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常世霊異記(とこよりょういき)  作者: 佐藤猛山
第一章「常世」

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7/12

七 異形

 千世、沙智、そして伊月の三人は、碧太郎の先導で山を下った。

 

 しばらく山道を下った後、碧太郎は道のない山林に分け入った。

 後続の面々もそれに続いたが、さすがに進むのに時間を要した。足場が悪く、転倒しないように体勢を維持しながら歩くため、体力も消耗してしまう。

 特に、山に慣れていない沙智は難儀した。

 それでも、前を行く碧太郎は、できるだけ歩きやすい経路を選びながら進んでくれているようだった。


 やがて、水の音が聞こえてきた。沢が近づいているのだろう。

 樹木の数は少なくなり、周囲には石や岩が目立ち始めた。

 「沢沿いを下るようです。足元が滑るので、気をつけて」

 伊月が沙智を気遣う。

 ただでさえ岩場など不慣れなのに、履き慣れない草鞋では転んでしまうかもしれない。沙智は十分に注意しながら歩いた。


 「止まれッ」

 

 千世が鋭い声で全員を制する。

 碧太郎が一層、激しく吠えはじめた。

 後続の沙智と伊月は歩みを止め、近くの大きな岩に身を寄せた。

 千世は腰を落とし、前方をうかがっている。

 沙智も千世の視線の先を見た。


 沢の細い流れに沿って、なにかが上ってくる。

 どうやら人のようだ。

 その足取りは、少々ふらついているように見える。

 そして、その人影が近づくにつれ、見覚えのある()()が揺れているのが、はっきりと見てとれた。


 「猫か?」

 

 あれは――桃だった。木樵屋で出会った猫又である。

 笠を失くしたのか、桃色の髪と猫耳があらわになっている。

 桃は千世の近くまで来ると、ついには足がもつれて倒れ込んだ。


 「おい、なにがあった?」

 千世が桃を見下ろす。

 桃は苦しそうに咳き込むと、肩で息をしながら言った。

 「い――異形だよ。奴らに襲われた」

 「確かか?」

 「確かだよ。あたいは――マズいことに手を、出しちまった」

 「なんじゃと?」

 「知らなかったんだよ。騙されてた。畜生ッ」

 「だから、なんの話じゃ。詳しく説明し――」


 突如――

 碧太郎の遠吠えが山林に響き渡った。

 皆が、碧太郎を見つめる。

 そして――


 桃が来た方向から、しゃり、と音を立てながら、沢を上ってくる影が見えた。

 それは人影であったが、次第にその姿が明らかになると、沙智は息を飲んだ。

 

 異形だ――

 

 粗末な野良着から、傷だらけの四肢が伸びている。

 炭や灰を擦り付けたような、黒灰色の肌。

 そして頭だけが、人のものではなかった。

 顔面に一列に並んだ複眼が、不気味で鈍い輝きを放っている。

 その両脇から伸びた脚のようなものが、カサカサとうごめく。

 

 あれは――蜘蛛だ。

 蜘蛛の頭を持つ、おぞましい亜人だ。

 あんなモノが存在していいのか――

 

 決して凝視したいような姿ではないのに、魔性に魅入られたかの如く、沙智の視線は異形に絡め取られ、その場から動けないでいた。

 なぜか、目を逸らせば、足を動かせば、取り殺される――そんな気がしたのだ。

 

 「出よったか――」

 千世は半身を引いて、臨戦態勢に入る。

 異形の数は、目視できるかぎり、二体。

 「儂と碧太郎で、やる。メガネは沙智坊を頼むッ」

 千世は、本当にあの化け物と戦うつもりなのか――

 

 「沙智さん、落ち着いて、少しずつ奴らから離れましょう」

 伊月は杖代わりにと神社から持ってきた木の棒を構え、沙智の前に出た。

 千世と伊月が冷静に指示してくれたおかげか、沙智も少しずつ恐怖という毒から解放されつつあった。

 危険を回避するためにも、まずは落ち着かなければならない。少し膝を曲げて、足の感覚を確かめる。


 「早速、切り札を晒すのも癪だが――背に腹は代えられんの」

 千世は懐から霊符を取り出した。

 霊術で異形を仕留めるつもりなのか――

 指に挟んだ札をゆっくりと動かしながら、千世は口上を披露するかの如く、鈴を転がすような、それでいて堂々とした声音で(うた)いだした。

 

 「これなる札は怪力乱神(かいりょくらんしん)、魔を払いて邪を滅す。仏は(つね)にはおらねども、然らばこの身を羅刹と変えて、彷徨う亡者、(はら)い奉らん――」

 

 千世が霊符を高く掲げると――

 異形の、その口らしき部位から、白い糸のようなものが飛んだ。

 糸は千世の腕に絡みつき、その動きを封じてしまった。

 

 「なんじゃ、こりゃあ!」

 「奴ら、変な糸を飛ばしてくるよ、気をつけな……」

 桃が地べたに膝をついたまま、千世を見上げて言った。

 「それを先に言えッ!」


 腕を取られて苦戦している間に、糸を吐いた異形とは別の、もう一体がじりじりと千世に迫る。

 動きは緩慢だが、なにをしてくるか分からない。


 千世を助けなければ――

 しかし、沙智が下手に動くことで、足手まといになる可能性もある。

 そう思うと、心に迷いが生じ、結局その場から動けなかった。

 伊月も動かない。

 このままでは危ない、と思った瞬間――


 獣の声。

 牙を剥き出して唸る碧太郎が、千世に迫る異形の脚に噛みついた。

 噛まれた異形はもがき、体勢を崩して転倒した。


 「猫ッ、休んでいる場合かッ! 早う助けろッ」

 千世が腕を振り回して足掻(あが)いている。

 「ちんたら喋ってるから、こうなるんじゃないかッ」

 「いいから、この糸を切れッ」

 「ちッ、仕様がないねぇ――」

 

 桃は爪を立てて、千世に絡みついた糸を必死に引っ()いたが、まるで(ほぐ)れる様子はない。

 「切れないねぇ」

 「使えん猫だのう」

 「うるさいねぇ、お互い様だよッ」


 千世と桃が言い争っていると、今度は糸を吐いたほうの異形が、ふたりに襲いかかろうと距離を詰める。 

 しかし、その異形になにかがぶつかった。

 「危ないですよ!」

 沙智の前方に立ちふさがっていた伊月が、石を投げつけたのだ。

 効いているのか定かではないが、異形は一瞬だけ動きを止めた。

 

 「あやつ、意外に石投げが上手いな――」

 千世は感心している。

 「あんまり効いてなさそうだけどねぇ」

 「ならばメガネ、石でなく岩を投げよ!」

 無茶を言う千世を見て、桃は呆れ顔をしていたが、やがて異形に向き直り、大きく息を吸って吐いた。

 

 「ようし。こうなったら、奥の手だ」

 「なに?」

 「驚くんじゃないよ」

 桃は、ひょいと一歩前に出ると、その場で四つ足をついた。

 「おい猫よ、下がれ。メガネの岩にやられるぞ」

 

 桃は低い姿勢のまま、異形を睨みつける。

 一同が、何事かと眺めていると、桃の身体は次第に震え始め――

 

 「ナアアアァッ」

 

 本物の猫のような声で唸った。

 そして、全身が青く光りだしたかと思うと、ぞわぞわと体毛が伸び始める。

 長い獣の毛が、逆立ちながら手足を覆っていく。

 (ひょう)のように変わり果てた前足からは、鋭い爪が飛び出し、今にも異形に襲いかからんと、砂利混じりの地面に食い込んでいた。

 

 桃は――化け猫の姿へと変化(へんげ)したのだ。


 「にゃああッ!」

 

 化け猫が、バネのような勢いで異形に飛びかかる。

 速い――

 あれは、人の動きではない。

 瞬きする間もなく、猫又の鋭利な爪が異形を引っ掻いた。

 無慈悲な野生の一撃が、不気味な蜘蛛頭を(えぐ)る。

 そして、なおも幾度となく襲いかかる獣爪(じゅうそう)

 異形の顔面が、容赦のない猛撃によって蹂躙(じゅうりん)されていく。

 

 傷ついた異形の顔からは、血や体液の類が流れることはなく、代わりにどす黒い煙のようなものが漏出した。

 その煙を嫌がったのか、桃がとどめといわんばかりに、全身の力を乗せて殴打すると、異形はついにその場に倒れ、動かなくなった。


 「おおッ、やるではないか、猫よ!」

 千世は、桃の奮闘に歓喜している。

 「フウッ、フウッ――」

 息切れした猫又は、再び四つ足をついて、へたり込んだ。

 「む、糸が緩んでおる。ならば反撃開始じゃッ」


 千世は、沢の流れの脇をひょいと飛び、碧太郎がいるほうへ移動した。

 「碧、もうよい。離れろッ」

 もう一体の異形と格闘していた碧太郎は、俊敏な身のこなしで弧を描き、一瞬で距離を取った。

 「他の者も、動くなよ――」

 千世は、そう言うと、間髪を入れず右手の霊符を天に向かって突き上げた。

 「破ッ」

 

 少し、地が揺れた。

 その直後、地面から柱状の岩石がせり上がり、異形の(あご)を砕いた。

 「もういっちょ!」

 千世が再度、札を突き上げる。

 今度は別の石柱が、よろめいた異形の脇腹を貫く。

 あばらが折れたような、鈍い、嫌な音が響いた。

 

 あれは、沙智が描いた「隆岩(りゅうがん)」の霊符だ。

 

 「隆岩(りゅうがん)の術」は、地面から岩の柱を隆起させる霊術である。

 千世と沙智は前もって、あばら屋で様々な霊符を作り、効果の検証をしてはいたのだが――こうした場面で目の当たりにすると、改めて恐ろしい威力であることを実感した。

 

 「成仏せいッ」

 千世は、帯に差した鞘から刀を抜くと、蜘蛛の複眼を突き刺した。

 目を貫かれた異形は、ビクビクと震え、びん、と身体を緊張させると、完全に動かなくなった。

 

 「オンアビラウンケンバザラダトバン――」

 

 千世は、短い経のようなものを三度ほど唱えると、蜘蛛の頭から刀を抜き取り、ふう、と一息ついて額を腕で拭った。

 異形から引き抜かれた刀身には、黒く淀んだ毒気(どっき)のようなものがまとわりついている。それはまるで、残存した呪いのようにも見えた。

 

 本当に――異形を退治してしまった。


 己の目で見てなお、信じがたい出来事が次々と起こり、沙智は呆然とその場に立ちつくしてしまった。

 傍らにいる伊月は、目を丸くして仰天している。

 「こ、これは、凄い――」


 「我が法力を見たか」

 千世は背伸びをして、得意げに言った。

 「なんてことだ。霊符にここまでの力があるとは――」

 伊月は興奮しながら、倒れた異形を眺めている。

 「それに、あの猫の方――あれは一体、どのような」

 「ソレは、ただの猫人間じゃ。しかし、あのように変化(へんげ)できるとは知らなんだ」

 「猫人間?」


 千世は「刀が、きちゃなくなってしもうた」などと言いながら、水の流れに刀を浸して洗っている。

 沙智は、ようやく倒れている桃のことを思い出し、そばに駆け寄った。少しつまづいて転びそうになったが、なんとか体勢を立て直して、桃の顔をのぞき込む。


 猫又は、いつの間にか元の人間の姿に戻っていた。

 「あの――大丈夫?」

 「だ、大丈夫じゃないよ……」

 倒れた桃は、口だけを動かして答えた。

 起き上がるのも無理なようだ。

 「怪我したの?」

 「少しはね……それより、『力』を使いすぎた」

 桃は見るからに弱っている。呼吸が浅い。危険な状態かもしれない。

 異形の様子を観察していた伊月もそれに気づき、近づいてくる。

 「これはいけない――神社まで連れて行きましょう!」


 自力で立てそうにない桃を、伊月がおぶって山道を引き返すことにした。

 伊月が持っていた木の棒は沙智が受け継ぎ、碧太郎を加えた全員で、神社へと歩きだす。


 「ちょ、ちょいと――」

 桃が伊月の背中で、弱々しい声を上げた。

 「どうしました?」

 「その、犬を少し、遠ざけちゃァくれないかい」

 「彼は犬じゃなくて、狼です」

 「お、狼ィ? 余計に悪いよ、そりゃあ」

 「大丈夫です。碧太郎は賢い狼なので。無闇に吠えたり噛んだりはしませんよ」

 「そうは言ってもねえ――」


 沙智は、また別の異形が襲ってこないか気が気でなかったが、その後は、なにが起こることもなく、無事に山道を登りきった。


 あまりにも、色々なことがあった。

 いつの間にか、草鞋も作務衣も大層汚れてしまった。

 体も心も疲れ果て、今後のことを思案する余裕もない。

 今はとにかく、休みたい――と沙智は思った。

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