二 縁
ふたりの少女が邂逅した道辺からさほど遠くない、十数分ほど歩いた距離にある林に囲まれた場所に、千世の住処であるあばら屋が建っていた。
家に入るなり、千世は編笠を脱いで入口脇に置き、粗末な板の間に薄い座布団を敷いて客人に座るよう勧めた。少女が板の間に上がって座布団に座ると、家主は部屋の隅に置かれていた行灯を持ってきて火をともした。
「さて――」
千世は対面に座り、行灯の光に照らされた少女の顔をまじまじと眺めた。
見つめられた少女もまた、千世を見た。
この謎の小さな娘――
一見、破天荒で型破り、奇想天外な人物という印象だったが、不思議とその瞳は波の立たぬ水面のような静謐さを感じさせた。
「お前さん、名はなんという?」
「沙智――」
「サチ、か」
千世は腕を組み「そうか、サチ坊かぁ――」などと呟く。
「サチとは、どんな字を書く?」
「えっと、沙羅双樹の沙に、叡智の智です」
「ほう、よい字だのう。ひょっとして、寺生まれか?」
「え? 違いますけど……」
沙智はふと、中学生の頃、担任の教師に同じことを言われたのを思い出した。
「ところで沙智よ。お前さんは、浮世ではなにをしておった?」
「なにを?」
「うむ、生業、ちゅうかなんちゅうか」
「高校生です――高校一年生」
「コウコウセイ?」
「学生です。あ、学生っていうのは勉強をして――」
「んあぁ! あれか? 神社のあやつと同じじゃな!」
「神社?」
「この辺りの神社にな、そんなことを言うとった者がおるんだわ」
どうも、この千世と名乗る人物は、沙智の暮らしていた社会に関する知識や常識といったものに馴染みがないようだ。言葉遣いも古めかしく、まるで時代劇や昔話の登場人物のようだ。
千世は、沙智が「死んだ」と言ったが、本当は遠い過去の時代に時間移動してきたのではないか。仮にそうだとしても、とても信じられない話ではあるが――
なんにせよ、もう少しこの世界のことを知るべきだと沙智は考え始めた。
「ううむ、手に職でもあれば、食い扶持はどうにかなると思うが」
「ああ――その、やっぱりこっちの世界でも、お金は必要なんですね?」
「ま、金はあればあるほど、楽ではあるわなぁ」
「お金がないと――ご飯も食べられない?」
「金がなくとも、腹が減ったら、その辺の山で茸やら猪やらを狩って食うてもよいが」
「それはちょっと、無理かも……」
思ったより、厳しい――
沙智はじわじわと、無力感に苛まれはじめた。
今までの人生で、沙智は自活をした経験がない。ちゃんとしたアルバイトをしたこともないし、仮に多少の就労経験があったとしても、右も左もわからない別世界で、それがどこまで役立つか見当もつかない。
「いや困ったのう! さすがの儂も空から銭を降らすなどはできんしのう――」
千世はなにが面白いのか、沙智を見てニヤついている。
そして、ぽん、と手を打って言った。
「分かった、こうしよう! お前さん、しばらく儂の仕事を手伝わんか?」
なるほど――
千世には、沙智を労働力として使おうという思惑があったのだ。
悪漢から助けたのも、働き手を確保するためだったのかもしれない。
上手く利用されたか――
現段階で、ほぼ生活力のない沙智としては、この提案を受け入れざるを得ない。
とはいえ酷くこき使われたり、如何わしい所に売り飛ばされる恐れもある。
千世の顔を見るほどに、様々な懸念が沙智の脳内を駆け巡った。
「……なんか嫌そうじゃな?」
「い、嫌っていうか――」
「そんなに心配せんでも、おかしな仕事などさせんわいッ」
千世は胡座の恰好から、さらに足を崩して言った。
「そうさなぁ――ま、初めは物売りやらを覚えてもらうのがよいかの」
物売り――
ひょっとして、千世は商売人なのだろうか?
悪漢から金をせしめようとしたり、妙な術を使ったり、そもそも風体からして怪しげだが、なにを売っているのだろうか。
まさか如何わしい霊感商法の類か――?
自分もその片棒を担がされるのかと、沙智の想像は悪いほうへ膨らんでいく。
「……物売りって、なにを売るんですか?」
「なんでも売る。売れるものならな。とはいえ、大抵は手製の札やら道具、拾った石やらが主じゃな。あまりかさばるモノは扱わん。運ぶに難儀するからの」
「石って……宝石とか?」
「うむ――宝玉、宝珠の類も売らんことはないが、そうそう手に入るものではない。それに、石やら玉は手を加えて道具や飾りにしたほうが、より高く売れる」
今ひとつピンとこなかったが、要するに千世は「なんでも屋」なのだろう。
ならば妙な笠を被ったり、怪しげな恰好をしないほうがよさそうなものだが。
あれでは客が気味悪がって、商売にならないのではないか。
沙智がまたあれこれ考えていると、
「そうじゃ――お前さん、手先は器用か?」
と、千世が尋ねた。
「手先ですか? ううん、絵を描くのは好きですけど――」
沙智は生前(本当に死んでいるという前提で、だが)漠然と、美術系の進路を希望していた。
とはいえ、高校に上がったばかりの沙智は、例えば美術系の大学に入るために勉強するとか、技術を磨くという行動を起こしていたわけではない。でも絵を描くのは好きだったから、そちらの分野に進んでみたい、くらいの気持ちではいたのだ。
「それはいいッ!」
千世は急に叫んだ。
「いやな、儂はどうにも手際が悪うてのう。ここだけの話、札をこしらえるのも、尺八を吹くのにも、なかなか難儀しておるのだ。さて、どうしたものかと思案しておったのだが、誰かに助けてもらえたらのぅ――」
確かに、あの尺八の酷さには辟易した。
まず、尺八を吹く必要性が解らない。客寄せのようなものだろうか。
だが、あんな異音を発して歩いていては逆効果ではないか。
いずれにしても、あの様子では字や絵もかなり不得意なのかもしれない。
「つまり、さっきの御札みたいなモノを描くのを手伝え、ということですか?」
「そういうことじゃ! 話が早くて助かるわい。良いモノが作れたら金になる。お前さんが作り、儂が売る。どうじゃ、やってみんか?」
そのくらいなら、できるかもしれない。
むしろ、沙智には好都合な話ではないか。
怪しい宗教の勧誘を手伝えとか、強盗団を結成する、などと言われたら困っていたが、多少なりとも経験のあることなら、どうにかやっていけるだろう。
「わかりました――やってみます」
「おお! やるか!」
千世はパッと笑顔になった。子供にしか見えない。
本人いわく、子供ではないらしいが。
「そうと決まれば、まずはその服をなんとかせねばのう」
忘れていた。沙智は未だに幽霊姿のままなのだ。
千世は立ち上がって隣の部屋へ行き、なにやらゴソゴソとやっている。
しばらくして戻ってくると、臙脂色の作務衣を沙智に手渡した。
「いつまでも死装束では具合が悪かろうて。少しばかり古いが、しばらくは儂のお下がりを着ておけ」
「あ、どうも――」
確かに、幽霊の形では気分的にも、見栄えもよろしくない。
沙智は作務衣に着替えようとしたが、千世がこちらをじっと見ている。
「あの、着替えるので――」
「うむ」
「ちょっと、隣の部屋で……」
「なんじゃ、気になるのか? 後ろを向いておるから早うせい」
千世は背中を向けて、座布団の上に座った。
沙智は、まだ少し千世を気にしながらも、素早く作務衣に着替えた。
そこで――床の上にことり、となにかが落ちた。
それは、謎の白面に手渡された「筆」だった。
沙智はすっかり忘れていたが、白装束の中に入れて持っていたのだった。
「おお、似合う似合う。丁度よさそうじゃな。儂には少し大きかったからのう」
千世が着替えを終えた沙智を見て言った。
「そういえば、これ――」
沙智は落とした筆を拾い上げて、千世に見せた。
「む、筆か? 作務衣に入っておったか?」
「じゃなくて、変なお面の人に貰ったんです」
「変なお面……ああ、なるほどな」
千世は筆をしげしげと眺めると、
「ふむ、やはりこれは縁じゃな。沙智坊や、お前さんが儂と出会ったのも偶さかのことではなかろう。ともに『よろず屋』として一旗揚げよと、神仏がそう言っておるのじゃ!」
と、また子供のように喜び、沙智の周囲を回り始めた。
「いっぱしの職人になるまで、儂がしっかり面倒をみてやろう。さて、今宵は祝いの盃を交わすぞい! 酒を持てッ」
酒を持て、と言われても、どこに酒があるのだろうか。
沙智が固まっていると、
「酒は――ウチにはないのじゃ」
と、千世は今度は悲しそうな顔をして、うなだれた。
しかし、すぐに両手を高く突き上げて叫ぶ。
「外に飲みにいくぞッ」
「お、お酒を? でも私は――未成年だし」
「ミセイネン?」
「まだ、お酒飲めないんです、子供なので」
「子供? 沙智坊よ、お前さん、年はなんぼじゃ?」
「十五歳、ですけど……」
「じゅうごぉ? ならば飲めッ!」
「ええっ」
「なにをお前、飲めないんですぅ、などと! 飲めるじゃろ、その年なら! 儂の酒が飲めぬというのか? 決めた。今すぐに飲みに行くぞ。近くにシケた店があるのじゃ。行くぞ、沙智坊よッ」
千世は沙智の肩を抱いて、強引に外へ引っ張りだそうとした。すでに、たちの悪い酔っ払いのようだ。
これが本当に酔っぱらったら、どうなってしまうのか。
そもそも、千世こそ見た目は明らかに子供だというのに、酒など飲んでしまって大丈夫なのか――
沙智は一抹の不安をおぼえた。
これからしばらくの間、こんな風に振り回されることになるのだろうか。
とはいえ今は、川に落ちた葉のように、流れに身を任せるしかない。
沙智は小さな先人に手を引かれながら、己の先行きを案じていた。




