九 謀
「あたいは――騙されたんだ」
猫又の桃は、すっかり憔悴した様子でそう言った。
真神白玉神社の社務所の一室。
畳の敷かれた部屋に千世、沙智、伊月、凪、そして桃が座っている。
沙智は常世に来てから初めて畳を見た。
やはり板の間に座るよりも快適で、独特の香りが心を落ち着かせる。
一同が座敷に腰を落ち着けると、伊月から凪へ、異形との遭遇や戦闘についての報告がなされた。
その後、なぜ桃が山で異形に追われていたのかが話題になると、当人がぽつぽつと語り始めた。
「あたい、普段は町のほうで、情報屋をやっているんだ」
「町というと『辻平』の町ですか?」
伊月が尋ねた。
「そうさ。あそこも近頃は人が増えてきたからね。そこそこ仕事にありつける」
「なるほど。今回のことは、その情報屋の仕事に関係するのですね?」
「ああ。あれは――四、五日くらい前の話だよ」
桃は一息ついて、再び語りだした。
「あの町には『寄合所』があってね、そこには色んな奴らが集まる。商売人も多いし、ちょいと立ち聞きするだけでも情報が転がり込んでくるもんだから、あたいの仕事にゃ、なにかと都合のいい場所なのさ。その寄合所で、妙な男が話しかけてきた――」
外から碧太郎が吠える声が聞こえる。タマと遊んでいるようだ。
桃はそれを少し気にしたように見えたが、そのまま話を続けた。
「お主、ただの人ではないな――と、その男がいきなり言うのさ。あたいが猫又だってことがバレたのは初めてだったから、正直、驚いたね」
「嘘つけ。儂らにだって、すぐにバレたちゅうのに」
千世が茶々を入れる。
「うるさいねぇ。あれは、あんたが無理やりに笠を取ったからだろ」
「笠などで隠せるものか。バレたくないのなら頭巾でも被っておけッ」
桃は「頭巾は蒸れるんだよ」などと呟いて、咳払いをした。
「どこまで話したか忘れちまったじゃないか。ええと――」
「寄合所で、妙な男に話しかけられた、という話です」
伊月が脱線した話を元に戻す。
「ああ、そうだ。内心ドキリとしたけど、そこで慌てる桃様じゃあない。男の問いには答えずに『一体、なんの用向きだい』と逆に聞いたのサ」
「ふむふむ」
「するとねぇ、『お主に丁度よい仕事がある』と、こうきた」
「なるほど」
「怪しい――とは思ったさ。だから『あんた、何者だい?』って聞いてやった」
「素直に答えたんですか?」
「本当かどうか知らないけどね、『さる高貴な御方の使いである』とか抜かしやがったよ」
「高貴な御方?」
伊月が、きょとんとした顔をする。
「どうせ嘘っぱちだろうけどね。この常世で高貴な御方も糞もあるかい? 一旦死んで、すっきりしたってのにさ、まぁた身分だの家柄だのに縛られたかぁないよ普通は。よっぽどの物好きでなきゃ、他人にヘコヘコして暮らしたかないだろ?」
「まあ――どうでしょうねえ」
伊月は、なんとも曖昧な返事をする。
「如何わしいとは思ったけどね……一応、仕事の内容も聞いてみたんだよ」
桃は、少し身を乗り出して言う。
「そうしたらサ、『近頃、常世には異形が出る。その原因を取り除いてほしい』と、こう言うんだよ」
それは――最初に桃に会った時にも言っていたような気がする。
木樵屋で、そんな話をしていたはずだ。
沙智がそのことを思い返していると、隣に座っていた千世が「話が長いぞぉ、手短にまとめろぉ」などと文句を言った。
「また野次かい。子供ってのは落ち着きがなくていけないよ――で、結局はさ、この辺の山にも異形が出るから、その大元となる『気枯地』とかいうのを探して掃除してこい、ってハナシだったわけ」
「気枯地を、掃除ぃ?」
千世が声を上げる。
「そうサ」
「その話、本当じゃろうな?」
「嘘じゃないよ、失礼だねぇ」
沙智は、千世の袖を引っ張って「ケガレチってなに?」と小声で尋ねた。
「気枯地とは――常世に稀に現れる、霊気の溜まり場みたいなものじゃ」
千世が答える。
「古い書物にその記録を見ることができる。穢れた地で穢地とか、穢土をケガレツチと読ませたり、単純に平仮名でけがれち、と記されることもある。で、それがなにかちゅうと、大抵は『霊穴』や『狂井戸』のことだと説明されとるな。ま、気枯地の文字どおりに霊気が枯れているというよりは、霊気が流れず留まった場所、というほうが正しかろうな」
千世の説明で、沙智は気枯地についてなんとなくは理解できた。
「で、どうやって、その気枯地を掃除しろと?」
千世が桃に向き直って聞く。
「その妙な男にさ、このくらいの、赤黒い石っころを見せられたのさ。気枯地を見つけて、その石を近づければ綺麗さっぱり消えちまうとか」
桃は親指と人差し指で円を作ってみせた。
「それを信じた、ちゅうんか?」
千世は、まだ疑いの目で桃を睨んでいる。
「すっかり信じたワケじゃあないよ。ただサ、払いがよかった。前金で五十銭は出す、って言うんだよ」
「あからさまに怪しいのう」
「そうだけどサ――五十銭といやあ、それだけでひと月は食える額だよ? みすみす見逃す手はないだろ。それに、もしも断って後々『あいつは化け猫だ』なんてその辺で言いふらされちゃあ、町で仕事がしづらくなるだろ?」
「化け猫の自覚はあるんじゃな」
「いちいち煽るんじゃないよッ」
千世と桃は、また子供じみたじゃれ合いを始めた。
桃が十分、元気になったのはいいとして――このふたりが一緒にいると、いつも騒がしいなと沙智は思った。
「ええと、それで――結局、その気枯地は発見できたのですか?」
伊月がまた話を戻す。
「ああ。石を渡してきた男に大体の場所は聞いていたからね。それでも探すのには骨が折れたけど。あんたらと会った沢を少し下った辺りに、水が流れ込んで小さな池みたいになってる所があるんだ。そこに気枯地があった」
「そんな場所に……」
「赤黒い渇いた血のような色の、煙みたいな波紋みたいなものが滾々と湧き出ていた。とにかく忌々しい、奇ッ怪で、気味悪いモンだった。あたい、気枯地ってのは初めて見たけど、見つけた途端、絶対にこれだッて判ったよねえ」
伊月は、桃の話に引き込まれるように続きを促す。
「それで、気枯地にその『赤黒い石』を持って近づいたと?」
「そう、そしたら――」
桃はさらに身を乗り出し、内緒話をするような仕草で言った。
「懐に入れた石から黒い煙が湧き上がった。こりゃあヤバいと思って、すぐに石を取り出して捨てたよ。こんな気味悪い場所からは、さっさとオサラバしようとしたら、いつの間にか、あの蜘蛛頭の異形どもに囲まれていたってワケさ」
桃の赤い瞳がわずかに震える。
「異形どもは、あたいに襲いかかってきた。全部で四、五体はいた。さすがに多勢に無勢だったから、どうにかいなして逃げようとしたんだけど、そこで見ちまったんだ――」
まるで怪談のような語り口だ。
「な、なにを見たのですか」
伊月が恐る恐る尋ねる。
「とんでもなくでっかい蜘蛛だよ。大蜘蛛さ。異形どころの話じゃない。ありゃあ『物の怪』だ」
「大蜘蛛――?」
「こんなもんじゃないよ。もっと、こぉんな大きい蜘蛛。それが、どす黒い気枯地から這い出てきたんだ。確かにあたいは見たんだよッ」
桃は上体を後ろに反り返し、両腕を目一杯広げて言った。
なんとも、穏やかでない話になってきた。
あの異形よりも、もっと不可解なモノが現れたというのか。
「その話、確かか」
千世は桃を睨めつけて尋ねた。
「間違いないよ。あんなモノ、見間違うはずないね」
「では、異形やら物の怪やらが湧いて出たのは、その赤黒い石とやらを気枯地に近づけたことが原因だというんじゃな?」
「多分、そうさね。気枯地が消えるどころか煙がもくもくっと出て、異形が集まってきて、最後には大蜘蛛のご登場だ。まるっきり話が違うじゃないか。あの怪しい男、最初ッからそれが目的であたいに石を持たせたに違いないよ」
千世は腕を組んでなにやら考え込んでいる。
「その石、受け取ったのはひとつだけか?」
「そうだよ――予備の石はないね」
桃がそう答えると、千世は腕を組んで「むう」と唸った。
「気枯地から物の怪が生じる、という話は聞かないわけではありません」
伊月が口を開く。
「ですが少なくとも、この辺で物の怪が出た、というのは初めて聞きましたね」
そう言うと、伊月は凪のほうをちらりと見る。
「そうね。あたしが来るより昔のことは知らないけど……」
凪が答える。桃の話を聞いて、随分と戸惑っているようだ。
「恐ろしいのは、桃さんの話からすると、その赤黒い石を使えば、人為的に異形や物の怪を呼び寄せられる、ということになる」
伊月の言葉に桃が頷く。
「そこで気になるのは、その妙な男――今回の仕事の依頼人の狙いです」
「それはそうなんだけど、ちょっと待って」
凪が口を挟んだ。
「話を聞く限り、その物の怪は、まだ野放しなわけよね?」
桃は下を向いて「そうだねぇ」と呟く。
「だったら、このままにしておけないわ!」
凪は立ち上がって言った。
「この神社を預かる身として――この山に住む者としても、見過ごせる事態じゃないわ。どういう経緯でこうなったにせよ、今は、その大蜘蛛や異形をどうにかするのが先よ!」
それを聞いて、伊月はやや気落ちしたような顔で、
「そうでした――凪さんの仰るとおりです。男の素性がどうであれ、物の怪への対処が最優先ですね」
と言った。
そこで、千世もゆっくりと立ち上がった。
「ま、そうは言うが、メガネの考えも分からんではない。大蜘蛛を倒すぞい、と闇雲に勇み立ったところで勝算はあるのか?」
「それは――」
凪は答えに窮する。
「やるにしても、得体の知れぬモノを相手にするのだ。少しでも情報はあったほうがよいじゃろ」
「あたいがやるよ――」
下を向いていた桃が、顔を上げて言った。
「あたいが、あの男を探し出す。そして、脅してでも引っ掻いてでも、情報を引き出してくるよ。物の怪の倒し方だって知ってるはずだ。あいつが全ての元凶なんだよッ」
「じゃから、闇雲はいかんて。その男が今、どこにおるかも分からんのじゃろ。それに、お前は面が割れておる。おそらく、そやつは捕まらん」
千世が桃をたしなめる。
「でも――あたいが騙された所為で、こんなことになっちまったんだ。ケジメをつけるには、そうするしかないよ」
桃は己のしたことを悔やんでいるようだ。
千世は鼻を鳴らす。
「まずは頭を冷やせ。見る限り、お前は謀略や駆け引きにはてんで向いとらん。化け猫になって引っ掻いとるほうがまだマシだわい」
「なにさ……馬鹿にしてッ」
「一度騙されとるんじゃ。大人しゅうしとけ。ま、儂にも心当たりはある。そっちは任せておけ」
千世には、なにか策のようなものがあるのだろうか。
異形退治の次は、物の怪退治か――
沙智が常世に来てからというもの、どうにも厄介事が続く。
だが、落ち込んでいる桃の姿を見ると気の毒に思ったし、できることなら助けてやりたい気持ちもある。
根拠はないが、沙智が見る限り、桃という娘は心根は悪くない。
「できるだけ早めに動きたいが、準備も必要じゃ。沙智ッ」
千世に突然呼ばれて、沙智はびくりとした。
「は、はいっ」
「そこで不貞腐れとる猫とともに木樵屋へ行き、権兵衛を呼んでこい。事情を話して、助けが要ると伝えよ」
「うん」
「その後、沙智はそのまま権兵衛と神社へ。猫は山に入って件の気枯地のある場に戻り、大蜘蛛がまだいるか見てくるのじゃ」
桃は目を丸くして、自分を指差す。
「あ、あたいがかい?」
「お前はあくまで斥候。決してひとりで戦おうなどと思うな。大蜘蛛がいようといまいと、その場の様子を確認したら、すぐに神社へ知らせに戻れ」
「……わ、分かったよ」
桃は渋々、承諾した。
千世は次々と指示を出す。
「沙智は神社に戻ったら札描きじゃ。なにを描くかは追って指示する」
「はい――」
「メガネはその間、儂と裏手にある例の文様を調べる。アレはおそらく、なにかに使えるぞ」
「承知しました」
伊月は、いつになく真剣な表情だ。
「凪は里から人を呼んで、何人か神社に控えてもらうように頼んでくれい」
「分かったわ」
凪も引き締まった表情で応える。
「留守の間、タマ坊が心配じゃからな。碧太郎を残してもよいが、戦力はできるだけ前線のほうに欲しいからの」
「大蜘蛛をやるなら、今度はあたしも行くわよ」
「そうくると思ったわ。まあよいじゃろ」
千世は、てきぱきと皆に役を割り振っていく。
普段は破茶滅茶だが、いざという時には頼りがいがあるのかも、と沙智は感心してしまった。
一方、隣に座っている桃は、心ここにあらずといった風だ。
「桃ちゃん、大丈夫?」
沙智が気にして声をかける。
「あ、ああ――平気だよ」
「私、まだこの辺に慣れてないから……迷わないように助けてね」
「迷うったって、あの店に行くんだろ? ほとんど一本道みたいなもんさね」
「そ、そうだけど――」
「ふん、変な子だねぇ。まあ、この桃様に任せなよ。また異形に出くわすかもしれないし、その時は守ってやるよ」
全員の役割が決まった。
「やることは分かったな? では各々、動けッ」
千世の号令で、皆が散っていく。
沙智は桃と連れ立って、まずは木樵屋を目指す。
死んで、あの世で化け物退治か――
神社の石段を下りながら、沙智は迫りくる不安を振り払おうと、己の頬をぱちんと叩いた。




