五 怪
日もとっぷりと暮れた頃、千世と沙智は再び木樵屋の戸を叩いた。
店の中には主人がひとりと、旅の者らしき客がいた。
客人はだいぶ小柄で、屋内でも三度笠を被り、顔を隠すようにうつむいていた。
「上客が来たぞいッ」
千世は偉そうに胸を反らして権兵衛に呼びかけ、板の間に上がった。
そして、隅に座っている先客の姿を睨めつけると「客とは珍しいのぅ」と呟き、勝手に座布団を敷いて座り込んだ。
「また酒でもたかりに来たのかい」
権兵衛が千世の姿を認めて、軽口を叩いた。
「違う。いや、酒は貰うが、ちょっと話があって来たんじゃ」
「どんな話だ」
「山小屋の件、その後、どうなった?」
「どうなったもなにも、行ってはみたが、荒らされた様子などはなかったが」
「なぁんだ」
「なんだとはなんだ。なにも問題ないだろう」
「例の山師のほうはどうじゃ? 異形がまた現れたとか、ないか?」
「ああ、今日も会ったから、それとなく聞いてはみたが――」
そこまで言うと、権兵衛は一度奥へ引っ込み、湯呑を盆に載せて戻ってきた。
「茶かぁ? 酒はないのか」
「子供が酒ばかり飲むものじゃない」
「なんと無礼な店主か! そこへ直れッ」
権兵衛は千世を適当にあしらうと、沙智にも湯呑を渡してくれた。
「どうも、また人夫がやられたらしい。もうこっちの山じゃ仕事にならない、危ないから山に入らんほうがいいと言われたよ」
それを聞いた千世は突然「これは好機じゃッ」と叫んだ。
「権兵衛よ。その山師に話を通して、儂らが異形退治を引き受けると伝えよ!」
「またそれか。そんなことにわざわざ、金を払うとは思えんが」
「なにィ」
「仕事にならなければ、他の場所に行くまでだ。実際、その山師は、この辺の山からは手を引くとか言っていたぞ」
「ええいッ、ならば神社に話を持っていくか」
「神社から金は取れんだろう。それに、山にそんな異変があるなら気づいていそうなものだが。実害があるなら里にも報せがくるだろうしな」
「小癪なッ」
千世は憤慨しつつ、茶をあおって「あちい」と言った。
「ちょいと、いいかい――」
突然、板の間の隅から声がした。
瑞々しく、それでいてわずかにかすれた高い女の声だ。
「その話、詳しく聞かせちゃくれないかい?」
それは、笠を被った先客が発した言葉だった。
千世は、そちらにちらりと目をやると、
「お前さん――何者じゃ?」
と、少し不信感を含むような声音で尋ねた。
「名乗るほどのモンじゃないけどサ、ちょいと、その話に興味があってね」
「その話とは、なんの話か」
「異形、って言葉が聞こえたけど、あたいの気の所為かい」
「おっと、聞こえておったか――」
「あれだけ大きい声じゃあ、嫌でも聞こえるサ」
「ふむ、壁に耳あり、というヤツか」
壁も障子もなく、明らかに会話が聴こえる位置に先客はいたのだが。
沙智と権兵衛は、ただただ無言で、ふたりを眺めていた。
「――お前さん、異形に興味があるのか」
千世が先客のほうを向いて尋ねる。
「そうさ」
「見たところ、随分と細っこい女子のようだが」
「それがどうしたッてんだい?」
「いいや――さて、異形になにやら用向きか?」
「まァね。奴らにゃ、ちょっとした野暮用があるのサ」
「ほう。仇かなにかか」
「そんな大層なモンじゃないよ」
「じゃあ、なんなんじゃい」
「どうでもいいだろ。その異形の話、教えてくるのかい、くれないのかい」
「むう――ま、教えてやってもいいが」
千世は女を疑っているのか、その素性を探ろうとしているようだ。
そんなに気にするほどのことなのか、と沙智は疑問に思った。
ひょっとして常世では、知らない者を疑ってかかるのが普通なのか――
ただ、笠の女も頑なに顔を見せようとしないあたり、確かに怪しげではある。
「――この店主の話によるとな、ごく最近、近辺の山に異形の者が現れ、仕事中の人夫を襲うなどしているらしいのじゃ」
「へえ」
「ここら一帯は見てのとおりの里山であるし、それこそ猪だの狼だの、獣の類は色々おるが、異形を見たちゅうのは、まず聞かん話ではあるな」
それを聞いた女は鼻を鳴らして尋ねる。
「異形異形、って言うけどサ、どんな姿かは分からないのかい?」
「それは知らん。儂が見たわけではないしのぅ」
千世がそう言うと、
「聞くところによると、頭が蜘蛛の化け物らしい」
と、権兵衛が補足した。
頭が蜘蛛の化け物――?
そんな不気味な存在が常世にはいるというのか。
沙智は途端に関わりたくなくなってきた。
「蜘蛛ねぇ――」
顔を隠した女は、そこはかとなく苦々しい声色で呟いた。
「で? 結局、あんたらがその異形を退治するって話なのかい?」
「金になるなら、やぶさかではないぞ」
千世はそう返す。
すると女は、ふぅ――と、溜息をついた。
「そうさねェ、あたいが、ちょっとだよ、ちょおっとだけ金を出したら、その異形退治っての、やってくれるかい?」
「ほう――」
千世の目がギラリと光った。そして、
「いくら出す?」
と迫った。
「食いついたねぇ? 金にお困りかい」
女は、ほくそ笑むような声で言った。
「別に困ってはおらぬ。で、なんぼ出すんじゃ」
「まあ――十銭、ってとこか」
「十銭、じゃとぉ」
千世はみるみる怒り顔になる。
「異形退治の大仕事、十銭ぽっちでは割に合わぬ。出直してこいッ」
「そ、そんなに少ないかい?」
「当然じゃ! 童の使いであるまいに、そんな端金で動くほど、この儂は落ちぶれてはおらぬ。自慢じゃが、儂は名だたる妖魔妖怪、魑魅魍魎に悪鬼羅刹をことごとく、その法力で葬ってきた高僧であるぞ。化け物退治をさせようものなら、右に出る者はなし。常世にその名を轟かす『菩薩の千世』とは儂のこと。その菩薩に、たった十銭で働けというか? 罰当たりな言も程々にせいッ」
千世は激昂して、まくし立てた。
「ぼ、菩薩の――なんだって?」
「菩薩の千世、な」
「聞いたことないねぇ」
「そらそうじゃ。今、考えたのだから」
「あんた、ひょっとして――ただの馬鹿かい?」
「なにをッ、無礼モンが!」
狭い店内で、千世と女のふたりは、なにやら揉め始める。
千世は、己が化け物退治の達人などというが、そもそも異形や物の怪など見たことがないと言っていたはずである。
つまり、嘘を吐いているのだ。
沙智が思うに、千世は先客の女をからかって遊んでいるのではないか。
「大体、なんじゃ貴様は。顔を隠してやることといえば、子供じみた冷やかしばかり。この生き仏である儂に向かって、無礼にもほどがあろう。ともかくな、貴様など人間の風上にもおけん! 笠を脱ぎ、首を垂れて仏に許しを請えッ」
千世がいきなり、無理やりに、女の笠を剥ぎ取った。
すると――
「にゃあぁッ!」
猫だ――
そこには、淡い桃色に輝く髪に、猫のような耳が生えた少女がいた。
髪は肩に届くか届かぬかくらいの長さで、その毛先に向かって桃色がやはり淡い水色へと移ろう。
血を思わせるような赤い瞳は妖しい輝きを放ち、視線は千世を捉えている。
肩はわなわなと震え、怒ったような怯えたような表情の口の端には、尖った歯がのぞいていた。
「猫又じゃあッ!」
千世が絶叫した。
驚いているのか喜んでいるのか、定かではない叫びだった。
「なにすんだいッ! 乱暴なガキだねッ」
「猫が喋ったぁッ」
「さっきから、ずっと喋ってるじゃないかッ」
「ふむ――しかし、猫の化け物とは珍しい。初めて見たわい」
「フンッ、バレちゃあ仕方ないね――」
猫又――
本かなにかで見たことがある気がするが、いわゆる妖怪という奴だろうか。
沙智にとっては、もちろん驚くべき存在ではあるが、千世からしても猫又とは、あまり馴染みのない存在であるらしかった。
「お察しのとおり、あたいは名うての霊猫――猫又の『桃』様さ。でもね、化け物なんて呼ばれるのは気に食わないねぇ。取り消しなッ」
「どう見ても化け物じゃろ」
「どこにこんな可愛らしい化け物がいるッてんだい? そもそもあたいはね、元は人間だったんだよ。化け猫は猫から変わるけど、あたいは人から変わったのサ。ひょんなことから――いつの間にか、こうなっちまった。妖怪とは違う、霊猫なんだよ。つまりサ、あたいは神様にも近い、それはそれは偉ぁい御身分というワケ。ちったぁ、弁えなッ」
そう言うと、桃と名乗った猫又は、取られた笠を奪い返し、千世の頭に被せた。
「店で暴れるのは、よしてくれんか――」
ずっと黙っていた権兵衛が、茶のおかわりを持ってきた。
全く動じていないらしい。常世ではこんな出来事は日常茶飯事なのだろうか。
猫又は「おや、御免よぅ」と一言、詫びを入れた。
「それにしてもサ――あんたこそなんだい、その白髪か銀髪か、よく分からない髪の色は。さてはただの人間じゃないね? 人を妖怪呼ばわりしといて、そっちは一体、何者だってんだいッ」
桃が反撃にでると、千世は仁王立ちして応える。
「儂のこの髪は生まれつきじゃ。それこそ尊い生まれの証であろう。もっとも、人間であるのは間違いない。しかし、ただの人ではないぞ。この常世においても屈指の傑物じゃ。我が法力は天を割り、岩をも穿つ、鬼神の雷の如くなりッ」
「なにを言ってるんだか。たかが人間にそんな力があるもんか」
桃は権兵衛が持ってきた茶を一口すすると、板の間に胡座をかいた。
「まあ、いいさ――もうバレちまったから話すけど、実はあたい、ある御方の命を受けて、この辺りを調べに来たんだ」
「ある御方? なんじゃ、権力の犬か」
「猫だよ。って、話をややこしくするんじゃないよ。とにかく、ここんとこ異形やら物の怪が出るって、そこら中で騒ぎになってるらしくてね。これはいかんってことで、こんな田舎にも人をやってるって話なのサ」
「猫は人ではないぞ」
「いちいち話の腰を折るんじゃないよ。半分は人なんだよ。でさ、この辺に出るっていう異形のことも、ちょいと調べたいってわけなんだ」
「ふうん」
千世は話を聞いているのかいないのか、途端に投げやりになった。
「なにさ、急に冷めちまって。少しだけど金子も都合するよ。あたい、ここらは土地勘がないんだ。なんたって町娘だからねぇ。案内人がいないか探し回ってたところなんだ」
町娘――
この里の近くには町もあるということだろうか。
沙智は気になったが、話に割り込む気にはならなかった。
「しかし、十銭は少なすぎる」
千世はつまらなそうな顔で言った。
「欲張りだねぇ……」
「せめて三十は出せんか」
「そんなには無理。まあこの際、退治までしろとは言わないよ。異形を調べる手伝いをしてくれりゃ、それでいいさ」
「ううむ……なぁんか怪しいのぅ」
「疑り深いねェ。これじゃ埒が明かないよ」
沙智は黙ってふたりの会話を聞いていたが、
「そうだ、そこのあんた。あんたもお仲間なんだろ?」
と、桃に目をつけられた。
「え――まあ、そうですけど」
「あんたはどうだい? 手伝ってはくれないかい?」
「そういわれても、私、最近来たばかりなので――」
「なんだ、この辺の者じゃないのかい」
「というか、常世に来たのが昨日くらいで」
「おっと、新参者かい」
猫又の目が、わずかに大きくなった。
「新参じゃあ、金にも困ってるだろ? ちょいとひと稼ぎする気はないかい?」
桃がそう言うと、千世が横槍を入れる。
「待ていッ。それは儂の連れじゃ。手を出すでない」
「あんたにゃ聞いてないよ。この娘に聞いてるのサ」
「黙らっしゃい。そやつは儂が養っておる。どこの馬の骨とも知れぬ狐狸妖怪に渡すわけにはいかんッ」
ふたりはまた揉め始めた。
「どうでもいいけど、あんたって爺さんみたいな喋り方だねぇ」
「無礼な化け猫め。祓ってくれようかッ」
「ハイハイ。分かったよぅ」
猫又は、もはや取り付く島もないと思ったのか、笠を被り直して言った。
「今日のところは引き上げだ。この店、夜にはやってるんだろ? 日を改めて、また来るよ。それまでに考えといてくれよ」
「桃」と名乗った猫又が木樵屋を出ていった後、沙智は千世に尋ねた。
「さっきの話、どう思う?」
「ふん。ま、十中八九、なにかを隠しておるじゃろうな。怪しすぎる」
「そうなのかなあ」
「沙智よ。ここは生き馬の目を抜く常世ぞ。軽々しく他人を信じるでない」
千世がそう言うと、権兵衛が膳を片付けながら、
「そこまで酷い世の中でもないと思うがなあ」
などと独り言のように呟いた。
そもそも、千世自身も昨日、そんなことを言っていたのだ。
「とはいえ、あの娘――なにやら、いわくありげな雰囲気だったな」
権兵衛が言う。
「そうじゃろ? 大体、ある御方の命を受けてぇ、とか言うとったが、あんな化け猫まがいを好き好んで従える者などおるか? 事情を濁したかと思えば、聞いてもおらんのに勝手にアレコレ喋りだしたり、如何わしいことこの上ないわ。どうせ金も大して持っとらんじゃろ」
千世は、桃がよほど気に入らないのか、延々と陰口を言っている。
確かに、無闇に信じる理由もないが、それにしても邪険にしすぎではないか。
桃が猫又――人外の類であることを気にしているのか。
「察するに、あれは隣の町のほうから来たようだが、こんな辺ぴな田舎に異形が出たところで、困る者などいないと思うが」
権兵衛が意見を述べる。
「そうよな――そもそも隔てられておるのだし」
千世は顎に拳を当てて、考え込んでいる。
「金絡みか、それとも――」
そして、胡座をかいたまま後ろへ倒れこみ一言、「飯はまだか」と言った。




