赤い髪紐
次の日の午後。百合と沖田は、約束通り甘味処に来ていた。
沖田や非番の平隊士が、女中の仕事を手伝ってくれたために早く終わったのである。
朝餉の準備から始まり、洗濯、勝手場や広間の掃除……、到底午前中だけでは終わらない仕事も直ぐに終わってしまった。
「何だか申し訳ないです……非番なのにお仕事のお手伝いをさせてしまって」
「気にしなくていいよ」
沖田の一見爽やかに見える黒い笑みを見て、百合は察した。平隊士たちはきっと、彼に脅されて仕事を手伝ってくれたのだろう、と。
「こんにちは。お菊ちゃんいる?」
「こんにちは」
馴染みの暖簾を潜りながら、沖田はお菊の名前を呼んだ。百合も続いて挨拶をすると、お菊は笑顔で出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ、沖田様、百合ちゃん。ご注文は何になさいますか?」
「そうだなぁ、じゃあ今日は葛餅を2つ」
「かしこまりました。すぐにお持ちしますね!」
お菊は颯爽と店の奥へと引っ込んで行った。いつもはここで少し世間話をするのだが、今日はないようだ。
「忙しんですかね?」
「そうだね」
今日は客足が多いわけではない。むしろ、いつもより少ないほうだった。しかし、お菊は何処か焦っている様子だった。
「お柚ちゃん」
沖田は空いた席を片付けるお柚を呼んだ。お菊と同い年の少女、この店の一人娘である。
「はい、どうしましたか?」
「今日忙しいの?」
「いえ? 見て分かるとおりだと思いますが、今日は客足が少なくて……新しく出来た甘味処にお客様が取られてしまっているんです」
「そっか。お菊ちゃんが忙しそうな様子だったから気になって」
「お菊が?」
お柚は少し考える素振りを見せた後、そういえば……と続けた。
「今日は仕事が終わった後、大事な約束があるみたいですよ。とても緊張した素振りで……」
「お柚、会計お願いー」
「はいっ、ただいま! 沖田様、百合ちゃん、失礼します」
馴染みの客から声が掛かったお柚は、その場を離れていった。それと入れ違いのように、店の奥へ引っ込んでいたお菊が葛餅を2つ持って現れる。
「お待たせしました!葛餅2つです」
お柚の話を聞いたせいだろうか。お菊の笑顔は、いつもよりぎこちなく思えた。やはりお菊は、そそくさと二人の元を離れていく。
「ありがとう」
と言った2人の声はきっと、聞こえていない。
「……何があるんですかね」
百合は不思議そうな顔でお菊を見ていた。
「もしかしたら平助と逢引かもね」
沖田は特段気にした様子もなく、葛餅を食べ始める。だが、百合には何故かお菊のことが引っ掛かった。
「ほら、百合も早く食べなよ」
沖田に促され、百合は
「いただきます」
と手を合わせ食べ始める。お菊に対する疑念は頭の片隅に追いやって。
「美味しいですね」
ほわっと百合は沖田に笑いかけた。綺麗な笑みだ。まるで、お面のような。
「うん、美味しいね」
思わず沖田は、百合から目をそらす。……苦手だ、百合のその笑み。目の奥は笑っていないのに、綺麗に笑みを作っている。
基本的に百合は、感情に乏しいと思う。泣く、笑う、怒る、不貞腐れる、冗談を言う時も……目の奥はいつも、真っ暗だ。
最初は気付かなかった。それほどに彼女は、“百合”という人間を上手く演じていたから。あどけなくて愛らしい、何処にでもいる幸せな少女を。
しかし、気付いてからは早かった。彼女が何にも興味がないこと、感情の起伏がないこと──全てが演技なのではと思ってからは、ぞつとっした。そして戸惑った。どう声を掛けていいのか、掛けるべきなのか、分からなかった。
何を思っているのか、何故偽るのか、本当の彼女はどういう人物なのか。聞いても答えてくるとは思えないと分かってる以上、沖田が百合についてわかることは何一つない。
ただひとつ、わかっている事実───
「ねぇ、百合」
「はい?」
「いつか、本当の百合を見せてね」
百合が、本当の自分を隠しているということ。
「どういう意味ですか?」
百合は困ったように笑う。沖田はそれに答えることはなく、最後の一口の葛餅を食べるのだった。
“いつか、本当の百合を見せてね”
この男は、本当に鋭い。侮れない。時折、驚くようなことをサラッと言ってのける。ヘマをした覚えはないし、完璧に私は“百合”を演じてきたつもりだ。
(私もまだまだってことね……)
目の前の男───沖田を見つめながら、百合は心の中で呟いた。目が合うと、沖田は優しく微笑む。
(態とらしい笑みだわ)
当然、そんなことを本人に言えるはずもなく。百合は同じように微笑み返した。
「よし、食べ終わったことだし出ようか」
「はい、今日は私が払います」
「いいよ、こういうのは男に任せて」
「駄目です! いつも払ってもらってばかりですし」
「こういう時は男をたてるものだよ?」
そんな風に言われてしまえば、百合は引き下がるしかなかった。沖田は良く言えば紳士的、悪く言えば女の扱いに慣れている。
「……すみません」
勘定から戻ってきた沖田に、百合は頭を下げた。
(全くこの子は……)
事あるごとに謝ってくる。例えば洗濯を手伝ったり、洗い物を手伝った時。荷物を持った時も。いつも先に、謝罪の言葉がくる。沖田はそんな言葉が欲しいわけではなかった。
しかし“百合”という少女を演じようとして、それでも何処か欠けている彼女の綻びを見つけたような気がして、嬉しく感じる自分がいるのもまた事実だ。
「“すみません”じゃなくて“ありがとう”の方が良いかな。ほら、顔を上げて」
百合が顔を上げると、沖田は百合の頬を親指と人差し指で挟んだ。頬が潰れて口がタコのようである。
「い、いひゃいです……」
「ありがとう、は?」
「…………ありがとう、ございましゅ」
頬が潰れているせいで、くぐもった声しか出ない。沖田はそれを見て、愉快そうに笑った。じとっと百合が沖田を睨むが、沖田は気にもとめず笑い続ける。
「あははっ、いいね、その顔。最高、ひょっとこみたい」
「そりぇ、褒めてましゅ?」
「くくっ……褒めてる褒めてる」
「馬鹿にしてましゅよね」
「ごめんね」
沖田は笑いが収まったところで、手を離した。百合は頬を膨らませ、そっぽを向く。
「もうっ!沖田さんなんて知りませんから」
そう言って先に暖簾を潜り、外に出てしまった百合を沖田は慌てて追い掛ける。
「やっと見つけた」
2人の背を見送る男は、ひとりそんなことを呟いていた───。
「百合、待ってよ」
沖田が百合を追い掛ける。が、百合は早足で歩みを止めなかった。何故か屯所とは反対方向に向かっている。
疑問に思いながらも沖田は百合を追い掛け、やっと追い付いた。百合の肩を掴む。
「歩くの早くない? 怒ってるの?」
「怒ってませんよ」
振り向いた百合はにこにことしていた。
「それなら良かったけど、どこ行くのさ? 屯所は逆だよ」
「知ってますよ。ちょっとだけ私に付き合ってください」
「え?」
百合は沖田の手を引いて、また歩き出した。沖田が何度か行き先を訪ねたが、百合は「直ぐ着きます」の一点張りだった。
「ここです」
百合の言ったとおり、目的地には直ぐに着いた。甘味処が遠目からも見える程度である。
沖田は百合が来たかったらしい場所を見た。小物屋だ。
手鏡、簪、櫛、結紐、鈴、匂袋、お守りなんかも売っている。
思わず沖田は驚いた。百合がこんな所に来たいと言ったことは、今まで無かったからだ。百合はお洒落や流行というものに無頓着らしく、身に付けるものには何もこだわりがない様子だった。
今だって百合の着物は無地の淡い桃色のものだし、髪を二つに結んでいる紐は確か山南のお古だと聞く。
百合の部屋を見れば分かるが、百合の部屋にあるのは必要最低限のもの───布団と形見である刀、そして衣服だけ、である。
「百合にも女の子らしいところがあったんだね」
「失礼じゃないですか、それ」
百合は苦笑いを零し、小物屋へと入って行った。
(小物には興味ないんだけどなぁ……)
沖田はそう思ったが、珍しく、そう、珍しく百合が行きたいと言ったのだ。新しい一面が見れた。
たまには悪くないだろう、と自分を納得させ、百合に続いた。
「うーん……」
百合は店の中を小難しい顔で見て回っている。何を迷っているのだろうか。櫛を見たり、はたまた簪を見たり……、女子はこういう物が好きなのだから、特に目的は無くとも見て回るのが楽しいらしい、と聞いたことがある。
ならば自分は、百合を待っていよう。
「あ」
沖田は店内に設置された椅子を見つけ、そこに腰掛けた。
女を待つ男のために、店の人が気遣って設置したのだろうか。気が利く。
それと同時に、この椅子に腰掛けながら女を待った男たちを思い浮かべ、複雑な気持ちになったのだった。
どれくらい経っただろうか。太陽の位置からして、昼八ツ(15時)頃か。昼を食べてから街に出たから、思ったよりは時間が経っていない。
暇だとこうも時間が経つのは遅いものなのか───
「ふあぁ……」
沖田は堪えきれず、欠伸をひとつ零した。百合の方を見ると、赤い結紐を左手に、青い結紐を右手に持って睨めっこしていた。
(あ、まただ)
沖田は反射的に、心の中で呟いた。それは百合のある行動を見てである。
この小物屋に来てから、百合は小物を見て悩んでいる振りをしながら、店の外を気にしている様子だった。理由は分からない。
本当に一瞬、目だけが外に向く。その時の百合の目は、まるで別人のように冷たくて鋭い───
(いや、あれは……)
別人じゃない。あの瞳を、俺は知っている。そうだ、百合の瞳の奥の冷たさ。それに酷似している。瞳の奥だけでとどめていた冷たさが、滲み出て来たような。
(何があるんだ……)
沖田には何もわからなかった。当たり前だ。自分は、彼女のことを何も知らない。それが悔しいという思うなんて、何故だろう。
「沖田さんっ」
「っ! え、あぁ。百合」
沖田は思考の波から引きずり戻された。目の前には百合。何やら小さな紙袋を持っている。
「終わったの?」
「はい。お待たせしてしまってすみません」
「いや、大丈夫」
「では、出ましょうか」
「うん」
沖田と百合は、小物屋を出た。その瞬間、また百合の目が鋭くなる。
どうやら百合の目的は、まだ果たせていないらしい。
(誰かを、探しているのか)
沖田は直感的に、そう感じた。
「沖田さん」
次の瞬間には、いつもの笑顔があった。やはり瞳の奥は冷たいが、先程までの鋭さは影を潜めていた。
「これ、どうぞ」
百合は小物屋で買ったらしい紙袋を、沖田に差し出す。
「いつものお礼です、開けてみてください」
「僕に?」
沖田が疑問符を浮かべながら紙袋を開けると、出てきたのは結紐だった。赤の布地に、金の細かい刺繍が入っている。
「……ありがとう。大事に使わせてもらうよ」
「はいっ! きっと似合うと思います」
百合の綺麗すぎる笑みが、沖田の胸を締め付ける。
(確かにこの結紐は嬉しい。それは嘘じゃない。だけど───)
百合は誰かが来るのを、この小物屋で待っていたんだ。その口実として、僕の結紐を選ぶ振りをしていた。
僕のために買ってくれたものじゃない。素直に、喜べない。
「沖田さん?……嬉しく、なかったですか?」
「嬉しいよ。ちょっと驚いて」
沖田の表情が浮かないことに気付いた百合が、顔を覗き込む。百合の瞳は何処までも暗くて深くて───呑み込まれそうだった。
沖田は思わず目を逸らす。
(……ばれてるみたいね)
百合は沖田のその様子を見て、内心舌打ちをした。
(最悪だわ)
思ったような収穫も得られていない。この小物屋に来たのは失敗だっただろうか。
此処なら確実に通ると思ったが、読みが外れたか───いや、大通りから外れて細い道に行ったか? それとも、まだ動いていないだけか。
とにかく今日は諦めて、戻るとしよう。これ以上居れば怪しまれるどころか疑われ、折角信頼しかけていた沖田の心が離れるかもしれない。
百合が頭の中で結論を出し、来る時と同じように沖田の手を引いた。
「帰りましょうか! 夕餉の支度もありますし」
「そう、だね」
百合と沖田が来た道を引き返そうとした瞬間。
「あれって……」
沖田が、声を上げた。沖田の目線を追った百合の唇は、ゆっくりと弧を描く。
「みつけた……」
そして確かに、そう言ったのだ。
百合の言葉が、沖田の耳には届いていた。小さな、本当に小さな呟きではあったが。
(百合はアレを探していたのか?)
沖田は百合を一瞥してから、もう一度視線を戻す。
その先に居たのは、お菊だった。遠目からだが間違いない。お菊と、その隣を歩くのは笠を深く被り、黄土色の着流しを着た男。顔は見えない。その風貌に思い当たる知り合いはいない。
だが、あの男は───
「あの男の人って、さっき甘味処にいた人だよね?」
「そうですね」
百合が頷く。百合の目は、酷く冷たかった。
「あの人を、待ってたの?」
「はい」
てっきり否定するかと思ったが、百合はあっさりと認めた。沖田は思わず面食らう。
百合としても答えには迷ったが、どうせ何かを勘づいている沖田ならば下手に嘘をつくよりましなはずと考えてのことである。まぁ、本当の理由までは教えることはできないが。
「お菊ちゃん、今日様子可笑しかったじゃないですか。だから恋仲とかいるのかなーって! 確かめたかったんですよ」
(……違う)
直感的に、沖田はそう感じた。あの男は、百合と何かある。
そうでなければあんな冷たい目をするわけがない。
「さ、早く帰りましょう!お菊ちゃんの恋仲も見れたことですし」
百合はそう言って歩き始めた。お菊と例の男は、路地裏へ入って行った。
気のせいだろうか、お菊の足取りは重く、顔も暗い。
あれが恋仲といる時の態度だろうか?
屯所へ戻る際、2人が消えた路地裏を見たが、何処にも姿は無かった。百合は一度も、その路地裏を見ることはなかった。
(なんだったんだろうな……あの男)
翌日から、お菊の姿を見た者はいなかった。




