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常世霊異記(とこよりょういき)  作者: 佐藤猛山
第一章「常世」

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10/12

十 物怪

 異形と戦った現場から、さらに沢に沿って下った辺り――

 

 小さな流れが池に注いでいる。

 水場が近いため、空気までもが湿っている。

 この辺りの土の性質の所為なのか、水はけが悪く、泥に足を取られそうだ。

 

 千世と伊月、碧太郎、桃、凪、そして沙智が、事前に打ち合わせたとおりの位置に待機している。


 そこに気枯地はあった。

 禍々しい黒紅の、気体とも液体とも知れない淀みが見える。

 あれが()()()()であろうことは一目瞭然だった。

 そして――


 件の大蜘蛛は、己が縄張りといわんばかりに、そこに陣取っていた。

 その周囲には三体の異形が、蜘蛛を守るように立っている。

 蜘蛛も異形も、微動だにしない。


 「動きませんね……」

 岩陰に隠れた伊月が、声を潜めて言う。

 「警戒しておるのか――一点突破は難しいな」

 同じく、岩の陰に張り付いた千世が、大蜘蛛らの様子をうかがっている。

 

 「メガネよ、奴らに見つからんよう、大回りして後ろに回れ。なにかあったら知らせに戻ってこい」

 「分かりました」

 伊月は千世の指示に従い、その場から離脱した。


 一方、気枯地を見下ろせる小高い丘の上に、凪と沙智が待機している。

 ふたりは身を屈め、千世が合図を出すのを息を潜めて待っていた。

 やがて、千世が人差し指で、自らの頭を突く手振りを見せた。

 「矢を」

 弓を持った凪が小声で沙智に指示する。

 沙智はそれに従い、矢筒から矢を一本抜き出して、凪が伸ばした手に託した。


 凪は、ゆっくりと息を吸う。

 膝をついたまま弓に矢をつがえ、(つる)を引く。

 隣の沙智には弓を引き絞る音が聴こえる。

 それは異形にも聴こえそうなほど張り詰めた音だったが、水の流れに紛れていることを沙智は願った。

 

 凪の右手の弓懸(ゆがけ)が、右肩の後ろあたりで止まる。

 その姿勢のまま、時が過ぎていく。

 風が止み、一息つくくらいの間をおいた後――

 矢が空を裂き、異形の胴を貫いた。


 「次!」

 凪は再び右手を伸ばす。

 沙智が矢を渡す。

 他の異形がこちらに気づき、向かってくる。

 

 凪は、今度は立ち上がって大蜘蛛を狙うが、ここからではかなりの距離がある。

 第二射が放たれたものの、長い脚に阻まれ、致命傷とはいかないようだった。

 凪を無力化しようと、異形たちは丘へ向かうが、下で待ち伏せていた桃と碧太郎がそれを阻む。

 

 「行かせないよッ」

 桃は腰を落とし、不規則にジグザグを描くような動きで異形へ接近すると、急に飛び上がって喉元を蹴飛ばした。異形はたまらず、その場に倒れる。

 

 碧太郎も俊敏な動作で異形を翻弄(ほんろう)している。

 凪と沙智は、その隙に斜面を下って、異形を包囲する位置についた。

 

 「あと二匹、やっちゃうわよ!」

 弓懸を外した凪は、神社から持ち出した薙刀(なぎなた)を構え、碧太郎と対峙している異形の足首を、斜め後ろから斬りつけた。

 異形がよろめく。

 「やあッ」

 凪の斬撃が再び異形を襲う。

 刃の軌道が面を捉える。

 異形の頭に薙刀の穂が食い込み、その黒灰色の体躯(たいく)泥濘(ぬかるみ)の上に崩れ落ちた。


 凄い――

 凪は瞬く間に異形を二体も葬ってしまった。

 相手の動作が緩慢とはいえ、ためらいなく打ち倒せるのは場馴れしているが故なのか。沙智は凪の弓と矢筒を抱えながら、その勇姿に見惚れていた。

 

 「桃は大蜘蛛のほうを!」

 凪が声を張る。

 「合点(がってん)!」

 再び戦力が分散される。

 異形は残り一体。凪と碧太郎で十分対処可能、という判断だろう。

 「沙智はそのまま、あたしの後ろに!」

 凪が沙智に指示を出し、立ち上がろうとしている異形に刃を向けながら立ちふさがる。こちら側はもう問題なさそうだ。

 

 一方の、大蜘蛛である。

 目立った動きはなく、千世との睨み合いが続いているようだ。

 異形が立て続けに倒されてなお、特段、大蜘蛛に動きはない。

 

 迂闊(うかつ)に大物に向かっていくよりも、まずは異形を殲滅(せんめつ)して頭数を減らすというのが、千世の立てた作戦だった。

 凪たちの側から離脱した桃が千世のほうへ駆け寄る。

 千世はそれを確認し、異形のほうは片付いたと判断したようだ。


 千世が懐から札を取り出す。

 この場の環境については桃の報告を受けていた。始めに丘から射撃できたのも、あらかじめ付近の地形を把握していたからだった。

 また、ここは石や岩が多く、池のような水場もある。それらの情報から、千世の武器である霊符を活かす方法を吟味する余地もあった。

 

 蜘蛛は、水の()ともいわれる――

 水にまつわる術は、()()()()()通用しないだろう。

 火の術も環境的に効果は薄そうだ。

 燃やせれば楽なのだが、周りが水だらけだし、逆にどこかへ引火して、山火事になってしまっては目も当てられない。

 

 千世は身を寄せていた岩陰から飛び出し、霊符を持つ手を突き上げた。

 

 あれは、異形を沈めた隆岩(りゅうがん)の術だ――

 視線の先に岩柱がせり上がる。

 すぐにその柱の陰へと移動し、再び札を突き上げる。

 

 岩の遮蔽(しゃへい)物を盾にしながら、千世は少しずつ大蜘蛛へ近づいていく。

 一気に接近することはせず、警戒しながら間合いを詰めている。慎重な動きだ。

 おそらく、異形が放つ糸のような攻撃を、あの大蜘蛛も繰り出してくると予想しているのだろう。

  

 大蜘蛛はやっと異変に気づいたらしく、千世のほうを向いた。

 そして、巨大な体を反らすと、やはり腹部の先から勢いよく糸を吐き出した。

 「おっと!」

 まるで鋼のような輝きを帯びた糸は、千世が隠れている岩を(かす)めた。

 もし、あの大蜘蛛の糸に絡め取られたなら、腕どころか胴体までぐるぐる巻きにされてしまいそうだ。

 大蜘蛛は、まだ千世に狙いを定めている様子だ。このままではとても岩陰からは出られないだろう。

 

 「よそ見してんじゃないよッ」

 突然、大蜘蛛の背後から、獣が飛びかかった。

 桃だ――

 大蜘蛛と千世が向き合っている間に、隙をついて襲いかかったのだ。

 

 化け猫の姿となった桃は蜘蛛の上に飛び乗り、鋭い爪で背中を打ち付けた。

 しかし、手応えがないのか、桃はすぐに跳躍して蜘蛛から距離を取る。

 「駄目だ――爪が負けちまうよッ」

 さすがに異形を倒したようにはいかないらしい。

 

 「猫ッ、そやつを池のそばに引きつけろ!」

 千世が叫ぶ。

 「あいよッ」

 桃は目にも留まらぬ速さで蜘蛛の脇を駆け抜け、池の周囲を旋回する。

 大蜘蛛がそれに釣られてゆっくりと動き出す。

 

 「よしよし――糸には気をつけろよ」

 千世は、相手の位置を確認しながら、次に仕掛ける頃合いを計っている。

 大蜘蛛が池の(ふち)に至り、桃を狙って体を反らしたその瞬間――


 「鉄砲水じゃい!」

 千世が再び札をかざすと、池の水面が膨張し、怪魚が跳ねたかのように、大量の水が空中にほどばしった。

 物凄い水圧が大蜘蛛を襲い、さしもの巨体もぐらついている。

 

 「霊山の水じゃ――さぞや美味かろうて」

 千世は池を目指して前進した。

 池の前に至ると、さらに別の札を懐から抜き出し、水中へと投げ入れる。

 その途端、蜘蛛にまとわりつく水がバキバキと音を立てて凍りついた。

 

 「これぞ、秘技『氷襲(こおりがさね)』の術」

 水が凍った影響か、周囲の気温が急激に下がり、白い霧に包まれた。

 大蜘蛛の脚や胴体は凍結し、その動きを封じられる。

 「如何な名水も、冷やしすぎては腹を下すぞい――」


 千世が起こす摩訶不思議な現象に、桃は改めて驚いている。

 「なんだい、ありゃあ……あいつのほうが、よッぽどの化け物じゃないか」

 桃は、凍った大蜘蛛にもう一発、お見舞いしようと狙いすます。

 

 しかし、よく見ると蜘蛛の脚がまだわずかに動いていた。

 どうにか抜け出そうともがいているのだ。

 「まずいッ、早くやっちまわないと、また動き出すよ!」

 桃が叫ぶと、千世は頷き、さらに大蜘蛛へと接近した。 


 「さて、一か八かの博打(ばくち)といくかッ」

 千世が、またもや懐を探る。

 手の内には、七宝の文様が描かれた札がある。

 「願わくは、この七宝の御験(みしるし)に御山の加護が宿らんことを――」

 

 札紙に縦一列に描かれた七宝紋が、光り輝く。

 千世は光る霊符を、凍りつき、もがいている大蜘蛛の頭に貼り付けた。

 すると、にわかに大蜘蛛の体が震え始め、その脚や体の節々が眩しく発光する。

 まるで体内で爆発が起こる前触れのようだった。


 「離れろッ」

 千世の言葉で全員が池から離れ、岩陰や木の裏に隠れる。

 

 大蜘蛛を捕らえていた氷はいつの間にか剥がれ、宙空の霧も吹き飛ぶ。

 強い風が巻き起こる。

 耳鳴りのような音が周囲に響く。

 光源はさらにその明るさを増していく。

 

 なにが起こっているのか――

 あまりの眩しさと強風に煽られ、皆、手で目を覆った。


 しばらくして――

 風も、音も、青白い光も、全てが止んだ。

 そして、池のほとりを見ると――大蜘蛛の姿は消えていた。

 

 「おお……功あったか?」

 千世は蜘蛛がいた場所へ近づいていく。

 「ふむ――消えるのか」

 千世の声を聞いた沙智が、もう大丈夫かと思って岩陰から顔を出すと――


 「あッ」

 そこに倒れていたはずの異形も、煙のように消えていた。

 「い、異形が消えてます!」

 「なにッ」

 素っ頓狂な声を上げた千世が、こちらを振り向く。

 「そこに死骸――死んだのかは分からないけど、身体は確かにあったはず……」

 「むう、ここまでとはな」

 千世は顎に手をやりながら、うろうろと歩き回って辺りを観察している。

 

 これが――千世の切り札か。

 

 神社の裏手にあった石の円盤に彫られていた文様――

 「七宝」というその(ぎょう)は、千世と伊月の見通しでは、()()()()()()()()()効果があるのだという。

 七宝紋には調和の意味があるのだとか、桃を治癒させたのがその証だとか、とにかくふたりの議論は白熱していたことは沙智も覚えている。

 他にも、縁起がいいとか仏の加護があるとかも言っていた気がする。

 

 そんな事情で沙智は、この戦いに赴く前に、七宝の霊符を描かされたのだ。

 千世は、その霊符が切り札になると考えていたようだ。

 それがまさか、物の怪たちを跡形もなく消してしまうほどの代物とは――


 「な、なんだい、今のは……」

 人間の姿に戻った桃が、口を開けて立ちすくんでいる。

 「一体、どうやってあの大蜘蛛を――」


 凪と碧太郎が、沙智のそばへやってきた。

 「沙智、怪我はない?」

 「は、はい――大丈夫」

 沙智はまだ胸の動悸(どうき)が治まらない。

 「どうやら、上手くいったみたいね」

 凪は、あの出来事を見ても、そこまで驚いていないようだった。

 巧みに武器を駆使して異形を打ち伏せた腕前といい、この人は、結構な修羅場を潜ってきたのだろうか――と沙智は想像した。


 「皆、無事じゃな。ようやった。やはり儂の作戦は完璧であった」

 千世は腰に両の拳を当てて、ふんぞり返っている。

 

 それを聞いた桃は、

 「本当にそうかい? あたいは耳がいいから、()()()()とか言っていたのが聴こえたけどねぇ。運がよかっただけじゃないのかい」

 などと憎まれ口を叩いた。

 「細かいことをいうでない。結果的に勝てたのだから、それが正しい行いであるのは間違いない。神仏の加護は、正しき者に訪れる。つまり、儂は正しい!」

 千世はそう言って、着物の乱れを直した。


 「では、神社へ戻るとしよう。残党はおらんだろうが、気は抜くなよ」

 千代の音頭で皆が帰ろうとすると、遠くから呼ぶ声がした。

 「千世さぁん!」

 伊月が林の奥から姿を現し、駆け寄ってくる。

 「あ、メガネか。忘れとったわい」

 「千世さん、見つけましたよ、あっちです」

 伊月は、己が走ってきた方向を指差した。

 皆がそちらを見ると、林の中から野太い声が上がる。


 「おおい、こっちだぁ」 

 あれは――権兵衛の声だ。

 一同は、権兵衛のもとまで走る。

 

 林の中には権兵衛と、縄で縛られた見知らぬ男の姿があった。

 千世は腰に手を当てて、その男をじろりと見つめる。

 「ふむ――こやつが例の?」

 「ああ。この辺に隠れていたから捕まえた」

 権兵衛は、男の後ろ手に結ばれた縄をつかみながら言った。

 

 これは一体、誰なのだろうか。沙智には見覚えのない男だった。

 

 「ああッ! こいつは、あの時の――」

 桃が目を見開いて叫ぶ。

 「こいつだ! これが、あたいに()()()()()を持ちかけてきた男だよッ」

 縛られた男は、口をあんぐりと開け、驚きの表情のままで固まっていた。

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