八月一八日⑨
午後八時。冴島から指定された新橋の個室居酒屋は、間接照明で演出された和風のしっとりとした雰囲気だった。店員に案内された席には、すでに冴島が座ってタブレットの画面を眺めていた。
「お待たせしました」
本橋が腰掛けると、冴島は相好を崩した。
「久しぶりだな。元気か」
「まあまあです。冴島さんは?」
以前と変わらず精悍な冴島の顔を見るだけで、本橋は気持ちが引き締まるとともに、自分が冴島と同じ職業であることに誇らしい気持ちになった。
「こっちもまあまあだよ」冴島は悪戯っぽく笑うと、店員に生ビールを二杯注文した。
「そういえば、LASTISの調子はどうだ?」
「助かってますよ。以前の情報システムとは比べ物にならないくらい高性能で」
「そうか。現場の役に立ってるんだったらオレも嬉しいよ」
「やっぱり現場のことを知ってる冴島さんが本店に行ってくれたお陰ですよ。本店回りの監督官は現場を知らないから」
労働基準監督官の中には、入省して四年目位から現場から離れ、主に本省勤務と地方局の幹部としてのキャリアを歩む者がいる。
「皆んな現場のことを理解したいと思ってるよ。根は同じ監督官だからな。ただ、やはり現場経験が短いからな」
運ばれてきたビールのジョッキを持ち上げ、乾杯した。
「ところで、お前最近随分有名人になったじゃないか。本省でも話題になってるぞ」
「魂の共同体ネットワークのことですか」
冴島はビールを飲みながら頷いた。
「どう思っていただいても構いませんよ。別に悪いことしたつもり無いし」
「いや、それじゃあ駄目だ」
冴島は笑いながら、本橋を諭した。
「うちの副署長には疎まれてますよ」
「副署長は杉田さんか? さもありなんだな。今までは例え的外れな批判であっても、沈黙を守るのが役人の掟だったけど、オレはこれからはそれじゃいけないと思ってるよ」
「本省だって、面倒ごとが起きたら臭いものに蓋をしようと躍起になるじゃないですか」
「それはケースバイケースだよ。こっちに非がある場合は、傷口を最小限に止めなきゃいけないからな。それが組織防衛だ。しかし、こっちに非がなければきちんと自己弁護しないといけないし、組織としてもそれを裏から支えているんだぜ」




