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常世霊異記(とこよりょういき)  作者: 佐藤猛山
第一章「常世」

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3/12

三 木樵屋

 「あすこじゃ!」

 

 千世のあばら屋から少し歩き、次第に道幅が広くなりつつある頃――

 周囲には畑や民家らしき建物がぽつぽつと見え始めた。

 昔話を思わせるような里の風景が眼前に広がり、沙智は得もいわれぬ情緒を感じていた。

 

 千世が指差した建物は、先ほどのあばら屋よりはだいぶましな作りの、かやぶき屋根の小さな家だった。沙智の手を引きながら千世はずんずんと歩いていき、家の入口前に至ると、勢いよく戸を開け放って叫んだ。


 「やっとるかぁ? 儂が来たぞ!」

 「ん? なんだ、千世坊か」

 「坊ではない。客に向かって無礼であるぞ、権兵衛(ごんべえ)!」


 家――もとい、店の奥には大柄な髭面(ひげづら)の男が立っていた。

 男はこちらを一瞥(いちべつ)し「ふたり連れか、珍しいな」と呟いた。

 沙智が所在なげにしていると、千世が、

 「この男は『権兵衛』という。木こりをしながら、こんな田舎でなぜか店までやっておる変わり者じゃ。店の名前は『木樵屋(きこりや)』だし、店主は権兵衛だし、なんとも投げやりだと思わんか?」

 と、男と店のことを説明してくれた。


 「そっちの嬢ちゃんは、見ない顔だな――」

 権兵衛と呼ばれた男が沙智の顔を見て言った。

 「これは沙智ちゅう娘じゃ。今さっき、破落戸に襲われそうなところを儂が助けてやったのじゃ」

 「破落戸? どの辺りだ」

 「儂のウチのすぐ近く。()()はアレだ。常世に来たばかりの新米よ」

 「ああ――そういうことか」

 権兵衛は納得したような様子で沙智から視線を外した。


 「そんなことより酒じゃ! 酒を出せッ」

 千世は土間から板張りの床へ上がり、敷かれていた座布団に座る。

 「また酒か。出したところで、大して飲めないだろう」

 「今日は沙智と儂が出会った祝いの酒じゃ。こやつも飲みたがって、今か今かと待っておる! つべこべいわず、早う持ってこんかッ」

 別に飲みたがってはいないのだが。

 沙智は、酒癖の悪い殿様のようになっている千世を見て、ただ立ち尽くした。


 「まあ、上がりなさい」

 権兵衛は、沙智にも座布団に座るよう勧めた。

 沙智は千世に借りた草鞋(わらじ)を土間に脱ぎ(そろ)えると、板の間に上がった。

 「酒より飯のほうが、いいんじゃないか」

 権兵衛は、店の奥でなにやら仕事を始めたようだ。

 「いちいちうるさいのう。ま、どうしてもというなら食ってやらんでもない。魚か? 猪肉(ししにく)か? ちなみに金はないぞ――」

 

 「え、お金、ないんですか……?」

 沙智が小声で千世に尋ねる。

 「ツケてもらうとしよう。いずれ儂らは、常世に名を馳せるよろず屋となる。権兵衛も儂らに貸しを作りたがっているに違いない。ならば、ここで誠意を見せてもらわねばのう」

 

 大丈夫なのだろうか。

 どうにも、千世はいい加減な話をしているように思える。

 しかし、権兵衛はまるで気にしていない様子で、奥の厨房らしき場所で黙々と手を動かしている。


 沙智はここで、ようやく一息ついた。

 先ほど通ってきた里の景色や、この店の様子を見る限り、本当に別の世界に来てしまったことを実感した。

 これから暮らしていくだけでも、慣れないことがきっと沢山あるのだろう。

 それを考えると少し憂鬱だったが、千世という勝手を知る者と出会えたのは幸運だったかもしれない。


 「あ、そういえば」

 沙智は、千世が深編笠を被ってこなかったことに気づいた。

 「今はあれ、被ってないんですね」

 「ん? ああ、天蓋(てんがい)のことか。ありゃ、遠出する時には欠かせぬモノだが、こんな近所でまで被っとったら変な奴にしか見えんじゃろ」

 あの笠を被っていなくても、だいぶ変な奴ではある――と沙智は思ったが、そこは黙っておいた。

 「じゃあ、さっきは――」

 「うむ。用事の帰りだった、ちゅうことじゃな」

 「その、よろず屋って、皆あんな格好をしなきゃいけないんですか?」

 「いや、そういうわけではないが――」

 

 「千世坊は、偽虚無僧(にせこむそう)渡世(とせい)にしていてな」

 いつの間にか、権兵衛が膳を持って立っていた。

 「各地を放浪しながら尺八を吹いて、道行く者に布施を乞うているらしい」

 そう言うと権兵衛は、料理や酒を載せた膳を千世の前に置いた。

 「偽とはなんじゃ偽とは」

 千世の顔が不満で(ゆが)む。

 「虚無僧の証など持っていないだろう」

 「そんなモノは要らん! 浮世の掟を持ち込むでないッ」

 「であれば、虚無僧に施す道理もまた、なかろうよ」

 「うるさいのう……お前は図体はでかいくせに、言うことが細かいんじゃ!」

 「分かった分かった。冷めてしまうから早く食え」

 そう言うと、権兵衛は沙智の分の膳も持ってきた。


 沙智は、膳に載った料理を見た。

 煮魚と大根の漬物、山菜の和え物だった。膳には徳利と猪口(ちょこ)も載っており、沙智は「本当にお酒がきた」と思うと少し緊張した。


 「酒がきたぞ!」

 千世は徳利から酒を注ぐと、沙智にも猪口を持て、と指を差して促した。

 沙智は一瞬迷ったが、仕方なく猪口を差し出した。

 白く濁った米の研ぎ汁のような色の液体が注がれていく。

 千世が徳利を膳に戻すと、ほのかに甘い香りがした。

 

 「遠慮せずに飲めッ」

 千世はそう言うなり、猪口の中身を一気にあおった。

 小さな子供が酒を飲む姿は、沙智の目にはなんとも奇異に映ったが、千世は平然と二杯目の準備をしている。

 

 沙智はおそるおそる猪口を鼻の前に持ってきて、注がれた液体の匂いを嗅いだ。

 良い香りだが、飲むとなるとやはり抵抗がある。

 しかし、出されたものを拒絶するのも決まりが悪いし、「やっぱり飲めません」などと言ったら千世が不機嫌になって暴れ出す恐れもある。

 沙智はしばらく逡巡していたが、やがて意を決して猪口に口をつけ、ゆっくりと傾けた。


 「……薄くないか、これは」

 千世が猪口の液面を見ながらボソっと呟いた。

 「この店は、酒を薄めて出しておるッ!」

 そう喚くと、また中身をあおって「カアァッ」などと唸っている。

 沙智も少しだけ、酒を口に運んだ。

 口の中が少し痺れるような感覚。飲み込むと喉が熱くなった。

 しかし後味は甘く、想像していたよりずっと美味しかった。


 「つまらんから、飯を食うとしよう」

 千世はそう言って箸を取り、魚を食らいだした。

 沙智も猪口を膳に戻してから手を合わせ、「いただきます」と言ってから、箸に手を伸ばした。 

 権兵衛が作った料理は、本人の無骨な容貌とは裏腹に、素朴ながらも繊細な味わいだった。

 

 「魚売りが来とったのか?」

 千世は食べながら権兵衛に話しかける。

 「ああ、今朝、里に来ていたから何匹か買った」

 「あの日焼けした、若い女か?」

 「そうだが」

 それを聞くと、千世はハッとした表情で、

 「権兵衛は、あの女を狙っている!」

 などと喚いた。

 「人聞きの悪いことを言うな」

 権兵衛は無表情で千世をあしらう。

 千世は腹を満たして機嫌が良くなったのか、権兵衛をからかって遊んでいるようだった。

 沙智も、まともな食べ物にありついて随分と安心した。

 少し酔いが回っているのか、なんとなく愉快な気分にもなってきた。

 

 ひととおり飲み食いした後――

 千世と権兵衛は世間話を始めた。 

 「この辺りも少しずつ、人の行き来が増えておるらしいな」

 「ああ。ここのところ明らかに増えた。山のほうにもな。その所為か、なにやら如何わしい話も聞くようになったよ」

 「如何わしい? どんな話じゃ?」

 「最近聞いたんだが、知り合いの山師が言うには、ここ数日、山で妙なことが起きているらしい」

 「妙なこと?」

 「なんでも、翡翠(ひすい)が採れる沢の辺りに、異形の者が現れると」

 「ほう」

 千世の目がキラリと光った。

 「石堀りの人夫(にんぷ)が襲われたと言っていた。あの沢は、俺が新しく建てた作業小屋にも近くてな。少々、気になるところだ」

 「ふむ――」

 

 千世は空中を見つめ、なにやら考える素振りをみせた。

 「権兵衛よ」

 「なんだい?」

 「その異形――退治したら、いくら出す?」

 「おいおい、また急な話だなあ」

 権兵衛は顔をしかめる。

 「お前の仕事場の近くなんじゃろ?」

 「それはそうだが」

 「そんな異形に荒らされては、仕事にならんじゃろ?」

 「いや、まだ荒らされたというわけじゃない」

 「これから荒らされるかもしれん」

 「そうはいうがな」

 「考えてもみよ。この辺りの山には()()()()があるのだぞ? それなのに、異形が巣食っているなど、ただ事ではない。実際、どこぞの人夫も襲われたと言ったではないか。己だけ安泰とは言い切れまい」

 「ううむ――」

 

 権兵衛は黙り込んだ。千世はさらに続ける。

 「ま、お前が気にするかは別として、その山師とやらは、既に退っ引きならぬところではないのか?」

 「それはまあ、そうかもしれんが」

 「ならば儂とお前で、その周辺を調べに行こう。もし、異形をどうにかできそうであれば、山師に退治の話を持ちかける、というのはどうじゃ?」

 「しかしなあ――」

 権兵衛は気が進まないようだ。

 

 「なんじゃ、煮えきらん奴じゃのう。でかい身体しておるくせに」

 千世は、じっとりした目で権兵衛を見つめる。

 「仮に、その異形の話が本当だったとしてだ――千世坊ひとりで、どうにかできるのか?」

 「いや、だからお前も一緒にやるんじゃ」

 「俺も頭数か」

 「そらそうじゃろ」

 「ううむ」


 なんだか話がこじれている。沙智はだんだん眠くなってきた。

 まぶたが重くなってきたところで、突然、千世に肩をつかまれた。

 「実は、この沙智はな、絵やら書に覚えがあるそうでな。儂の知恵と、こやつの(わざ)を合わせれば、()()()()ができるかもしれんのだ」

 話が勝手に進んでいる。

 「ほう――絵師かなにかなのかい」

 権兵衛が物珍しそうな目で沙智を見る。

 「い、いえ、それほどのものじゃ……」

 

 そもそも、絵が描けたとして、どうなるというのか。

 その異形とやらの似顔絵でも描くのか――?

 それに、ここには画材もなにもない。あるとすれば、謎の白面に渡された筆くらいのものだ。


 「さっき、札を見せたじゃろ」

 千世が横から言った。

 「あの札は儂が作ったものじゃが、あれらの『霊符』というものは、思うままに描けばよいという代物ではない。アレにも『(ことわり)』があるんじゃ。文様の形や、札自体の扱い方まで、様々にな」


 千世の言葉を聞いて、権兵衛が尋ねる。

 「そなたは、その理とやらを探究しているのだったか」

 「如何にも。偽虚無僧と侮るなかれ。いずれは常世の理の全てを解き明かし、森羅万象一切を意のままに操る大徳(だいとく)となろう。毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)の化身、千世僧正(せんぜそうじょう)とは儂のことよ」

 「これはまた、大きく出たな。己を仏と申すか――」

 権兵衛は、ハハハと笑うと、膳を持ち上げて再び奥へ引っ込んだ。


 千世は「生意気な木こりめッ」と憎まれ口を叩き、板の間に横になった。

 そして、そのままの体勢で、

 「いずれにしても、沙智よ。まずは、お前さんの『腕』を確かめねば始まらん。明日は儂による、ありがたぁい説法を交えつつ、札作りを試してもらうぞ」

 と、眠そうな声で言った後、即座に寝息を立て始めた。

 

 こんな所で千世が寝てしまったら、自分はどうすればよいのか――

 沙智が放心していると、戻ってきた権兵衛が口を開いた。


 「今日の千世坊は、随分と機嫌がよさそうだ。やはり近しい年頃の者がいるだけで、心が浮き立つものなんだろうなあ」

 「千世――ちゃんは、やっぱり子供なんですか?」

 「さてな。この常世では、時が経てども()()()()()()()。少なくとも、見栄えは変わらぬようだ。千世がいつ常世に来たのかは定かではない。だから子供か大人かも判らない。こやつは自分の過去のことは、あまり話さんからな」

 「そうですか――」

 「まあ、悪ガキではあるが、根っからの悪人ではない。腐っても坊主だし、道に外れたことはすまい。あまり悩まず、友と思って気楽に付き合うのがいいんじゃないか?」

 

 権兵衛は慣れているのか、千世が起きるまで店にいればいい、と言ってくれた。

 沙智にとって千世という存在は、つかみどころがなく、惑わされがちだが、権兵衛に関しては至極まっとうな人間という印象だった。

 

 ともかく、今夜はこの店で休ませてもらい、朝になったら千世のあばら屋へ戻って、今後の身の振り方を決めるしかなさそうだ。

 しかし、千世のゆるみきった寝姿を見ていると、これから一波乱ありそうな、悪い予感が拭えなかった。

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