八咫鏡の真理3~子供の教育~
第一章 再びの講義
秋の午後、心地よい風が木々の枝を揺らしていた。
庭園の奥では、小鳥たちが穏やかな声で囀り、時折金色の木漏れ日が地面に揺れる影を落としている。
アマテルカミは、暫くの休憩を挟んだ後、アマノコヤネ達が集まっている場所にゆっくりと戻ってきた。その足取りは静かで、しかし確かな存在感を纏っている。人々は待ちわびたように顔を上げ、深い敬意を込めてアマテルカミを見つめた。
アマテルカミは座に着くと、背筋を伸ばして居住まいを正し、集まった人々を一人一人見渡した。その眼差しは温かく、それでいて深い思慮に満ちている。やがて、静かに口を開いた。
「さて、教育と鏡の関係について、これよりご説明いたしましょう」
アマノコヤネは姿勢を正し、他の者たちも息を呑んで耳を傾けた。
第二章 歪んだ教育の警告
「目に見えての強烈な指導力を付けさせようと、強引な指導をすると子供はひねくれます」
アマテルカミの声には、深い憂いが滲んでいた。
「必然的にこうなってしまうモノです。強い者にこびへつらい、弱い者にはしつこく意地悪をする卑しい性根の人となってしまいます」
聞いている者たちの表情が曇った。何人かは自らの子育てを思い出し、不安げに隣の者と目を合わせた。
「そういう人は他人の顔色を窺う事ばかりを仕事にして、弱そうな人を見つけては、隙を見つけて自分の強引な欲求を捩じ込んで行く行動を取りだし、周囲の秩序を乱します」
アマテルカミは一旦言葉を切り、深く息をついた。その横顔には、過去の苦い記憶が浮かんでいるようだった。
「その身一身で、大出世を遂げたような人は、特に注意をしてもらうべきでしょう。子供に変な気風を植え付けると不幸せを招きかねません」
「アマテルカミ様」と、一人の年配の者が恐る恐る尋ねた。
「それは、何か具体的な事例があってのお言葉でしょうか」
アマテルカミは悲しげに頷いた。
「ええ、そういった実例がありました」
周囲に緊張が走る。風が止み、鳥の声も途絶えたかのようだった。
「立身出世のその果てにやり過ぎてしまったのです。子供が強い者にこびへつらい弱い者にはしつこく意地悪をする卑しい性根の人になり、全国規模の騒乱が巻き起こされました。結果、多くの命が故なく犠牲になってしまいました」
人々は息を呑んだ。誰もが言葉を失い、ただアマテルカミの次の言葉を待った。
第三章 三種の神器の意義
アマテルカミはゆっくりと視線を上げ、人々を見渡した。
「このような事に対処するべく三種の神器は必要とされる訳です。ですがツルギが必要になる事態に立ち至らないようにしたいものです」
アマノコヤネが深く頷いた。「その通りでございます」
「そのための『トのヲシテ』であり『カガミ』なのです」
アマテルカミの声に、希望の響きが戻ってきた。
「『トのヲシテ』だけでは捻くれた人を導き切れない事があります。そういった人は『カガミ』によって間違いなきように導きたいわけです」
アマテルカミは両手を広げ、まるで目に見えない鏡を掲げるような仕草をした。
「それは人々の一人一人それぞれが自立的にこころの在り方を直し修正できる。この最も根底からの修復原理が『カガミ』によって実現できるのです。このカガミによる自律的こころの修正は永遠に意味のあるモノと言えるのではないでしょうか」
人々は感銘を受けた表情で頷き合った。しかし、一人、複雑な表情を浮かべている女性がいた。
第四章 ミホツヒメの悩み
ミホツヒメは、親の子供に向けた心遣いについてまだ良く理解が及ばないでいた。彼女の眉間には困惑の皺が寄り、唇を噛みしめている。やがて、意を決したように顔を上げ、震える声でアマテルカミに尋ねた。
「アマテルカミ様」
その声には、母としての切実な思いが込められていた。
「私は一人息子のためを思って、一生懸命に注意していましたが、息子の態度は改まりません。それは私の教え方が悪いのでしょうか?」
ミホツヒメの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「息子にはもうちょっとしっかりして欲しいからあれこれ言ってしまうのですが……」
言葉の最後は、か細く消えていった。彼女は俯き、膝の上で両手を強く握りしめた。
アマテルカミはミホツヒメの様子を見て、表情を一層柔らかくした。そして、まるで自分の娘に語りかけるような優しさで口を開いた。
「ミホツヒメ、顔を上げてください」
ミホツヒメがゆっくりと顔を上げると、アマテルカミは微笑んでいた。
第五章 子供の理解の違い
「聞いてもすぐには解らない子も多いものです」
アマテルカミの声は、さらに優しさを増していた。
「自分自身の時とは同じにならないものなのです。一回聞いて解る子もあれば、三回聞いて解る子も居ます。ですが三十回聞かないと解らない子も、時には居るものなのです」
ミホツヒメは目を見開いた。その表情に、驚きと共に少しの救いの色が浮かんだ。
「聡明なあなたなら一回聞いたら解りますものね」
アマテルカミはミホツヒメを見つめて言った。
「でも他の子であれば、そんな聡明な事は滅多にあり得ないものなのです」
周囲の人々も、我が身を振り返るように深く頷いた。
「それで、何回言ったらわかるの!と言いたくなるわけです」
アマテルカミの口調が、まるで悩める親の声を真似るように変わった。人々の間に、苦笑が漏れた。
「その語調が強さを増すごとに子供の耳にどうしたことか防音壁が出来て来てしまうようです」
ミホツヒメははっとした表情で、自分の胸に手を当てた。
「さらに、強く言って厳しく指導しますと、子供にとっては暴風雨に見舞われたように受け取り始めます。嵐が去るまでじっと我慢します」
アマテルカミは悲しげに首を振った。
「それで、曲がりくねってこぶだらけの松の木のようになります。そんなことが成人するまでも続きましたら、素直で実直な人には成り得ません」
第六章 強い指導の弊害
アマテルカミは立ち上がり、庭の松の木を指さした。その松は、確かに節くれだって曲がりくねっている。
「親の良かれと思って言う強い指導の言葉も鞭だと思うのです」
人々は松の木と、アマテルカミの顔を交互に見た。
「モノ解りの遅い子などは荒れ狂う嵐の鞭の痛さからどう逃げようかとばかり考えます。鞭から逃れるために、正直さを放棄するのです」
ミホツヒメの顔色が青ざめた。彼女は息子の最近の態度を思い出していた。
「解っていない事でも、解ったように取りつくろいます。それを親が見抜けないで空喜びをしていますと子供はそのようにばかりして行くものです」
「まさに……」とミホツヒメは小さく呟いた。
「息子が最近、そのように……」
アマテルカミは優しく頷いた。
「いい子ぶる子供の行き着くところが、強い者にこびへつらい弱い者にはしつこく意地悪をする卑しい性根の大人です」
その言葉に、ミホツヒメだけでなく、多くの親たちが深く考え込む表情を見せた。
第七章 正しい教育の道
アマテルカミは再び座に戻り、人々を見渡した。秋の日差しが、アマテルカミの穏やかな表情を照らしている。
「指導の仕方は、特に間違いに陥り易いところです」
アマテルカミは、ゆっくりと、一語一語を噛みしめるように話し始めた。
「モノ解りの遅い子には、特にゆっくりと時間をかけて、事細かに教えて行きましょう」
アマノコヤネが「その通りです」と相槌を打った。
「毎日毎日、少しずつ繰り返して教えて行くと、ひと月もしたら、一つや二つの文字を覚えてくれます。更に月を重ね年を重ねて行くと四十八音の成り立ちにも理解が及ぶ事でしょう」
ミホツヒメが小さく頷いた。その目には、希望の光が戻り始めていた。
「『初めにこう言っておいたからもう解ったはずだ』と言うのは即断に過ぎています」
一人の父親が「確かに」と呟いた。
「百回か千回教えてもなお解らないのだったら教える側はイライラします」
アマテルカミの表情に、理解と共感が浮かんだ。
「イライラを治めるために杖でそこら辺を叩こうとするでしょうがそれを行なう事は慎んでください」
人々は真剣な表情で耳を傾けた。
「なぜならそれを見た子供がそれで叩かれる自分を想像するからです。そしてその恐怖から逃げようといい子ぶる行動を取るからです」
ミホツヒメは深く息を吐いた。まるで、長い間抱えていた重荷が少し軽くなったかのようだった。
「イライラしても、平静に返り、愛情を持って、また一から教え始めて下さい」
第八章 シモト杖の意味
アマテルカミは、傍らに置かれていた松の小枝で作られた杖を手に取った。それは滑らかで、優しい曲線を描いている。
「教える人の手には、松の小枝のシモト杖が良いですね」
人々は興味深げにその杖を見つめた。
「子供を真っ直ぐに育てようとする精神が、シモト杖に備わっています。節瘤だらけの松の木にしてはならない、その精神です」
アマテルカミは杖を撫でるように手で触れた。
「春の気持ちの雰囲気で春の温かい気持ちで子供に接する。その教える人の気持ちを保つためのシモト杖です」
「なるほど」とアマノコヤネが感心したように言った。
「叩くための杖ではなく、心を整えるための杖なのですね」
「その通りです」とアマテルカミは微笑んだ。
「そうしまして十年もしましたらもの覚えの遅さやもの解りの鈍さにも直って来る兆しが出て来ます」
ミホツヒメの表情が明るくなった。
「三十年もしましたら、びっくりしますよ」
アマテルカミの目が輝いた。
「真面目な子供は、解りだしたら早いのです。急に自分から学問に熱中し始めますから」
第九章 木材と人材の育成
アマテルカミは立ち上がり、庭の大木を指さした。その木は、何百年も風雪に耐えてきた堂々たる姿だった。
「木材の生育では百年も経ちましたら、立派に家を支える柱に成ります」
人々は大木を見上げた。
「三百年も経ちますと、梁の大きな材木にも使えるように成ります。五百年にもなりますと、棟木にも使える事です」
「人の育成も木材の育成に似ています」
アマテルカミは人々の方を向き直った。
「人の場合は、次のように成ります。十年で大体の基礎が出来て来ます」
若い父親が身を乗り出して聞いた。
「三十年で梁に使える人材に成長出来ます。五十年で棟木に使えるまでに成長を遂げる事でしょう」
「五十年……」と誰かが呟いた。
「長い年月ですね」
「ええ」とアマテルカミは優しく笑った。
「ですから焦ってはいけないのです」
第十章 温かい視線の大切さ
アマテルカミは再び座り、深く息をついた。秋の日が傾き始め、長い影が庭に落ちている。
「とにかく注意してもらいたいことは、いつもいつも温かい視線を向ける事です」
その言葉には、深い愛情が込められていた。
「投げ遣っての事や早知りを空喜びするような事を間違ってもどうかしないようにして下さい」
ミホツヒメは涙を拭い、深く頭を下げた。
「これが、ヤタのカガミの精神なのです」
アマテルカミの声に、力強さが戻った。
「万民の全てがアメミヲヤ様の賜わりモノなのだと言う理解です」
人々は深く頷いた。何人かは、感動のあまり目を潤ませていた。
第十一章 八咫鏡に込めた思い
アマテルカミは一旦言葉を止めて、聞いている人々を見回した。その眼差しは、一人一人を慈しむように優しかった。秋風が再び吹き、木々の葉が静かに揺れた。
やがて、アマテルカミは最後の話を告げる。
「わたくしが、三種の神器に鏡を追加したのは、この精神に依るからです」
その声には、深い決意が込められていた。
「わたくしも守りアメミヲヤ様も天下万民を守るからなのです」
人々は息を呑んで聞いた。
アマテルカミは立ち上がり、人々を見渡した。
「八咫鏡の意義の説明については以上となります。本日はここまでにして明日皆様の質問を受けましょう」
アマノコヤネはアマテルカミに向かって深く礼をした。その背中には、深い感謝の念が表れていた。
「アマテルカミ様、本日は貴重なお話をありがとうございました」
聞いていた人々もそれに倣って深く礼をした。ミホツヒメは涙を流しながら頭を下げている。他の親たちも、自らの教育を反省するように、深々と頭を下げた。
アマテルカミはそれを見て笑顔で頷き、ゆっくりとその場から去っていった。その後ろ姿は、夕日に照らされて神々しく輝いていた。
第十二章 人々の反応
アマノコヤネは残った人々に話しかけた。
「本日の講義はここまでです」
彼の声は、感動で少し震えていた。
「明日アマテルカミ様が質問を受けてくださるそうなので、皆アマテルカミ様のお話を各自でじっくり腹落ちさせましょう」
人々は頷き合い、口々にアマテルカミ様の話を論議しながら帰っていった。
「わたしの息子への接し方、間違っていました」
「私もです。もっと温かく、ゆっくりと教えなければ」
「三十年かかっても良いのですね。焦らずに」
そんな声が、あちこちから聞こえてくる。
ミホツヒメは一人、その場に座り込んでいた。彼女は両手で顔を覆い、静かに涙を流している。しかしその涙は、悲しみではなく、希望と感謝の涙だった。
中には、気になる点が浮かばずに必死で考えている人もいる。一人の若者は、木の下で腕を組み、深く思索に耽っていた。
アマノコヤネは人々の様子を見て微笑みながら言った。
「質問は無理に考えなくてもいいのですよ」
その声は優しく、人々を包み込むようだった。
「皆が腹落ちさせればそれに越したことはありません」
若者は顔を上げ、アマノコヤネに深く礼をして立ち去った。
やがて庭には静けさが戻り、秋の虫の声だけが響いていた。
終章 翌日の朝
翌日、朝霧も晴れない早い時間に関わらず人々は集まって来ていた。東の空がようやく白み始めた頃、すでに何人もの姿があった。
「早いですね、皆さん」
先に来ていた者が、後から来た者に声をかけた。
「ええ、昨日の話が頭から離れなくて」
「私もです。息子に謝らなければと思いまして」
「わたしは質問がまとまりました。ぜひアマテルカミ様にお聞きしたくて」
皆、アマテルカミの話を聞きたくて、明るくなると直ぐに集まってくるのだった。
ミホツヒメも早くから来ていた。彼女の表情は昨日とは違い、穏やかで希望に満ちている。隣に座った女性に、小さく微笑みかけた。
「今日は良い一日になりそうですね」
「ええ、本当に」
朝霧の中、人々の温かい会話が続いていた。やがて朝日が昇り、新しい一日が始まろうとしていた。




