↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
音楽記号:人間を木で叩くように  作者: 1文字以上(十左近ジュウ)
4/6

04 第四弦


 それはほんの二小節、頭の中に流れ込んで、それから溢れて出ていっただけだった。子どもの合唱のような讃美歌のような。けれどそれは明らかに弦の重奏だった。


 その旋律のあまりの美しさに、雷に打たれたような衝撃を受ける。

 私はすぐさま胸ポケットにあったペンのキャップを口で乱暴に食いちぎって外すと、手の甲に音符を書き始めた。書き付ける道具が他に無かったからだ。影の音楽を書き留め盗む。このズルを咎められるかと思ったが、影は必死に採譜して書き残そうとする私を静かに眺めていたようだ。


 短いフレーズの中に音が後から後から溢れてきて、すべてを残し切ることができない。記憶をこの世に繋ぎ止めようと一心不乱に奥まった音や隠れた重音を探り当て、見つけ次第に書き留めていく。手首までに書く場所がなくなって、私は上着を脱ぎ捨て、肘のあたりまでペンを走らせた。

 書き切れなかった音は消え、覚えている音は腕に残せた。やれることはやった。そうしてようやく私は安堵し、口を開くことができた。



「貴方様はこの音をどうやって、得たのですか」


 私の驚愕と、それまでとは打って変わった恭順ぶりが気に入ったのだろう、影は身の上を語り始めた。


◇


 私はこの楽団の始まりの頃、この地の裕福な貴族として生まれた。

 物心ついた頃から音楽の才を認められ、王族がパトロンとしてつき、私は存分に才能を磨き上げた。楽団も当世随一だったが、王立楽団だったのが仇となる。政争に負け、国家が地方領に成り下がったと同時に、楽団の栄華も歴史も葬られた。


 本来ならここは現存する最古の楽団だったのに。

 

看板だけすげ替えた都市楽団として再生した。そしてそこに旧国の貴族は要らぬと、私は戦争に駆り出された。


 ノブレス・オブリージュ。馬鹿な決まりだった。

 貴族だった私は指名され、誰よりも前線に行けと言われた。今まで音楽しかやってこなかった人間が、貴族であるというだけで将になって勝てると思うか? 旧国の者で組成された私の前線団は体よく始末されたのだ。


 私は自分の楽器を兵団の荷物に持ち込んでいた。無論、音が出るものなど戦地で鳴らすことはできない。それでも持っていたかった。


 戦地に赴いた私は、卑怯にも、とにかく逃げた。配下を裏切り、仲間を売って、最前線で一番長く生きたのではないか。

 しかし、戦争も悪いことばかりでは無かった。戦場に身を置いたら、そこには初めて聞く音がたくさんあった。砲撃、怒声、命乞いの啜り泣き、それらはぬくぬくと宮廷にいたら知り得ない音だった。


 将の矜持も名誉も捨てて、ただひたすらに利己的に、逃げ続けるうち私を世話をする者がついにいなくなった。私を庇って皆死んだ。彼らこそが真のノブレスであったな。

 私は死を覚悟した。野外の戦場なんぞに放たれたら1人では何もできない、なぜなら私は貴族だからな。


 だから今際(いまわ)に、一曲弾こうと思った。お前と同じ楽器だよ。すると驚くことに人生で一番の演奏ができたのだ。


 宮廷と戦争の両方を経験した人間の演奏を、かつて他国で聴いたことがある。その者は軍人であり演奏家であり貴族であった。私の演奏は彼のそれに近かった。その者は大層上手かった。しかし私の演奏は似てはいるが、それをまだ超えていない。


 何が足りないのか、考えた。そしてたどり着いた。私は戦争に赴きながら、まだ誰も殺めていない。


 私が楽器を持ちながら、その欠落に気づき、途方に暮れていると、私の視界に敵兵がいた。

 私の手には楽器があった。だから相手は気を許した。従軍の奏者か何かと思ったのだろう。ラッパなどと違って、弦など山の中ではさして大きな音も出ないだろうに、その男は無知だった。


 相手はこちらに近づいて、一曲弾いてくれないかと言った。私はにこやかに微笑んで、簡単な曲を弾き始めた。その男は近くにあった倒木に腰を下ろし、耳を澄まして目を閉じた。


 私は指弾きに切り替えながら、そっと男に近づき、後ろの三つ指で護身用の短剣をかまえた―― みごと急所を刺し、もうそれで男の寿命はその日限りと決まったが、人間というのはすぐには死ねないものなのだ。

 奇襲に一矢報いようと男は私の腰にすがりつく。男を振り払うため、私は弓で、その手を打ち叩き払いに払った。無心だった。そうしてやっと男はぐったりして動かなくなった。

 その時、ふいに神の音が降りてきた。私は人では無くなったから。


 無論、その音は弓の打撃音などという安易な話ではない。

 戦争に行き、人に手をかけ、人では無くる。そうやって二度と取り戻せない尊厳を失う代わりに、人々は報酬を得る。それが私の場合には神の音だったというだけだ。


 人では無くなった瞬間、珠玉の音楽がいくつもいくつも頭の中に浮かび上がってきた。人の尊厳と引き換えに、私は神と接続したのだ。


 喜びに震えながら、誰も来ない山の奥へと歩いていった。そこで存分に弾き、創った。それが人生最良の日々だった。

 しかし私はとてもくだらない理由、飢えによって死に絶えた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。