八月二三日④
「なんで、救急車を呼ばなかったんだ?」
矢部は梶原を注視しながら、本橋に尋ねた。
「詳しい事情は分からないけど、本人が病院には行けないというから」
「ここも一応病院なんだがな」
矢部は梶原の身体に聴診器を当てながら、皮肉った。
「悪いと思うけど、ここしか思い当たらなかったんだ。頼むよ矢部先生」
本橋の言葉に、矢部が愉快そうに口角を上げた。
「お前が俺のことをちゃんと呼ぶってことは、よほど真剣なんだな」
「いつも感謝しているよ。今度ビール持ってこの間のお礼に来ようと思ってたんだ。今日は来る予定じゃなかった」
「何本持ってくるつもりだったんだ?」
「六缶パックかな」
「馬鹿。それじゃ少なすぎるだろ。今日の分と併せて二ケース位持ってこい。サッポロのラガーだぞ」矢部は梶原の血圧を測りながら声を励ました。「それとな、お前は居ても役に立たないから仕事へ行け」
時刻は八時一五分だった。本橋は、これまでの経験から、矢部の言葉に逆らうという選択肢が無いことをよく思い知らされていたので、「じゃあ悪いけど、先生よろしく」と言い残し、診療所から駆け出た。例のタクシーが消えていった交差点に差し掛かると、不幸な運転手の身に何が起きたのか分かった。街灯のポールに左後部が激突し、ポールは曲がり、後輪がおかしな方向を向いていた。悪態をつかれたのは正直腹立たしかったが、運転手の怒りも当然だと思い、本橋は事故現場に向かって律儀に一礼してから署に向かって走り出した。




