八月二〇日③
「お待たせいたしました。こちらの方へどうぞ」
本橋の背後から、斎城の穏やかな声がした。「なんだお前は、いきなり現れて名前も言わないのか」東郷がそう言わんと口を開く前に、斎城は言葉を継いだ。
「申し遅れました。私は本橋の上司の第三方面主任監督官の斎城と申します」
機先を制された東郷は、口ごもりながら皆を引き連れて斎城と本橋の後についた。間もなく午後五時。開庁時間中に面談を終わらせるつもりがないのは明白だった。
ロの字型に並べられた机のうち、三辺の席は東郷らで埋め尽くされた。斎城と本橋は東郷と依元の対面に腰を下ろした。口火を切ったのは東郷だった。
「今日は、ここにいる依元さんに対して本橋監督官の怠慢を謝罪してもらうとともに、監督署として彼に対して誠意を見せてもらいたいと思ってやってきた」
腕を組み大声で威嚇する東郷に対し、斎城は周囲に向かって穏和な口調で話しかけた。
「お話を伺う前に、本日録音されている方は、挙手にてお知らせいただけますか」
十人程の男が躊躇いながら手を挙げた。
「なんだお前。録音禁止とか言い出すのか?」
東郷は、威嚇が通用しない斎城に対し、苛立ちを隠せぬ口調でなじった。斎城は東郷を直視して答えた。
「いいえ。服の中やカバンの中からでは、録りづらいと思いましたので、机の上に出していただいて構いませんと申し上げるつもりでした」
手を挙げた男達は、指示を仰ぐ様に東郷の方を見た。東郷は険しい表情で斎城を直視したまま、軽く頷いた。この場を仕切っているのが自分ではなく、斎城であることを感じ取っていた。東郷にとってそれは、ここにいる全員に対して面目を保てなくなることを意味していた。次々にボイスレコーダーやスマートフォンが机の上に置かれた。依元もつられて自分のスマートフォンを机の上に出した。
「あんたも本橋監督官の上司だから、すでに報告を受けているだろうが、ここにいる依元さんは株式会社杉並能登運送サービスで日夜一生懸命働いたにもかかわらず、理不尽にも給料を支払ってもらうことができず、困り果てて杉並労働基準監督署に申告した」
東郷は仕切り直すように、いつもの調子で演説を始めた。内容はこの前と変わらない。しかし斎城は黙ったまま東郷の演説を聞いていた。「役所の怠慢」、「弱者いじめの行政」、「無能な公務員」等の誹謗中傷を散りばめた偏見と悪意に満ちた演説は二十分以上続いた。東郷に同行してきた輩の中にさえ、欠伸をかみ殺している者がいた。
「以上のとおり、本橋監督官の怠慢とそれを許した杉並労働基準監督署及び厚生労働省の責任は重大であり、魂の共同体ネットワークとここにいる同志達で今後この問題については、徹底的に追及していく所存だが、さしあたってこの場で本橋監督官から依元さんへの謝罪を求めたい」




