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常世霊異記(とこよりょういき)  作者: 佐藤猛山
第一章「常世」

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8/12

八 巫

 真神白玉神社の境内。

 伊月がどこからか運んできた(むしろ)の上に、猫又の桃が横たわっている。

 桃はかなり消耗している様子で、呼吸は依然として浅く、目も虚ろだった。

 

 「目立った外傷はないようですが、だいぶ辛そうですね」

 伊月が桃の状態を診ながら言った。

 「やはり獣に変身した影響でしょうか?」

 「どうじゃろうな。体内の霊気が極度に活性化して負荷がかかったか、あるいは霊的な経絡(けいらく)の乱れか――」

 

 千世も筵の上の桃を凝視している。

 「それにしても消耗が激しい。異形と接触したことも関係あるかもしらん」

 「だとしても、どう対処すべきか……」

 「ううむ、木天蓼(またたび)でも嗅がせてみるか」

 「余計に悪化してしまうのでは――」

 どうにも治療の方針が定まらないようだ。


 ここで、沙智の中にひとつの疑問が生まれた。

 「そういえば――常世で怪我や病気をしたら、どうやって治すの?」

 誰にともなく尋ねた。

 

 「大抵は、安静にしていれば治ります」

 伊月が答える。

 「御存知のとおり――常世の生物の体内には霊気が流れています。怪我や病気をすることで、その霊気の流れにも異常が生じるようです。ただ、不調があっても痛みはほぼ感じない。代わりに妙な倦怠感や、力が抜ける感覚があります。しかし、素人目にはそれらの症状だけでは原因を特定しづらいのです」

 まだ常世に慣れていない沙智には想像しにくい話だった。

 

 伊月がさらに続ける。

 「時間をかければ体内の霊気は健全な状態に戻ろうとする。それにつれて、怪我も病気も回復していきます。基本的には医者いらずで、楽なものですね」

 「じゃあ、桃ちゃんも待っていれば、そのうち治りますか?」

 「そうかもしれませんが、この苦しみ具合はちょっと、普通じゃない」

 伊月は困ったような表情で桃を眺めている。

 「純粋な人と獣人では、霊気の流れも違うのかなあ――」


 桃の顔色が青い。

 まるで、血の気が引いたようだ。

 体内の霊気が乱れると、こんな風になるのか。

 「ともかく、安静にするべきですね。社務所に移しましょうか」

 伊月がそう言った直後、拝殿の裏手から人影が近づいてくるのが見えた。


 凪と、碧太郎。

 そして、その後ろから歩いてくるのは――


 子供だ。

 巫女装束らしき白衣をまとい、赤い袴を穿いた、おかっぱ頭の子供。

 千世よりも、ずっと背が小さい。

 幼稚園生か、小学校に上がりたてくらいの年頃か。

 子供は無表情のまま、真っ直ぐにこちらへ歩み寄ってくる。

 

 「依姫(よりひめ)様――」

 膝をついていた伊月は、立ち上がってそう言った。

 「タマ坊」

 千世も口を開く。


 「タマが急に、こっちに――」

 凪は困惑している。

 彼女が、この子供を連れてきたわけではなさそうだった。

 「タマ」と呼ばれた、おそらく少女であろう子供は、仰向けになった桃のそばまで来ると、その袖を引っ張りはじめた。

 

 「なにをしとるんじゃ」

 千世は(いぶか)しげにそれを眺める。

 「多分、どこかに連れていきたいんじゃないかしら」

 代わりに凪が答えた。

 タマはなお、ぐいぐいと袖を引っ張るが、さすがに桃が重くてびくともしない。

 

 「私が担ぎましょう」

 伊月が言うと「手伝うわ」と、凪が桃の上体をゆっくりと起こす。

 そのまま伊月が桃を担ぐと、タマは反転して拝殿の脇へ向かって歩き出した。

 タマに吸い寄せられるように、その場の全員が後を追う。

 

 拝殿の横を通り過ぎ、境内の奥へと向かう。

 どこへ行くつもりなのか。

 そもそも、この娘は何者なのか。

 沙智は、なんとなく不安だったが、千世たちがなにも言わずにタマについていくので、自分もそれに続くしかなかった。

 

 神社の最奥――拝殿の裏手にある一本の細い道をさらに進む。

 この奥は森だ。

 密集した樹木の海に囲まれると、途端に辺りが静寂に包まれた。

 心なしか気温も少し下がった気がする。空気が張り詰め、荘厳な雰囲気が漂う。

 

 木や(こけ)の緑、木立の間からのぞく象牙色の日光、朽ち葉と一体になった土の色の全てが混ざり合い、それらが巨大な神霊となって、(おそ)れ敬えと語りかけてくるようだ。視界の彩度が低下し、沙智は軽い目眩を起こしたような錯覚を覚えた。

 

 ここは、本当の神域だ――

 理屈なしにそれが解るほど、この場所は特別だった。

 

 タマが突然、歩みを止める。

 そこには、青い縞をもつ銀白色の岩が鎮座していた。


 これは――前に千世が見せてくれた「霊石」だ。

 丁度、千世の背丈ほどの大きさの岩だった。

 こんなに大きい霊石もあるのか、と沙智は驚いた。


 「これは、祭神(さいじん)か?」

 千世が尋ねた。

 「いえ――この神社で祀っているのは真神のはずです」

 桃を担いだ伊月が答える。

 「いずれにしても、この岩はずっとここにあるのです。神社の名にある『白玉』とは、これのことかも知れません」

 「お前は神社の人間であるというのに、なにも知らんのか」

 千世が煽り立てるように言うと、

 「いやあ、記録がほとんど残っていないんですよ」

 などと、なぜか照れたような顔で伊月が答えた。

 

 「それはそれとして――」

 千世がタマのほうを見る。

 「なぜここへ猫を連れてきたのだ?」

 そう聞かれたタマは、急に目の前の大岩を蹴り始めた。

 

 「依姫様?」

 伊月は、タマの謎の行動に戸惑っている。

 他の者も、どうしてよいか分からず、ただその場に立ち尽くしてしまう。

 まさか岩を蹴ることが、この神社の参拝方法なのか、と沙智は一瞬思ったが、さすがにそんなわけはないだろうと、己の思いつきを振り払った。


 「タマ、どうしたの?」

 凪が尋ねると、タマは今度は岩に両の掌を当てて、押しのけようとする。

 当然、重すぎるようで、全く動く気配はない。

 「岩を除けたいの?」

 再度、凪が尋ねると、タマは頷いた。

 「除けるといっても、このでっかいのをねえ――」

 

 五人で押せば動くだろうか。

 しかし女子供が多い。人力で大岩を動かすことは難しいかもしれない。

 「そもそも、御神体らしきものを動かしてよいものか……」

 伊月は考えあぐねている。

 タマは未だ、岩に身体を押しつけて、ふんふんいっている。

 なんとも奇妙な光景だ。

 

 すると、しばらく考え込んでいた千世が、

 「この岩、ぶち壊してもよいかの?」

 などと、いきなり物騒なことを言いだした。

 「いえ、それはさすがに――」

 伊月が異を唱える。それはそうだろう。

 

 このような神域で、いわくありげな岩を壊すなど、普通は抵抗がある。

 そもそも、それが原因で山の神に(たた)られなどしたら、どうするのだろうか。

 昔、真神が怒って、人を山から追い出したという話を伊月から聞いていたので、また同じようなことが起こるのではないか、と沙智は思った。

  

 そこで、先ほどまで岩に取り付いていたタマが、再び足で蹴り出した。

 「ふむ」

 その様子を見て、千世は我が意を得たりといった表情で、

 「やはり、壊してよさそうではないか!」

 と、嬉しそうに言った。

 

 「えぇ……」

 沙智は難色を示す。

 祟られたくないのである。

 「しかし、タマ坊が『やれ』と言っておるし」

 千世はなぜか沙智の肩に手を置いて、薄笑いを浮かべている。

 「なにも言ってないけど……」

 「目を見れば分かる」

 「分かんないよ」

 大体、この岩を壊したところで、どうなるのか。


 「どう思いますか、凪さん」

 伊月が、ずっと黙って見ていた凪に話を振る。

 「どうって言われても……」

 「依姫様が、ここまではっきりと意思表示をするのも珍しいのでは」

 「そうなんだけど……」

 「いずれにしても、この岩の下になにかがあるのは間違いなさそうです」

 伊月は好奇心が芽生えたのか、徐々に千世の意見に寄ってきている。


 千世はタマを指でつつきながら、

 「だったら、やってしまっても構わんじゃろ。()()()()()()()()も構わんと言っておるし。岩なんぞ、また拾ってくればよい」

 こんな大きな岩を、どうやって拾ってくるのか。

 それに「神社で一番偉い者」とは――?

 まさか、このタマという娘が、そうなのか?


 「玉依姫(たまよりひめ)様――これは僕が勝手にそう呼んでいるだけ、なのですが」

 伊月がようやく桃を地面に下ろし、木の幹を背にして座らせながら言った。

 「この方は、私や凪さんより以前から――それもかなりの大昔から、この神社にいらっしゃる、と思われます」

 

 そうなのか――

 常世では人は年をとらない、とは聞いたが、この娘はずっとこの姿のまま、真神白玉神社を守っているというのか。


 「タマについて、あたしもそこまで詳しくは知らないけど――もしかすると、この神社ができる前から、この山にいるかもしれないのよ」

 凪が補足する。

 ならば、この神社の主はタマなのか。

 「神主とは違うわね。今はあたしが一応、宮司役をやってる。タマは真神の巫女なのよ。着ているものでわかるでしょう」

 沙智には、違いがよく判らなかった。

 

 「おおい、そろそろやるぞッ」

 千世が痺れを切らしている。

 「危ないから、タマ坊は一旦退いておれ」

 タマは凪に連れられて、岩から離れた。

 沙智も「危ない」という言葉に反応して少し後ろに下がる。

 伊月だけは、興味深げに岩のそばで様子をうかがっている。

 

 千世は懐から札を一枚抜き取り、深く息を吸った。

 やはり、本当に壊すつもりなのか。

 「当たったらすまん――」

 

 なにやら不吉な言葉を残し、千世は札を岩に押し付けた。

 札に描かれた文様が、淡く青く発光する。

 やがて、ミシミシという音が岩から聞こえてきた。

 千世が後方に飛び退くと、音は次第にメキメキと響きを変え、次の瞬間には、岩は呆気なく割れてしまった。

 

 凪と伊月が驚いている。

 それを尻目に千世は、

 「ふむ、やはり使えるな。破片が飛び散ることもなさそうじゃ」

 などと、霊符の効果に満足した様子で言った。

 割れて崩れた岩を見て、伊月はまたも興奮した。

 「おおッ! こんなこともできるとは――」

 「しっかと見たか、『破磐(われいわ)の術』の力を」

 

 これも、沙智と千世が事前に開発していた霊符のひとつだった。

 霊符の作成には、文様を描く為の顔料となる石――霊石が必要になる。

 それを楽に掘り出すために、術の力でどうにかできないかと千世が言い出したのをきっかけに、ふたりで編み出したのが「破磐(われいわ)(ぎょう)」だ。

 

 「この霊符を描いたのも沙智じゃ。こやつは少々ぼうっとしておるが、このような格別の才を持っておる」

 沙智は急に褒められて、少し照れくさかった。

 しかし、自分の技術がなにかの役に立っているという事実が、少しずつ自信につながってきている。それが嬉しかった。


 「しかし――」

 伊月が手を顎に当てながら言う。

 「本当に岩が割れてしまったわけですが、さて、どうしたものか」

 「うむ、これを見よ」

 千世が散らばった岩の残骸を足で除ける。

 それを見て、伊月も大き目の破片を取り除くのを手伝った。

 「こ、これは――」


 砕けた岩の下には、円盤状の石らしき物体が隠されていた。

 円盤には多数の幾何学模様が描かれ――否、彫られている。

 これは明らかに人工物だ。

 

 「こりゃ、七宝(しっぽう)の文様か? (うろこ)の柄も見えるな」

 千世が早速、円盤の分析を始めている。

 「文字は――彫られていませんね。円と多角形で構成された紋様の集合体です」

 伊月も分析に加わる。

 沙智は遠目に円盤を眺めたが、それがなんなのかは当然分からない。大きいマンホールの蓋、くらいにしか思わなかった。


 皆が円板に夢中になっていると、後方から声が聞こえた。

 凪が呼んでいる。

 沙智が振り返ると、タマが桃を再び引っ張ろうとしている。

 「急にまた、この娘を引っ張り始めたのよ」

 

 桃を運べ、ということなのだろうか。

 「伊月先生って、珍しいモノを見ると夢中になっちゃうのよね。あなた――沙智だっけ? あたしと一緒に、この娘を運べる?」

 沙智は凪の言葉に頷いて、桃の脚をつかむ。

 凪は背中側に回り、脇の下に腕を入れた。

 「落とさないようにね。せえのッ、よいしょ――」

 ふたりは桃を持ち上げ、千世たちのほうへ移動した。

 タマもついてくる。

 円盤のそばに至ると、タマは「その上に下ろせ」とばかりに無言で指で示した。


 「なにが始まるのかしら……」

 沙智の隣に立つ凪が、円盤の上に仰向けに寝かせられた桃を見ながら言った。

 「まさか――」

 千世が右手を口元に当てながら言う。

 「猫又を生贄(いけにえ)に、真神を呼び出すつもりか?」

 「そんなことしないわよ! 多分……」

 凪は否定したが、この状況を見る限り、如何にもそんな雰囲気ではあった。

 皆が見守る中、タマは首にかけていた(ひも)を外した。


 「勾玉(まがたま)――か」

 紐の先には、淡い緑色の石らしき装飾品が結ばれていた。

 タマは緑の勾玉を手に収めると、桃の下腹の辺りに押し当てた。

 

 すると――

 円盤に彫られた文様が青く光り始めた。

 その様は、霊符の文様が光る様子によく似ている。

 やがて、桃の身体の表面も淡く光り出す。

 周りの者は皆、固唾を()む。

 しばらくすると、タマは勾玉を桃の身体から離し、再び服の中へと戻した。


 「ああ……」

 身体の発光が収まった後、桃がゆっくりと起き上がった。

 「な、なんだい、これは――体が、動く」

 どうやら、タマの施した儀式によって、桃の体調が回復したようだ。

 「やるではないか、タマ坊!」

 千世はタマの頭を撫でた。

 タマはただ、虚空を見つめている。

 

 「あなた、本当に大丈夫?」

 凪が桃に尋ねる。

 「へ、平気みたいだねぇ」

 桃は自分の身体のあちこちを確認している。

 「全体、なんだかわからないけど――世話になったらしいね」

 驚きつつも、少し罰の悪そうな表情で、桃は言った。


 「と、ともかく――」

 伊月が思い出したように発言する。

 「一旦、社務所に戻りませんか? 諸々、報告もありますし。今後どうするかも話し合わなければ」

 一同はそれに同意し、境内へと歩きだした。

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