた瞬間、彼女は吹き飛ばされ、壁に叩き付けられた。そしてそのまま壁に張り付け状態になった。苦痛の表情を浮かべながら、体を動かそうとする鈴村だったが、ビクとも動かせなかった。
「後輩が申し訳ない。言葉遣いがどうも汚くて。許してやってくれませんか?」
神谷がそう言うと、鈴村は解放され、床に落ちた。
「いったっ⋯。」
「神谷さんがいて良かったですね、鈴村さん。」
「この⋯。」
「やめろ鈴村。」
神谷は立ち上がり、藤代を見下ろした。彼女は余裕の表情を浮かべ、神谷を見上げていた。
「分かりました。今日はこれで失礼します。」
「そうですか。さようなら。」
神谷は鈴村を引き連れて部屋を後にした。
リビングに降りてきた神谷と鈴村を見て、後藤は立ち上がり、すがる思いで尋ねた。
「どうでしたか!?優実は⋯。」
「お話ししますが、ここではマズいです。取り敢えず家を出ましょう。この家はすでに彼女のテリトリーです。」
「し、しかし⋯。」
「神谷さんに従って下さい。危ない目に遭いたくなければ。」
後藤は鈴村の言葉を素直に聞き入れ、頷いた。
喫茶店にやって来た3人は、取り敢えず席に着き、飲み物を注文した。鈴村だけは特製ハヤシライスとパンケーキも注文した。そんな鈴村に対して、神谷は空気を読めとアイコンタクトを送ったが、鈴村は我慢出来なかった。
「それで⋯優実は?」
「結論から申しますと、憑依されています。しかも、予想以上にたちが悪い。」
「たちが悪いとは⋯?」
「二重憑依されています。そのように見せ掛けている可能性もありますが、会ってみた感じ、まあ間違いないでしょう。」
「二重憑依って、なんですか?」
「言葉の通り、二つの何かに憑かれているという事です。」
「そんな⋯二つも⋯。」
「失礼します。コーヒーが好きなもので。」
そう言って神谷はホットコーヒーを口にした。鈴村もホットカフェラテを飲みながら目を細めた。
「二重憑依というのは、滅多にある事ではありません。これは稀です。しかも藤代さんのようなケースは私も初めてです。」
「どういう事でしょうか。」
「悪魔憑きのケースで、1人の人間に複数体の悪魔が憑依したケースが存在します。しかし、何体憑こうと悪魔は悪魔なので、どの悪魔に対しても、祓う方法は同じです。」
神谷は一呼吸置いて、再びホットコーヒーを何口か飲んだ。
「後藤さん、櫻井千鶴という名前に聞き覚えはありますか?」
「櫻井千鶴⋯いえ、ありません。」
「そうですか。藤代さんの中にいる者が、自分は櫻井千鶴だと名乗りました。恐らく、後藤さんの前には姿を現していません。」
「後藤さんの事が、嫌いだと言っていましたね。」
「そんな事言わなくていい。」
「すんません⋯。」
「ちょっと待って下さい。私の前では⋯その⋯乱暴な口調で⋯とても横暴な感じでした。櫻井千鶴だなんて名乗った事はありません。」
「ですから櫻井千鶴は、後藤さんが会った存在とは別の存在です。櫻井千鶴ともう一つの何かが藤代さんの中にいるのです。ですから、調べる必要があります。もう一つの何かが悪魔だとしても、櫻井千鶴は悪魔だとは思えませんので。」
鈴村が注文したハヤシライスが運ばれて来た。鈴村は手を合わせると、がっつくようにハヤシライスを食べ始めた。
「櫻井千鶴⋯分かりません⋯優実はそんな名前を口に出した事はないです。」
「霊魂ならば、悪魔とは違う戦い方をしなくてはならない。それぞれで違う戦法を取らなくてはならいのです。まだもう一つの存在が悪魔だと決まった訳ではありませんが、二重憑依はそこが厄介なのです。」
後藤は神谷の説明を聞くと、困惑した様子だった。
「すいません、少しお手洗いに⋯」
「どうぞ。」
後藤が席を離れると、神谷は鈴村に尋ねた。
「お前には秘密があるのか?」
「無いですよ!ある訳ないじゃないですか。」
「あとお前、お客様が食べてるならまだしも、誰も食べてないのにハヤシライスとか注文するんじゃないよ。」
「無理です無理です。今は食べさせて下さい。今回、ヤバめ案件ですよね?」
神谷はホットコーヒーを見つめながら答えた。
「ヤバめ案件かもな。」




