第16章
藤代が作った焼きそばを食べていると、櫻井はまるで櫻井と一緒に暮らしているような錯覚に陥った。
「焼きそば、どう?」
「凄く美味しいよ。ありがとう。」
「お父さん、本当に帰って来ないよね?」
「大丈夫。本当に出張だから。」
「どんなお仕事をしてるの?」
「ある化粧品会社のカスタマーサービス部門の責任者なの。今日は地方出張に行ってるみたい。時々あるんだよ、今日みたいな出張日。」
「忙しいんだね、お父さん。」
「寂しいから、お父さんが出張の日はちーちゃん泊まりに来てね。」
「ま、毎回はちょっと⋯。」
「ははは。冗談だよ。」
お風呂場にやって来た2人だったが、櫻井はもじもじし始めた。
「どうしたの?」
「ごめん⋯下着まで借りる事になっちゃって。」
「気にしないでよ、そんな事。」
「あとなんか⋯また恥ずかしくなってきた。」
「ちーちゃん、すっぽんぽんでお母さんに電話してたじゃん。」
「うわぁ⋯言われると恥ずかし過ぎる。さっきは感覚が麻痺してて⋯。」
「ほら、脱いで脱いで。」
服を脱ぎ浴室に入ると、お互いに掛け湯をして、広めの浴槽に体を沈めた。お湯が浴槽から溢れて大量に流れ出す。2人は足を曲げながら、向かい合うように湯に浸かった。分かってはいたが、やはり櫻井は恥ずかしかった。
「私、すぐのぼせるかも⋯。」
「ぬるま湯だから大丈夫だよ。」
櫻井は軽く息を吐いて、呼吸を整えた。
「で、お母さんの事だよね。」
藤代は本題に入った。
「⋯うん。」
「うーんと⋯どうしようかな⋯。」
そう言うと藤代は浴室に持ち込んだスマートフォンを触り始めた。少しすると、そのスマートフォンを櫻井に渡した。
「読んでみて。」
画面には、とあるネットニュースが映し出されていた。
【東京郊外の車内で女性2人死亡】
十三日午後、東京都多摩市郊外の駐車場に停められた軽乗用車の中から、二人の女性が倒れているのを通行人が発見した。警視庁によると、車内には燃えかけた練炭が残されており、心中を図ったとみられている。
死亡したのは、都内在住の会社員・佐伯和美さん(43)と藤代真理子さん(46)。
近隣の住民によると、夜明け前に「アイドリングの音が長く続いていた」との目撃情報がある。警察は事件性は無いとみており、交際関係のもつれや精神的な疲労が背景にあった可能性を調べている。
記事を読み、櫻井は言葉を失った。そしてゆっくりと手を伸ばし、藤代にスマートフォンを返した。
「読んだ?」
「⋯うん。」
「お母さん、自殺したの。不倫相手の女と。」
「⋯自殺⋯心中⋯。」
まさかそんな言葉出て来るとは思ってもみなかった櫻井は、唖然としていた。
「そうなの。お母さんは勝手に不倫して、勝手に家出して、勝手に死んだの。」
「⋯相手の人⋯。」
櫻井はその点も気になっていた。藤代の母親が不倫をしていたという相手は、女性だった。
「そうだよ。不倫相手は女性。」
「それは⋯。」
「お母さんはバイセクシャルだった。そういう事。」
「バイセクシャル⋯。」
「自分が勤めてた会社の後輩とデキてたって話だよ。おばさん同士がヤッてたわけ。」
「ゆみちゃん⋯。」
「ね、気持ち悪いでしょう?」
「何て⋯言えばいいのか⋯分かんない。」
「私ね、見ちゃったの。気の迷いで学校をサボって早退した日に、街でお母さんが知らない女性の人と歩いてるところを。びっくりしたよ。だって⋯手を繋いでたの。その日はお父さんは仕事で、お母さんは休みの日だった。知り合いの人と遊んでるのかと思ったけど、そうじゃない事はすぐに分かった。だから私、そのままお母さんの事を尾行したの。」
藤代の話す声が震え出した。その事に気が付いた櫻井は、湯船の中で彼女の足に手を置いた。
「そしたらね。お母さんとその人、ラブホテルに入ったの。今でもハッキリ覚えてる。ホテルの名前は『HOTEL MUSEUM』。お母さんはその人の腕にしがみついて、仲良く笑い合いながらホテルに入っていった。私、探偵みたいに写真まで撮ったんだよ?」
「ゆみちゃん⋯。」
「お母さんはその日、何も無かったかのような顔をして、夜ご飯を作ってくれた。何を食べたかは覚えてないけど、味なんかしなかった。お母さんは裏切ったの。お父さんと私の事を。ラブホテルにまで行って、女性の人と寝てたの。セックスしてたの。」
「もう⋯もういいよ?」
「だから⋯私は知りたかったの。女性とセックスするのって、どんな感じなのか。」
「えっ⋯。」
「お母さんが⋯お父さんと私の事を裏切ってまで、その人とセックスする事を選んだの。だから私は知りたかった。体感してみたかったの。」
「ゆみ⋯ちゃん⋯。」
「ちーちゃん、勘違いしないでね。私はちーちゃんの事が好きだよ。大好きだよ。でもね⋯怖かったの。私も女の子に興味があったから⋯お母さんみたいに。でも私は、お母さんとは違う。だけど⋯何故お母さんがそんな事を選んだのか⋯分からないの⋯ごめんね、何を話してるのか訳分かんなくなってきちゃった。私、知ってたよ。ちーちゃんが私に興味があるんじゃないかって。ちーちゃんが何時から私の事を見てくれていたのかは知らない。だけど、ちーちゃんが私の事を時々見ている事に気が付いた時から、もしかしからそうなのかなって思ってた。私に⋯好意があるんじゃないかって。」
「⋯うん。」
「でもね。私もちーちゃんの事、可愛いなって思ってた。可愛いな、綺麗な子だなって。だけど、この感情は何だろうとも思った。これまで違和感はあったの。男子に告白された事もある。でも何か違うなって感じてきた。だって自分が⋯女性の事を好きになるなんて、想像もしてなかったから。」
櫻井は話を聞きながら、じっと藤代の事を見つめた。
「ちーちゃんに思い切って話し掛けてみたら、やっぱり可愛かった。綺麗だった。面白かった。話し掛けて、一緒にカフェに行ったあの日、私は自分の事を知ったの。私はこの人の事が好きだ。女性の事が⋯好きだって。ごめんね、のぼせてない?」
気が付けば藤代は大粒の涙を流していた。
「⋯ぬるま湯だから、大丈夫だよ。」
「だからちーちゃんとの出会いをきっかけに、お母さんは女性の人とセックスをして⋯どんな感じだったのか⋯理解出来ると思ったの。そして⋯実際に体感してみたら⋯もっと⋯もっとちーちゃんの事が好きになった。愛おしくなった。気持ち良かった。お母さんが家族を裏切ってあんな所に行く理由が分かった。分かっちゃったの⋯。」
「恋人同士のそういう行為は、悪い事じゃないと思うよ?」
「⋯うん。そう。ちーちゃんの言う通り。私はお母さんとは違う。バイセクシャルでもないし、お父さんを裏切ってもいない。ただ⋯ちーちゃんが好きなの。それだけ⋯。」
櫻井は身を乗り出して、藤代にキスをした。
「もういいよ、ゆみちゃん。」
「ごめん⋯こんな話⋯本当にごめんね。」
「お母さんと、ゆみちゃんは違うよ。」
「うん⋯。」
「ゆみちゃんは⋯私と一緒にいたい?」
「いたい。」
「じゃあ、一緒にいよう。」
そう言うと2人はキスをした。2人が浴室から出るのは、しばらく後の事だった。




