第21章
「おかしい⋯?」
櫻井は母の言葉と反応に、まるで心を殴られたかのような感覚に陥った。
「何でそんな事言うの?」
「千鶴、お母さんは、その感じが分かんない。」
「分かんないって何?私はそうなの。」
「⋯男の子も好きとかじゃなくて?」
「違う。」
「普通は男の子の事が好きになるでしょう?」
「普通?私は普通じゃないの!?」
「女の子が、女の子を好きになる事は普通じゃないでしょ!?千鶴がどう思っていても、世間では普通じゃないの!」
「⋯そんな事言わないでよ。」
「こんな事、お父さんに何て言ったら⋯。」
「こんな事って言わないでよ!」
「じゃあ千鶴はその彼女と一緒に無断早退して、何処に行っていたの?すぐ家に帰って来た訳じゃないんでしょ?」
「⋯それは。」
「何処に行っていたの?」
「⋯。」
「答えなさい千鶴。まさか向こうの家じゃないわよね?友達の家に泊まるって言った時も、まさかその子の家に泊まった訳じゃないわよね?」
櫻井は黙ったままだった。それが答えになった。
「信じられない、この子は⋯。」
「何が悪いの⋯?恋人と一緒にいて、何が悪いの!?」
「漫画とかアニメに影響されたんでしょ。そうなんでしょ。一時の話よね、これ?」
「違う。」
「違わないわよ。」
「違う。」
「違わない。」
「私は、レズビアンなの。」
「止めなさい!!」
朋子はカッとなり、大声で怒鳴りつけた。
「やっぱり⋯やっぱりダメだった。そうだと思ってた。お母さんが理解してくれる訳ないって。」
櫻井の頬には涙が伝っていた。彼女は立ち上がると、自室に戻ろうと歩いた。
「待ちなさい千鶴。」
「話す事は話した。もう何も話す事ないよ。全部話したの!勇気を出して!お母さんに!これ以上、何が聞きたいのよ!?」
櫻井は泣き叫びながら、その場を後にした。朋子はテーブルに肘を付き、頭を抱えた。
泣きじゃくりながら自室に戻ると、櫻井はすぐにスマートフォンを手に取り、藤代へメッセージを送った。
『お母さんに話した。でもダメだった。』
櫻井はそのままベッドに倒れ込み、茫然自失した。家族に理解して貰えない事への苦しさが、彼女を覆い包み、体の自由を奪った。そのままピクリとも動かないまま、櫻井はしばらくそのままでいた。朋子が部屋にやって来る事は、その後も無かった。
夜、ダイニングテーブルに座り、2人は向かい合っていた。
「お母さんの事は、分かってるな?」
拓也が優しく語り掛ける。
「分かってる。」
「優実も、同じって事なのか?」
「同じじゃないよ。」
「女性に対して、そういう感情が湧くという点では同じだろう。」
「それは⋯そうだね。でもお母さんは私達を裏切った。私は家族を、お父さんを裏切ったりしない。」
「確かに、お母さんはいけない事をした。」
拓也は目の前に置かれたお茶の入ったグラスを取り、1口だけ飲んだ。
「でも、悩んでたんだろうな。いつからそうだったのかは分からない。お父さんと出会った時から実はそうだったのか、途中から自分の中で何かが変わったのか⋯。もう、聞く事も出来ない。2度と話せない事が1番辛いよ。喧嘩をする事だって出来ない。」
「お父さん⋯。」
「でも、優実とは話す事が出来る。」
そう言うと、拓也は立ち上がった。
「少し待ってて。」
そう言うと拓也はリビングを出て行った。藤代は久し振りに仏壇の方を見た。母はどんな気持ちだったのか。もし生きていたら、自分の事を理解してくれただろうか。藤代はそう思っていた。少しすると、拓也が再びリビングへと戻ってきた。手には何かが握られていた。
「お待たせ。」
「⋯うん。」
「優実には言ってない事がある。」
「何?」
「お母さんは、遺書を残していたんだ。お父さんの書斎の机の引き出しに入ってた。亡くなって、少しした後に気が付いたよ。」
拓也は白い便箋を出した。
「嘘⋯そんな物があったの?」
「黙っていてごめんな。優実には見せない方がいいと思ったんだ。」
拓也はその便箋を差し出した。
「今なら見てもいいと思う。」
藤代は恐る恐るそれを手に取ると、ゆっくりと開いた。そこには直筆の文字がびっしりと書かれていた。
『拓也さん、ごめんなさい。私はあなたと優実の事を裏切ってしまいました。私は拓也さんに文句を言う権利なんて無いのに、感情的になってしまい、酷い事も言ってしまった。本当にごめんなさい。でも、きっと理解してくれる事は無いと思う。私は自分を偽る事が出来なかった。自分に正直でありたいと思った。そして、彼女も同じ気持ちだった。だから、私達はこの道を選びます。私の事を恨んでもらって構いません。だけどどうか、どうか、優実の事だけは、大事に見守ってあげて下さい。優実は私の宝物です。私と拓也さんの全てです。きっと幸せな人生を歩んでくれると、私は信じています。こんな身勝手な私を、どうか許して下さい。拓也さん。あなたの事を心から愛しています。さようなら。 藤代真理子』
母の言葉を受け止めた藤代は、ボロボロと涙を零した。
「うぅうぅっっ⋯うぅぅっっっ⋯。」
「優実⋯。」
「何で⋯何でお母さん⋯死んじゃったの?⋯なにも死ぬ事ないじゃん⋯!何で⋯何で置いてったの⋯?死んじゃったら⋯もう話せないじゃん!相談出来ないじゃん!文句も言えないじゃん!そりゃお母さんは悪いよ!不倫なんかして!でもっ⋯でも⋯死んじゃうなんて酷いよぉっ⋯!」
「お父さんもお母さんと同じ気持ちだよ。優実に幸せな人生を歩んで欲しいんだ。優実が良いなら、それで良い。」
「⋯お父さんっ⋯。」
「よく話してくれたな。」
「うぅぅっっ⋯うぅぅっっ⋯お母さぁあんっ⋯!」
藤代はその後しばらく、声を上げて泣きじゃくった。
『私もお父さんと話した。分かってもらえたと思う。』
藤代からのメッセージがスマートフォンに表示さらている。それを虚ろな目で見つめながら、櫻井はまだベッドに横たわっていた。あれから何時間も経過し、外はすっかり日が落ちて、部屋の中は真っ暗だった。いつもなら夕食の時間だが、朋子は声を掛けて来なかった。先程帰宅した、始と何かを話している気配だけは感じ取れた。
「千鶴。入るぞ。」
始が声を掛け、ドアが開いた。
「晩御飯、一応出来たぞ。」
「⋯いらない。」
「無断早退したって?」
「⋯ごめん。」
「それに、お母さんから聞いた。その⋯お付き合いしてる子の話。本当なのか?」
「⋯。」
「そうか。まあ、その⋯なんだ⋯お母さんを心配させるなよ。」
心配⋯?櫻井は何故自分が心配されなくてはいけないのか、理解出来なかった。今の言葉だけで、父も味方ではないという事が、櫻井にはハッキリと分かった。この家に味方はいないと、そう感じた。藤代は父親に分かってもらえたという。なら、味方がいないのは自分だけという事か。その事実が、櫻井をより深く闇へと落としていった。
翌日、藤代は緊張の面持ちで学校の正門を通った。あんな事があったため、学校を休む選択肢もあったが、彼女はそれを選ばなかった。出来る限り今まで通り過ごした方が良いに違いないと、そう考えた。
いつも通りの時間に登校した彼女は、下駄箱を通り、教室へ向かった。教室に近づくにつれ足取りが重くなったが、藤代は勇気を出して、中に入った。既に多くのクラスメイト達が教室内でお喋りを始めていた。中川も友達らと楽しそうに集まっていた。藤代は自分の席に向かって歩くと、何処からか
「藤代さんじゃん。」
という声が聞こえてきた。明らかにクラスの視線が自分に集まっている事を感じた。
「ゆーみん。」
中川が笑顔で藤代に近寄って来た。
「昨日は大丈夫だった?」
「うん⋯瑞稀、昨日は本当にごめんなさい。」
「ああ、ビンタね。驚いたよ。まさかいきなり殴られるとは思わなかった。」
「ごめんなさい。」
「で、櫻井さんは?」
中川が嬉しそうに尋ねてくる。
「昨日もあの後、2人でどうせ会ってたんでしょ?何してたの?ねえねえ、ゆーみん。どっちかの家に行って、もしかして⋯そういう事してたの?うわぁ、私詳しく知りたいな。」
中川が笑顔で藤代を煽って来る。藤代は机の下で拳を握り締めた。
「⋯そんな訳ないでしょ。」
「え、こわ、ゆーみん、また怒ってるの?もう?早くない?また殴るの?」
藤代は中川を真っ直ぐ見つめた。中川はニヤニヤとしながら、藤代の事を見下ろしていた。
「櫻井さんは?今日、学校来るかな。」
「瑞稀、お願いだから、止めて。」
「何を?何を止めて欲しいの?イジる事を?止める訳ないじゃん。私、ゆーみんに殴られてるんですけど。」
そういうと笑いながら中川は自分の席の方に戻って行った。気が付くと、クラスメイトのほとんどが藤代の事を見つめ、ヒソヒソと何かを話したり、笑ったりしていた。
ちーちゃんが耐えられる訳が無い。藤代は顔を曇らせた。




