八咫鏡の真理1~その名と人々への愛
第一章 聖なる鏡の前で
時は九代アマキミのオシホミミの御代。
朝露がまだ草葉に宿る早朝、ヲウチミヤの前には既に多くの人影が見えていた。
先のアマカミであるアマテルカミは、もはや政事の第一線からは身を引いておられたが、その慈愛に満ちた眼差しは今なお人々の心を照らし続けていた。人々の教育と指導に心血を注がれる日々は、まさに生きた教えそのものであった。
この日、ヲウチミヤの前には特別に八咫鏡が据えられていた。
朝日を受けて神々しく輝くその鏡面は、まるで天そのものを映し出しているかのようであった。
「ああ、なんと美しい...」
一人の老人が思わず声を漏らした。
その言葉に続くように、集まった人々は次々と感嘆の息を漏らしながら、恭しく頭を下げた。
「こんな近くで八咫鏡を拝ませていただけるとは...」
若い母親は幼い子を抱きながら、その子の手を取って一緒に拝ませていた。三種の神器のうちの一つである八咫鏡は、一般国民にとってはまさに雲の上の存在。この機会に巡り合えた人々の心は、深い感動と畏敬の念で満たされていた。
指導者たちも、商人も、農民も、職人も、老若男女を問わず、皆が同じように鏡の前で手を合わせている。その光景は、まさに一つの大きな家族のようであった。
やがて、静寂な空気の中を縫って、アマノコヤネがゆっくりとアマテルカミの元へ歩み寄った。その足音さえも控えめで、周囲への配慮が感じられた。
「アマテルカミ様」
アマノコヤネは深々と頭を下げ、その姿勢のまま尋ねた。
「八咫鏡が三種の神器に数えられる程、大切である事は...」
彼は一度言葉を区切り、周囲の人々の様子を伺った。皆が静かに耳を傾けているのを確認すると、改めて続けた。
「『ヤタ』と言う命名のいわれと関係があるのでしょうか?」
その問いかけに、アマテルカミの表情が和らいだ。まるで愛弟子の成長を喜ぶ師のような、温かな微笑みが浮かんだ。
「良い質問ですね、コヤネよ」
アマテルカミは立ち上がると、八咫鏡の前に歩み寄り、その鏡面を慈しむように見つめた。
「皆の者も、どうぞお聞きください。今日は『ヤタ』の深い意味について、詳しくお話しいたしましょう」
第二章 ヤタの由来
アマテルカミの声は、清らかな水の流れのように人々の心に染み入った。集まった人々は、まるで子供が親の昔話に聞き入るように、身を寄せ合って耳を澄ました。
「そもそも『ヤタ』とは、ヤタミ——つまり全国民の身長から名付けられたものなのです」
「全国民の身長から?」
若い指導者の一人が思わず声を上げた。
その驚きの表情を見て、アマテルカミは優しく頷いた。
「そうです。昔、『まはかり』という物差しが作られました」
アマテルカミは手を使って長さを表現しながら説明を続けた。
「これは国民の平均身長の長さを表したものです。現在『ひとま』とも言うのがこの長さですね。皆さんの中にも、背の高い方もいらっしゃいますし、お子さんのように背の低い方もいらっしゃいます」
人々は互いを見回し、確かにそうだと頷き合った。商人の男性は自分より頭一つ分高い農夫を見上げ、農夫は苦笑いを浮かべた。
「その様々な背丈の人々を平均した身長が『ひとま』として設定されたのです。そして、この国民の平均身長『ひとま』を『ヤタ』——つまり八タ(尺)に分けます」
「なぜ八つに?」と、後方から女性の声が聞こえた。
アマテルカミは振り返り、質問した女性を見つけると、温かく微笑みかけた。
「それは、人の身体の構成要素に関係があります。五つの要素——ウツホ・カセ・ホ・ミツ・ハニのうち、ウツホは目に見えません。それを除いた見える要素であるカセ・ホ・ミツ・ハニは更に細分化すると八つに分類されます」
人々は自分の身体に手を当てながら、その説明に深く頷いた。
「ですから『ひとま』を八等分して、その単位を『一タ(尺)』と呼ぶのです。目には見えない要素であるウツホは、日月——日は軽く熱いもの、月は重く冷たいものに分けて二等分され、それを『二タ(尺)』として足すことで、合計十タ(尺)となります」
老いた学者風の男性が感嘆の声を上げた。
「なんと精巧な仕組み...」
「さらに」アマテルカミは続けた。「『タ(尺)』を更に十等分します。この『タ』の
十分の一の長さを『キ(寸)』と名付けました」
第三章 たかはかりの智恵
アマテルカミは歩きながら説明を続けた。その姿は、まるで大きな家族に囲まれた慈愛深い父親のようであった。
「この長さの基準に基づき『たかはかり』と名付けられた物差しが作られました」
「たかはかり...」
アマノコヤネが呟くように繰り返した。その名前に込められた意味の深さを感じ取ったのだろう、表情が引き締まった。
「はじめに申しましたが、一般国民の平均身長はヤタです。つまり八タ(尺)ですね」
アマテルカミは集まった人々を見回した。農夫も商人も職人も、皆が同じ価値を持つ存在として見つめられていることを感じ、人々の表情に誇りの色が浮かんだ。
「『たかはかり』とは、その平均身長を基準にした物差しなのです。つまり、皆さん一人一人が、この国の基準そのものなのですよ」
この言葉に、人々の間に温かなざわめきが起こった。自分たちが単なる被支配者ではなく、国の基準を作る大切な存在だと知り、多くの人が胸を張った。
「さて」アマテルカミは再び八咫鏡の前に立った。
「世界を形造っている五要素のうち、目に見える要素は四要素あります。カセ・ホ・ミツ・ハニの四要素が目に見えます。ウツホは目に見えません」
一人の少年が手を上げた。
「アマテルカミ様、見えないものをどうやって測るのですか?」
その純粋な疑問に、アマテルカミの表情がさらに和らいだ。
「良い質問です。そこで、目に見えない分のウツホの二割分を継ぎ合わせて、曲げ物差し——今でいう曲尺を作ったのです。これをマカリサシ(曲がり指し)と言います」
アマテルカミは空中に直角の形を描いて見せた。
「このマカリサシの長い方を円周として丸めますと、短い方がその円の直径の長さに近くなります。この大きさに作った鏡が、元の『ヤタカガミ』でした」
第四章 鏡に込められた想い
人々の表情が一層真剣になった。八咫鏡の真の意味が明かされようとしていることを、皆が感じ取っていた。
「人の構成要素のうち、目には見えないウツホも、ちゃんと映し出せるようにと考えられた鏡です」
アマテルカミの声に、深い愛情がこもっていた。
「全国民の平均身長の鏡ですから、カミ祭りにもとても有効なのです。本来の『ヤタカガミ』は、円周が八タ(尺)もある大きなものでした」
人々は想像してみて、その大きさに驚いた。中には両手を広げて大きさを測ろうとする者もいた。
「しかし」アマテルカミは苦笑いを浮かべた。
「この大きさの鏡は、製作も持ち運びも大変なことでした。そこで直径を一タ(一尺)の鏡に作り変えて、八咫鏡と称するようになったのです」
「つまり」アマノコヤネが理解を示すように言った。
「『ヤタカガミ』の八分の一に小さくしたものが、この八咫鏡ということですね」
「その通りです」
アマテルカミは満足そうに頷いた。
第五章 ヤの深い意味
「また」アマテルカミは続けた。
「『ヤタ』の『ヤ』には、神殿造りの建築物の意味も込められています」
人々は周囲のヲウチミヤの建物を見回した。その美しい構造に改めて目を向け、感嘆の息を漏らした。
「大昔のことです。『ム』の文字の意味によって住居の建築が発明されました。この住居の建築方法を一般国民に教えて、人々が安心して暮らしてゆける基礎ができました」
老いた大工が深く頷いた。
「そうか...我々の技術も、そこから始まったのですね」
「そうです。『ヤ』の基礎ができたわけです。さらにそれから『ヤ』の文字の意味から、神殿造りの建築物が建築されるようになります。現在はさらに大きな建築物になって、ミヤトノと呼ばれます」
「ミヤトノにも『ヤ』の意味が込められているのですね」若い指導者が興味深そうに言った。
「はい。国民を教え導く『ヤカタ』の意味です」
アマテルカミの表情が一段と慈愛に満ちた。
「ヤカタの『カ』は『心を伝える』という意味を表しており、ヤカタの『タ』は『足らざるものを足して教え導く精神』を表しています」
第六章 タラチネの心
「この『タ』の文字と反対の意味が『ラ』の文字になります」
アマテルカミは空に向かって両手を広げた。
まるで光を表現するかのような仕草だった。
「『ラ』は光をあたり一面に及ぼし照らす状態を表した文字です。土は植物を育み、母は子供を愛しみ育てます」
人群の中で、子を抱いた母親が我が子を見つめ、微笑みを浮かべた。
「『たらちね』の言葉は、このような意味の『タ』——教え導く精神と、『ラ』——慈しみ育てる精神を元としているのです」
「たらちね...」
一人の若い母親が、深く感動したように呟いた。自分が我が子に注ぐ愛情の意味を、改めて理解したのだろう。
「さらに『タ』の導き教える精神とは、父母の慈しむ精神であることが大切です」
アマテルカミの声が一層温かくなった。
「血縁の直接の繋がりは無くとも、父母が子に接する様に慈しむ事です。『チなきのタラ——教え導き慈しむ』と心得ると良いでしょう。恵み教え助けて治める国民は、我が子のように慈しみなさいということです」
人々の中に、深い感動が広がった。指導者も国民も、皆が一つの家族なのだという温かい実感が心に宿った。
「『ヤタ』の精神は、これを『ヲヲヤケ』とも言えます」
第七章 トとホコの教え
アマテルカミの表情が、わずかに厳粛になった。
「昔、『ト』と『ホコ』が作られて、国を治めるべき象徴の宝——二種の神器とされました」
人々の空気も引き締まった。神器の話は、まさに国の根幹に関わる重要な教えだった。
「この『ト』『ホコ』のうちの『ト』とは『トのヲシテ』です。七代アマカミである私の父母——イサナギ様・イサナミ様は『ト』『ホコ』の宝を受け継がれました」
アマテルカミの声に、深い尊敬の念がこもっていた。
「そして国民全体の親の気持ちになって、我が子を育てるように篤く教えて導いたのです」
しかし、アマテルカミの表情に影がさした。
「しかし、いくら親身になって教えても、それを煩わしく思い逆らう者も居ます」
人々の中に、複雑な表情が浮かんだ。誰しも心当たりがあったのだろう。
「その様な場合は仕方がありません。『ホコ』を用いて、そのひねくれた心根を撃ち、心を入れ替えさせなければなりません」
アマテルカミの声は厳しくなったが、同時に深い悲しみもにじんでいた。
「どうやっても心が直らない様な大きな罪だとしても、その罪を犯した心を正してこそ、世の平安が実現できるのです」
「しかし」アマテルカミは人々を見回した。
「『ホコ』を用いる事態に至ったのであれば、なおの事、自分の導き方が充分であったか自問をしなくてはなりません」
この言葉に、指導者たちの表情が引き締まった。
第八章 指導者への教え
「指導者たちには、何よりも教えることを常の仕事として下さい」
アマテルカミの言葉は、指導者たちの心に深く刻まれた。
「わたくしには、指導者も国民も、子や孫のように等しく愛おしく思えます」
その言葉に、アマノコヤネを始めとする指導者たちが深く頭を下げた。
「指導者たちよ、人々を教え導いて下さい。端的に言うならば、教えぬものは指導者として落第であるといえます。教えを聞かないものは国民として問題です」
厳しい言葉だったが、それは愛情に満ちた厳しさだった。
「常に『統治する調和の道』を心に定めて、指導に当たって下さい」
アマテルカミは田畑の方向を見やった。
「そして、自分自身の身を修めて、田畑を耕して種をまき、草を刈ったり手入れをして、作物を収穫する国民は、わたくしの孫にも思えて愛おしいです」
農民たちの顔が輝いた。自分たちの労働が、これほどまでに価値あるものとして認められていることに、深い感動を覚えた。
「その他の工業や商業に携わる人も同じように愛おしく、ひ孫や玄孫にも思えます」
職人や商人たちも、同様に胸を張った。
第九章 ヲヲヤケの心
「『ヤタ』の意味のヲヲヤケを思って、目先の利得にだけ走るようなことはしないようにして下さい」
アマテルカミの声は、諭すように優しかった。
「重要な心がけは『ト』の意味する利他の精神となります。これが『ヤタ』のカガミの意味するところです」
人々は改めて八咫鏡を見つめた。
その鏡面には、自分たちの姿だけでなく、もっと深い真理が映し出されているように思えた。
第十章 一休みの智恵
ここまで話したところで、アマテルカミは一旦話を止めた。
「私の話を理解して腹に落とすためには時間がいるでしょう。ここで一旦一休みとします」
そう言って、まるで孫を見守る祖父のような温かな微笑みを浮かべた。
アマノコヤネは深々と頭を下げ、感謝の心を込めて答えた。
「お心遣いありがとうございます。皆でアマテルカミ様のお話を整理したいと思います」
「どうぞ、遠慮なく議論なさってください」
アマテルカミは人々の論議に遠慮が起こらないよう、静かに奥に戻って行った。その後ろ姿は、まさに真の指導者の在り方を示しているようだった。
第十一章 人々の議論
アマテルカミの姿が見えなくなると、人々の間に活発な議論が始まった。
「ヤタの本当の意味が分かりました」
若い指導者が興奮気味に言った。
「私たち一人一人が、この国の基準になっているなんて...」
農夫が感慨深げに呟いた。
「そうですね。私たちの平均身長から生まれた単位が、神器の名前になっているとは」
商人も深く頷いた。
「タラチネの心...血の繋がりがなくても、我が子のように慈しむ」
年配の女性が、隣にいる他人の子を優しく見つめた。
「教えぬ指導者は落第、教えを聞かぬ国民も問題...厳しいお言葉でしたが、愛情を感じました」
アマノコヤネが皆を見回しながら言った。
「ト」の利他の精神こそが大切なのですね」
人々は互いに語り合い、アマテルカミの教えを深く心に刻んでいった。
第十二章 再びの教え
暫く議論が続き、十分な時間が空いた後、アマテルカミは再び奥から戻ってきた。
「皆さん、有意義な議論をされていましたね」
その優しい声に、人々は再び静かになった。アマテルカミが上座に座ると、八咫鏡が一層神々しく輝いて見えた。
「この八咫鏡には、皆さん一人一人の心が映し出されています。そして、この国の理想も映し出されているのです」
人々は改めて鏡を見つめ、そこに新たな意味を見出していた。
太陽が頂点に達し、八咫鏡はその光を受けて、まるで国民一人一人の魂を照らし出すかのように輝き続けていた。アマテルカミの教えは人々の心に深く刻まれ、この日の体験は、彼らにとって生涯忘れることのできない宝物となったのである。




