三 木樵屋
「あすこじゃ!」
千世のあばら屋から少し歩き、次第に道幅が広くなりつつある頃――
周囲には畑や民家らしき建物がぽつぽつと見え始めた。
昔話を思わせるような里の風景が眼前に広がり、沙智は得もいわれぬ情緒を感じていた。
千世が指差した建物は、先ほどのあばら屋よりはだいぶましな作りの、かやぶき屋根の小さな家だった。沙智の手を引きながら千世はずんずんと歩いていき、家の入口前に至ると、勢いよく戸を開け放って叫んだ。
「やっとるかぁ? 儂が来たぞ!」
「ん? なんだ、千世坊か」
「坊ではない。客に向かって無礼であるぞ、権兵衛!」
家――もとい、店の奥には大柄な髭面の男が立っていた。
男はこちらを一瞥し「ふたり連れか、珍しいな」と呟いた。
沙智が所在なげにしていると、千世が、
「この男は『権兵衛』という。木こりをしながら、こんな田舎でなぜか店までやっておる変わり者じゃ。店の名前は『木樵屋』だし、店主は権兵衛だし、なんとも投げやりだと思わんか?」
と、男と店のことを説明してくれた。
「そっちの嬢ちゃんは、見ない顔だな――」
権兵衛と呼ばれた男が沙智の顔を見て言った。
「これは沙智ちゅう娘じゃ。今さっき、破落戸に襲われそうなところを儂が助けてやったのじゃ」
「破落戸? どの辺りだ」
「儂のウチのすぐ近く。コレはアレだ。常世に来たばかりの新米よ」
「ああ――そういうことか」
権兵衛は納得したような様子で沙智から視線を外した。
「そんなことより酒じゃ! 酒を出せッ」
千世は土間から板張りの床へ上がり、敷かれていた座布団に座る。
「また酒か。出したところで、大して飲めないだろう」
「今日は沙智と儂が出会った祝いの酒じゃ。こやつも飲みたがって、今か今かと待っておる! つべこべいわず、早う持ってこんかッ」
別に飲みたがってはいないのだが。
沙智は、酒癖の悪い殿様のようになっている千世を見て、ただ立ち尽くした。
「まあ、上がりなさい」
権兵衛は、沙智にも座布団に座るよう勧めた。
沙智は千世に借りた草鞋を土間に脱ぎ揃えると、板の間に上がった。
「酒より飯のほうが、いいんじゃないか」
権兵衛は、店の奥でなにやら仕事を始めたようだ。
「いちいちうるさいのう。ま、どうしてもというなら食ってやらんでもない。魚か? 猪肉か? ちなみに金はないぞ――」
「え、お金、ないんですか……?」
沙智が小声で千世に尋ねる。
「ツケてもらうとしよう。いずれ儂らは、常世に名を馳せるよろず屋となる。権兵衛も儂らに貸しを作りたがっているに違いない。ならば、ここで誠意を見せてもらわねばのう」
大丈夫なのだろうか。
どうにも、千世はいい加減な話をしているように思える。
しかし、権兵衛はまるで気にしていない様子で、奥の厨房らしき場所で黙々と手を動かしている。
沙智はここで、ようやく一息ついた。
先ほど通ってきた里の景色や、この店の様子を見る限り、本当に別の世界に来てしまったことを実感した。
これから暮らしていくだけでも、慣れないことがきっと沢山あるのだろう。
それを考えると少し憂鬱だったが、千世という勝手を知る者と出会えたのは幸運だったかもしれない。
「あ、そういえば」
沙智は、千世が深編笠を被ってこなかったことに気づいた。
「今はあれ、被ってないんですね」
「ん? ああ、天蓋のことか。ありゃ、遠出する時には欠かせぬモノだが、こんな近所でまで被っとったら変な奴にしか見えんじゃろ」
あの笠を被っていなくても、だいぶ変な奴ではある――と沙智は思ったが、そこは黙っておいた。
「じゃあ、さっきは――」
「うむ。用事の帰りだった、ちゅうことじゃな」
「その、よろず屋って、皆あんな格好をしなきゃいけないんですか?」
「いや、そういうわけではないが――」
「千世坊は、偽虚無僧を渡世にしていてな」
いつの間にか、権兵衛が膳を持って立っていた。
「各地を放浪しながら尺八を吹いて、道行く者に布施を乞うているらしい」
そう言うと権兵衛は、料理や酒を載せた膳を千世の前に置いた。
「偽とはなんじゃ偽とは」
千世の顔が不満で歪む。
「虚無僧の証など持っていないだろう」
「そんなモノは要らん! 浮世の掟を持ち込むでないッ」
「であれば、虚無僧に施す道理もまた、なかろうよ」
「うるさいのう……お前は図体はでかいくせに、言うことが細かいんじゃ!」
「分かった分かった。冷めてしまうから早く食え」
そう言うと、権兵衛は沙智の分の膳も持ってきた。
沙智は、膳に載った料理を見た。
煮魚と大根の漬物、山菜の和え物だった。膳には徳利と猪口も載っており、沙智は「本当にお酒がきた」と思うと少し緊張した。
「酒がきたぞ!」
千世は徳利から酒を注ぐと、沙智にも猪口を持て、と指を差して促した。
沙智は一瞬迷ったが、仕方なく猪口を差し出した。
白く濁った米の研ぎ汁のような色の液体が注がれていく。
千世が徳利を膳に戻すと、ほのかに甘い香りがした。
「遠慮せずに飲めッ」
千世はそう言うなり、猪口の中身を一気にあおった。
小さな子供が酒を飲む姿は、沙智の目にはなんとも奇異に映ったが、千世は平然と二杯目の準備をしている。
沙智はおそるおそる猪口を鼻の前に持ってきて、注がれた液体の匂いを嗅いだ。
良い香りだが、飲むとなるとやはり抵抗がある。
しかし、出されたものを拒絶するのも決まりが悪いし、「やっぱり飲めません」などと言ったら千世が不機嫌になって暴れ出す恐れもある。
沙智はしばらく逡巡していたが、やがて意を決して猪口に口をつけ、ゆっくりと傾けた。
「……薄くないか、これは」
千世が猪口の液面を見ながらボソっと呟いた。
「この店は、酒を薄めて出しておるッ!」
そう喚くと、また中身をあおって「カアァッ」などと唸っている。
沙智も少しだけ、酒を口に運んだ。
口の中が少し痺れるような感覚。飲み込むと喉が熱くなった。
しかし後味は甘く、想像していたよりずっと美味しかった。
「つまらんから、飯を食うとしよう」
千世はそう言って箸を取り、魚を食らいだした。
沙智も猪口を膳に戻してから手を合わせ、「いただきます」と言ってから、箸に手を伸ばした。
権兵衛が作った料理は、本人の無骨な容貌とは裏腹に、素朴ながらも繊細な味わいだった。
「魚売りが来とったのか?」
千世は食べながら権兵衛に話しかける。
「ああ、今朝、里に来ていたから何匹か買った」
「あの日焼けした、若い女か?」
「そうだが」
それを聞くと、千世はハッとした表情で、
「権兵衛は、あの女を狙っている!」
などと喚いた。
「人聞きの悪いことを言うな」
権兵衛は無表情で千世をあしらう。
千世は腹を満たして機嫌が良くなったのか、権兵衛をからかって遊んでいるようだった。
沙智も、まともな食べ物にありついて随分と安心した。
少し酔いが回っているのか、なんとなく愉快な気分にもなってきた。
ひととおり飲み食いした後――
千世と権兵衛は世間話を始めた。
「この辺りも少しずつ、人の行き来が増えておるらしいな」
「ああ。ここのところ明らかに増えた。山のほうにもな。その所為か、なにやら如何わしい話も聞くようになったよ」
「如何わしい? どんな話じゃ?」
「最近聞いたんだが、知り合いの山師が言うには、ここ数日、山で妙なことが起きているらしい」
「妙なこと?」
「なんでも、翡翠が採れる沢の辺りに、異形の者が現れると」
「ほう」
千世の目がキラリと光った。
「石堀りの人夫が襲われたと言っていた。あの沢は、俺が新しく建てた作業小屋にも近くてな。少々、気になるところだ」
「ふむ――」
千世は空中を見つめ、なにやら考える素振りをみせた。
「権兵衛よ」
「なんだい?」
「その異形――退治したら、いくら出す?」
「おいおい、また急な話だなあ」
権兵衛は顔をしかめる。
「お前の仕事場の近くなんじゃろ?」
「それはそうだが」
「そんな異形に荒らされては、仕事にならんじゃろ?」
「いや、まだ荒らされたというわけじゃない」
「これから荒らされるかもしれん」
「そうはいうがな」
「考えてもみよ。この辺りの山には神の加護があるのだぞ? それなのに、異形が巣食っているなど、ただ事ではない。実際、どこぞの人夫も襲われたと言ったではないか。己だけ安泰とは言い切れまい」
「ううむ――」
権兵衛は黙り込んだ。千世はさらに続ける。
「ま、お前が気にするかは別として、その山師とやらは、既に退っ引きならぬところではないのか?」
「それはまあ、そうかもしれんが」
「ならば儂とお前で、その周辺を調べに行こう。もし、異形をどうにかできそうであれば、山師に退治の話を持ちかける、というのはどうじゃ?」
「しかしなあ――」
権兵衛は気が進まないようだ。
「なんじゃ、煮えきらん奴じゃのう。でかい身体しておるくせに」
千世は、じっとりした目で権兵衛を見つめる。
「仮に、その異形の話が本当だったとしてだ――千世坊ひとりで、どうにかできるのか?」
「いや、だからお前も一緒にやるんじゃ」
「俺も頭数か」
「そらそうじゃろ」
「ううむ」
なんだか話がこじれている。沙智はだんだん眠くなってきた。
まぶたが重くなってきたところで、突然、千世に肩をつかまれた。
「実は、この沙智はな、絵やら書に覚えがあるそうでな。儂の知恵と、こやつの業を合わせれば、凄いモノができるかもしれんのだ」
話が勝手に進んでいる。
「ほう――絵師かなにかなのかい」
権兵衛が物珍しそうな目で沙智を見る。
「い、いえ、それほどのものじゃ……」
そもそも、絵が描けたとして、どうなるというのか。
その異形とやらの似顔絵でも描くのか――?
それに、ここには画材もなにもない。あるとすれば、謎の白面に渡された筆くらいのものだ。
「さっき、札を見せたじゃろ」
千世が横から言った。
「あの札は儂が作ったものじゃが、あれらの『霊符』というものは、思うままに描けばよいという代物ではない。アレにも『理』があるんじゃ。文様の形や、札自体の扱い方まで、様々にな」
千世の言葉を聞いて、権兵衛が尋ねる。
「そなたは、その理とやらを探究しているのだったか」
「如何にも。偽虚無僧と侮るなかれ。いずれは常世の理の全てを解き明かし、森羅万象一切を意のままに操る大徳となろう。毘盧遮那仏の化身、千世僧正とは儂のことよ」
「これはまた、大きく出たな。己を仏と申すか――」
権兵衛は、ハハハと笑うと、膳を持ち上げて再び奥へ引っ込んだ。
千世は「生意気な木こりめッ」と憎まれ口を叩き、板の間に横になった。
そして、そのままの体勢で、
「いずれにしても、沙智よ。まずは、お前さんの『腕』を確かめねば始まらん。明日は儂による、ありがたぁい説法を交えつつ、札作りを試してもらうぞ」
と、眠そうな声で言った後、即座に寝息を立て始めた。
こんな所で千世が寝てしまったら、自分はどうすればよいのか――
沙智が放心していると、戻ってきた権兵衛が口を開いた。
「今日の千世坊は、随分と機嫌がよさそうだ。やはり近しい年頃の者がいるだけで、心が浮き立つものなんだろうなあ」
「千世――ちゃんは、やっぱり子供なんですか?」
「さてな。この常世では、時が経てども人は年をとらん。少なくとも、見栄えは変わらぬようだ。千世がいつ常世に来たのかは定かではない。だから子供か大人かも判らない。こやつは自分の過去のことは、あまり話さんからな」
「そうですか――」
「まあ、悪ガキではあるが、根っからの悪人ではない。腐っても坊主だし、道に外れたことはすまい。あまり悩まず、友と思って気楽に付き合うのがいいんじゃないか?」
権兵衛は慣れているのか、千世が起きるまで店にいればいい、と言ってくれた。
沙智にとって千世という存在は、つかみどころがなく、惑わされがちだが、権兵衛に関しては至極まっとうな人間という印象だった。
ともかく、今夜はこの店で休ませてもらい、朝になったら千世のあばら屋へ戻って、今後の身の振り方を決めるしかなさそうだ。
しかし、千世のゆるみきった寝姿を見ていると、これから一波乱ありそうな、悪い予感が拭えなかった。




