八月二〇日④
自分の演説に酔ったかのように高揚した表情で、東郷は話を締めくくった。周囲の男達は「そうだ!」等と合いの手を入れながら拍手をした。
「今の東郷様のご意見、ご要望に対してお答えさせていただく前に、少しだけ失礼させていただきます」
斎城はそう言うと、唐突に自分のスマートフォンを取り出し電話番号を押し始めた。そして、そのまま十秒ほど放置すると電話を切った。東郷らは斎城の行動に呆気にとられているようだった。
「ただいま私が掛けたのは、依元さんが申告された時に受付票に書かれた依元さんの電話番号です」
全員の視線が依元に集中した。依元は、自分のスマートフォンを手に取ると着信状況を確認した。
「……掛かってきてませんが」
「おかしいですね。ひょっとして誤って記載したのではないですか?」
斎城は机上の受付票を手に取ると、机の間から部屋の中央を通り、受付票を依元の目の前に静かに置いた。
「あ……間違っている」
自分が書いた電話番号を見て、依元が呟いた。その隣から東郷が信じられないと言った表情で受付票を覗き込んだ。
「どういうことだ。依元さん」
東郷の怒声に依元の顔が青ざめた。
「すみません」
「すみませんじゃ済まないよ。あんた人に恥をかかせる気か」
会議室中に東郷の怒気が充満した。周囲の東郷に対する冷めた視線が、東郷をますます熱く感情的にした。
「大体、労働者が電話番号を間違えることを想定していないあんたらにも問題があるよ。そういう問題が起こらないように予防策をとるべきだろう」
先刻までとは打って変わり、東郷の滑舌は悪くなり、論調も支離滅裂になった。
「東郷さん」
斎城の変わりなく穏和な口調が、会議室の混乱した雰囲気に秩序をもたらした。
「今日はあなたが依元さんを署まで連れて来ていただいたお陰で、私共も依元さんとお話しする機会を持つことができました。ありがとうございます」
そう言って一礼する斎城に、さすがに東郷は返す言葉を見つけられなかった。斎城は頭を上げると本橋の方を振り向いた。
「本橋監督官。申告者の依元さんに経過を報告してください」
突然の振りに内心少し慌てながら、本橋は立ち上がった。
「はい。依元さん、私の方で株式会社杉並能登運送サービスの社長とは既に面談しており、給料については会社まで来ていただければすぐに支払う用意をしているとのことでした。また、あの会社は、給料は現金直接払いとのことですが、もし依元さんが希望されるのであれば今回に限っては振込で支払っても構わないとのことでした。依元さん本人名義の預金口座であれば」
斎城は、再び依元の方に向き直った。
「お分りいただけましたか」
依元は、黙って頷いた。東郷は憮然とした表情で無言のまま席を立ち、会議室を出て行った。守るべきはずの依元を置き去りにして。他の同席者も居心地悪そうにそそくさと退席して行った。その中に紛れて依元も去って行き、あっという間に会議室は斎城と本橋の二人きりになった。
「ありがとうございました」
本橋が一礼すると、斎城はポンと本橋の肩を叩いて微笑んだ。
「大したことないわよ。本橋さんこそお疲れ様。今日は疲れたからもう帰りましょう」
会議室から自席に戻る間、本橋は斎城の背中を見ながら、東原が「お母さん」と言いたくなる気持ちがよくわかったような気がした。




