菊の花1
「他に手掛かりはないんですかっ?!」
お菊が消えて、五日が経った。未だにお菊は見つかっていない。
手掛かりがあるとすれば、あの日お菊を見たという百合と沖田の証言だけである。
黄土色の着流しと、深く被った笠。その男が何かを知っているのは確かなはずだが、壬生浪士組はその男について何も掴めないでいた。
「ねぇな」
土方は至極冷静に、冷徹に、藤堂に言葉を返した。
藤堂は悲痛に歪んだ顔をする。だが、土方にはどうする事も出来ない。
藤堂がお菊に想いを寄せていたことは知っていたが───随分と厄介なことになったものである。
「ほら、出ていけ。お前今日は見回りだろ」
「……はい、失礼します」
藤堂は納得が行かないという様子で、土方の部屋を出て行った。
本音を言えば、藤堂の為にもお菊を壬生浪士組で探してやりたい。だが、表立って探すことは出来ないのだ。
言い方は悪いが町人が一人、行方不明になっただけ。聞けばお菊は身寄りがないらしく、働いていた甘味処に居候として住まわせてもらっていたという。
今の暮らしが嫌になり、出て行ったのかもしれない。事件と決まったわけではない。町人一人の為に隊務を放棄して探すわけには行かないのだ。
「悪ぃな、平助」
土方は小さく呟いた。当然、その呟きが藤堂に届くはずもない。
◆ ◆ ◆
「話があるんだ」
土方の部屋を出た藤堂は、百合と沖田に収集をかけていた。何の話なのか、容易に予想はつく。……お菊のことだろう。いつものおちゃらけた雰囲気はなく、いつになく真剣な表情で藤堂は言った。
「もう一度、あの日のことについて聞かせてほしい」
「……これで5回目だよ?」
沖田が遠慮気味に返す。
「何回聞いても俺たちは同じことしか言えないんだ。他に手掛かりもない今の状態じゃ……」
無意味だよ。
暗に沖田はそう言っているのだろう。口には出さずとも、伝わってくる。しかしそれでも、引くわけにはいかない。
「わかってるんだ……、でも、何もしないで待っているなんて出来ない」
「平助……わかったよ」
観念した、と言うように沖田は首を振った。自分だってあの日のことに責任を感じているし、藤堂の、仲間の力になりたいのだ。
百合はそんな二人のやりとりを横目に、微かに笑う。
「藤堂さん、本当にお菊ちゃんのことが大切なんですね」
「……うん。もし、また会えたら、伝えるんだ。好きだって」
いつもなら顔を赤くさせ逃げていくが、今日は違った。力強く、そう言ったのだ。
「じゃあ、話すよ」
沖田は静かに話し始める。
「あの日、俺達は甘味処に行った後小物屋に行ったんだ。その帰りに、お菊ちゃんと男が路地裏に入っていくのが見えた。
その男は、甘味処にいた男だったと思う。黄土色の着流しを着ていて、顔は笠を深く被っていたせいで見えなかった。背丈は左之さんくらい」
過去に4度、藤堂に同じ話をしているお陰で随分と簡潔に話せるようになった。沖田は苦笑いを零す。
「……うん、ありがとう。百合ちゃんは? 何か気付いたことある?」
この話をするのは、いつも沖田だった。百合から話したことはない。間違っているところや補足はあるか、と聞かれても、同じだと答えるばかりだった。百合の口から話を聞いたことはない。
「その日あったことは、沖田さんと同じです」
今回も、百合の答えは同じ。
「……“その日”って毎回言ってるけど、他の日にあの男を見ることがあったってこと?」
“やっと気付いてくれましたね”
百合は、そんな風に笑った。
「会いたいですか?」
「……え?」
「あの人に、会いたいですか?」
あの人とはお菊のことだろう。百合の問いの答えなんて決まっている。
「会いたいよ。会いたいから今っ、こうやって探してるんだっ!」
藤堂が声を荒らげる。その声は、涙混じりだった。百合は微動打にせず、静かに話を続ける。
「彼女が裏切っていたとしても、ですか?」
時間が、止まった気がした。
「……は?」
百合ちゃんの言っている意味が分からない。何で、今、そんなことを。
お菊ちゃんが裏切っていた? 何を? だってお菊ちゃんは、いつも優しくて明るくて、愚痴だって聞いてくれて───
「この際ですから、はっきり言います」
怖いくらいにいつもと変わらない、綺麗な百合の笑顔。沖田はそんな百合を見て、背筋が凍っていくのを感じた。
「あの人は、長州の間者です」
◆ ◆ ◆
早く起きて仕込みを手伝って、暖簾を上げて、お客様をお出迎えする。甘味処のおじさんもおばさんも、お柚ちゃんもとっても優しくて、暖かい。
藤堂様、今日は来るかしら。大好きな場所なの。今日もほら、1日が始まる。
───目が覚めると、知らない場所だった。
「ふふっ……」
お菊は乾いた笑いを零す。
(仕込みだなんて、何を言っているのかしら。私はもう、戻れないのに)
見慣れない天井。香りの違う部屋。身体を起こすと、首の後ろがズキリと痛む。お菊は顔を顰めた。
後ろで縛られている手は、縄が食い込み痣ができている。らしい。縛ったであろう男は、近くにはいなかった。
5日目。この場所にいて、わかったことがある。
毎日朝と晩に、食事が出てくる。その時にお風呂や厠などを頼めば連れて行ってくれる。どうやら此処は、宿らしい。
世話をしてくれるのは、人の良さそうな女の人。年の頃は30くらいだろうか。
これくらいの女の人ならば、力づくで逃げることも可能だろう。厠やお風呂の時は縄を外してくれる。だけど、私にそんな度胸はない。未だに、部屋の主は現れていない。そのことに安堵しながら、また眠る。
その日の夜、単調だった私の生活に変化があった。
「目が覚めたらしいね」
男が、現れたのだ。
「……桂様」
あの日と同じ黄土色の着流しではなく、今日は紺色の袴を着ていた。
「五日も経っているのだから、当たり前か」
はっはっはっ。
男───桂小五郎の陽気な笑い声が部屋に響いた。
「それにしても、お菊。お前には失望したよ」
「……」
「間者として送り込んだ意味が無い。情報も引き出せないどころか、壬生浪士組の者に惚れたらしいじゃないか」
お菊は何も言わずに俯く。桂はにこにこと不敵な笑みを浮かべ、提案をした。
「選択肢を上げよう。今ここで殺されるか、間者としてもう一度、情報を引き出すか」
桂にとって、お菊は使い捨ての駒にすぎない。代わりはいくらでもいるのだ。だから彼にとって今この状況は、お菊の命は、暇潰しやお遊びと同じくらいに軽いものなのである。
「私、桂様に感謝しています。身寄りのない私を引き取り、育ててくださったこと」
お菊は桂に、7つの時に拾われた。
毎日ご飯が貰える。お風呂が入れる。生きる上で不自由のない生活を与えてもらえた。だけど、お菊に会いに来る者は誰一人としていない。
ご飯は部屋の前に置かれていたし、お風呂は時間が決まっている。厠に行く時に人とすれ違うかどうかで───お菊はずっとずっと、ひとりだったのだ。
別に寂しくはなかった。そういう生き方しか知らなかったから。
けれど、間者として甘味処で働き、壬生浪士組と、藤堂と話しているうちに。彼女は知ってしまった。
こんなに、暖かい世界があるのだと。今まで色褪せていた世界が、輝いて見えた。
(おばさん、おじさん、お柚ちゃん、今まで優しくしてくれてありがとう。沖田様やお百合ちゃん、そして、藤堂様も───)
「殺してください」
静かに、お菊は言葉を紡いだ。




