八咫鏡の真理2~人の心を映す鏡~
第一章 再びの教え
柔らかな午後の光が、広間の格子窓から差し込んでいた。
休憩の間、アマノコヤネたちは小声で語り合い、先ほどの教えを反芻していた。やがて静寂が訪れ、人々は自然と姿勢を正した。
足音が近づく。アマテルカミが戻ってこられたのだ。
「お戻りになられました」
アマノコヤネが深く頭を下げると、周囲の者たちも一斉に礼をした。アマテルカミは穏やかに微笑み、ゆっくりと上座へと歩を進める。その姿には威厳がありながらも、慈しみに満ちた温かさが漂っていた。
居住まいを正したアマテルカミは、一同の顔を静かに見渡してから、口を開いた。
「さて、八咫鏡の真理について、更に深くお話ししましょう」
声は静かだが、広間の隅々まで響き渡った。
第二章 心の鏡
「人の心の働きと鏡の関係について、ご説明いたします」
アマテルカミは言葉を区切りながら、丁寧に語り始めた。
「人は災害が起きたり、飢饉になったりした時には、お互いに助け合います。困難な時こそ、人の心は素直に他者を思いやるものです」
アマノコヤネは深く頷いた。彼自身、幾度となくその光景を目にしてきたのだ。
「しかしながら」アマテルカミは少し声のトーンを落とした。
「平和に豊かに、安定した時期が長く続きますと、どうでしょう。自己主張が強く、濃くなってまいります」
広間に集う人々の表情が、わずかに曇った。誰もが心当たりがあるのだろう。
アマテルカミは優しく続ける。
「素朴な気持ちを忘れないようにしておけば、考え方の根底にズレが生じないものです。何が大切か——アメのミチの、この基本の価値観にズレが生じてしまうと、本末転倒に陥りやすくなるのです」
「本末転倒、でございますか」
若い従者が思わず呟いた。
アマテルカミは優しく微笑んで頷いた。
「そうです。この世に生まれ出て、楽しみ生きて、花を咲かせ実を残して逝く——これが本来の姿なのです。しかし枝葉末節を取り違えると、どうなるか」
アマテルカミの表情が、わずかに厳しさを帯びた。
「他人を欺いてモノを奪い取ったり、また悪さを隠蔽しようとしたりします。しかし、隠しおおせるはずもないのです」
「それは、なぜでございましょうか」
アマノコヤネが問うと、アマテルカミは満足げに頷いた。
第三章 ウツホの巡り
「よい問いです。それは、万物が常に行き来しているからなのです」
アマテルカミは手を広げて、目に見えぬ何かを表現するような仕草をした。
「人体を構成する五要素の中でも、特にウツホの行き来は滞りが少ないものです。それで、ウツホは人体に形造られる際に『ココロハ』となるわけです」
人々は息を呑んで聞き入っている。
「『ココロハ』の巡りは常に絶え間ないものですが、目には見えません。それは何故か——ヒトがウツホの中に居るからです」
「ウツホの中に、でございますか」
別の従者が目を見開いて問うた。
「そうです」アマテルカミは穏やかに微笑んだ。
「逆に、水の中に居る魚にはウツホの動きがよく見えます。水の中だとウツホの動きが見え、ウツホの中だと水の動きが見える。この二つは相違うモノの相反の例えと言えましょう」
アマノコヤネは深く考え込むような表情で頷いた。
「なるほど。では、カガミもそのような相反の作用があるということでございますか」
「その通りです」
第四章 鏡の不思議
アマテルカミは傍らに置いてあった八咫鏡を手に取った。磨き抜かれた鏡面が、窓からの光を受けて柔らかく輝く。
「カガミもこのような相反の作用があるのです。ご覧なさい」
アマテルカミは左手に小さな飾り物を持ち上げた。
「左手に持ったものが、カガミの中では右手に持っているように見えます」
人々は身を乗り出して鏡を覗き込んだ。確かに、左右が逆になっている。
「左へ押しやると右に移って行きます。また向こうへ持って行きますと、手前に近づいてきます。左右逆さにひっくり返って写し出されるのです」
「不思議でございます」
若い従者が感嘆の声を上げた。
アマテルカミは鏡を丁寧に置き、厳かな表情で続けた。
「これがカガミを用いる理由において、重要な点なのです。逆に見える事——これこそが肝要なのです」
第五章 人の成り立ち
広間に静寂が戻った。アマテルカミは深く息を吸い込み、更に深遠な教えへと入っていく。
「そもそもの人の成り立ちを、考えてみましょう」
人々の眼差しが、一層真剣なものになった。
「宇宙の中心に座しておられる、創造神のアメミヲヤ様の存在があります」
アマテルカミの声が、祈りにも似た響きを帯びた。
「その外側は、トホカミヱヒタメの八神、ヤモトカミが守ってくださっています。更にその外側は、アイフヘモヲスシの八神、アナミカミが守ってくださっています」
「アナミカミ、でございますか」
アマノコヤネが確認するように繰り返した。
「はい。アナミカミは『アワうた』の五・七調四行の、それぞれの頭韻を連ねた『あいふへもをすし』です。そのまた外周にミソフカミ——三十二神が控えています」
「三十二神も」
人々は驚きの表情を見せた。
「ミソフカミはミメカタチ——人体の顔かたちや肢体などを備えてくださいます。そして、ソムヨロヤチ、十六万八千の諸々の物質を寄り添わせて、人体を形成してくださるのです」
アマテルカミは両手を胸の前で合わせた。
「人のタマ——魂のもとの本体が、宇宙の中心から分け降されて来て、ヤモトカミやアナミカミ、更にミソフカミが合わさって、人と成してくださっている訳です」
第六章 個性という輝き
「では」とアマテルカミは柔らかく続けた。
「この世にての人体形成について、更にお話しいたしましょう」
人々は身を乗り出した。
「ソムヨロヤチ——十六万八千の物質が寄り添うのですから、それぞれ個体ごとに、微妙に成り合わさり方が違ってまいります」
「ああ、なるほど」
アマノコヤネが小さく声を漏らした。
「それが個性というものでして、絶妙な各自の輝きが備わるのです」
アマテルカミの表情が、慈愛に満ちたものになった。
「それは全て、アメノミヲヤ様が守ってくださる範疇の中なのです。つまり、どのような生まれつきの人も、アメノミヲヤ様の守りのうちなのです」
この言葉に、広間のあちこちで安堵のため息が漏れた。
第七章 先代の教え
「『ト』と『ホコ』を授与されて、国政の改革に尽力したことで、多くの物事について理解も深まります」
アマテルカミは遠い目をして語った。
「その学びについて、七代アマカミのイサナギ様とイサナミ様は、このようにおっしゃいました」
人々は息を呑んで聞き入った。アマテルカミは静かに詠み上げる。
「『うつわもの にふ、なれ、ときの』」
「『タミあるも くつをすてなて』」
「『にふ、ときを ならしもちゐん』」
「『あめのこころそ』」
詠み終えると、アマテルカミは優しく解説を加えた。
「すなわち——人々にはそれぞれニフ・ナレ・トキの性質があります。その人々の短所ばかりを見ず、性質や長所に合わせて正しく活かしてください。このような行動こそ、アメノミヲヤ様の心にかなった正しい道でありましょう、という意味です」
「ニフ、ナレ、トキ」
若い従者が小声で繰り返した。
第八章 三つの性質
「『ニフ』とは」アマテルカミが説明を続ける。「考えが鈍い事で、二十回・三十回と繰り返し説明して、初めて解るような人の事です」
「しかし、それは」と従者が戸惑いがちに言った。
「劣っているということでは」
「いいえ」アマテルカミは首を横に振った。
「『ナレ』とは普通の人です。一、二回説明したら解ってくれる人の事。『トキ』とは察しが良いが思い込みが激しい人の事を言います。言っている途中から話を理解したつもりになり、勝手に思い込んでしまう人の事です」
アマノコヤネが深く頷いた。
「なるほど。つまり、どの性質にも一長一短があるということでございますね」
「その通りです」アマテルカミは満足げに微笑んだ。
「『ニフ』も『トキ』も、一般に見ると問題があるように思えますが、それにはちゃんとアメノミオヤ様が与えた意味があるのです」
第九章 見方を変える
アマテルカミは立ち上がり、窓辺へと歩いた。外の庭では、木々が風に揺れている。
「わたくしは思うのです」
振り返ったアマテルカミの表情は、深い思索に満ちていた。
「良しも悪しも、その評価はある一面からのものに過ぎないと」
「一面から、でございますか」
「そうです。見方を変えると、良く見えていたものにも欠点がある事に気付きます。悪いものも見方を変えると、長所が見つかったりします」
アマテルカミは優しく微笑んだ。
「このような発見は、楽しいことだと思います。ヒトというのは、一面での理解では収まらないものなのです」
人々は深く頷いた。誰もがそれぞれに、思い当たることがあるのだろう。
「心の中の思いには、良し様な部分と悪し様な部分の二つが同居して、混ざり合っています」
アマテルカミは再び上座へと戻った。
「ですから、良し様な心の働きによって、悪事も露見するのです」
そして、八咫鏡に手を置いた。
「八咫鏡は、人の心の在りようを窺い知ることが出来る道具なのです」
第十章 因果の理
広間の空気が、わずかに張り詰めた。アマテルカミの表情が、厳しさを帯びたのだ。
「良くないことをすると、自然と自分自身の身に返ってきます」
人々は姿勢を正した。
「盗みとか、他人をそしったり脅したりすると、やがては自分自身に災いとして降りかかってきます」
「すぐに、でございますか」
若い従者が恐る恐る尋ねた。
「いいえ」アマテルカミは首を横に振った。
「他人への脅しなど、その時には即座の反応は起きなくても、やがて他人からまともに相手にされなくなったりします。それが元で、病気にもなるのです」
アマノコヤネが深刻な表情で頷いた。
「盗みなども」アマテルカミは続ける。
「他人に知られなければ、『良かった。儲かった』と思っていても、やがては露見するものなのです」
「なぜ、露見するのでございましょうか」
「一回目がうまくいったら、二回目、三回目と盗みの回数を重ねてしまいます。盗みの悪事は、その人の様々なことから知られる事となるのです」
アマテルカミの声が、重々しく響いた。
「呼吸にあらわれ、歩き方にあらわれ、考えや言葉にあらわれて、他人に知られてゆきます。そして罪の露見で滅んでしまう。罪の余波は親類にも及んでしまいます」
広間が静まり返った。
「そうなってはもう、どうしようもありません。取り返しはつかないのです」
第十一章 教育の大切さ
沈黙が続いた後、アマテルカミは少し表情を和らげた。
「罪に落ち行く人は、調べてみると家庭の教育に問題が大きいようです」
人々の表情に、理解の色が浮かんだ。
「ですので、子を持ったら親としての心構えをよく聞いて欲しいのです」
「お聞かせください」
アマノコヤネが真剣な眼差しで言った。
「環境の厳しい断崖などに育った松の木は、捻じれ曲がっています。根っこの方などは丸く膨らんでいますね」
人々は頷いた。誰もがそういう松を見たことがあるのだろう。
「人で言うなら」アマテルカミは説明を続ける。
「我が侭の人間に言い放題で育てると、道理に対して反発し、わだかまりが蓄積してしまうようなものです。こんな歪んだ松は、薪にしか使えません」
「もったいないことでございます」
従者が嘆息した。
「そうです。折角の宝物を無駄にしてしまうのは、忍びないことです」
アマテルカミの表情に、慈愛が戻った。
「しかし、こういった状態は、欲望に歪みが来ているだけの障害に過ぎず、治すことができるのです」
第十二章 添え木の愛
「では、どのように治すのでございましょうか」
アマノコヤネが身を乗り出して尋ねた。
「子供を教え愛しむやり方は、クセの強い松の木を直すやり方に似ています」
アマテルカミは優しく微笑んだ。
「断崖絶壁に生えている曲がった松の木を、穏やかな風土に植え替えてみましょう。そして添え木や適切な水遣り、雑草の除去など、愛情いっぱいに育てると——」
人々は息を呑んで聞き入った。
「真っ直ぐな松に戻り、育ちます」
「ああ」
あちこちで感嘆の声が上がった。
「子供の養育も同じです。親の愛情を注いで、『トのヲシテ』に基づいた教育で育ててゆくと、こころ正直な指導者にもなってゆくのです」
アマテルカミは人々の顔を一人一人見渡した。
「メクミ——恵みに対して、報恩の心を知ることですね。アマキミからのメクミを知る能力が出来れば、人々の指導者たる棟柱——屋根を支える外側の柱になれるのです」
終章 一休み
ここまで話した所で、アマテルカミは一旦話を止めた。長い教えに、人々の表情にも疲労の色が見え始めていた。
「さて、ここで一旦、一休みをしましょう」
そう言って、アマテルカミは温かく微笑んだ。
アマノコヤネは深々と頭を下げて答えた。
「お心遣い、ありがとうございます。皆でアマテルカミ様のお話を整理したいと思います」
「ええ、どうぞゆっくりと」
アマテルカミは集っている人々の論議に遠慮が起こらないよう、静かに奥へと戻って行った。その後ろ姿を、人々は敬意を込めて見送った。
広間に残されたアマノコヤネや集った人々は、さっそくアマテルカミの教えについて議論し合うのだった。
「鏡が逆に映すというのは、まさに人の心を映すことなのだな」
「ニフもナレもトキも、それぞれに意味がある。深い教えだ」
「子供の教育、本当に大切なことだと思い知らされた」
様々な声が飛び交い、議論は尽きることがなかった。
暫く議論が続き、十分な時間が空いた後——。
足音が近づいてきた。人々はすぐに静まり返った。
アマテルカミが再び奥から戻ってきて、ゆっくりと上座に座る。その表情は穏やかで、深い慈愛に満ちていた。
「さあ、続きをお話ししましょう」
柔らかな光の中、アマテルカミの声が再び響き始める。
人々は新たな教えを受ける準備を整え、真剣な眼差しでアマテルカミを見つめるのだった。




