第90話 鬼退治
リンガンさんにもらい受けた物は大切に空間収納に納めさせてもらった後、鬼の待つギルドの執務室に向かう。
「酒を持って来た男を連れてきました」
案内された執務室に足を踏み入れるとフウマさんを超える巨漢の赤鬼が座っていた。他のギルドと同じ作りの天井はとても窮屈そうに見える。
「お前があの酒を出した男か?」
「ええ。そうです」
「じゃあ、あの酒を売ってもらおうか、相応の金は出す」
面倒事を避けるため、さっさと終わらせるとしよう。
「今後買いに行くのは無理があるんで、保管してある分だけで良いのなら」
そういって空間収納の中から酒を出す。
リンガンさんにわざわざもらってきた空の樽に俺の酒を詰め込んで持って来たものだ。
「おお、こんなにあるのか」
「持ち運べる分には限りがあるので」
本当ならいくらでも出せるが、きりがなくなる。そして空間収納に入れて持ち運べる量にも限界があるのだから嘘でもない。
「おう、この匂い間違いないな」
一つ開けて中身を確認すると、満足げに笑う。
鬼の期待していた量を越えていたのだろう。
この四斗樽は一つで約400人分の量があるのだ。満足しないほうがおかしい。というかこんな樽が当たり前のように転がっていたリンガンさんの家も相当おかしいのだが。
「この量だと一つ二十万くらいが相場だな。それじゃあ、百万でどうだ?」
相場もわからないし、欲張ってもしょうがないのでうなずく。
「商談成立だな。お前さんの口座に振り込むように指示しておこう」
トラブルなく、交渉を終えることが出来ほっとする。
「それじゃあ、これで失礼します」
トラブルになる可能性も考慮していたが、何事もなく終わってほっとする。
部屋を立ち去ろうとしたのだが、部屋に小さな影が飛び込んできた。
「シロキさん! 大丈夫ですか?」
「アド? つぶれていたのになんでまたここに」
「起きたらシロキさんが連れていかれたって聞いて飛んできました」
「いや、アドには関係ない話だったからな。わざわざ起こすことないと思ってな」
「それはそうですけど……。いつもは私が振り回しても、ちゃんとついてきてくれるじゃないですか。ゴコウさんのところで夜にプチコボルトが出た時は起こしましたし、依頼を引き受けた時も乗り気じゃなくてもなんだかんだ言いつつついて来てくれたじゃないですか」
「まあ、トラブルもなく交渉は成立。ややっこしいことにはならなかったよ」
俺自身トラブル覚悟で来たが、普通の交渉で済んだ。心配指せてしまったようだが、あとはさっさと帰るだけだ。
「ううっ……」
「ああもう、酒を飲んで無理するな。アドはもう少し寝てたほうがいいな。さっさと帰ろう」
慌ててここに来た上に、一息にしゃべって気持ちが悪くなったのだろう。アドは口を押える。ふらつくアドを支えて部屋を出ようとするが。
「ちょっと待ちな」
鬼に呼び止められる。
「おいおい、アドのゲロをここにぶちまけてもいいのか? 暴発するまで後五秒だぞ」
「そこまで切羽詰まってないですよ! ……ううぅ。叫ばせなでください」
すぐにリバースするということはなさそうだ。
「それでどういったご用件で?」
「そっちの女から違う酒の匂いがするな。そいつも買い取らせてもらおうか」
目当てはアドの持つ酒か。
目ざとい妖怪だな。
「アドもこんな状態だし、今日のところはそれで満足してくれ。それに俺の酒はともかく、こいつの酒は売りものじゃあない」
「そいつは聞けねえ。これぽっちの酒じゃあ満足できねえ」
「満足ねえ……。あんたはどうすれば満足するんだ? たらふく酒を飲み干すことか? べろんべろんに酔いつぶれることか? それとも見知らぬ酒を飲むことか?」
「全てに決まってるだろう。どいつもこいつも酒を隠しやがって、ここ数年満足な量の酒も飲めねえ」
「そういうことなら、なおの事アドの酒はやれない」
「シロキさん。私は別に……」
「その酒はフウマさんにも飲んでもらうつもりなんだろ?」
「ええ、そうでしたけど……」
「ならそいつを飲むのはそこの鬼じゃあない」
「じゃあ、どうするっていうんですか?」
「そりゃあ、そこの鬼を酔いつぶして帰るんだよ」
「俺を酔いつぶす? この程度の酒で、これっぽっちの酒で酔わすと? 俺を酔いつぶせたなら何の文句もねえ。そっちの酒はいらねえよ。だが」
鬼はおもむろに樽を持ち上げ一息で樽の酒を飲みほした。
「だが大言壮語を吐いたんだ。そいつの酒ももらうし、この酒の出どころも教えてもらおうか」
「あれだけの量を一瞬で……」
「この程度の酒、いくらあっても酔いつぶされねえよ」
「だろうね。その酒は決して酒精の強いものじゃあない。誰でも飲みやすい薄めてある日本酒だ。鬼を酔わすにはいくらあっても足りやしないか」
「それじゃあどうするんですか!?」
「鬼が酒を飲み干す前に少しどうでもいい話をするか」
「こんな時にどうでもいい話って……」
「まあ、聞け。酒の出どころの話だ。そして俺の話だ」
意図的に触れてこなかった話であり、目をそらしてきた話。
「アドは疑問に思ったことはなかったか? 俺がなんであんな能力を持っていたのか?」
「そりゃあ、よくわからない能力だとは思いますけど……」
酒とケーキを出す能力。そう考えると訳の分からない能力でしかない。だが、
「つい最近確信を持ったが、何のことはない。あの二つは俺にとって特別だったんだな。良い意味とそして悪い意味で。いや、本当に悪い意味で特別だからこそ直視したくなかったんだが」
「悪いほうはケーキ、ですよね?」
「ああ、その通り」
さんざん酒について語って来たのだ。アドには簡単に想像できただろう。
「あれを作るときは中々混沌とした感情だったな。嫉妬。焦燥。諦念。絶望。空虚」
三十歳になって、ろくな人生を歩んで来なかった自分への後悔が渦巻いていた。
「あのバースデーケーキは俺の作ったものの中で二番目に感情のこもった作品だったよ」
「本当にろくでもない感情ばかりですね……」
「全くだ。だからこそ俺の最高傑作と並んでいるということを認めたくはなかったんだ」
アドは俺の言葉の意味を理解し、目を見開く。
「それで訳の分からない話は終わったか? 俺はこの通り酒を飲みほしちまったぞ。酒の出どころをおしえてもらおうか」
「この酒を造っているのは向こうの世界の風谷醸造という小さな酒蔵。俺の蔵だ」
「ちょ、シロキさんはそんなこと一言も言ってませんでしたよね」
「そりゃあな。酒を造るめども立たずに杜氏を名乗れるか」
それに何より、俺は一度その矜持を捨ててしまっているのだ。
「それじゃあ、酒を渡してもらおうか」
「ああ、やるさ。俺の売り物の酒をな」
一瞬で酒樽を酒で満たす。
「シロキさん。シロキさんのお酒じゃあ酔わせることが出来ないんじゃ……」
「なんのためにさっきの話をしたと思っている?」
樽から漂う香りは先ほどまでの物とは違う。
「これは……。長介さんのところで作ったお酒?」
「ああ、俺の酒を蒸留しただけのただの焼酎。ただし俺にとっては特別な酒だ」
この酒に込められた思いを、語る気はない。
「さてと存分に飲むといい。あんたが酔いつぶれたら帰らしてもらう」
それにしても連続式蒸留方法で作られた甲類の焼酎に”小さき勇者”などと名付けたが、鬼退治をすることになるとは思わなかった。




