第20章
「お母さんだ⋯どうしよう⋯何て言えば⋯。」
「落ち着いて。取り敢えず無視すれば?掛け直せばいいよ。」
「⋯そうだよ⋯そうだよね⋯1回無視する。」
しかし着信は鳴り続けていた。切れては鳴り、切れては鳴る。
「お母さん⋯怖すぎる⋯やっぱり⋯出るよ⋯。」
「えっ。」
「もしもし。」
櫻井は電話に出た。藤代は口を噤んだ。
『千鶴!?あんた何処にいるの!?どういう事?先生から電話があったんだけど?』
「う⋯うん。」
『無断で早退したって何!?何でそんな事したのよ?周りが心配するでしょう!?』
「⋯ごめん。」
『今何処にいるの!?家にいるの?私、今職場だから⋯。』
櫻井は少し間を置くと、藤代の事を見た。
「⋯言えない。でも、大丈夫だから。」
『ふざけないで。何よ言えないって。』
「言えないけど、別に変な所にいないから。」
「いい加減にしなさい!何処にいるの!?」
「ちゃんと帰るから!今はそっとしといて!」
「千鶴!あんた⋯。」
櫻井は通話を切ると、そのままスマートフォンの電源を落とし、鞄の中に突っ込んだ。
「ちーちゃん、大丈夫?」
「⋯大丈夫じゃない。私⋯とんでもないことを⋯だけど、こうするしか⋯今は、ゆみちゃんと一緒にいたい。」
「ちーちゃん。」
藤代は櫻井を抱き締めた。お互い背中に手を回し、体温を確かめた。
「大丈夫だよ。2人でいればいいんだし。何とかなるよ。お母さんだって⋯思春期だからで分かってくれるよ。」
「分かってくれるかな。」
「お父さんはどうなの?」
「お父さんは基本的にお母さんの味方だから⋯。」
「まあ、そうだよね。」
自分のセクシャリティが他人にバレたのは人生で初めてだった。こんなにも気持ちがザワつき、心が苦しくなるなんて、櫻井は思ってもみなかった。
「ゆみちゃん、キスしたい。お願いキスして?」
「うん。」
2人は顔を寄せ、優しくキスをした。
「私、ゆみちゃんの部屋に行きたい。」
「⋯いいよ。行こうか。」
2人は手を繫いだまま、リビングを後にした。櫻井は藤代にすがる事で、少しでも不安を忘れたかった。
「ちーちゃん⋯今日凄かったね。」
「えっ?」
裸体のままベッドで横になりながら、2人は天井を見上げていた。
「いつもより積極的だった。」
「ごっ、ごめん⋯嫌じゃなかった?」
「嫌な訳ないじゃん。嬉しかったよ。」
「⋯今、どうしようもなく不安で、どうしようもなくゆみちゃんに触れたかったの。」
「そっか。」
藤代は左手で櫻井の膝下に触れた。
「話すべきなのかな。自分達の事。」
「それってつまり、女性が恋愛対象だって事を明かすって事?」
櫻井はまた不安になり、藤代の方を向いた。
「だって、いつかは言わなきゃいけない。」
藤代の言葉に、櫻井は一気に現実に引き戻された気がした。
「別に⋯大人になってからでもいいんじゃないかな。」
「ちーちゃんはそう思うの?」
「⋯私は⋯。」
「私はね、オープンでいたいよ。人目を気にせずに恋愛したい。ちーちゃんと付き合うようになって、そう思うようになった。だって私達、何も悪い事してないんだよ?」
「⋯うん。」
「私はこのまま、自分の事を隠して生きていくなんて嫌だ。」
「⋯でもゆみちゃん、お父さんに私の事、女の子が好きだって言えるの?」
櫻井の質問に、藤代はゆっくりと彼女を見て、声色を低くした。
「どういう意味?」
「⋯ごめん⋯失言だった⋯。」
「お母さんの事?」
「⋯。」
「お母さんが女性と恋愛関係にあったから?私もお母さんと同じだったら、お父さんはどう思うかって事?そうだよね?」
藤代の声には力が入っていた。
「⋯ごめん⋯ごめんなさい。」
謝罪する櫻井を見て、藤代はハッとした。そして溜め息をついて彼女から視線を外した。
「⋯いいの。私こそごめん。気にしないで。」
「ゆみちゃんごめなさい。私⋯酷い事言った⋯。」
「でも、ちーちゃんの言う通りだよ。分かってた。分かってたけど、考えないようにしてたの。多分お父さんは良い気がしない。しないに決まってる。」
「⋯。」
「だけど、自分を偽りたくない。お父さんがどう思おうと。お父さんの事が好きだから、理解して貰いたい。」
「私は怖いよ。お母さんとお父さんに何て言われるか。ゆみちゃんと同じ様に、考えないようにしてた。自分の事を伝えたら、家族はどう思うかって。ずっと悩んでた⋯。」
「もしかしたら、向き合う時なのかも。」
そう言って藤代は櫻井に寄り添い、抱き着いた。そして彼女の額にキスをした。
「大丈夫。私達、恋愛運最強だから。」
「ゆみちゃん⋯。」
櫻井は藤代の顔に触れた。藤代はその手を取り、自分の乳房に触らせた。
「私も⋯今日はいつもと違うよ。ちーちゃん⋯私に⋯私に触れて⋯?」
「⋯うん。」
見つめ合い、また互いの温もりを求め合った。2人が体を重ねたのは、これが最後だった。
櫻井は自宅玄関の前に立っていた。あの後、少しして彼女は藤代の家を出た。遅かれ早かれ叱られる事が確定しているのなら、少しでも早く帰っておこうと判断したのだった。ドアノブに触れたが、鍵が掛かっており、どうやらまだ両親は帰宅していないようだった。櫻井は鍵を開け自宅に入ると、自室に入り、その場に座り込んだ。先程電源を入れ直したスマートフォンには、着信履歴が数回と、メッセージが何件も届いていた。全て母親の朋子からだった。
『今日はいつも通り、3時過ぎに帰ります。それまでには必ず家にいなさい。』
今はお昼過ぎ。櫻井は虚無な表情を浮かべながら、制服を脱ぎ始めた。藤代との情事で掻いた汗を流そうと、彼女は浴室へと向かった。
浴室で温かいシャワーを頭から被り、櫻井は藤代の事を想っていた。彼女の話していた事は、正しいと感じた。自分は、自分達は何も悪くない、他人に何を言われようが関係ない。櫻井は目を瞑り、顔にシャワーをかけた。
ドアが開き、早足の音が鳴る。朋子が焦りながらリビングに入ってきた。テーブルに座る娘の姿見て、彼女は安堵した。
「良かった。帰ってたのね。何で返信しないの!?」
「ごめん⋯。」
「一体何をしてるのよ!?何考えてるの!?」
「⋯自分の事だよ。自分の事を考えてる。」
朋子はそのまま向かい合うように席に座った。
「自分の事?」
「⋯うん。」
「何の話?」
「私⋯付き合ってる人がいるの⋯。」
朋子はやっぱりかという反応だった。
「そんな気はしてた。だけど、それが何なの?お母さんは別にその事をとやかく言うつもりは無いの。悪いのは学校を無断早退した事。分かってるわよね?」
「一緒に⋯早退したの。」
「はぁ⋯千鶴⋯あんたそれは⋯。」
「彼女と早退したの。」
彼女という単語に朋子は引っ掛かり、黙り込んだ。
「⋯彼女?」
少し息を荒げ、顔を赤くしながら、彼女はその問いに答えた。
「私、彼女がいるの。」
「ん。彼氏でしょ?」
「彼女。」
「⋯どういう事⋯?えっ⋯女の子と付き合ってるって事?」
「⋯そう。」
朋子は唖然とした表情で、固まった。
「それは⋯ちょっとまって⋯え、千鶴は⋯女の子が好きなの?男の子じゃなくて?」
「⋯うん。」
「⋯じゃあお付き合いしてる子も⋯その⋯女の子が好きな子って⋯ことよね⋯?」
「⋯そうだよ。」
「そんな。」
「そんな?そんなって、何。」
「千鶴⋯嘘でしょ?」
「嘘なんか言う訳ない。私は女の子が好きなの。」
「止めて。」
朋子は顔を横に振った。
「そんな訳ない。そんな訳ないわ。千鶴おかしいわよ。」




